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この北宿毛女子高等学校に入学してから、もう一ヶ月が過ぎようとしている。
周りは、徐々に友達ができ、グループが増殖したり、分裂したりと、最適化を繰り返しているのに、私には友達が出来なかった。もともと人見知りな性格で、友達を作るのが下手。それでも一人ではなかったのは、中学時代の友人である大月過奈が、同じクラスだったからだ。
「あ~、思い出すだけで腹が立つな」
「じゃあ、思い出さないでよ……」
ちなみに、過奈には友人が数人出来ていたが、私を優先的に話しかけてくれている。変に気を使わせているのではないかと、少し不安になることもある。
「あの糞野郎!」
「野郎ではなかったけどね……」
糞でもなかったけれども。過奈は、昨日のことをしきり思い出しているようで休み時間のたびに、昨日の話をしていた。
大型ショッピングモールのゲームコーナー、なんで寄ろうと思ったのかは覚えていない。些細なことだったと思う。その時に三年生の先輩に絡まれ、そこでなぜかモグラ叩き対決になった。
あの時の、勝負の内容があまりに衝撃的だった。
「腹立つな、あの鼻糞まき散らし!」
「罵倒が小汚いよ……」
「ならば耳糞まき散らし!」
鼻糞より耳糞のほうが小汚く無い、というのは過奈だけの価値観だろ。
「あの野郎、去り際になんていったか覚えてるか?」
「えっと……」思い返してみても、モグラ叩きの印象が強すぎて、彼女の言動をいまいち覚えていない。「安定した収入が欲しかったのに、とかだっけ……」
「なんで、モグラ叩きを終えた後に、中年サラリーマンみたいなことを言い出すんだよ!」
覚えてないものは仕方がないので「あはは……」と笑ってごまかしてみた。
「あいつ、罰ゲーム考えとくから、って言ったんだよ!」
そう叫んだ時、彼女の口から肉じゃがのじゃがいものほうが、口から放物線を描いて、私の弁当箱に落下するのが見えた。
落ちたところが、食べないブロッコリーの部分だったからよかったものの、鯖煮込みの部分だったら目も当てられない。
「そういえば言ってたね……」肉じゃがの破片がついたブロッコリーをお弁当箱の蓋へと移動させた。「それよりも、しゃべるか食べるかどっちかにしようよ……」
「お母さんかおまえは!」
「お母さんじゃないよ。ミトンだよ」
変な名前だけれども本名。
「なんで私があいつの願いを聞かなきゃいけねーんだよ! ボール七個集めたのか? 私はドラゴンか?」
「過奈が言い出したんじゃん……負けた人が、勝ったほうの言うことを、なんでも聞くって……それに、過奈の性格でドラゴンだったら、もう地球は滅びているよ……」
「あんな約束、二人してすっとぼければいいだろ!」声のトーンを落とす。「え、なんのことでしたっけ? 私わかりません、お金にしか興味ありませんので。でもそれ以上にうんこ大好きでーす」
「なにそれ、もしかして……私のものまね?」
「ほかに何があるのよ」
「どうでもいいけど、さっきから糞とかうんことか、食事中にふさわしくないよ……」
よかった、今日のご飯がカレーじゃなくて。あ、でもお弁当に入っているハンバーグ……よく見ると……いや考えない考えない。
「何で目を瞑ってるんだ?」
「思考を振り切ろうとしてるの」
「あっそう」
納得していただけたようだ。
「楽しそう」
「いや、楽しくはないけど……」
「そう」
よく聞くと過奈とは違う声だった。しなびた煎餅みたいな、抑揚の無い声。そして、この声は、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「もしかして……中学校の三年間、数学をかたくなに算数と言い続けた、伊野さん!?」
「違う」
昔から私は人の声を分別するのが苦手だった。
それに、よく考えたら、伊野さんはお父さんの都合で神奈川県に行ったのだから、ここに居るはずもなかった。ただ、伊野さんではないけれど私と過奈を見下ろすように、背の高い女性が立っていた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
「何しに来た! この170センチ強はありそうな女!」
過奈が、やたらと解説的に先輩につっこむ。それに胸元まではある長い髪。そして、なにより独特の圧力。
「昨日、ゲームコーナーで会った……」
「仁淀川鮎」
それが彼女の名前だと理解するのに少しだけ時間が空いた。
「えっと……津野ミトンです……」
「大月過奈」
ぷすーとほっぺたを膨らましている。機嫌の悪さを表しているのか、急に風船のものまねをしたくなったのかは分からない。
「で、その仁淀川先輩が、わざわざ一年の教室に、何の用事だよ?」
過奈は、白々しく天井をみたりしている。
「鮎でいい」
「別に、名前で呼ぶほどの仲じゃないだろ。鮎先輩」その鮎先輩をにらみつける過奈。「んで、後輩の教室までやってきて、いったい何の用なんだよ」
いきなり乗り込んできた先輩のせいで、チラチラと当たり障りのない程度の視線を感じる。気にはなるけど、関与したくはないという気持ちはよく分かる。
「罰ゲーム」
「なんのことだ?」
いきなり、とぼける気満々の過奈。
「放課後、保健室の前で」鮎先輩が、私のほうを見る。「二人で来て」
そう言うと、こちらの返事も聞かず教室から出て行ってしまった。
「糞!糞!糞!」鮎先輩が居なくなるのを確認すると、過奈が立ち上がった。「なんだあいつ、勝負に勝ったから言うことを聞けなんて、子供か!糞尿チルドレンか!」
「チルドレンは複数形だし、子供なのは過奈だし、何より下品すぎるよ……まだ食事中の人も居るんだから」先ほどの鮎先輩とやらの発言を思い出す。「え、今、二人でって言った? あの先輩、もしかして、二人でって私が含まれているのかな?」
「くっそ、私達……言うこと聞くしかねーのかよ」
「え? 二人って、おかしくない?」
「じゃあ、なんだ、私一人で行けっていうのか?」
「え、うん」
私が力強くうなずいた。
「え?」
「え?」
昨日、大型ショッピングモールのゲームコーナーでおこった出来事は、すごく衝撃的だった。過奈にとってもそうだろう。
あの時、先輩は、「ハンデをあげる」との予告通り、最初の一分間、微動だにしなかった。過奈のほうも、上下するモグラも見ていなかった。
ただただ正面だけを見つけて、じっと待ち続けていた。
「もういいだろ?」過奈はモグラを叩く手を休めずに、先輩に話しかけた。「そろそろ本気だせよ。それとも、やっぱ負けたときのための保険にでもするつもりか? だとしたら無駄だぜ、最低でも絶対に全裸にはさせるからな」
