第5話 国王の中庭

 微笑みを浮かべた王は、迎えたばかりの賓客ひんきやくを静かに注視している。

 なぜ気づかなかったのか。彼は王冠こそいただいていなかったが、使用人やただの貴族と言うには、上等すぎる衣服を着ていた。フィーアは頭を垂れ、騎士のように拳を胸に当てて礼をした。

「ご無礼をお許し下さい。アートルム王陛下。わたくしは……」

「堅苦しい挨拶は後で、謁見えつけんの間で致しましょう。フィー=リーア様。私のことはどうかアルフォンスと。親しい者は皆、そう呼びます」

「では私も、フィーアとお呼び下さい」

 この国の王は、随分ずいぶん人懐っこい性格のようだ。

 フィーアとアルフォンスは互いに、からの両手を相手に見せ合うヴァローナ式の挨拶をした。ニクスではこんな時、片手を差し出して握り合うものだ。国が変われは習俗も違う。フィーアにヴァローナの事を教えた教師が、そう言っていた。

「あの、一つお聞かせ下さい、アルフォンス王。なぜ、私がフィー=リーアだと?」

「それは……簡単なことです。フィーア様。伝え聞いた王太子殿下の年格好に、貴方はぴったりだったから。十六歳、金の髪にあおい眼、それに騎士のようなそのお召し物。すぐに解りました。貴方が『そうだ』と」

 アルフォンスは柔らかく笑む。その表情はとても自然で。それは、年若い王の素顔を感じさせた。

「……貴国にどんな評判が伝わっているのか、少々不安です」

「ふふふ。貴方はとても凛々しい方だ、と。そう聞いています。その噂は本当のようだ」

 王の微笑みが、悪戯を成功させた子供のように華やぐ。

 ──もっと、この人と話をしてみたい。王になる、と言うことの意味を問うてみたい。

 この人なら、アルフォンス王ならきっと包み隠さず答えてくれるだろう。

 自分に何かを、一つの指針のようなモノを授けてくれるかも知れない。それが何かは、はっきりと解らないけれど。

 そんなことを考えて、フィーアは押し黙った。

 丁度その時。城と中庭を繋ぐ通路から潜めた声がした。

「……陛下! 陛下! お戻り下さい! 侍従長に気付かれました!」

 声のした方を見やれば、お仕着せらしいすその長いワンピースを摘まんだ侍従が慌てて走ってくる。

 まだ少女と言っても差し支えない年頃の侍従は、青い顔をして王に注進した。

「……残念。ここまでのようだ。フィーア様。また、お目にかかりましょう」

 アルフォンスは残念そうに息をつき、会釈を残して侍従と一緒に中庭から駆けだしていく。何故だかその横顔はとても楽しげで。

 本来なら王は、謁見の間辺りで待機しているはずだったのだろう。それをわざわざ中庭まで出迎えにやって来た。人目を避けてまで。

 フィーアは苦笑を漏らして、王が消えていった通路を見つめた。

 ヴァローナの王は子供っぽさを残しているが、決して悪い人物では無さそうだ。


 大臣とニクスの衛士たちが、中庭に転移を完了する。侍従たちは、その後から荷物を携えてやって来た。

 その後、正式に中庭でフィーアを出迎えたのは、アルフォンス王の弟である、パトリックと言う名の王子だった。

 パトリックは兄とよく似た黒い髪を短く切りそろえ、兄とは違う冷ややかな紫色のひとみでフィーアを見る。

「フィー=リーア王太子殿下。ようこそ、ヴァローナへ。長旅でさぞかしお疲れでしょう。西棟にお部屋を用意させました。そこで一休みなさって下さい。王との謁見は、その後、お召し替えがお済みになってからが宜しいでしょう」

