10.レスタト

『持続可能な未来のための吸血技術』と題された公開シンポジウムは理系学部棟の大講堂で開かれた。壁面を縦断する遮光ガラスからはライトアップされた夜の試験圃場が見下ろせた。

 文系学部棟のものとは机の色が違う階段教室には研究者を始め学生や一般聴講者が座り、各種メディアが壁際と通路に陣取った。


「我々が5年前からスタートアップ支援してきた研究が、最初の目標を達成しました」

 登壇した吸血鬼が言った。長い銀髪で黒いコート、指し色に深紅が覗く。鷹揚に広げた手には内側が赤い手袋。GloamのCEO、レスタト・ド・リオンコート(Lestat de Lioncourt)は、流子が見た中では最も吸血鬼然とした風貌をしていた。吸血技術企業の代表者というとエンジニア気質で、もっとシンプルで実用的な服装のイメージがある。実際全員がそうだ。しかし、この長命な貴族は自身が変異した時代の癖が抜けないようで、華美を好む。

「人工造血植物(AHP)の中で最も有力な品種とされる〈ネムノキ〉は今、白紙タブラ・ラサの状態の疑似神経系を手に入れました。これからの研究は、科学者たちによれば、疑似神経系に適切な経路計算アルゴリズムを書き込み、算素採掘にとりかかれるかどうかという点に注力されるでしょう。

 詳しい原理の説明は、この後に登壇される研究者たちに譲りますが、私はその技術を運用した際に訪れる未来の展望について話しましょう」

 背後の映像皮膜が、街の3Dモデルの俯瞰図を映し、視点は地下に潜ってトーラス状の建造物のモデルを表示した。

「これは、銀床市の環状地下鉄の外周を沿う形で建設された加速器。これは算素の内部構造を明らかにするための、フェムトスケールの顕微鏡となります。算素というエキゾチック原子の内部構造そのものと、制御のためのアルゴリズム、両輪からの調査が開始されます。

 これらはもっと早く実現されるべきでした。発想は算素が発見された当初からあったのですから。しかし、咬錆によって腐食しない設備の建造はこれほどまでに困難だったのです。錆禍に疲弊していた各国は助成金に二の足を踏みました。しかし、そこにゲームチェンジャーが現れました。我々です」

 まばらな拍手が起こった。資金提供者に対しては研究者たちは惜しみなく感謝を表明する。礼儀として。

「我々を独占的だと非難する既存メディアがいます。独占企業からは真のイノベーションは生まれないと。翻って、この錆禍下において、我々が成し遂げたことについて考えてみてください。

 我々は、世界中に導血線を敷設しました。途上国も例外ではありません。彼らは無料で先進国と同様の知識にアクセスできています。人新世では信じられなかったことです。

 電子機器はコンパクト化され、スマートな液体計算機として血管の中に入りました。人新世の不格好な灰色の機器に囲まれたオフィスを思い返してください。人間の目や首を破壊するために、〝人間工学的〟な正確さでデザインされた拷問機具のような機器が、いかに人体に負荷をかけ、その血色を悪くしていったかを。

 それらを稼働させるための電力が、いかに膨大な化石燃料を消費していたかを。

 ブラッドウェアという洗練された形態が、旧世代のそれらを一掃しました。それは偏に、我々がブラッドウェアのファームウェアを開発し、制御可能なものにしたからです」

 正確には、彼らはそのファームウェアの原型を買収したのだ。ベンチャー企業から。タユタが注釈をよこした。

 それに、プログラムというのも算素内部のブラックボックスを理解した上でのことではない。単にいくつもの命令を送って、受理されたかどうかを手当たり次第調べていっただけ。

 レスタトはGloamの創業者のようなイノベーターではない。途中からいつのまにか関与して経営権を握ったテクノクラート。ちょうど今も、本国で独占禁止法の裁判で争っている。だからこんな場でも、場違いな自己弁護にスピーチの大半を使っている。