彼女の全裸に対するこだわりはなんなのだろうか。
過奈の言葉に反応したのか、それとも一分経過したであろうと判断したのか、祈るように両手を組んだ。
組んだ手は、そのまま大きく天へと延び、そして一気に振り下ろした。
その瞬間、その筐体がいっきに轟音をたてて揺らいだ。
ゲームコーナーの騒音をも貫通する、隕石でも落下したのかと思うほどの轟音。そして、音は揺らぎとなって、ゲームコーナー全体を駆けめぐった。
ゲームコーナーに居た誰もが、いったい何が起こったのかと視線を向けてきた。私にも何がおこったのか分からなかった。
振動が、私の体に伝わり、空気が張りつめる。
とても信じられない光景だった。
それが彼女の拳から発せられたものだと、一瞬では理解できなかった。
電光掲示板にかかれた数値、スコアが、いっきに20ポイントほどあがった。彼女が両手を振り下ろすたびに、轟音が鳴り響く。
目の前の光景を、信じられるようになってきた頃には、すでにモグラ叩きは動かなくなっていた。過奈はすでに、モグラ叩きを中断して、その場にしゃがみ込んでいた。
保健室の前では、鮎先輩がすでに待っていた。相変わらずの無表情で、ポスターを眺めていた。ポスターには、虫歯の驚異について分かりやすく描かれており、歯を磨こうという意欲を沸かせる。家に帰って、この意欲を覚えているかは分からない。
歯医者さんに行くたびに「ちょっと歯磨きが甘いですね~」って言われるけれど、私は歯磨きが甘い人間だと3回目くらいで諦めていただきたい。
「約束通り来てやったぞ、何のようだ」
過奈は、挑発的に言った。しかし、冷静に考えれば彼女は常に挑発的なので、これがデフォルトだ。
「来て」
鮎先輩が歩きだす。付いてこいということだろう。
「なんだよ、あいつ」
過奈が苛ついたような返事をしたが、鮎先輩は歩みを止めなかった。仕方がないので二人で後を追った。
「どこに連れて行くんだ?」
質問にも答えず、ただただ歩いていった。
「やばいな、痛い目にあわされたらどうしよう」
「それはないと……思いたいけど」
過奈は、怖いもの知らずな所があるが、肉体的に強いわけではない。小学生時代、私達は殴り合いの喧嘩をしたことがあるが、あまりの過奈の弱さに、担任の先生に二人の怪我の具合を見て、私が一方的にいじめたと勘違いされてしまったことがある。
体力もあまり無く、マラソン大会ではまだ一周残っているのに、周りからは早そうなイメージでもあるのか、勝手にゴールにさせられてしまっていた。
「どうだろうな」過奈は、手櫛で髪をなでる。肩までかかった髪が、静電気でバチバチと音を立てて乱れる。「生意気な後輩をいじめるつもりなのかもな」
「生意気だという自覚があったんだね……」
少し驚いた。
「多少はな」
過奈の苛立ちを表すように、髪がうねうねと乱れていた。天然パーマなのではなく、静電気が発生しやすい体質の彼女は、午後頃から髪が乱れてしまうために手櫛で直そうとする癖があるが、その際にも静電気が発生し、よけいに乱れてしまう。
「どうにもならないことばかりだな」
手鏡で、乱れた髪を憂鬱そうに見ると、諦めたようにため息をついた。
鮎先輩に連れられてきた場所は、想像よりも遠かった。校舎から一度出て、老朽化した旧校舎へ続く道を歩いた。
「ここは?」
目の前には、古びた校舎があった、百葉箱に着色して拡大コピーしたような、絵に描いたような木造建築だった。
「部室棟だな。旧校舎の一部が、部室棟として利用されているんだよ」
「みたいだね……」
旧校舎という響きにふさわしく、木造の二階建ての建築物があった。一つの教室を一つの部室がつかえるらしく、スペースの面で文句がでることは無さそうだった。旧校舎が文化部室として使われている、という話は聞いたことがあったけれども、想像よりも老朽化が進んでいた。もっと言えばボロかった。
「ここ」
昔はスリッパに履き替えていたのだろうけれど、その建物は土足のまま使われていた。わざわざA4用紙に「土足のまま、ご利用ください」と書かれており、フリー素材のスリッパのイラストまで添えられている。
ドアには、元々は一年二組と書かれていたであろうシールの跡がある。
「旧校舎ってことは……ここであの、DJ KAMISORIが学んだってことか……」
「誰……それ?」
「え、まさか、ミトンDJ KAMISORIを知らないのか?」
過奈がキョトンという顔をしているので、冗談でもなんでもなくDJ KAMISORIを知っているという前提で、話を振ったらしい。
「えっと……そ、それよりもアレを見てよ!」
適当に指した先には、段ボールが張り付けられていて、そこには「モグラ叩き部」という文字が、かすかに読みとれた。元一年二組のみなさんにはあまり見て欲しくない図だった。
「モグラ叩き部ってなんだよ」
「モグラ叩き部って……」
過奈と私が、ほぼ同時に同じようなことを呟いた。
「まさか!」過奈が思いついたように、鮎先輩をにらみつける。「罰ゲームっていうのは……」
「そう」鮎先輩がうなずく。
「私に、第二のDJ KAMISORIになれっていうつもりか!」
「違う」鮎先輩が首を振った。「全然違う」
「なんでそう思ったの……そうじゃなくて多分……」
私達、主に過奈をを部室に連れてきた理由というのは、おそらく。
「そう、入部してほしい」
私の発言にかぶせるように、鮎先輩が言った。
「入部って、もしかしてこの、モグラ叩き部にってことか?」
さすがに過奈も、このタイミングで水泳部に入部しろと言われているとは思わなかったらしい。
「そう、何でも言うことをきくって言ったから」
「それは……」
さすがの過奈も言い淀んだ。彼女がここまで動揺するのは、彼女のお父さんが年下の上司に「なんでメモとらないの?」と怒られているのを、偶然みつけてしまった時以来のことだろう。
ちなみに翌日、過奈がお父さんに怒られたとき「あぁ、ごめんもう一回言って、メモとるから。お父さんと違ってメモとるから」と、むやみに父を傷つけたらしい。
じゃあ動揺してないか。
「いやいや、待ておかしいだろ」
「何が?」
「そもそも、モグラ叩き部なんてあっていいのか?」
さすが過奈。こんな状況でも、すぐに取り戻し疑問をぶつける。
「ある」
ここにあるぜ、と言わんばかりに段ボールに書かれた「モグラ叩き部」と書いた文字を指した。ヒッチハイクでも、もう少し良い段ボールを使うだろう。
「何をする部なんですか?」
「モグラ叩き」
