第9話 プレゼントの発表

 3月31日の朝がやってきて、僕はベッドの中で目を覚ました。スマホのアラームが鳴っているので止めてから、ベッドを出て朝日の差し込む窓際で伸びをする。チュンチュンとさえずるスズメの鳴き声を聞きながら、ついにこの日がやってきたかと感慨にふける。今日は家族に温泉旅行をプレゼントすることを発表する日だ。本当は月の頭の方が発表に向いている気もするが、4月1日はエイプリルフールなので冗談と捉えられるのも面倒くさいので一日早くしたのだ。


 ここまで長い道のりだった。初めて家族旅行の計画を思い浮かべたのは今から半年ほど前になるだろうか。その時はまだ受験生で受験勉強に勤しんでいたのを覚えている。2月には第1志望の大学に合格し、コンビニのアルバイトも開始した。アルバイトは中々大変で、初めは続けれるか心配だったが、徐々に仕事内容にも慣れて、今ではかなり様になっている。全てが順調に自分の立てた計画に沿って進んでいっており、日々の生活にとても満足している。


 僕は服を着替えて自室を出て、母と朝の挨拶を交わすために居間へ向かう。今日は弟の武明も起きていて母と二人でこたつに入り朝の情報番組を見ている。そろそろこたつ布団は片付ける必要があるなと思いつつ、二人に声をかけた。


「おはよう母さん、武明」


「おはよう武志」


「おはよう兄ちゃん」


「母さん。こたつ布団はそろそろいらないんじゃないか。もう春だし、ずいぶん暖かくなってるしさ。良かったら後で僕が片付けとくけど」


「本当かい。それじゃあお願いしようかしら」


「了解」


「兄ちゃんは働き者だなあ」


 武明が茶化すようにいう。そんな武明に僕は無慈悲に言う。


「武明、お前も一緒に手伝うんだ」


 武明は嫌そうに顔を歪める。


「やだよ僕。面倒くさい」


 そんな武明に母が説得するようにいう。


「そういわず武志を手伝ってあげておくれ。後でお菓子でも買ってきてあげるからさ」


 武明は少し逡巡しているようだったが、お菓子の魅力に負けたのか手伝いを申し出てくる。


「しょーがないな。じゃあ僕も手伝ってあげるか」


 ちょっぴり偉そうだったけれど。でもまあ手伝うといってるから良しとしよう。


「それじゃあ僕は朝ごはん食べてくるから」


 そういって僕は居間を出て食堂に向かった。

 朝ごはんはほぼ毎日トーストを焼いてマーガリンを塗ったものを食べているが、たまにはサンドイッチ風にしてみようと考える。冷蔵庫から卵を取り出し、お椀に割り入れて箸で混ぜる。それからフライパンを用意し火にかけ、熱くなってきたら油を入れて油引きでまんべんなくひいた。


 卵を投入し、箸でぐるぐると混ぜる。あっという間に炒り卵の完成だ。出来上がった炒り卵をフライパンから皿に移し、味付けを開始する。マヨネーズと塩コショウで味付けしようと思い冷蔵庫を開けると鮭フレークを見つけて、塩コショウの代わりに鮭フレークを入れようと考える。炒り卵に鮭フレークをドバドバ入れて、マヨネーズを投下し、最後によく混ぜたら具材の完成だ。


 次はトーストの準備である。トーストをまな板の上に載せて、包丁で半分の薄さに切る。真ん中で切るのが中々難しく少しガタガタになってしまったが構わないだろう。トースト部分も準備完了である。あとはトーストに作った具材を挟むだけである。作った具材をたっぷりとトーストの上に載せ、もう一枚のトーストで蓋をしたら完成だ。我ながら美味しそうにできたと思う。飲み物を探そうと冷蔵庫を開けると牛乳があったので、コップに注いでテーブルに置き準備万端。椅子に座りいただきますと心の中で呟いて食べ始める。さてお味の方は。


 美味い。満足の味である。炒り卵と鮭フレークのコラボレーションが意外とトーストに合う。僕は大満足で完食した。牛乳を飲み干し、皿とコップを流しに置いてから僕は居間へ向かう。次はこたつ布団を片付けよう。家の手伝いも大切だ。