 彼ら長命氏族は科学の発展に興味がなく、技術を資本増大と権力維持のための新しい方策としか見做していない。1000年近く生きているなら彼ら自身が自前の脳の中で物理法則の大統一理論を完成させていそうなものだが、他の吸血鬼が発見したものを奪い取ることしかしない。タユタが言うには、知性は時間さえ与えれば自動的に宇宙の真理に到達するものではなく、間違った知識の体系を1000年間深化させ続ける知性も存在するのだとか。

 これはAIが人間よりも圧縮された時間速度と自己改良によって迎えるであろうシンギュラリティの話にも同様で、そうして出来上がるのが1000年分の誤解を積み重ねたナンセンスなたわごとの塊かもしれないということ。

 たしかに、生物進化は億年単位で停滞するし、ある国の文明も千年単位で停滞する。しかし、科学という道標が与えられてもそうなるものだろうか?


「マスメディアは我々がAIについて研究するとき、いつも機械の反乱について騒ぎ立てました。不格好で冷たい機械、あるいは侵襲的なインプラントを埋設されたサイボーグ。サイバーパンクの名のもとに、殻に取り込まれながら倒錯的に神聖化される生身の脳。そういったグロテスクな未来は訪れませんでした。

 到来しなかったディストピアについて思いを巡らせてみてください。

 犯罪傾向から予測された予防的逮捕は?いいえ。

 テレスクリーンに隠れて手紙をやりとりする監視社会は?いいえ 

 マインドアップロードによって、貧富の差が計算資源となって現れたデジタル辺獄は?いいえ」

 彼らは字幕によって自動翻訳されたときの体裁がよくなるように、わざと原語では不自然になるように喋ることがある。人々はAIを内面化している。棋士がAIの手を真似るようになったように。

「吸血技術企業は、人新世において予想された管理社会や監視資本主義を一掃し、それらの良い面だけを抽出しました。

 かつての加速主義者たちが言ったのとは裏腹に、未来へは加速する必要も、イグジットする必要もありませんでした。我々のような種族に〝フロンティア〟という概念は似合いません。ヴァンパイアは未開の地に、必ず先遣隊――自己増殖する知的エージェントを送り出したからです。そしてそこが無人だった場合は彼らに生活させ、先住民がいた場合はそれらを支配しました。その先遣隊というのは、人間のことです。

 そのようにして、我々はフロンティアを独占してきました。サイバースペースというフロンティアも同様です。

 私は私の〝末裔〟である、タユタ・ド・リオンコートの感銘的な発言に一字一句同意です。我々は人間を愛しています。人類という種はなんとしても存続させなければならない、替えが効かない資源です。適応的で、生産的で、適度な時間間隔で世代交代し、賢い。彼らを徒に苦しめてその生産性を落とすことは、我々にとって不利益にしかならない」

(今なんて?)流子が気になったのは、おなじみとなったさりげない人類disではなく、タユタの名前だった。それがどんな文脈で、奇妙な修飾とともに出てきたのかわからなかったので、後から網膜字幕を巻き戻してログを見ないといけなかった。ログを読み返した流子は理解した。つまり、要するに、幼少期のタユタを咬んで変異させた吸血鬼とはレスタトのことなのだ。そして人類愛を語るその結句は彼女の演説のパロディのようだった。

 流子が隣にいるタユタを見ると、そのまなざしには敵意と嫌悪感が見て取れた。

 レスタトは、タユタが戦ってきた曖昧なシステムに露骨なほど具体的な擬人化がなされたような存在だった。世界が単純化され、敵がはっきりとする、流子にとっては青天の霹靂のような感覚だった。

〝あいつを倒せばすべて解決するのでは?〟

 流子はほとんど啓示的にそう思った。

 もちろん、事態はそう単純であるはずがなく、そう単純であった試しはなかった。しかし、あるイデオロギーを体現するほど信奉した個人というのは、そのイデオロギーそのもののように見えるのだった。問題は、それがイデオロギーですら無い無目的なものかもしれないということだった。