まあそりゃそうなんだろうけど。
「入って」
スライド式のドアは、やたらと立て付けが悪く、ぎしぎしという音を立てながら、鮎先輩の手と足の力を駆使することでようやくと開いた。
「えっ、もう来ちゃったの!?」驚いたように椅子から立ち上がる女子生徒。「ちょ、ちょっと待ってね~…………えっと、ここを引っ張るんだっけ……えいっ」
彼女の放ったクラッカーが、パチッ!と音をたてた。カラフルが糸が、私と過奈を包み込んだ。クラッカーから出てきた音と糸状のゴミは、おそらく私たちを祝福するためのアイテムだったはずだけれども、空しさと温度差を演出するばかりで、アメリカのホームドラマに出てくるクラッカーのような軽快さはまったくなかった。
「よ、ようこそモグラ叩き部だよー」
小さな女子生徒は、クラッカーから出てきた糸くずを取ろうとする。バチバチと過奈にひっかかった糸くずが静電気を発生させる。
「い、痛いよ~」
「悪いな」
過奈が適当に謝った。
部室には、私、過奈、鮎先輩、そして、先ほどの小さな女子生徒が、机をくっつけて座っていた。
部屋の広さに相まって、椅子と机はそれほど多くなかった。黒板には「めざせ全国」書かれている。あとはやたらと湿ったA4用紙や鉄アレイなど、文化部室にありがちなしょうもない小道具達が散乱していた。
「わたくし、日高赤根っていうんだよー」ウインクのつもりなのか、片目を不器用に一瞬だけ閉じた。「鮎ちゃんとおなじく、赤根って名前で呼んでねー」
あまくちカレーみたいな甘ったるく舌足らずな声で、小さな頭から三つ編みが二つ伸びていた。
「赤根先輩」過奈は、バラエティー番組のご意見番のように、無駄に偉そうに座っていた。「クッソちっちゃいけど、何年生なんだ?」
「はうわっ!」
ショックですと言わんばかりに、両手をあげて口を開いて驚いたポーズをとっていた。
「すみませんこの人、尋常じゃないくらいクソが好きなんで……」
過奈の質問ももっともだと思った、身長と幼い顔立ち、長く延びた二本の三つ編み。どう見ても小学生にしか見えないのだ。きっと、私服ならば子供料金で映画を見ることも可能だろう。
「こう見えても、二年生なんだよー」平らな胸を張る。「私のほうが先輩なんだよー」
「先輩なんですね」
ネクタイの色で、一応先輩だとは分かってはいたけれども。
赤根先輩は、私の発言が気に入ったのか、ぱぁ、と嬉しそうな表情になった。
「わ、私にも後輩ができちゃったよー」
「いや、部活に入るとは言ってないからな」
過奈が手を振って否定した。
「えぇ~」不満そうに口を膨らます。「でも、一年生の友達なんていないから、先輩っぽくふるまえるのははじめてだよ~」
「それ、先輩っぽくふるまってるのか?」
過奈と赤根先輩が話している様子を見て、過奈のほうが後輩だと思う人間は少ないだろう。というかただ単に、過奈が偉そうなだけである。たとえ私が、油田を何個も持っていたとしても、あそこまで偉そうにはなれないだろう。
「振る舞っているつもりなんだよー?」
「まあ、どうでもいいか」
過奈は部室を見渡した。
つられるように私も見渡す。広い部屋も、二つの筐体によってスペースが圧迫されてしまっている。時代がかった木造建築の教室にあるモグラ叩きの筐体は、ちらし寿司にペットボトルの蓋が入っているような、どうしようもない違和感があった。
じゃあいったいどこにあれば、モグラ叩きの筐体が違和感を覚えずしっくり来るのかというのは謎だけれども。
「すごいなぁ……」
思わず私も、呟いてしまった。
「一応確認しておくけどな」バリバリという効果音をたてて、髪をかきむしる過奈。「ここはモグラ叩きをする部活ってことでいいんだよな」
「そう」
無表情が過奈を見つめた。
「わたくしたちは、全国出場を目指してるんだよー」
赤根先輩が黒板に書いてある「めざせ全国」を指した。
「全国大会って……」
まさかモグラ叩きのですか? という質問を飲み込んだ。会話の流れから察するに、モグラ叩きの全国大会があって、それに出場したいのだろうけれども……モグラ叩きに全国大会があるというのが、いまいち信じれなかった。いや、地区予選があるのも信じられないけれども。
「出来れば優勝したい」
「そうなんだよー」
赤根先輩が楽しそうにうなずく。その笑顔はとても蛍光灯のように明るかったが、宇宙のように底なしに暗い空気を醸し出している過奈の前では無力だった。
「私達が入部することに何の関係があるんだ?」
「罰ゲーム」
鮎先輩が、つぶやいた。
「自分の部活に入ってもらうことを罰だと思っているのか?」
過奈の言葉に、鮎先輩は少し間をおいた。
「それは」
鮎先輩が、言いよどんでしまう。
「自分の部活に入ることを、罰なんて言って無理矢理入らそうだなんて、モグラ叩きが悲しむんじゃないのか?」
ついに、先輩は黙ってしまい沈黙が流れる。
ちなみにここで言う罰というのは、ゲームに負けた罰という意味であって、部活に入ること自体を罰と言っているわけではないので、過奈は正直、屁理屈でゴネているだけなのだけなのだ。
その証拠に過奈は、口元が少し笑っている。こんなに簡単にひっかかるなんてチョロいぜ、とでも言いたげだった。
「あの……」歯磨きできるくらいには長い沈黙を破ったのは赤根先輩だった。「あのねー、実はね私たちを含めて、四人しかいないんだよー」
「大会は団体戦で五人のチーム戦」
「つまり、誰か入部してくれないと全国どころか、エントリーもできないんだよー」
過奈は黙ってしまった。
また苛立っている。
苛立ったまま黙っている過奈は、木造天燈鬼に似ていて、間違えて重要文化財として保護されないか不安になるほどだ。
「今日は一年生が、二人来るから丁寧にもてなすように言われてたんだよー」赤根先輩があたまをかかえる。「でも、満足させられなかったみたいだよー」
「そうだったんですか……」
丁寧にもてなすようにって、もてなしている要素が床に延びているクラッカーのひもくらいしか無いんだけれど。
「あと、折り紙の輪っかみたいなやつを作ろうと思ったんだよー」鞄から四つくらいの輪っかが連なったやつが出てきた。「面倒になったからやめちゃったよー……」
ふぇぇ、と可愛いらしく息をもらしているが、輪っか四個で飽きてる時点で、赤根先輩には歓迎されていないような気すらしてくる。
「分かった」鮎先輩が抑揚のない声で呟く。「せめて、見ていって」
「何をだよ」
「私達のモグラ叩きにかける思いを」
そう言うと、平行移動という言葉が似合うほど静かに鮎先輩がモグラ叩きの前に移動した。
「赤根君」
