8.薄明


「どこいくの?」

 下宿となっているアパートの二階から、暗い道路を見下ろして流子は言った。外は肌寒い。夜中に蝸牛電話カクリアフォンの着信音に起こされて外に出てみると、タユタが車を停めて待っていたのだった。

「大学だよ」タユタは言った。「ごめんね。人間がこの時間寝てるって、どうにも慣れなくて」

「行って何するの?」

「みんなで朝焼けを見よう」

 朝焼け?彼らにとってその光は猛毒であるはずだったが、その前に流子は自分の心配をした。「何か羽織ってくる」

 車に乗る際に流子は安心した。今日はステルスモードではないらしい。ところで、蝸牛電話の着信音にはどうも慣れない。

 人間の耳の中にある、内耳の蝸牛カクリア(cochlea)という器官の蝸牛管、そこを満たすリンパ液にも血中算素は浸透しており、それはブラッドウェアとして機能する。鼓膜には何の振動も加えられていないが、蝸牛の中の有毛細胞に対する人工的な刺激は、聴神経を通じて脳に音として認識される。

 耳をふさいでも聞こえるその仮想の音を無視し続けることが出来る人間はほとんどいない。それでも、目が覚めても蝸牛アプリを切って二度寝してしまう人の場合は、身体の自動操縦オートパイロットアプリを起動すれば身体が勝手に用意してくれる。そのアプリは朝起きれなかったり慢性的に部屋が汚い人にとって便利だが、高価なので流子は持ってない。

 蝸牛電話カクリアフォン網膜字幕レトナサブと同様、動作には細胞自体のエネルギーを消費するので、長時間の使用の場合は体外端末を使わなければ重度の偏頭痛に襲われることになる。

 眷属になっても依然として算素自体からエネルギーを汲み出すことは出来ないのだから、何も変わっていないように見えるが、ほとんどのブラッドウェアの動作は速くなった。制限つきの試用版から、製品版と同等の試用版になったのだ。その分、疲労感は増した。


 ところで、自動操縦アプリの一種はもうすぐ流子に貸与されるかもしれない。というのも、流子はファーストフード店のバイトに応募したからだ。

 大学から少し離れた店舗(知り合いに会わないように)に面接に行って採用されると、ネームプレートとインプラントパッチだけをもらった。制服は次までに用意されるらしい。パッチを手首のポートに貼ると、間違った商品を選んだときに内耳でブザーが鳴り手首がしびれる、誤動作防止の社用アプリが手に入るらしい。また、ポテトを揚げる動作などは流子が考えなくても自動で実行してくれるようになる。これはAmnesia社の倉庫作業員にはかなり初期の段階から実装されていたが、近年飲食店にも導入された。

 この時代のAIは、いわゆるロボットと聞いて我々が想像する高度な機械を動かす程度の知性を獲得している。しかし、錆禍のせいで、肝心の電子機器が存在しない。人新世には〝シンギュラリティ〟という死語とともにビジネス書の表紙を飾っていた、厚貌深情の白い能面の球体関節人形ロボットは、鬼新世において一体も出現しなかった。代わりに血中AIが物理世界に干渉するために利用したのは、それが実行されているブラッドウェアにとって最も身近な、それを格納している筐体、つまり人体だった。

 かくして雇用は守られた。ブルーカラー・ホワイトカラーともに、人間は依然として労働に参与しなければいけなかった。正確には、人間の肉体が。この状況は、ロボットという言葉の語源となったチェコの小説家カレル・チャペックの戯曲が描いた情景に、見た目上は非常に近い様相となった。その単語は無機物で出来た電子機器という含意を捨て、起源の用法を取り戻した。とはいえ奴隷の苦役という意味も付与されてはいない。人々はチャットをしたりストリーミング配信を観ながらくつろいで労働している。人々の身体はロボットそのものとなったが、そこに風刺的な含意はなく、労働環境は改善している。


 カルラたちと初めて会ってからまだ一週間。特に話し込んだわけでもなく、自分が場違いであるという感覚は消えない。文化資本とか親ガチャと呼ばれる環境の差があると思う。検体ができる家庭は裕福なのだ。あらゆる経済活動が自由でも、唯一厳しく規制された吸血鬼の個体数調整下で、血族になる権利を買うことができる家庭は。

 これは別に吸血鬼だけに感じていたわけではなく、人間に対してもずっと感じていた。自分はここにいるべきではないと感じる。自分はここに属していないと感じる。それは劣等感だったり、ときには尊大さになった。何も秘密がなかったとしても、いつも罪悪感を感じていた。だからタユタといるとむしろラクになっている部分もある。