 居間に戻った僕は母と武明にこたつから出てもらうため声をかけた。


「ちょっとこたつから出ててくれるかい」


「わかったよ」


「うん。わかった」


 母と武明が、よっこいしょと掛け声を出して立ち上がり、こたつから出る。


「武明はこたつの上に載ってるものを全部下ろしてくれ」


「はーい」


 褒美のお菓子のためか大人しく僕の指示に従い行動を開始する。

 僕も口だけでなく武明を手伝う。こたつの上に載っていたのはせんべいの入った袋や湯呑、ティッシュの箱などだ。それほど多くのものがあるわけではない。とりあえずすべて畳の上に置いていく。


「足元の湯呑をひっくり返さないよう注意してくれ」


「わかった」


「じゃあ次はこたつの上に載ってる板を下ろすから、武明は向こう側を持ってくれ」


 僕はこたつの傍に立ち、武明に反対側に回るように指示する。


「僕に持てるかな」


 武明が不安そうになりながらも僕と反対側の位置につく。確かに小学4年生の武明にとってはこたつの上の板は大変重たい部類に入るだろう。


「なんとかなるだろ」


 ちなみに僕一人で持てない重さではないが、家の手伝い習慣を武明につけてもらいたいために、わざわざ手伝ってもらっている。武明は面倒くさがりで自分から手伝うことをしないからな。


「いくぞ。せーの」


 掛け声をかけてタイミングを合わせ板を二人で持ち上げる。途端、武明が悲鳴を上げ始める。


「ひぃ、重たい。腕がもげるぅ」


 大げさな奴だ。


「無駄口を叩いてないで、そのまま横に移動して下ろすぞ」


 僕は武明と息を合わせてゆっくり横に移動し、程よいところで畳の上に板を下ろす。


「ひぃ、重かったぁ」


「乗せるときにもう一回持たないといけないからな」


 と釘を刺すと武明はかなり嫌そうな表情を浮かべた。僕はそれを無視してこたつ布団を両手でつかみ持ち上げて折りたたむ。そしてそれを押し入れに放り込んだ。


「さてと、板をもう一回持ち上げるぞ。武明、向こうに回ってくれ」


「はぁい」


 武明がしぶしぶ準備をして、言われた通りに向かい側で板に手をかける。逃げ出さないのは報酬のお菓子が出るおかげだろう。


「いくぞ。せーの」


 再び掛け声をかけてタイミングを合わせて板を二人で持ち上げる。武明の腕がプルプルし始めて「もう駄目だぁ」と弱音を吐く。

「もうちょっとだ。頑張れ」とエールを送り、さっさとこたつの上に乗せてしまおうと考える。ゆっくりと横移動をしてこたつの上に板を持っていく。


「よし。一度乗せるぞ。ゆっくりな」


 まだ半分くらいしか乗らない位置だったけれど、武明の限界が近そうなので板を下ろす。そこで少し休憩。


「最後にもうひと踏ん張りだ武明。頑張れ」


 後は板をもう少し横に移動させて綺麗にこたつの上に乗せるだけだ。力で板をスライドさせてもいいが傷がついても嫌なので、もう少し持ち上げて動かそうと思う。


「軽く持ち上げて移動させるぞ」


 僕が板に手を添えると武明も同じように板をつかむ。


「せーの」


 僕が板に力を加えて少し持ち上げると、武明も遅れて反対側を持ち上げる。そのまま横に移動して今度こそこたつの真上に板を置くことに成功した。後は畳の上に置いたままになっているせんべいの袋や湯呑などをこたつの上に戻したら完了だ。僕は武明と協力しながら最後のひと仕事を終える。


「お手伝いは完了だな」


「もー、兄ちゃんは人使いが荒いなぁ」


「何言ってるんだ。家の手伝いをするのは当たり前の事だろ」


「当たり前じゃないよ」


「いーや。当たり前だ」


 僕が強く断言すると、武明は不満そうな表情を浮かべて黙り込む。何を言っても無駄だとでも考えているのだろう。そんな僕らのやり取りをずっと黙って見ていた母がこたつに座りながら口を開く。


