1冊目 善良な男

 あるところに一人の善良な男がいた。

 その男は、両親からの教えで幼い頃から嘘やズルを嫌い、いつも公明正大に生き、規則正しい生活を送る事を目標にしていた。

 朝は日の出と共に目を覚まし、それからすぐに家の近くのランニングや筋力トレーニングを行って体作りに励み、両親から厳しくしつけられた礼儀作法を守りながら朝食を食べた。

 そして、学校のある日は一日たりとも休む事なく通い、授業を真面目に受けながら学友達との交流も欠かさず、帰宅後も朝と同様にランニングや筋力トレーニングを行った後にその日の授業の復習に勤しんだ。

 休日は時には学友達と共に外出もしていたが、授業で習う部分の予習やボランティア活動にも精を出し、その上で朝夕の体作りも忘れずに取り組んだ。

 そういった努力の甲斐もあって、男は頭脳明晰な上に男性的な体格を持ち、誰にでも分け隔てなく接する好青年へと成長し、その生き方のせいか、男には多くの友が出来、男に憧れを抱く者も少なくなかった。

 その後、男は一人の女と恋に落ち、夫婦となった後に子宝にも恵まれ、誰から見ても幸せそうな毎日を過ごしているように見えた。

 しかしある日、男はとある山の崖の下で死体となって発見された。崖の上には男の物と思われる靴と足跡、そして遺書と思われる封筒に入った手紙があり、その中には自身が数日前に尿意に耐えられず道で立ち小便をしてしまい、その罪悪感に耐えかねて身を投げるのだといった旨の事が書かれていた。

 その遺書の内容や死体の傷が崖下に落下した際についた頭部の物のみだった事、現場に男が自殺を試みた痕跡以外が無かった事から、遺書の通りに男は自殺をしたという結論に落ち着いた。

 そして、男が亡くなったという報せは家族や友人、同僚などを心から悲しませ、男が周囲にどれだけ愛されていたのかを物語っていた。

 しかし、男の死因や動機を告げた瞬間、彼らは一瞬ポカンとしたが、その表情はすぐに烈火のごとき怒りの色に変わり、口々にこう言った。


『あの人はとても出来た人で心が強いから、立ち小便などするわけもないし、そんな理由で死を選ぶわけがない。彼はその人気を妬んだ誰かに殺されたのだ』


 遺書や現場にも不審な点はなく、誰がどう見ても男が自殺をしたのは間違いなかった。しかし、彼の周囲の人間は彼は自殺ではなく他殺なのだという意見を決して取り下げず、目を真っ赤に血走らせながらその犯人をずっと探し続けており、その姿はまるで宗教にのめり込んだ狂信者のようだという。

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