そういうと、ぴょこんと飛び上がった赤根先輩も筐体に移動した。
「私もせいいっぱいがんばるよー」
そう言ってくるっと回ると、大きな三つ編みのツインテールが、まるで二つの生き物のように、大きく躍動した。
部室にある筐体は、コインを入れる場所が改造されていてボタン式になっていた。ボタンを押せば、本来のモグラ叩きで言うところの百円を入れたことになるのだろう。それ以外は普通のモグラ叩きの筐体に見える。
「これは競技用の、モグラ叩きだ」
「競技用?」
モグラ叩きが競技だということすら信じられないが、競技用というものが存在するらしい。
「そうなんだよー、二人プレイができて、左右に十二の穴があってそれからスコアはダメージ計算方式をとっているのが競技用なんだよー。配置も決められててね、あとまあいろいろなんだよー」
「いろいろですか……」
きっと細かいルールがあるのだろう。
「備え付けのハンマーも無いんですか?」
「あ、そうなんだよー。モグラ叩きをプレイする人はね、武器を持ってきていいことになってるんだよー。これも規約があるんだけどぉ……とにかく、ハンマーがついてないんだよー」
赤根先輩がスイッチを押すと、筐体が動き出した。スコアの部分が3……2……1、とカウントされる。
カウントが終わると同時に、二人が動き出した。
二人の勝負は、私の知っているモグラ叩きとは大きく違うものだった。 鮎先輩が重ねた拳を振り下ろすたびに、轟音が部屋を駆けめぐった。小さな埃が部屋中に浮き上がり、部屋に差し込む太陽光によって、埃が露わになった。老朽化した窓ガラスはびりびりと悲鳴を上げ、木造建築を軋む音が駆けめぐった。
筐体に表示されたスコア欄が、信じられない早さであがっていく。だけど、赤根先輩も負けてはいない。木槌を使ってドンドコとリズム良くモグラを叩いている。それだけじゃなく、大きな二本の三つ編みが、モグラ達を攻撃しているのだ。
二人のモグラ叩きが終わると、思わず拍手をしてしまった。
「鮎先輩もすごかったけど、赤根先輩もすごかったです。まるで髪が生きているみたいですね」
「ふふーん。そのとおり、たしかにわたくしは、一撃のダメージは小さいけど、その分、三倍のスピードでモグラを叩けるんだよー」赤根先輩は、得意げに、鼻をならした。
「だけど、鮎ちゃんにはかなわないんだよー」
今度は小さくため息をついた。
表情が山の天気のように変わりやすい。
「そんなことない」
鮎先輩が無表情で手を振った。
「鮎ちゃんはね、圧倒的な力で一気にモグラにダメージを与える、落下する絶望(メテオ・ストーム)の使い手なのです」
「え、メテオ……?」
「落下する絶望(メテオ・ストーム)」
鮎先輩がこちらを見た。どうだ、かっこいいだろう。と伝えたいようにも聞こえるが、なにせ無表情のうえに声が、はりまや橋のように無機質なので、彼女の真意は分からない。
「そう、これで高知の個人戦のレーティングでは常にベスト3に入っているんだよ」
「個人戦、レーティングの……ベスト3……!」
なんて、まるですごいかのように復唱してみたものの、それがすごいのかも分からなかった。
なにせ、まだ二人しかモグラ叩き部員を知らないし、競技規模も分からないのだ。
「モグラ叩き競技者では、落下する絶望(メテオ・ストーム)の仁淀川鮎を知らない人は、あんまり居ないんだよー」
「マジか……」
となりに座っている過奈が、ショックを受けたようにつぶやいた。ほんとに分かってる?
「そして、私は、三つ編みを使って効率よくモグラをたたく、三子教訓状(スリー・アローズ)の使い手なんだよー」
「そ、そうなんですか……」
私は少し、なんとも言えない恥ずかしい気持ちが芽生えてしまって、過奈のほうをちらりと向いた。
「分かってる」
過奈はこくりとうなずいて、ため息をついた。
「少し考えさせてくれ」
そういって、私を部室から連れだした。
「人はなぜ争うのだろうか?」
とか意味の分からないことをつぶやきながら玄関のドアをあければ「おっそいんだからね!」高い声が響いた。
鈴姉が、小学生が駄々をこねるみたいに、床に横たわり両手両足をじたばたさせている。決してブレイクダンスを踊っているわけではない。私の姉、津野鈴洲(つのりんす)は、幼稚園の頃から、このじたばたさせるポーズを得意としており、スーパーに行ってはこのポーズで、母に不必要なものを買わせていた。当時としては小学生らしいほほえましい光景として、まあ許容範囲内だったが、まさか高校生になっても、まだ続けていることにはるとは……
私と同じ北宿毛女子に通っている、しかも私より上級生の三年生のはずなのに、常に私より早く家に居て、食事を用意してくれている。
「た、ただいま……」
「おかえりー! 今日は、ミトンの大好きなハンバーグなんだからね!」
鈴姉の言うとおり、食卓にはハンバーグが並んでいる。あまりお腹は空いていないけれど「いただきます」とつぶやいて、ハンバーグを口に運ぶ。
「ねぇねぇ、おいしいかろうて? おいしかろうて?」
「おいしかろうよ、鈴姉の作る料理は大抵おいしかろうよ」
「でしょぉ?」
鼻の穴を広げて得意げにしている。鈴姉はご飯のおいしさを誉めると、必ず機嫌がよくなるのだ。
「ところで、今日帰るの遅くなっちゃってごめんね……」
「そうなのよ、待ちくたびれちゃったんだからね!」
ぷいっ、とそっぽを向いてしまう。
「そのさ、もし、毎日さ……帰るのが遅くなっても、構わないかな? おいしいハンバーグを作ってくれるお姉ちゃん……」
「そうなのよ、今日はいつものハンバーグとは違う味付けで、おろしポン酢を使うことで和風アレンジを施してみたんだからね! それにこのご飯、あえて、その辺のおっさんのエキスを……、え、今なんていった?」
「おいしいハンバーグを作ってくれるお姉ちゃん」
おっさんのエキスに関してすごく気になったが、今回はとりあえずスルーしておこう。
「そうそう、おろしポン酢……じゃなくて、もっと前になんか重要なこと言わなかった?」
「人はなぜ争うのだろうか?」
「違うでしょ。それはドアを空ける前に言っていた、しょうもないことなんだから。そんなことより重要なことをいってたんじゃない?」
さすがに誤魔化されなかったか。
「これから毎日……」
「まっすぐ帰る……」
「なんで続きをねつ造するの……、そうじゃなくて、もしもだよ、もし、毎日帰るのが遅くなったら、鈴姉は怒る?」
「やだやだ、ミトンちゃんが不良になっちゃったわ! お母さんに顔向け出来ないんだからね!」
大げさにハンカチをかみしめてまで、悲しさを表現している。今日日昼ドラでも、そんな大げさな演出はしないだろう。