   ***


 車は理系学部棟の裏の高台にある駐車場にとまった。暗くてよくわからないが、GPSではそのようになっている。赤外線と紫外線を見ることができる吸血鬼と行動をともにすると、拡張視覚が必要な機会が多い。

 ドアをバタンと閉じる音だけが響いて、友人たちが集まってきた。カルラ、ルイ、ヴァロの三体の吸血鬼に加え、眷属の汐里さんも来ていることがわかった。

「天宮さんも連れてきたの?」汐里が言った。

「契約してない人間の夜更かしは血色評価スコアを落とすよ」ヴァロが言った。

「大した事ない。俺たちはこれからもっと馬鹿なことをするんだ」ルイが言った。

「みんな悪い子になりに集まったわけ」とカルラ。

「まじで何するの……」心配になった流子は訊いた。

「今ネットで流行ってるデイブレーク・チャレンジだよ」ルイが答えた。

 名前の由来は、『デイブレイカー』という昔の映画。人口のほとんどが吸血鬼になり、血が慢性的に不足している世界を描いた作品。主人公も吸血鬼で、家畜の血液だけを飲んで生きる人工血液の研究者。もしネタバレに配慮して漠然と説明するなら、適度な日光浴が不健康な吸血鬼を陽キャにするというもの。吸血鬼化を治療可能な病気のように描くこの映画は今では差別的とされているが、吸血鬼の間では自虐的な戒めとして引用される。もちろん実際には鬼化は不可逆過程だし、日光を浴びたくらいでは37兆の細胞の変異は巻き戻らない。

 主演のイーサン・ホークの出演作では『ガタカ』のほうが有名だが、そちらも自然な人間の出生を賛美するものだ。遺伝子操作が当たり前となった世界は全体主義的に描かれているが、美術が秀逸なので最悪の未来とも思えない。出生の偶然性を事後的に肯定するものとしても読める。


 夜明けを待つ間、一行いっこうは斜面に座った。東の空には予兆が見えるが、天空には星が架かり、低い雲が縦断してときおり星座の一部を隠していく。

 栽培場の向こうからの日の出を待つ。その暗く沈んだ低い木々の海について、Gloamの地図は、大学付属の造血植物研究所が所有する栽培試験圃場だと教えてくれた。

「あれは、〈ネムノキ〉の栽培場。血を流す植物。算素の生産はできないけど、次世代の代替血液になる。でも、いずれは算素も生産できるようになるかもしれない。その実験は研究所内部の温室で行われている。詳しくは今度、凪沙にでも説明してもらいましょう」タユタが言った。

 巨大吸血技術企業――ビッグ・テックが一つも生まれなかった国、その技術的辺境にあるこの大学が注目されだしたのは、その植物の研究のおかげだ。

「あれを大量に植樹すれば錆禍は解決するんでしょう?CO2の形で咬錆を吸収する植物があれば温暖化も同時に解決する」汐里が言った。

「そう簡単にはいかない。算素に関しては素粒子生物学の領分で、それは過去8年間進展がない。確実ではない未来に賭けるより、嗜血主義を減速して汚染を減らすべきだ」ヴァロは言った。

「楽観論と呼ばれるかもしれないけど、俺は技術が解決してくれると期待している」ルイは言った。「そのうちネムノキには算素の認証を騙す疑似神経系が実装されるかもしれない。そのためには巨大吸血技術企業が成長するに任せて、彼らが技術開発にまわす自身の利益の一部が増大していくことを見守るのがいい。ほら、今上空で行われている寒冷化用エアロゾル散布計画だって、Gloam*1やAmnesia*2などの巨大ブラッドウェア企業からの投資がなければ15年は遅れていたと言われている。この大学もそれら企業から多額の支援を受けてる」


*1 Gloam(グローム):

 黄昏を意味する英単語を由来としたIntervein検索サービス。同サービスを運営する会社名でもある。英語ではそのまま、日本語では〝ぐろむ〟として、〝検索する〟という意味で動詞化しつつある。〝分からないことは人に聞く前にぐろめ〟などの用法が定着している。検索システムは必要不可欠なプラットフォームであり、開拓時代の鉄道会社に比される影響力を持っている。


*2 Amnesia(アムネジア):