 そして悪いことに、レスタトとタユタの主張は似通っていた。どこが違うのか、注意深く聞いていないと見逃すほどに。


 レスタトの演説は、未来の起業家は〝サステナブルなフロンティア〟なる矛盾した概念を発見せよとかいうアドバイスを提示して終わった。

 聴衆からは拍手が起こったが、前回よりは小さかった。吸血鬼の研究者にも、同意できる内容ではなかったのだろう。

 しかし、ストリーミングで中継されているサイトでのコメントでは、意外にも人間たちには絶賛されていた。

 実際に巨大吸血企業の経営者たちが皆レスタトのような人物かというとそうではなく、医療や気候危機のための研究に資金提供を惜しまない、人道的な吸血鬼も存在する。それでも、レスタトの断言的な弱肉強食論は人気を集めるようだった。


 演目は、講演者に対する質問からなるディスカッションに移っていた。レスタトは一通り答え終わると、司会を遮って言った。

「失礼、しかし今夜は私の〝末裔〟が来ている。最後に彼女の質問にこたえて終わりにしよう」

 レスタトは、挙手すらしていないタユタを名指しして言った。「タユタ・ド・リオンコート」

「その名前は捨てました。語呂が悪いので」タユタは反感を表した。

「そのようだな。ファーストネームは検体家族がつけるのだから、私に選択権はなかった。それでも我が一族の血統だ。活躍は拝見させてもらっているよ」

「我々ヴァイロセル構造体のウイルスはすべて共通の単一系統なので、系統樹には儀式的な意味しかありませんが」

「その儀式が重要なのだ」

 隣にいる流子の目の前を、Xylocopeと呼ばれるクマバチのようなドローンカメラがホバリングしている。この様子は中継されているのだ、各々の吸血鬼の盲点カメラや、無数の記録眼球が詰まったテレビカメラによって、世界中に。

「質問をお望みなら、一つ」タユタが話し始めた。「あなたの企業が本国では独占禁止法違反で提訴され係争中であるというのは、サステナビリティと矛盾していませんか?」

 それは学生というより批判的な記者のような審問だった。レスタトは自己弁護する必要があった。

「企業が商品の価格を下げることで消費者の幸福に貢献していれば独占にはあたらない。GloamやAmnesiaによる価格低下はその公共への貢献に当てはまる。それらのサービスが登場してから、血液は格段にやすくなったし、書籍も網膜書架で読めるようになった」レスタトは周囲に向けて言った。「今まさに、皆さんが使っているであろう盲点カメラや網膜字幕などのサービスも同様に」

 タユタは反論した。

「それは、シカゴ学派が提唱した、古い産業のための規制原理です。データを扱うネット企業には当てはまらない。吸血企業は血液とともに人間の個人情報を集めることができるから、たとえ無料、あるいはそれに近い格安の血液量と交換にサービスを提供していても、企業には得られる利益がある。利用者の情報、そして夢内資源。それと既存産業よりもはるかに強力なネットワーク効果によって、企業は容易に寡占状態になるまで巨大になれる。通常の産業の独占禁止法は通用しません」

「カーティス・ヤーヴィンによる絶対的な主権者に関する思考実験について考えてみましょう」レスタトはタユタにというより、カメラの向こうの民衆に対しての言葉遣いで言った。「フナルグルと呼ばれる架空の人外の独裁者は、不死性と無敵の武力を持っているが、物質的な利益の追求しか欲望しない。彼が取る統治は、人間に過酷な労役を課したりはしない。人間の経済活動を繁栄させ、それに税を課すのが最善だという結論に至る。これは我々のことをほとんど明示的に指したアレゴリーでしょう。ヤーヴィンはこのフナルグルをかつてないほど理想的な独裁者として称揚し、その主権を対称的主権と呼ぶのです」

「中世から蘇ったあなたは近代的倫理を丸ごとスキップして、突然に新反動主義を引用することで独占そのものを肯定するのですか?」

「独占が不利益を呼ぶのは、独占が不十分だからだ。徹底した独占が安定をもたらす」

「それは縮退と呼ばれる、希少さの減滅です。その思考実験はフナルグルが二体以上いた場合について考えなかった。アーサー・C・クラークも、別のオーバーロードに仕える複数体のカレルレンについて考えなかった。シンギュラリタリアンも、定義的に当然のことながら、複数の超知性について考えることは稀でした。定向的でない、一点に収束しない知性について考えなければいけません」