「ち、違うよ。まだ、もしもの話なんだけど……」
「お父さんも、お母さんも夜遅いから、せめて、姉妹だけは毎日仲良く一緒にいようねって約束したのに……ミトンちゃんは約束を破るのね!? ひどい!」
「うーん……」
やっぱりこうなったか、という風にとりあえず唸ってハンバーグに口をつけた。
お昼休みに入ると、過奈が何も言わずに隣の席に座った。隣の席の本山さんは、いつもお昼休みになると、部活に行ってしまうので、その席に過奈が勝手に座っている。
今日の過奈は明らかにテンションが低い。
「そっちはどうだった?」
「私は、残念だけど……入部できそうにないよ」
昨日、お互いがモグラ叩き部について考えてみるということになった。入部してみたい、という気持ちも少しはあったけれど、やはり、鈴姉には反対されそうだ
「姉か」
「うん……」
過奈は苦虫を噛みちぎって脇ですり下ろしたみたいな顔になった。過奈は鈴姉のことが苦手……というよりは逆かな。鈴姉が過奈のことを苦手としていると言ったほうが正しい。
なにせ鈴姉は、極度のシスコンなので、私に近寄る人間を煙たがるのだ。煙たがるというのは比喩表現でもなんでもなく、過奈が遊びに来た後には「うぇー!ゴッホ!ゴホゴホ!煙たい!やたらと煙たい!」といいながら、私の部屋にファブリングをしていくのだ。迷惑にもほどがある。
さらにその日から数日に渡って、食事中に「この前友達の大月さん。牛丼やのおしぼりを、家で使おうと、何個も帰っていたんだからね!」などといって、過奈の株を微妙に下げようと画策する。
「鈴姉にはもうちょっと話をしてみるつもりだけど、そっちはどうなの?」
「私はそうだな。入ってみてもいいかな……」
声がすごく小さく聞こえた。映画館の中であろうと大声で感想を言うような彼女に、小声という機能がついていたことに少しびっくりしてしまった。
「なにか、ひっかかることでもあるの?」
「おもしろそうだし、入ってもいいとは思うんだけどな。ただ、私が入ったところで、糞の役にもたたないだろってな」
「あー……」
確かに、過奈が入ることで人数は揃うかもしれないけれど、即戦力になるわけではない。他の学校のレベルは知らないものの、鮎先輩や赤根先輩のようなレベルの人間がごろごろ居るとしたら……、そう考えると恐ろしいというか、なんというか。
「でも、過奈が入らないと大会には出られないんだよね」
「そうなんだけどな」
「でも、それはそれで、なんだか勿体ない気がするよ」
あんな、落下する絶望(メテオ・ストーム)なんていう技術……というか馬鹿力を身につけておきながら、大会に参加すら出来ずに終わるなんて……それは、やはり残念な気がする。
ただ、自分が入部するわけでもないのに、過奈に入部したほうが言えるほど、図々しくはなれなかった。
「糞が」
いらだちを隠せずに髪をかきむしる過奈。静電気が切なげにバチバチっと響いた。
「やっぱり遠いな」
学校を挟んで家と反対側に、ショッピングモールがある。自転車でおおよそ20分かかるのだから、近いとは言い難い。
ゲームコーナーには相変わらずモグラ叩きが置いてある。当然、誰もプレイしている様子はない。今は音楽に合わせてボタンを押すようなゲームが主流らしい。
「あの時の鮎先輩、なんで私たちにつっかかってきたんだろ?」
「モグラ叩きを馬鹿にしたからだろ。本人もそう言ってただろ」
「それもそうだけど……」
「他に何か理由があるとでも?」
あのときの鮎先輩は、無表情だったからよくわからないけれども、確かに怒っていたんだと思う。とてもモグラ叩きを愛している人だということはよく分かるけれども、だけど……
「わざわざ、モグラ叩きを馬鹿にする人にいちいちつっかかるような人かな?」
「さぁな。とりあえずやってみるか」
私たちの目的は、当然モグラ叩きである。よくよく見ると、部室にある筐体とは違い、9個の穴しか無くやわらかいハンマーもちゃんと用意されていた。
過奈は100円玉を投入すると、ハンマーを使わず両手でたたきつけた。落下する絶望(メテオ・ストーム)を真似しているのだろう。確かによくよく見ると、一回叩くごとに、スコアが二点~三点くらい入っている時もある。ただ、あまりテンポよく叩けないためか、やわらかいハンマーをつかったほうがスコアが上だっただろう。
「あはは、何それ! マジうけるー!」
笑い声の先には、女子高生がコインコーナーの椅子に座ってこちらを指していた。ここから近所にある、福祈高校の制服だった。そこの生徒か、コスプレイヤーかのどちらかだろう。
「うるせーよ、なんなんだお前は」
「もしかして、さっきの。落下する絶望(メテオ・ストーム)のつもりだったの?」
「糞が、死ね」口が悪い女子生徒だったけれども、過奈も匹敵するほど口が悪かった。「糞虫が、死ね」
あと過奈は、語彙が少なかった。
「ごめんごめん、だって全然だめだったんだもん。強者が弱者を笑うなんて当然のことなんだもーん!」
「うるせぇ死ね」
「だってさっきの、落下する絶望(メテオ・ストーム)のつもりだったんでしょ?」
「死ね」
「あの、さっきから話がすすまないんだけどー!」
あまり過奈が死ね死ねとうるさかったせいか、ついに彼女に怒られてしまった。私も思わず小声で「すみません……」なんて謝ってしまった。
「死ね」
「あんた。北宿毛女子の生徒よね」
ついに彼女は過奈に話しかけるのをあきらめて、私に話しかけてきた。私はモグラ叩きに触れてすらいないのに。
「そうですけど……」
「あのモグラ叩き名門校が、今じゃこんなんが居るんだ……」見下すような視線を過奈に向けた。「聞いてあきれるわね」
「はぁ……」
「月水金のペースで死ね」
過奈が中指をつきたてた。
「死ね死ね言ってるだけで、モグラ叩きへったくそなんですけどー!。あんた向いてないよー!」
「うるせーな、じゃあおまえやってみろよ」
その言葉を待っていたとばかりに、彼女がこちらに向かってきた。
「じゃあ私の実力をみせてあげるから、どいてもらってもいいですかぁ~?」
「やだ」
「へ?」
「私がここに立ってるから、なんとか避けながらやれ」
「え? ちょっと邪魔なんですけどー!100円玉が入らないんですけどー! あ、ちょっと本当に邪魔、ゲームくらいさせろって、ちょっと、ちょっと本当に邪魔なんですけど、あ、100円玉の差し込み口に移動しないで。ちょっと、入らないって」
「死ね」
コインの挿入口にたって邪魔している過奈と、それをなんとか振り払って、モグラ叩きをしようとする女子生徒。
