第3話 アルバイトの初日

 翌日になり、初出勤の17時が徐々に近づいてくる。

 早めの夕食もすでに終え、メモ帳よし、ペンよし、と必要なものを指さし確認して鞄に入れた。

 それから遅刻しないため指定時刻より早く着くよう計算して家を出た。


 面接時は電車を使ったが、今日は自転車での通勤だ。通勤費は出ないと面接時にいわれ、往復の電車賃がもったいないと感じたからだ。少額でも塵も積もれば山となるように、ひと月分ともなれば馬鹿にできない。働くコンビニは電車で二駅しか離れていないので自転車でも余裕で行ける距離だろう。雨でも降れば面倒かもしれないが、雨の多い季節でもない。すぐには問題にならないだろう。


 時間的に余裕があるので自転車のペダルをゆっくりこいで進んだ。

 それでも目的地には指定時間の10分前に着くことが出来た。

 駐車場に自転車を止めて、何度か深呼吸をし、緊張した心を落ち着かせる。

 少し落ち着くと決心しコンビニへと入った。

 その時ちょうど店員の女の子がお客の対応をしており、レジを打っていた。

 僕は少し待つため店内を見て回り、ぶらぶらしていた。


「ありがとうございました」


 お客の対応が終わったようで、明るい声が聞こえてきた。

 レジのほうへ目を向けると、お客の男性がレジ袋を提げて帰っていく背中が見えた。

 男性が自動ドアをくぐり、店内から出ていく。これで店内には僕と店員さんの二人になった。僕は店員の女の子の前に、ゆっくりと歩み寄った。店員の女の子が僕に気づき目を向けてくる。とても素敵な営業スマイルを浮かべる店員の女の子に僕は明るく告げた。


「今日からこちらでバイトすることになりました中村です。よろしくお願いします」


 ちなみに中村は僕の苗字だ。


「あ、はい、店長から聞いてます。こちらにどうぞ」


 僕は店員の女の子に案内されて、バックヤードに連れていかれた。

 どうやら商品の在庫が置いてある場所のようだった。

 しばらく待つように言われ、その場で待機していると、店員の女の子が店長を連れて帰ってきた。店員の女の子はそのまま何も言わず、持ち場へと戻っていく。

 僕は店長に向き直って、明るくはきはきと声を出した。


「今日からよろしくお願いします」


「元気でいいですね。こちらこそよろしくお願いします」


 それから僕は店長から業務に関わる様々な説明を受けた。制服の着替え場所や、出退勤の仕方を教わり、制服に着替えた後は、2時間くらい店長とマニュアルを見ながら業務内容を確認した。コンビニの業務は徐々に増えてきているようで、覚えることが膨大だった。通常業務をひととおりこなせるまで、3か月ほどかかるのが一般的らしい。なので3か月間の研修期間を設けられていた。研修中の給料は少し安いけれど、目標金額への影響はあまりない。


 とりあえず今日はまずレジ打ちを覚えてほしいとのことだった。

 店長に付き添われ店内に戻った僕は、先程の店員の女の子とお互い自己紹介をした。

 女の子は内田こころさんというらしい。歳はあまり変わらないように見えるが、僕の教育係でこれから先お世話になる先輩だ。自己紹介が終わると店長は内田さんに「それじゃあ、後は頼んだよ」と僕のことを託し戻っていった。


 その日の僕の初仕事は内田先輩の横についてレジの操作を覚えることだった。内田先輩はゆっくりレジを操作しながら優しく丁寧に教えてくれた。コンビニでは基本バーコードを機械で読み取るだけなので、横で見ている分には簡単そうに見えた。


「出来そう?」


「はい、何とか」


 何度か横で見て流れを把握したころに内田先輩が、じゃあそろそろといって僕に仕事を任せてくる。


「次の人のレジをお願いね。ゆっくりでいいからね。慌ててミスをしないように。それからお客さんに明るく挨拶も忘れないで」


「はい、わかりました」


 僕は元気よく返事をし、緊張で顔がこわばらないよう意識して、表情を緩める。

 初めてのレジである。笑顔を意識し、高鳴る心臓を抑えて深呼吸をして時を待つ。

 内田先輩が横で、この人大丈夫かな、と心配そうに僕を見るがスマイルは崩さない。

 穏やかな笑みで僕を見守り、微動だにせず、傍に立っている。

 初々しいものを見る目で僕を見ていて、目尻が優しげだ。

 思わずといった感じで内田先輩がぽつりと、


「あたしもこんな時期があったな」


「え?」


「中村君の緊張が伝わってくるよ」


 そういって、うんうん、と頷いている。

 内田先輩に目を向けると、人に安心感を与える雰囲気を発しており、僕の緊張が少し和らいだ。思わず笑みがこぼれる。良い先輩に巡り合えて少し嬉しくなる。

 少し心に余裕が出て店内に目を向けると、20代と思われる男性が飲料の棚の前に立って買うものを選んでいた。手にカップ麺を一つ持ち、もう片方の手でペットボトルのお茶をつかんだ。今日の夕食だろうか。男性はそれらを手に持ってレジまで歩き、商品が僕の前に置かれた。