「二人ともありがとうね。おかげで片付いたよ」


「お母さん。報酬のお菓子は奮発してよね」


「武明の食べたいお菓子を買ってあげるよ」


「本当? やったー」


 武明は先ほどの不機嫌さが一気に吹っ飛んだようで、無邪気に喜んでいる。僕はそれをぼんやり眺めながら座って休憩し、せんべいに手を伸ばして、ぼりぼりと頬張る。家のお手伝いを一つやり終えたことで何だか気分がいい。武明は面倒くさがるけれど、僕は結構家のお手伝いが好きだ。自分が何かの役に立っていると実感できる。母は喜んでくれるし感謝もしてくれる。それらのことが無性に嬉しくて自分から家のお手伝いをよくしている。


 僕は基本的に家族のみんなが好きだ。武明はやんちゃで面倒くさがりで困った一面もあるが、いつも明るく元気で周りの人にもエネルギーを分け与える力がある。僕は冷静で物静かな性格なので自分とは真逆で面白いと思うし、自分にないものを持っていて凄いなと感じる。父と母はいつも僕に優しく接してくれるし、何をするにしても応援したり励ましてくれる。


 家は裕福ではないが僕が大学に行きたいと両親に伝えた時も、応援してくれた。正直大学に通うにはかなりお金がかかるので無理かもと考えていたが、金銭面の不安をそれとなく両親に伝えると父が「お金のことはお前が考えることじゃない。俺に任せろ」と力強く断言した。正直とても嬉しかった。父は毎日夜遅くまで働いており、それが僕の大学費を稼ぐためだと思うと感謝の念が湧いてくる。


 体にだけは気を付けて仕事をしてほしい。たまに自分は家族に恵まれてると考えることがある。世の中には家族が不仲の場合もあることは知識として知っているが、とても悲しいことだと思う。うちの家族は皆仲良しで、家族の愛情を当たり前のように受けられる。そんな僕だから贈り物として家族旅行を計画し実行しようとしているのかもしれない。


「母さん、話があるんだ」


 僕が母に声をかけると、武明との会話を中断してこちらに目を向けた。


「何だい。改まって」


「実は家族に日頃の感謝を込めて温泉旅行をプレゼントしたいと思っているんだ。ゴールデンウィーク期間の熱海への温泉旅行なんだけど。プレゼントなんでもちろん旅費も含めて僕が全額負担する。そのために僕はアルバイトを始めたんだ。受け取ってよ母さん」


 母は驚いて言葉を失い、しばらく沈黙が続いたが、僕はゆっくりと母の返事を待つ。母が反応を示す前に武明が僕に聞いてくる。


「兄ちゃん、僕も行ってもいいの?」


 僕は力強く頷く。


「もちろんだ。武明と僕、母さんと父さんの皆で行くんだ」


 僕が答えると武明はみるみる喜びの表情を浮かべ、母にせがむ。


「ねぇ行こうよお母さん。せっかく兄ちゃんが温泉旅行をプレゼントしてくれるって言ってるんだから。僕、温泉旅行に行きたい」


 武明にせがまれ母もぽつぽつと話し始める。


「うーん。そうだねえ。お金は大丈夫なのかい?」


「うん。アルバイトでしっかり温泉旅行に行く分のお金は稼いだよ」


 僕が自信満々に言うと、母は一息ついて意を決したように口を開く。


「そうかい。それじゃあ皆で行くかい。温泉旅行に」


「わーい。温泉旅行だ」


 武明が大喜びではしゃぎ始める。僕はそれを横目で見ながら人に喜んでもらうのは純粋に嬉しいと感じる。


「父さんには母さんの方から伝えてもらえると助かる」


「自分から言わなくていいのかい」


「父さんは仕事で僕より朝は早いし夜は遅いし、平日だと中々遭遇しないからね。明日の朝にでも母さんの口から伝えておいてよ」


「わかった。そうしておくよ」


 母の返事を聞いて僕は胸をなでおろし、一仕事終えた気分になる。家族への報告は終わった。父の反応がまだわからないけれど、喜んでくれることを期待している。後は宿の予約を済ませて、ゴールデンウィークを待つだけだ。思い出に残る家族旅行にしたい。今からとても楽しみだ。


  ☆


 翌日の朝、ベッドで目覚めて服を着替え、居間へと向かい母に挨拶すると、昨日のことを父に話したよと教えられる。


「父さん何て言ってた」


「楽しみにしてるって言ってたよ。それに武志の成長が嬉しいって言ってた」


「そうなんだ」


 自分の成長が父に喜んでもらえて素直に嬉しくて顔がほころぶ。父に認められたという感覚が湧きあがり自信につながる。父の同意を得られたので宿の予約を進めても良いだろう。