あまりにシュールすぎて、泣けてくる。
「モグラ叩きくらい、プレイさせてあげようよ……」
なんだかその子が、かわいそうになって来たので、とりあえずモグラ叩きの筐体から、過奈をひき剥がした。
「私のモグラ叩きを見て、おしっこちびっても知らないからね」
彼女は100円を挿入すると、スタートと同時に、両手を振り下ろした。
「あれはまさか……落下する絶望(メテオ・ストーム)!」
私も過奈も驚きが隠せない。威力は少し落ちているものの、紛れもなくフォームは落下する絶望(メテオ・ストーム)そのものだった。一回ごとに10点ほどの点数が入っている。
「あー、猿でも出来ちゃうのにー、私って猿でも出来ちゃうような行為を自慢げにひけらかしちゃったんですけどー!」
「いや、鮎先輩は一回振り下ろすたびに、20点くらい入っていた。あいつは10点くらいしか入っていない。死んだほうがいい。というか死ね。モグラ叩きとか関係なく死ね」
そして、彼女は両手を離し、それぞれに拳を作った。
「でも、こっからは猿じゃできないかもね!」
「あ、あれは……」
片手で先ほどの落下する絶望(メテオ・ストーム)を繰り出したのだ。それも、右手、左手それぞれが、違うタイミングでモグラに拳をたたき落としている。
「片手で落下する絶望(メテオ・ストーム)を使っているのか」
「そう、これが、速度型、落下する絶望(メテオ・ストーム)……」一瞬だけ、動く手を止めて、こちらを向いた。「流星群(メテオ・シャワー)!?」
「メテオシャワー……」
いちいち、拳を振り下ろす動作に細かく分類して名前をつける必要はあるのか。出世魚か何かか君たちは、という疑問はともかくとして、確かに細かく、それでいて大幅に点数を増やしている。
「たしかにすごいな」
「でしょう~」
スコアには259と書かれている。
「あんた達猿には一生出来ない芸当なんですけどー!」
手を叩いて笑う。
「まあ、私も右手を負傷していなければ、もっとスコアのばせたけどな」
「へ?」
女子生徒が、過奈のほうを向く。
「そのせいで、今日は十分の一しか力が出せなかったからな……もうちょっとうまくやれたらよかったんだけどな」
そう、過奈はしょうもない嘘で、負け惜しみを言ってしまうことがあるのだ。今でこそ少なくなったけど、小学生の頃なんて、教科書を覆面レスラーに破られて忘れてしまったという、すさまじい言い訳を突き通したことがある。
しかも彼女の本当にすごいところは、破られたはずの教科書を次の日に何食わぬ顔で持ってくるところだった。
「たった、十分の一の力だったっていうの、そんなのありえないんですけどー……」
驚いた顔でこちらを向いている女子生徒。
まさか、さっきの言葉を信じたのだろうか。
「いや、普段の力の十分の一って言う意味だから。本気だすと普段の二倍の力がでるからな、実質的に二十分の一みたいなもんだ」
「に、二十分の一……ふぅん、だてに北宿毛女子の生徒ってわけじゃないのね……」明らかに動揺した様子で、目を反らしてしまった。「じゃあ何? あんたは、すでにレギュラーなわけ?」
「ああ、まあ私の存在はイレギュラーみたいなもんだけどな」
息を吐くように、しょうもない嘘をつきながら面白くない小ネタを挟む過奈。何度生まれ変わったとしても彼女のようにはなりたくないものだ。まあ、まだ入部していないので確かにレギュラーではないからイレギュラーと言っても過言ではないかもしれない。
「だったらちょうどいいじゃない、私は福祈のモグラ叩き部、先鋒、大川練歩よ。どうせ、北宿毛女子とは一回戦であたるでしょ?」
「死ね」
質問には答えず、意味もなく罵倒する過奈。彼女は息をするように相手に「死ね」と言えるのだ。
「その時、あんたも先鋒で出るのよ。そこで決着をつければいいんじゃないの? どっちが強いかを」
「ああいいぜ、その時はボコボコにしてやるからな。顔の形が変わる程度までにボコボコにしても飽きたらず、さらに、二、三回はボコボコにした後、トイレに連れ込んでボコボコにしてやるからな」
「えぇ……直接的な暴力は無しってことで……」
大川さんが少し引いてしまった。
その自信はいったいどこから来るのだろうか。少し不安になって、小声で過奈に話しかけた。
「過奈、そんなこと言っていいの?」
「言ってしまったもんは仕方ねーだろ」
過奈は、小さく「決めた」とつぶやいた。
「え?」
聞き返した時には、過奈は全力でその場から走り去ってしまった。
「決めた。私、ウェブデザイナーになる」
「勝手にして」
過奈はなぜか、部室に入るなり将来の職業に対する決意を露わにした。当然鮎先輩は、過奈の将来について心底どうでもよかったらしく、鉄アレイを使って自らの筋肉を鍛えあげていた。
「あ、違うわ。すまんさっきの無しで」
心配しなくても、とっくに無かったことになっている。
あのゲームコーナーで、他校の生徒に絡まれる一件の後、取り残された私と、大川さんは「あ、どうも……」という、道ばたで友達の友達に会ったような気まずい挨拶をした。その後、過奈を追いかけるとすぐにみつかった。
過奈は足が遅く、走っている様子を見ると「決めた! 今すぐ部室にいって入部する!」と言っていた。
しかし、途中で「あ、そういえば買いたいCDがあったんだ」と過奈が言い出し、とりあえず「犬走り汚し隊」のセカンドシングル「冷静に考えるとさほど汚したくもない」を購入し、再び「よし、じゃあ入部しようかな」と部室を目指した。
だけど、今度は自転車の鍵を無くしていたが判明し、「いや部活とかどうでもいいんで神様、お願いします自転車の鍵のありかを教えてください」と過奈が神に仰いでいるところを、CDショップの店員さんが汗だくになって届けてくれたのだ。「ありがとうございますー!」と感謝したところで、世間話になりなぜカメムシは緑色なんだろう、とかしょうもない話をした後に、「私ね、ウェブデザイナーになりたいだ……」と店員さんに夢を熱く語られたのだ。ウェブデザイナーの専門学校に通うために、一生懸命バイトをしてお金を貯めているらしい。
その熱意に感化されて、思わず部室に入ったとたんに「ウェブデザイナーになりたい!」と言ってしまうのも、仕方がない
「この部に入ってやるよ。私みたいな初心者でも居たほうがマシなんだろ」
過奈が熱い決心を象徴するかのように、鼻くそをほじった。ちなみにゲームコーナーの出来事は、四日前の話であって、鍵があった安堵感からかすっかり情熱が薄れてしまい「まーそのうち部室に顔だすかー」と言いだし、結局土日を挟んでしまった。
鮎先輩の視線が過奈に向いた。