 健忘症を意味する単語が由来の通販サイト。あるいはそれを運営する同名の会社。書籍の通信販売をしていたが、現在ではあらゆる商品を扱う。消費者が商品検索をする際ほとんどの場合最初にここを訪れることがわかっている。なぜ書籍を扱うサイトなのに健忘症という名称を使ったのかといえば、前向性健忘症(Anterograde Amnesia)を患った主人公が身体に入れ墨を彫って長期記憶の代わりにする映画が由来らしい。記憶の外部化を一手に引き受ける、忘却のための図書館である。


 タユタが挑発的に言った。「〝俺たちはお前たちの救世主だから、今は我慢して搾取されてくれ〟?CEOの椅子に座ったノア達が方舟を約束通り建造するとしても、奴隷たちは無駄死にすることになる。そもそも、約束を破って研究成果を独占するかもしれない」

「その比喩は不正確よ」カルラが反論した。「テクノロジーは一部のヒトしか乗れない方舟ではない。たくさんの救命ボートなの。ハル・ヴァリアンの法則――〝現在富裕層が所持しているものは、技術発展によるコスト削減効果のおかげで、のちに中産階級や労働者階級にも所持できるようになる〟。私達はその技術的トリクルダウンを享受してきた世代だと思うけど?文字通り、滴り落ちる(trickle-down)血として。これは、何度も否定された経済的なトリクルダウン理論を、少なくとも科学技術の民生普及には適用できるとした理論」

 タユタは論戦に応じた。

「その安価になった技術の恩恵を、人間は本当に所有していると言える?大量の広告や使用料によって部分的に借りているだけ。そして見えない使用料として、彼らはもっと価値のあるものを手放している。個人情報、生体情報、購入する商品の指向、行動の追跡……。それらは睡眠中の算素有効化の過程でかすめとられている。その際に、無意識のもっと重要な何かをスキャンされている恐れまであるわ。それらは収集・蓄積・分析されて、広告主に売却される。ヴァリアンのトリクルダウンは吸い上げられる血について考慮されていない。人間は、情報領主たちの私腹を肥やすために無料で採掘される血の金鉱なの」

「たしかに」ヴァロはタユタに同意して言った。「テクノロジーも、富と同じような分布をする。その分布とは、集中と独占。単に科学者が研究し、資本がそれを支援するというだけで、自動的に貧困層にまでその成果が届くというのは、温暖化や錆禍が地球の〝免疫〟という擬人化された神秘の力によって自動的に収束するというのと同じ種類の誤解に過ぎない」

「じゃあどうすればいいんだ?」とルイ。「ブラッドウェアのフルバージョンのサービスを惜しみなく与える――つまり、人間全員を血族にする?それは理想的だが、たとえネムノキが完成しても地表面が足りなくなるだろう」

「さあ……どうすればいいの?リューコ」タユタが言った。

「私に聞くの?」流子は体育座りの両腕に埋めていた頬を上げた。種族単位の避けがたい破滅と緩やかな衰退について語る、いずれは重要な地位に就く血族たちに混ざって、私も〝世界〟について心配する資格があるの?とはいえ、流子は話を振られることに前ほどは驚かなくなっていた。ただ、眠くて頭が働かないことが残念だ。

「うん。別にみんなに聞こえなくていいから、私が聞きたいの」

「わかんないけど」流子は無理やり、ほとんどランダムに言葉を組み合わせて文章を紡ぎ出した。「要するに嗜血主義はみんなが利己的に動いたら勝手に全体の富が増えてみんなハッピーになるってことでしょ?じゃあみんなが利他的に、ちょっとだけ周囲にやさしくしたら?取引じゃなく、ペイフォワードっていう映画みたいな?そのやさしさのエコロジーが全体のやさしさの総量を増やすんじゃないの?知らんけど」

「やさしさのエコロジー?それは信用スコアみたいなものによって可視化できるのかな?」ルイは聞こえていたようで、そう言った。

「その数値化されたやさしさをBCで売り買いできるなら、結局嗜血主義に取り込まれるでしょう。やさしさの意味は形骸化し、すり替えられ、商品として外部化されるか、オキシトシンなどの脳内物質として薬理学的対象として管理される」とカルラ。

「おそらく無目的で抽象的だからこそ強いんだ、嗜血主義は。やさしさには隣人を幸せにするという目的があるから、その目的に囚われて硬直化してしまう。嗜血主義には目的なんかないから柔軟だ」とヴァロ。