「そもそも私は、十分に市場を独占していると感じたことはない。それどころか、常に競合他社におびえる毎日だ。もし米国が規制を強化してFANG(米国の四大吸血技術企業の頭文字語)を弱体化させれば、世界吸血市場の覇権はBATS(中国の四大吸血技術企業)が握ることになるだろう。その場合、私が最終的な独占を果たした場合よりもはるかに君たちに不利益なはずだ。もちろん、国家を企業に例えるなら、不満がある場合国民は他の企業を選ぶ権利がある。口を閉ざし、移動することによって。それだけでも、私のいた時代よりは自由というものだ」

「どちらの牢獄が良いかを囚人が選べるようになったからと言って……」

 タユタはそこで言いよどんだ。それはタユタが凪沙に対して使っていた論法に似ていたからだ。精神が身体という牢獄に囚われた囚人なら、国民は国家(ほぼ企業のようになった)に囚われている。抜け出してもそれより良い棲家は発見されていない。トランスネイションは突然は達成できず、牢獄を改善していくしかない……。

「では、そこにいる眷属の娘によろしく。次の質問者はいますか?」レスタトは話を打ち切った。流子は自分に一瞬だけ注目が集まったのを感じた。


 質問が終わると、シンポジウムの途中であるにも関わらず、オンラインでインタビューが殺到したらしい。タユタは全部それを遮断したが、会が終わると実際の生身の記者たちに囲まれた。

「なぜリオンコート氏族であることを隠していたのですか?」

「不快な音調だったからです」タユタは答えた。

「ヴァンパイアをヴァイロセル構造体と呼んだことに対する批判は予測されなかったのですか?」

「なにか問題が?」

「なぜならそれは……ヴァンパイアを人類と近縁種どころか、生命とは見做さないと宣言したことになるからです」

「わたしは自身が人間ではなく、生命ですらないことに誇りを持っています」タユタは毅然とした態度で言った。「そうした存在が、理性と感情を持てるということに。これは、その構成要素が有機物ではなく金属で出来ているというだけでAIには意識が発生しないとする一部の論者に対するカウンターとなるでしょう」

 他の記者達が割り込んだ。

「そちらの人物が眷属というのは本当ですか?」

「〈攪拌者〉との協力関係が噂されていることについては?」

 質問はやまなかったが、タユタは人込みをかき分けて会場をあとにした。


 流子が疲労を避けるために端末でネットを見ると、FatChewer上でタユタの発言が炎上していた。


〝ヴァイロセル構造体であることを誇る?人間であることは誇りではないと言うのか?〟

〝自身をウイルスに感染した細胞の寄り集まりであると認めた者に、鬼権や人権は認めなくてよいのではないか?〟

〝そもそもウイルスを生物とする俗説からすると、彼らは群体生物であることに〟


 流子は端末を見ることに耐えられなかった。同じものを見ていたタユタは言った。

「私を〝キャンセル〟することにしたのね」

 キャンセルカルチャー。その威力を描いた作品には、『The Boys』という米国の連続ドラマがある。セレブの寓意であるようなスーパーヒーロー達が、華やかで偽善的な対外的態度とは裏腹に、影では非道な悪行に興じるというもの。スーパーマンのサイコパス版パロディであるホームランダーというキャラクターが破壊光線を湛えた両目で市民を脅す様子は印象的。このドラマの後に日本の漫画でも〝実は悪辣だったヒーロー〟というジャンルが増えた。

 どんなに強靭な肉体と知能を持ったヒーローでも、過去の失言によって引きずりおろされる。

 まして、その仕掛け人がネット上のプラットフォームを所有していたら。

 流子は言った。

「どうすればいいの?」

「ちょうど、私がやつらをキャンセルするところだったの。予定通りそれをするだけ」

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