「ありがとう」
あいかわらず無表情だったけれども、それなりに喜んでくれているのかもしれない。
「やったー!」赤根先輩は、両手をあげてわかりやすく喜んでいた。「ミトンちゃんはどうするの?」
「うーん……どうなんでしょうね……」曖昧にアハハと笑った。「家庭環境が複雑といいますか……」
家庭環境はびっくりするほど単純だが、シスコンの姉の猛反対によりとても入部できそうにありませんとは言いにくい。それに私自身、入部したいのかと問われれば、過奈が入るから付き添いで入ろうかなと思っているくらいなので、なんとも言い難い。
「ああでも、過奈と一緒に顔は出すくらいなら出来ると思いますよ。私にもなにかお手伝い出来ることがあるかもしれませんし」
「助かるな」
「部長もそう」鮎先輩がつぶやいた。「部長も、家庭環境が複雑なせいで今は部室に来れない」
「そうなんですか……あれ?」
「鮎先輩は、部長じゃないのか?」
過奈が私の気持ちを代弁してくれた。
「私は部長代理」
鮎先輩は無表情で鉄アレイを使ってトレーニングをしている。落下する絶望(メテオ・ストーム)という派手な二つ名は、地道なトレーニングから来るものらしい。
「あと、私、先鋒やるから」
過奈がさらりと決めてしまった。
「先鋒って、大変なんだよー!」
赤根先輩が立ち上がって言った。
「仕方がないんだよ。福祈のなんとかかんとかってやつを倒さなきゃいけないからな」
「大川練歩じゃなかったっけ」
「そう、それだ」
「大川練歩……」
鮎先輩が鉄アレイの上下運動を止める。
「知ってるんですか?」
鮎先輩は小さくうなずいた。
「福祈は、去年の四国地区の優勝高校」
「え、そうなのか?」
「そうなんだよー! 去年も大川さんが先鋒をつとめてたんだよー」
「一年でレギュラーを勝ち取り、それでいて地区大会の優勝へと導いた、立役者の一人」
「あいつ死ぬほど嫌なやつだっただろ。むしろ糞尿を人間の形にしたようなやつだっただろ」
二人が、首をひねった。
「おとなしい人だったよー」
「うん」
「おとなしい?」
今度は私たちが首をひねる。
性格の良し悪しは個人差があるし、糞尿のくだりは言い過ぎだとは思うけれども、少なくともおとなしくはないと思う。どちらかといえば、やかましい人だったと思うし、性格が良いとは思えない。というか悪いと思う。
「それってほんとうに大川練歩さんだったんですか?」
「たぶんね」
「うーん」
「福祈とは一回戦にあたる」
「そんなことあいつが言ってたな。もうトーナメント表とかでてるのか?」
鮎先輩がトーナメント表と書かれたA4用紙を渡してきた。高知県は10校参加していて、高知代表が選出される。そして、そこから四国それぞれで選出された四校がトーナメントを行い、全国行きの切符を手にすることになる。らしい。
「このトーナメントで優勝すれば」
「全国にいけるんだよー!」
赤根先輩が身を乗り出してきた。
「シードの高校は強いんですか?」
「いや、ランダムで決まる」
去年優勝高校と一回戦にあたるくらいなんだからそりゃそうだよね。当然といえば当然なんだけど、県内の高校が並んでいるのが、なんだか不思議に思えた。
「この10校のどこにもモグラ叩き部があるんですね……」
「城東高校にも、モグラ叩き部があるのか」
鮎先輩がうなずく。
「城東高校は前回の準優勝、全国でも名のしれた高校」
「特に城東の部長である、三原洋が使う、三線(ライン・ライン・ライン)と戦える人なんて、そうそう居ないんだよー」
「三線……」
まったく想像もつかない技だけど、きっとかっこいいに違いない。
「三原洋は、ジャージがかっこいい」
鮎先輩が付け加えた。
ジャージの線が三本あるからとかいう、そういうしょうもない理由ではないことだけは信じたい。
もしそうだとしたら三線(ライン・ライン・ライン)なんて名前は、その三原さんとやらではなく、ジャージのことを言っていることになる。
「ジャージの着こなしがかっこいい」
「言い直さなくていいですよ」
過奈は、話が進まなくなりそうなのを察したのか、福祈高校を指した。
「とにかく、その福祈の先鋒があの大川連歩ってやつなんだな」
「本当に先鋒になるつもりなの?」
「当たり前だろ、私が先鋒になるっていったらなるまでゴネるからな」
さすが過奈。
ファミレスで辛口カレーを頼んでおいて、辛いからという理由で普通のカレーに取り替えてもらうようなやつである。彼女にとって、チームの先鋒になるくらい、試食して何も買わずに帰るくらい朝飯前だろう。
辛口カレーを頼んだのにハヤシライスが出てきても何も言えなかった私にとっては少しだけうらやましい気もする。
「分かった」
鮎先輩がうなずいた。
家に近づくと「ピェェエエエエ!」という音声が聞こえてきたので、この音声と我が家とはなんの関係もありませんように、と祈りながら家のドアを開いた。
「ピェエエエエ! ピイィイイイイイ!」
残念ながら、悪い予感は的中。
この、気持ち悪い音声は姉の発するものだった。
「鈴姉、なんで、部屋の隅で奇声を発しているの?」
姉はチラリとこちらの様子を伺うと、小さな声で「えぇい、かまうものか」とつぶやいて、また「ピェエエエエエエ!」と叫びだした。近所の人に通報されてもおかしくないレベルだった。
「これで聞くのを最後にするよ。一体どうしたの?」
「妹が不良になってしまった。そのショックでお姉ちゃん、壊れたファックスとして生きることにしたのよ」
「そうなんだ、じゃあ先にお風呂入るね」
「え、一緒に入っていい?」
ぴょーん、と鈴姉がはねた。その躍動は、自由を表現しているかのように開放的だった。
「いや、鈴姉は今はもう壊れたファックスなんだから、お風呂に入ったら壊れちゃうでしょ」
「ピガガッピーガガピッ、ガガピー」
よけい壊れてしまった。すでに、姉として壊れきっているという説も捨てがたいけれども。
「鈴姉、実は……」
「ぴがががっ!」
「明日からちょっとだけ、帰るの遅くなってもいいよね」
「ガガッピー!」
「じゃあ、そういうことだから」
「ピガガガガガ」
「お風呂の準備してくるね」
「ちょっと待て」
このままファックスと化している間に、なんとか押し切れるかと思ったけれど、そうはいかなかった。
「なに、このままファックスと化している間に、なんとか押し切ろうとしてるの?」
魂胆までばれてるし。
「ピガガー……」
「それは、私の持ちネタでしょー!」
「持ちネタだったんだ……」
姉は部屋のすみっこで体育座りをして、悲しさを演出していた。
「妹が不良(ワル)になった……」