「生命と同様に。生命には個体やそれがもつ精神を幸福にしようという目的がまったくない。たんに存続するだけ」タユタが言った。

 やさしさには目的がある?目的なんかないんじゃないだろうか。単に誰かが困っていたら助けてしまう、それは相手の幸せすら考えない衝動的なこと。なんで彼らにはわからないんだろう。みんなが少しだけ相手のことを思いやって、相手の立場で考えて、人が苦しむことはしないようにして、わたしはそうしてるのに。嫌なこと言われても我慢して、相手もつらいことがあったんだなと思って。なんでできないの?嫌なやつを実力と資源差で捻じ伏せて、殺しておしまいなんて、そんなのは幼稚な解決法。そんなことは誰でもわかるのに。


 日の出は劇的なものではなく、網膜字幕に時刻が予告されていなければ気づかないほど、曖昧で朧気なものだった。だが彼らにはそれが好都合だったようだ。太陽光線は直に山肌を刺さず、大地を這うように堆積した朝靄に濾過されてから彼らの肌に届いた。

 彼らはマスクを取って、駆けだした。どこまで遮蔽物から離れられるか、誰が最初に耐えられなくなって屋根のある場所に戻るかを競う、これは肝試しなのだった。

 吸血鬼が太陽光を浴びるとどうなるのか?フィクションの中では、燃え盛って灰になる。古い映画では悶え苦しみながら、その苦痛は特撮に割り振られた予算が許す限り続く。ゲームでは死体というオブジェクトを残さないように一瞬で、千の蝙蝠のように霧消する。(とても差別的な表現が許された時代の作品群)

 でも、実際は。

 実際日光をあびた吸血鬼はきれいだった。美しい。そのように形容する他なかった。

 肌が焼けただれて沸騰するわけではなく、靄のような薄い炎に覆われるだけで、その顔は子供のように屈託なく笑っている。淡い緑色をベースに、部分的には黄色や紫に遷移するオーロラのような雰囲気――あれを炎と呼んでいいのだろうか?――を纏って、軽やかに駆けている。しなやかな肢体で。(吸血鬼は総じてすらりとした体形だ。直接は脂肪を取らないのだから肥満体がいないのは当然のことかもしれない。そもそも、検体の時点で遺伝子操作が行われている可能性がある)ちょうど、冷たすぎる水を掛け合って遊ぶ海辺の子供達のように。

 彼らのうち男性型の、少年の要素を残す容姿を見ていると、ギムナジウムものという少女漫画の一ジャンルを思い出す。あるいは、サナトリウムもの。彼らはほとんど不死なのに、明日にでも死にそうな病弱な雰囲気を纏っている。今薄明の中で安全圏からの逸脱のスリルにはしゃぐ彼らから感じるのが生気だとすればそれは存在しない妖精のものだろう。

 この分だと、もし太陽の下で何かに括り付けられる方法で処刑されても、彼らは大して苦しまないのではないか。彼らが唯一苦しむのは同族のヴァンパイアハンターによって脊椎を武器に変えられて惨殺されるときだけなのではないか。


 眷属の汐里が、膝立ちになったカルラに血を与えているのが朝焼けを逆光にしていて、流子から見て光源がちょうど汐里の手首の背後にあって放射状の光芒が見える。

 流子が真似すると、吸血鬼たちはほとんど紳士的に跪き手を取って、牙が触れないように数滴ずつ飲んで去っていった。

 彼らは太陽という虚空に浮かぶ核融合炉からの無償の贈与を受け取れないから、人間から間接的に受け取るしかない。吸血鬼は人間が好きなのだ。ほとんど考えうるすべての意味で。農業を覚えた人類は稲や小麦などの収穫物と、それを調理したものを崇拝することがある。それと同様のことが吸血鬼の文化に起こってもおかしくない。吸血鬼が人間を崇拝することが。吸血鬼のほうがほとんどすべての能力において上回っているということは問題ではない。稲穂がものを考える能力がないからといって、人間がそれを絶滅させようとは思わないように。同様に、人間が愚かだからといって吸血鬼が破滅の日をもたらすとはもはや誰も信じていない。でもその崇拝は、とても原始的で、文字通り土着的だ。もし吸血鬼の文明が、その本格的に地上を覆ってから半世紀に満たない若い文明が、もっと成熟したときには、捨て去ってしまう信仰だろう。

 あるいは、検体提供で生まれた吸血鬼の第一世代である彼らが、大人になるころには。

「もう限界だ!僕の負けだ」

 ヴァロが音を上げて、遮光通路の終点へ走っていった。オーラのようなものの噴出は激しくなっていて、もうファンデーションが消尽してしまったのかもしれない。残りの二人も実は我慢していたようで、すぐに後に続いた。タユタが流子の手を引っ張っていくので、流子は自分も朝日に焼かれているような気がした。

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