祝祭前の

O(h)

第1話

 サニーは街に続く小径の野辺に咲いていたミモザの花たちを少しだけ摘み取って、花束のようにまとめてミリアに渡した。

「ミリア、この花の花言葉、あとで調べてみて。」

「ありがとう。ミモザってかわいいね。」

ミリアはしばらく黄色い小さな花束を眺めていた。



 明日は街の春祭り。そして今宵はその前夜祭で、日暮れを待たずに始まることになっていた。

サニーとミリアは1時間ほどかかる街までの小径をミリアの愛犬ステラとともに歩いていた。


 ミリアの祖父はこの街の皮革細工職人である。毎年この春の時期のお祭りでは、大太鼓を叩いて、職人仲間達とともに祭りを大いに盛り上げる。そしてその祖父を色々と手伝うために、孫娘のミリアは前夜祭から街に入るのだ。

ミリアの母は、ちょっと茶化しながら彼女に

「ひとりじゃ危ないから、サニーとステラにボディガードをお願いしなさいね」

と言った。

 やはり慣れているとはいえ、この時間にひとりで街まで行くのはミリアもさすがに心細かったので、

「わかったわ。そうする。」

と素直に返して、傍らのステラに向かって小さな舌をちょっとだけ出しておどけて見せた。



 歩き始めてしばらくすると、小径はゆったりとした下り坂に変わった。西に傾いた夕陽が二人の頬をうっすらと紅く染めてゆき、長い影法師が径に伸びている。。ステラは二人の間を少し遅れがちに黙々と歩いている。



 その日の朝ミリアが目を覚ました時、彼女のベッドの横では、ステラが上目遣いでミリアの顔をじっと見つめていた。

(きっと『僕も連れて行っておくれよっ』って言ってるんだわ……)ミリアは彼の頭にそっと手を置き、軽く撫でてあげる。少し眠たげな表情を見せてステラはベッドの横に再びごろりと寝ころんだ。


 学校を終えて帰ってから早めの夕食を母と済ませると、ミリアは自分の部屋で祭りのための洋服を選んだ。

「このオレンジのスカート、どうかな?」ステラに話しかける。

服を選ぶミリアの横でステラが不思議そうに彼女を見上げている。

結局オレンジ色のちょっと薄手の麻のロングスカートと、シンプルな白いブラウスに決めて、ミリアは鏡の前でくるりと一回転したり、スカートをつまんでちょっと裾を持ち上げてみたりした。

さながら可愛らしいファッションショーのようである。

「ちょっと太ったかな・・・・・」腰に手を当てて鏡の中の自分を見つめる。

クローゼットから出した様々な春色の洋服が、床一面に、ミリアを囲むように無造作に佇んでいる。

 一通り準備が済んで、彼女は早速、隣に住む同い年の男の子、サニーの家に行き、玄関のドアをノックした。



(せっかく着飾っておしゃれしたのに、なぜあたしはサニーにそのことを真っ先に話さないのだろう・・・・・)

そう考えるとミリアはちょっと可笑しくなってしまう。

「ステラったら、今朝はずっと私にお願いするような仕草ばかりするんだもの。きっと前夜祭のこと、わかってるんだわ。」

そう切り出すミリアの真剣な顔にちょっと面食らったような表情をしたサニーだったが

「ステラはただお腹が空いてただけなんじゃない?」と返す。

「そうかしら。そういえば朝ご飯をあげた後は、ずっと寝てた・・・・」

ちょっとがっかりした様子のミリアを慰めるように

「もうそろそろ出発しようよ。途中の出店でアイスクリームでも買おう。」と

機転を利かせるサニー。

「わかった。じゃあ、ステラを連れてくるから先に行ってて」

そう言ってミリアはくるりと回って戸口の方に駆けていく。

オレンジのスカートが爽やかに翻った。



 ミリアが5歳の時、盲導犬としての役割を終え、アフターライフをミリアの家で過ごすことになったステラは、気の優しいおとなしい性格で、そんなステラをミリアはずっと姉弟のように思っていた。いや、正確にはステラの年齢を考えれば、兄妹であろう。

ミリアのそばにいつも寄り添っているステラの姿に、幼馴染みたちはみんな、親しみ以上にある種の畏敬の念を抱いていた。



 ミリアの後姿が戸口の奥に消えるのを見届けると、薄暮れの中、サニーは街への小径をゆっくりと歩きだした。

後からステラと一緒に走ってきたミリアは

「やっと前夜祭ね、待ちくたびれたわ。」と言いながら、サニーと並ぶように歩きはじめ、その二人の間を老犬ステラが歩調を合わせるようについてくる。

小径の端には祭りの準備のために、もう幾つかの出店屋台が連なり始めている。

様々な屋台の食べ物の匂いを含んだ少し温かな空気が往来の人々の鼻をくすぐってゆく。


「ソーダ水を二つください」

サニーはドリンクの屋台の前で、売り子の少女に話しかけた。ずっとアイスクリームの出店を探して歩いていたけれど、まだ出店していないようだった。

「毎年アイス屋さん来てるんだけどな・・・・・・」ちょっと不満げに唇を尖らせてミリアはそう独りごちた。

「冷たいソーダにしようよ。」サニーの提案にミリアはわずかに未練を残しながらも従うことにした。


 まだあどけなさの残る面立ちの売り子の少女は頬をうっすらと桃色に染めて、無色透明の氷の塊がごろりと浮かんだ円い木桶の中に手を入れ、冷えたソーダ水の瓶を二つ取り出した。

「冷たいですよ、とってもおいしいと思います。」といって二人に手渡した。

「ありがとう・・・・・・・。」

まるでユニゾンのように、同時に発した言葉があまりにも揃っていたことに、サニーとミリアはもちろん、謝意を受けた少女もうれしそうに笑った。

その様子を傍らで包み込むような眼差しでステラが見つめる。


不意にステラの鼻先を一匹の黄金虫がゆっくりとした速度で飛んできた。

夕陽に照らされ輝くその虫の羽の色は夕闇の中で、どこまでも優雅でちょっと神々しいイメージすら想い起させる

そのゆったりとした羽の動きを眼で忠実に追いつつ、ステラは少し身構えるような仕草をみせた。

 やがて黄金虫はすぅーっと前方に続いている径に向かって飛び去って行った。

二人はしばらくの間、その軌跡を黙ったまま見つめ続けた。


やがて遠くの方から前夜祭を彩る笛と太鼓の音が聴こえてくる。


「走ろう」

「うん」

サニーは我に返ったように颯爽と走り出す。

その後を追うようにミリアとステラも、走り出す。

ぱっ、と砂ぼこりが舞い上がり、暮れゆく野辺の径を僅かににぎやかせた。


見上げると、薄墨色の夕空には、ぽっかりと生まれたての三日月が顔を見せていた。




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