第7話 家にお金を入れる
バイトの日々は順調に過ぎ、2月29日の土曜日がやってきた。今年は2020年なのでうるう年である。月末は家にお金を入れると以前母に伝えているので、今日は初めて家にお金を納める日だ。バイトを始めたころに計算して決めた額は1万円だったけれど、少し考えなおし5千円にすることにした。理由はふたつあって、ひとつ目は今月の頭から働いていないので収入が5万ほどしかなく1万は入れすぎなんじゃないかということ。ふたつ目の理由が、あまり過剰にサービスしすぎると本命の家族旅行を贈るときに、家族が受け取りを躊躇してしまうのではないかと考えたからだ。そうなっては本末転倒になってしまうので、非常に困る。せっかくなら気持ちよく受け取ってほしいので、やはり今は過剰なサービスは控えるべきだ。
というわけで銀行に行って5千円を下ろして今家に帰ってきたところだ。居間へと向かうといつものように母がこたつに入り熱い緑茶を少しずつ飲んでいた。切らしているのか今日はせんべいはこたつの上に置かれてはいない。弟の武明も今日は姿が見えず、外へ遊びに行ったのか、それとも自室でゲームでもしているのかわからない。お金を母に渡す現場にいられるとまた、お金をくれ、とか言い出しそうなので好都合だ。
僕は母の向かい側からこたつに入ると声をかける。
「今日はせんべいがないんだね」
母はそんなことかいといった顔をしてやや不満げに、
「せんべいは武明が全部食べちゃったよ」
なるほど。あの食いしん坊め。僕が納得顔を浮かべていると母が聞いてくる。
「武志はどこかに行ってきたのかい」
「僕は銀行に行ってきたよ。お金を下ろしてきたんだ」
そういって僕は財布から5千円を取り出し、母の前に置いた。
「これ以前約束した家に入れるお金だよ。少ないけどもらっといてよ」
母が嬉しそうに5千円を眺めてから手を伸ばす。
「ありがとうね。5千円でも助かるよ。ちょっと財布を取ってくれるかい。最近腰が痛くてね。動くのが少し億劫なんだ」
「分かった」
母の財布は居間のタンスの一番上に入っている。僕はこたつを出て立ち上がりタンスの前まで歩いて、母の財布を取り出した。母の所まで行き財布を手渡す。
「ありがとうね」
母が財布に5千円をしまうと再び財布を僕に手渡してくる。
「また元の場所に置いておいて」
「分かった」
僕は財布をタンスの一番上に入れておいた。
母の向かいのこたつに戻り、僕は来月の情報を小出しにして話し始める。
「来月はサプライズのプレゼントを用意する予定だから楽しみにしててよ」
「プレゼント? なんだろうね」
「来月になってからのお楽しみということで」
「そういえばプレゼントで思い出したけど、大学の入学祝に何か買ってあげるよ。何か欲しいものはあるかい」
プレゼントをする話をしたら、逆にプレゼントをされる話になってしまった。
「いいの?」
「勉強を頑張ったご褒美だよ」
くれるものなら、貰っておいたらいいだろう。
「今すぐ思いつかないから後で欲しいものを考えとくよ」
「そうしておくれ」
「ちなみにいくらくらいまでのものならいいの」
「高くて3万円台くらいまでならだせるよ」
そういって母は湯呑に手を伸ばすのだった。
☆
3月2日月曜日。バイトに励んでいた僕は、仕事の合間を見て内田先輩に話しかけた。
「内田先輩は大学に入学したとき親から何か買ってもらいました?」
「唐突だね。買ってもらったけど。それがどうしたの?」
「こないだ母に大学の入学祝を買ってあげるっていわれて、欲しいものを考えてたんですけれど。一体何を買ったらいいのか分からなくて」
「何でもいいんじゃないの。自分が欲しいものなら」
「それが特に欲しいものがなくて。ちなみに内田先輩は何を買ってもらったんですか?」
「かばんだよ」
「かばんですか。今も使ってるんですか?」
「使ってるよ。記念のものだからね。今でも大事に使ってるよ。欲しいものがないなら今後必要になるものとかを買ってもらったらいいんじゃない」
内田先輩がそうアドバイスをくれる。僕はそのアドバイスに沿って今後必要になるものを考えてみた。
「スーツとかでしょうか?」
「それもいつかは必要になるけど。まだ少し早いんじゃない。就職活動に必要ってことだよね。体のサイズが変わる可能性もあるからそれは直前に用意した方がいいんじゃない」
なるほど。確かに内田先輩の言うとおりだ。それなら他に必要になるものがあるだろうか。
「革靴とかどうでしょう。足のサイズはそうそう変わらないと思いますけど」
「就職活動からはいったん離れたほうがいいと思うけど。やっぱり直ぐに使うものの方がいいんじゃない? プレゼントする側も送っても全然使われないものより直ぐに使ってもらえる方が嬉しいんじゃないかな」
なるほど。色々と参考になる意見を内田先輩がくれる。
「直ぐに使えて必要なものですか。中々難しいですね」
「難しく考えすぎなんじゃない。スーツや革靴はちょっとあれだけど、別に普通に洋服や運動靴でもいいんじゃない」
「なんかピンと来ないです。それにせっかくなら10年くらいは使えるものがいいですね」
「じゃあもう私と一緒でかばんでいいんじゃない。大切に使えば10年くらい持つんじゃない」
「そうですね。それにかばんなら社会人用を今から買っても、大学で使う分にはあまり変じゃない気がします」
「結局、社会人グッズが気になるんだ。そういうことなら腕時計とかもいいんじゃない。腕時計も社会人に必須のアイテムって聞いたことあるけど。もちろん普段から使えるし」
それは全然考えていなかった。時間なんてスマホを見れば分かるから腕時計なんてわざわざ身に着けようなんて思ったことがない。だから僕は現在ひとつも所持していない。腕時計デビューをするのも悪くないかもしれない。
「腕時計は悪くないですね。検討してみます。色々意見ありがとうございました。とても参考になりました」
「どういたしまして」
☆
そして僕は結局2万円くらいの腕時計を後日母に買ってもらった。
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