京都旅行

「ひろ、お願いリストは?」

「これ、はいっ送った」

『○京都で時代劇の姫になる

 ○パフェを食べに行く

 ○奄美大島に行く』


 目の前でアイスティーを飲むひろから送られたLINE。これは全て私が高校時代にひろとしたいと言ったことだった。


「覚えてたんだ、ひろ。何も出来なかったもんね」

「まだまだあった気するけど、僕的に印象が強いのはこの三つ」

「じゃ、早速京都から?」

「うん。いつ行く?今から行く?」


 あの日、頭痛で辛そうだったひろが心配だったけと、今目の前にはいつものひろがいる。


「行こう。昨日離婚届受理されたってハガキ来たんだ。」

「じゃ、帆乃花ほのかは、さかきさん?」

「……うん。佐々木さんの一文字違い、さかきさんです」

「ローマ字なら見間違うくらいだよね。SかKか、だけ」

「うんっ。」

「どうした?一文字だけ違うのが嬉しい?佐々木 帆乃花になりたかった?」

 調子よくうんっといい、にやけた顔を見られてしまい、ひろは悪戯に一切視線を逸らさない。もし、なりたいと言ったらどうする気だろう。

「…………」

 佐々木になりたかった……。

「まあ、佐々木には入れてあげないけどね」

「わかりましたよっ行こう。ひろ」


 入れてあげないと冗談ぽく言われて、離婚したての私に物申す権利もないと少し萎れてしまう。

 そんな話題は止めて私達は京都へ向かった。恋人でもない夫婦でもない、高校時代の大事な人との旅の始まり。


 ◇


 小さな町家風の宿屋をとり、向かった先は映画村。

 時代劇衣装を纏い散策できるらしい。

「花魁すごいね」

「だめだよ。帆乃花は姫、僕は……」

「御殿様?」

「やだな ちょんまげ」

「ちょんまげ見たいなあ。美形だから似合うと思いますけど?」

「僕はナルシストだから、ちょんまげは見せられないな。浪人!」


 私達は浪人と姫になって写真を撮りながら歩いて回る。

「待ってっひろ」

 慣れない着物でなかなか足が進まない。

「姫!お手を」

 面白おかしくひろが手を差し出した。周りの人もくすくす笑う。ここに来るまで決してつなぐことがなかった手をつないだ。着物が歩き難いからと言う理由だけど、ごつごつした細めの手は私の手を力いっぱい握りしめる。


 長屋の並ぶ小路や橋、うどん屋や甘味処、吉原など時代劇のセットの前を歩く。

「……夢の世界みたい」

「覚めなきゃいいなあ 永遠に。永遠に帆乃花が僕の姫ならいいな……なんてね」


 ひろは私に答えさせないようにか、普通の恋人にはもう、なる事が許されないのか、微妙な言葉を並べては乙女心を刺激する。昔もその辺りには長けていた。

 私は大人しく多くは求めず、『消えたい』なんて言った自分にこんな時間がこの世界にはあるんだって、見せてくれるひろに感謝する。



 ひろが疲れたと言い出し、私達は衣装を返して宿へ入った。部屋で靴下を脱いで私は親指の付け根を見る。痛かったのは慣れない草履の仕業だったようで皮がめくれ血が出ていた。

「わっ帆乃花、痛かった?ごめん。何で言わないんだよ。」

 ひろが後ろから覗き込む。

「あはは、楽しかったからつい」

「嘘だね。また気使いすぎの帆乃花だ」

「ひろだっていつもそうでしょ?痛いとか苦しいとか絶対私に言わないし」

「そう?帆乃花に言ったらさ、本人より痛がりそうだから。ご飯の前にお風呂行く?」

 そう言いながらひろはあっという間に私の足に軟膏と絆創膏で手当した。

「ありがとう……」

「うん。皮膚科医の息子だけど医者にはなれず ははは」


 ◇


 宿の風呂へ行き部屋に戻ると浴衣姿に羽織を着たひろが並ぶ御膳の前であぐらをかいている。

「おそっ」

「ごめん」

「やっぱり帆乃花はレディなんだね。髪乾かしたり顔に色々塗るの大変だね。あんまり化粧落としても変わんないけど。高校ん時すっぴんだし」


「ひろ……頭痛ってただの頭痛?」

 私はゴミ箱に入れられた沢山の薬のカラを見つけた。


「ちょっと特殊な頭痛」

「特殊?」

 何か大きな病気だったらどうしよう……ひろはそんな私の不安に気付かないふりをしてお箸を手に取る。


「食べないの?こんなの滅多に食べられないよ〜京懐石?いいねやっぱり和食は。アメリカンはすぐジャンクに行くか極端なビーガンかベジタリアンだから。」


「……いただきます」


 食後、布団に先に寝転んだひろが窓から外を眺める私を呼ぶ。

「こっちでゴロゴロしないの?」

 振り向けば、布団の上に乗ってあぐらをかいて手招きしていた。

 二つ並んだ布団の片方に座るとトンっと押され後ろに倒れる。寝転んだ私の横に両手をついたひろがじっと見つめる。真剣で……今にも何かが降り出しそうで悲しそうに潤んだ瞳は私の頭をそっと撫でた。

「チューされると思った?」

「……え?」

 冗談ぽくそう言ったひろは、自分の布団へ寝っ転がり「おやすみい 帆乃花電気消して〜 立つのめんどくさくなっちゃった」


「うん。消すね」

 ひろは、私に触れてくれない。一度終わった恋を引っ張り出すには私がしでかした過去は重い……そう言われている気がした。


 夜中のこと、私は気配で目が覚めた。いつからかちょっとした音で起きてしまうようになった。

 あたたかい感触。ひろがこちらの布団へ入ってきた。そして肘を付き私の顔をじっと見ている。

 私は寝たふりをする。どんな顔でひろがこちらを見ているのか、気になる気になるけど、瞼が不自然に動かないように神経を集中させる。

 ひろは、私にキスをした。

 眠っている私に長いキスをした。

 それだけで、私の目尻から涙が線になって耳に落ちる。それでも私は眠っているふりをした。

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