「いらっしゃいませ」


 僕は明るく挨拶をしてからバーコードを読み取る機械を手にし、まずはカップ麺を読み取ろうと手を伸ばす。簡単な仕事のはずが、いきなり問題が発生した。

 バーコードが見つからない。

 上面にはない。側面も一通り見た気がするけれど見つからない。まさか裏面にと思いカップ麺をひっくり返すがあるはずがなかった。やばい、いきなりピンチだ。早く何とかしないと。お客さんを待たせてはならないと思えば思うほど焦り、手が震えてくる。変な汗も噴き出てくる。テンパって心臓が止まりそうだ。見逃したのだろうか。だとしたら側面だ。僕は天に祈りながら、もう一度側面に、今度は慎重に目を通す。すると今度は問題なく発見することができた。助かった。


 僕は安堵し、急いでバーコードを機械で読み取る。

 続いてペットボトルのお茶を機械で読み取る。今度はすぐにバーコードが見つかった。

 商品は2点なので、僕は男性に合計金額を告げる。


「お会計352円です」


 男性がお金を取り出す間に、手早くレジ袋にカップ麺とお茶を入れる。特に問題なく行えた。男性が財布から500円硬貨を取り出し僕の前に置く。


「500円お預かりします」


 僕はレジに500と打ち込んで、会計確定のボタンでもある、年齢の20代のボタンを押す。ここも順調。次は絶対に間違えられない瞬間だ。おつりの148円をレジから確実に取り出して、レシートを添えて男性に手渡す。緊張で手が震えそうだ。


「148円とレシートのお返しです」


 何とか渡すことに成功する。

 男性は受け取ったおつりを財布に放り込んだ。

 最後に商品の入ったレジ袋を丁寧に手渡し、完了だ。


「ありがとうございました」


 レジ袋を受け取った男性が歩き去り、自動ドアをくぐって店を出ていく。

 完全に姿が見えなくなって、やっとため息をついた。

 そんな僕に内田先輩が声をかけてくる。


「おつかれ。どうだった」


「すごい緊張しました。カップ麺のバーコードがすぐに見つからなくてかなり焦りましたけど、何とか乗り越えました」


「バーコードが見つからない時は、落ち着いて探してね。焦ると余計見つからなくなるよ」


「落ち着く努力をします」


「でもまあ最初は緊張するし、焦るよね。経験を積んだらできるようになるから」


 というわけで、どんどん経験を積もうということで、その日の残りもレジを任された。

 僕がレジで客を待つ間に、内田先輩は品出しやら、清掃などで多少僕から離れたが、僕が接客をするタイミングでいつの間にか隣にいたので、安心してレジ業務を行うことが出来た。


  ☆


 初めての仕事を終え帰宅し自分の部屋へ入ると椅子に腰かけた。安心で疲れがどっと出て、机の上に突っ伏す。今までに感じたことがない種類の疲労感を感じる。学校に行ったり長時間勉強した時に感じる疲労とは全然違う。僕は普段あまり運動をしないので体力がない。ずっと立ちっぱなしなのも疲れはしたが、それよりも精神的な疲労が大きい気がする。コンビニバイトは接客の仕事でもあるのでお客さんに失礼があってはならないし、レジはお金を扱うので間違いが許されない。それらを考えながら仕事をすると知らず知らずのうちに神経をすりに減らしているのかもしれない。それとも真面目に考えすぎだろうか。もっと気楽に構えて、多少問題があってもいいやと割り切ったほうが疲れないのかもしれない。だが僕は根が真面目だから、そういった考えは似合わず、結局真面目に働いてしまいそうだ。


「続けられるかな」


 疲れているせいか弱気な発言が口から出る。

 僕は苦笑し、これではいけないと気を引き締める。初日からこんなことを考えていても仕方がない。慣れないことをして疲れが増しているだけかもしれない。慣れれば全然大したことないのかもしれない。そう考えると気が少し楽になってくる。


 僕は気合を入れて体を起こし、一度伸びをしてから、立ち上がる。今日は風呂に入ってさっさと寝てしまおう。ぐっすり眠り明日になれば疲れも無くなるはずだ。僕は自分の部屋を出て風呂へと向かった。しっかりと疲れをとるために、少し長めに湯船につかりくつろいだ。お風呂から上がると冷蔵庫に冷やしていた水を飲んで、水分補給をする。それから自室に戻りベッドに入った。

 今日は疲れたな。明日も頑張ろ。おやすみなさい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る