「ちなみに冗談と思われたりしなかった?」


 今日は4月1日のエイプリルフールなのでその点が少し気になる。最悪今でも冗談と思っている可能性も捨てきれない。


「最初は冗談と思ってるみたいだったけど、最後は信じてくれたと思うよ。何度も念を押したからね。エイプリルフールのネタじゃないって」


 母はそういうけれど、一応僕からも後日、休日に父を見つけて話をした方がいいかもしれない。

 その後、僕は朝食を軽く済ませ自室に戻り、中古で買った安物のノートパソコンを持って居間に戻り電源を入れる。今日は家族の意見を参考にして温泉宿の予約を取ってしまいたい。ちなみに父は仕事で不在なので残り3人の意見をまとめて宿を取りたい。とりあえずは居間にいない武明を呼ぶためにパソコンは放置して部屋に向かう。


「武明、ちょっといいか」


「何、兄ちゃん」


「泊まる温泉宿を今から選ぶから武明も一緒に来てくれ」


「選ばしてくれるの? やったー」


 居間に戻るとパソコンが起動していたのでネットに接続し、検索サイトで温泉宿を検索する。宿泊予約ができるサイトがいくつか表示されたので、その一つをクリックしてサイトに移動した。


「こないだ一人で調べたんだけど。日本で一番人気の温泉地は熱海温泉らしい。熱海に行こうと考えてたんだけどかまわないかな。別の場所がいいなら意見がほしい」


「日本一の温泉地? 何それ、ちょー行きたい」


「母さんも熱海でいいかな」


「かまわないよ」


「じゃあ大まかな場所は決まりということで」


 僕は宿泊予約サイトの条件指定の所に、熱海と入力し宿を絞り込んだ。それでも沢山の宿がずらずらと並んでいて、一つ一つ詳細を眺めて皆で意見を言い合った。そして1時間ほどかけて一つの宿にやっと絞り込んだのだった。


  ☆


 4月5日の日曜日。

 今日は父と温泉旅行の話を少しする予定で、朝からずっと居間に座って待機している。ちなみに昨日は父が休日出勤をしていたので話す機会がなかった。今日は父の仕事が休みで今はまだ寝室で寝ているのか姿を見せない。いつもならそろそろ起きてくる時間帯だからもう少しで姿を見せるはずだ。のんびり待っていると案の定、父が姿を現した。


「おはよう、父さん」


「武志か。おはよう」


「今日は少し父さんと話をしようと思って待ってたんだ」


「珍しいな。武志の方から話があるなんて」


「うん。母さんから話があったと思うけど、僕の口からも直接話したほうがいいと思って」


「ああ、温泉旅行の話か」


「その話だよ。ゴールデンウィークに家族4人で泊りで温泉旅行に行くから予定を空けといてよ。日程は5月4日から1泊2日で行くから」


 日程は昨日決めたので父も知らない情報だ。


「わかった。5月4日から2日間だな。予定を空けておく」


「ありがとう。父さん」


 僕がお礼を言うと父が、ふふっ、と微笑した。


「それはこちらのセリフだ。ありがとう武志。家族を温泉旅行に連れて行ってくれる計画を立ててくれて」


 父に感謝の言葉をもらうと何だかくすぐったい気分になる。正直とても嬉しい。


「日頃の感謝を込めた親孝行になればいいと思ってるんだ」


「そうか。武志が立派に育って俺は嬉しいよ」


「父さんに喜んでもらえると僕も嬉しい」


 僕が取った行動で人に喜んでもらい、喜んでもらうことがまた嬉しくなる。凄くポジティプな循環ではないだろうか。


「言いたいことはそれだけだから。僕は自室に戻るよ」


 僕が話を切り上げて居間から出ようとすると父が待てと呼び止める。


「明日から大学が始まるんだろ。勉強の方もおろそかにならないようにな」


「わかったよ父さん」


 僕は力強く頷く。父の期待に応えるためにも、まだまだ勉学に励まなければならない。


「話はそれだけかな父さん」


「ああ」


「それじゃ今度こそ自室に戻るよ」


 それだけ言うと僕は居間を出て自室に向かう廊下を歩き始める。父も食堂に向かうため廊下をゆっくりと歩き始めた。

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