「不良(ワル)って……」
「最近、無理矢理なルビふるの流行ってるの? そうじゃなくて、友達が部活に入るから手伝おうと思ってるんだよ」
「友達って……まさか……」
「ち、違うよ」そうだった、過奈の名前を出すとまたややこしくなる。「違う違う、全然違う。過奈的な要素がまったくない別の友達だよ。むしろ過奈であるはずがないよ」
「本当?」
「ほ、本当だよ……」
「本当?」
「嘘偽り無い真実だよ」
「どうしてそんな嘘つくの!」叫ぶと同時に、雷がなり響いた。天候までも、鈴姉に味方しているのかと思うほど、すばらしいタイミングだった。ホラー映画か。「大月過奈以外に友達居ないくせに! よくクラスのぞきにいくけど、他の人と喋っているところなんて見たこと無いよ!」
「ひぇー……」
思わず絶望が、は行のニ列目となって口から漏れてしまった。妹のクラスにちょくちょくのぞきに来る姉、怖すぎる。
「鈴姉、覗きに来てるの……?」
「へ?」
「私のクラスに覗きに来てるの?」
「いやー、ぜんぜんのぞいて無いっす。覗いてないっすわー」
「今覗いたっていったよね?」
「言ってなさげよ」
「本当?」
「いや、あのピガガガー! ピギャー!」
また壊れたファックスですか。
「それによく考えたら、鈴姉も最近まで部活やってたよね。それに比べたら、友達の部活動を手伝うくらい屁みたいなもんじゃん」
「部活動の手伝いと屁は全然違うものよ」
「いや私も、部活動を手伝うことと、体内から出てくるくっさい風とは全然違うと思うけど……」
比喩表現につっこまれても。
鈴姉はこちらをチラリとみたあと俯いてしまった。しばらく待ってみても何も言わなかった。
「鈴姉?」
「ちなみに……何部なの?」
「へ?」
また聞いてほしくない質問をサラっと……
「何部を手伝うつもり?」
「いや、それはその……」
つい目を反らしてしまった。
なにを考えて初代モグラ叩き部のみなさんは、「モグラ叩き部」なんていうダイレクトな名前をつけてしまったのだろうか。
もうちょっと「玩具研究部」とか「動物遊技部」とか「叩きつけ部」とか、ボヤかせなかったものなのだろうか。
「いえないの?」
「いやー、そういうわけじゃないんだけどぉ……」
「やっぱり!」また雷が鳴った。「あの女に、エッチなアルバイトを薦められたんでしょ! おっさんに……おっさんに……なにをするつもり!」
「な、なんの話?」
「とぼけたって無駄!」
結局、鈴姉との会話はまったくもって平行線だった。
「無駄な時間だったよ」
「ああそう……」過奈は、鈴姉の話は聞きたくないと言わんばかりに手を振って「まあそうだろうな」と残念そうにつぶやいた。
「どうしたのー?」
赤根先輩が、砂糖漬けにしたレンコンみたいな甘ったるく透き通る声で聞いてきた。
「家族の同意を得られなくて……」
「へぇー、じゃあここに居ても大丈夫なのかなー?」
「大丈夫だと思います……」
とりあえず、いかがわしいバイトをして手に入れたお金で夜の街で豪遊するというしょうもない誤解はとけた。後はまあ、何を言っても無駄な感じはしたけれども、熱意くらいは伝わったはずだ。
「入部は無理?」
相変わらず筋肉トレーニングをしている鮎先輩。
「うーん……どうせ、鈴姉の同意を得られないなら……入ってもいいかなとは思うんですけど……」
「まあ、ミトンはいつ忙しくなるか分からないからな」過奈がフォローをしてくれた。「私だけじゃ不満か?」
「ううん、そんなことないんだよー!」
またあの、異様なまでにしょぼいクラッカーをならして、過奈を歓迎した。過奈はクラッカーから出てきた糸くずを払いのけた。
「で、その福祈の大月なんとかにどうやったら勝てるんだ?」
「勝てない」間髪入れずに、鮎先輩が呟いた。「流星群(メテオ・シャワー)は、去年まだ完成された技ではなかった。それを一年間かけて精度を高めたことになる」
「つまり、流星群(メテオ・シャワー)が完成したとして、それに一年かかっているんだよー!」
それを最近モグラ叩きを始めた過奈が勝つのは、無理に近いと言いたいのだろう。
「どうせ流星群(メテオ・シャワー)なんて、大したことないと思うけどな」
その自信はどこから来るのだろうか。
「あと、注目すべきは福祈の部長、北川右右子だねー」
「どんな人なんですか?」
まあ、モグラ叩きで注目を浴びる以上、普通の人ではないのだろうけど。普通にモグラを叩いて、普通に強い人は居ないのだろうか。いやまあ、流星群(メテオ・シャワー)も落下する絶望(メテオ・ストーム)もやたらとコスモな名前をつけているだけで、実際には素手でモグラを叩いているのだから、普通といえば普通なのかもしれない。普通ってなんだろう?
「分からない」無表情が首を振る。「ただ、北川は去年、強いというわけではなかった」
「それなのに部長になったってのは、不可解なんだよー」
「思い当たる節は無いのか?」
「ある」
鮎先輩の言うには、去年の北川さんは、ごく一般的な、モグラ叩きをしていたらしい。木槌を使って、ポコポコとモグラを叩いていたらしい。ただ、モグラを叩いてもいないタイミング、でもスコアが伸びていたのが不可解だったらしい。
「本来スコアが伸びないタイミング?」
「筐体に触れてもなかったんだよー?」赤根先輩が首をひねる。「なのにスコアが延びるなんて、おかしいよー」
「その時に、福祈の当時の部長が”まだ右右子のインフェルノは完成してないから、仕方ないよ”と言っていた」
「インフェルノ……」
「ずいぶんとかっこいい名前ですね……それが、どうモグラ叩きに結びつくかは分からないですけど」
「判子を奪って精神ダメージを与えるとかか?」
「どういうことそれ……」そこまで言って、過奈が言いたいことに気がついてしまった。「印減るの……?」
インフェルノという言葉の響きからかけ離れた、屑のようなダジャレをいっても、悪びれる気がまったくない。
「なるほど」
鮎先輩も納得しているみたいなリアクションをとっている。とりあえずまあ相づちでもうって適当に流しておけと言った感じの、モグラ叩き以外に関しては事なかれ主義なのかもしれない。
「なにが、なるほどなんですか……」
鮎先輩は答えなかった。
「とにかく、あと二週間ちょい、時間があるんだろ」
「そうだよー!」
「それまでに私をあいつに勝てるようにしてくれ」
過奈が、鮎先輩をにらみつける。
鮎先輩は、10秒ほど考えたように動きをとめた後、うなずいた。
「まかせて」
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