 客用の仮面のような笑みを浮かべて、パトリックは一礼する。彼の所作も態度も完璧で、不愉快に感じるような所は一切無い。

 だが、フィーアには兄であるアルフォンス王の方が好ましく思えた。

「パトリック殿下。お出迎えいただき有り難うございます。お心遣い、痛み入ります。お言葉に甘えさせていただきます」

 フィーアは王弟おうていと礼を交わして、中庭を後にした。

 城の侍従たちに導かれて、フィーアと少数の衛士たち、侍従たちが用意された部屋に入る。

 残りの衛士たちは同じ西棟にある、衛士用の格式の低い部屋で待機する事になる。

 レイオスは侍従長が教育中と言うことで、彼女の目が届くフィーアの部屋に詰めることになった。

 城に着いてから緊張し通しだったレイオスは、フィーアに宛がわれた部屋に入ると表情をさらに強ばらせた。

 その部屋は国外の賓客を迎えるに相応しい、高価な調度をしつらえた部屋で。

 主寝室と居間の他に侍従用の部屋が三つ、浴室が二つ付属していた。

「部屋は悪くない。中庭が見えるな」

 窓の外を一瞥して、フィーアは居間のテーブルと揃いの椅子に無造作に腰掛ける。

「流石に疲れた。一休みしたい。侍従長、カファをれてくれ」

「かしこまりました」

 侍従長は一礼して居間を出て行く。侍従用の部屋の中には、湯を沸かせる程度の設備があった。


 カファは南の大国が原産の飲み物だ。焙煎した豆を粉に挽き、それに熱湯を注いで抽出ちゆうしゆつする。

 苦みの中に華やかな香りがあり、ニクスではすっきりとした後味の品種が好まれている。

 気温の暖かな土地でしか栽培できず、北国ニクスで流通する物はみな輸入品だった。

 当然、上質なカファ豆は価格もそれなりで、毎日のように気軽にカファをきつする事が出来るのは、王族や上級貴族のような人々だけだ。


「ディル、お前もどうだ?」

「有り難い! ご相伴しようばんにあずかりますよ」

 身内だけの席になれば遠慮はいらぬとばかり、ディルはフィーアの向かいの席に腰掛けた。

「……レイオス、侍従長を手伝ってくれるか?」

 部屋をキョロキョロと見回している森の子に、フィーアは柔らかく笑みを向けた。

「あ……はい! 行ってきます!」

 侍従長の後を追いかけて、レイオスは居間を出て行く。

 静けさが舞い降りた室内で、先に口を開いたのは衛士長だった。

「……姫様が、あの森の民を衛士見習いにしたいとおっしゃった時は驚きましたよ」

「そうか?」

「あいつ、これからどうするんです? まさかほんとに衛士にしちまう訳じゃ無いでしょう?」

「私はあの子を『学究の館』まで連れて行くつもりだ。そこで初等校に通わせてやろうと思っている」

『学究の館』はヴァローナ随一の学園都市だ。

 総合的な学問を修めるための教育機関、『学究院』を筆頭に、様々な専門院が設立されていると言う。

 初等校は、子供たちが始めて学びを得るための学校で。基本的に月謝などは安く、教師を自宅に招いて学習出来ない庶民たちが多く通っている。

 子供たちは初等校、中等校と学びを深め、十五歳になる頃には各種の専門院に進路を決定する。

 レイオスは、学問を始めるには年齢が少し行き過ぎていた。

 だが、今から学んで専門院まで進めれば、成人後は望みの職業にけるだろう。

「どうして、そこまでしてやるんです?」

「それは……私のままだ。あの子を哀れに思ってしまった。しあわせに生きて欲しいと思ってしまった。そのために少しばかりの手助けをしてやりたい」

「……王族として、それはどうなんですかね。哀れな子供はあいつ以外にも沢山いる。それにあいつはあなたの領民じゃない」

 自身もあまり裕福でない下級騎士の家に生まれて、苦労を重ねてきたらしいディルは皮肉っぽくフィーアに告げた。

「だから、我が儘なんだ。今の私にはレイオスに手を差し伸べる位が精一杯なのさ」

 中庭の見える窓を眺めながら、フィーアは静かに息を吐いた。

「我が儘だって解ってらっしゃるなら俺は止めません。お好きなように」

「ああ」

 フィーアとディルは、それきり沈黙する。

 やがて、二人分のカファ入りカップとソーサー、ミルクポットと砂糖壺、ニクス風の焼き菓子を載せた銀盆を、レイオスがおっかなびっくりテーブルに運んできた。

「カファ、でございます。姫様」

「うむ。ご苦労。侍従長に持って行けと言われたか?」

「はい! 気を付けて持ってお行きなさいと言われました!」

 素直に言葉を返す森の子の態度が気に入って、フィーアは僅かに笑んだ。

「有り難う、レイオス。侍従長に伝えてくれ、湯浴みの支度と正装の用意をせよと。一刻半(約一時間半)後にはアートルム王に目通りするとな」

「はい! 伝えます!」

 元気よく返事をしたレイオスが、侍従長の控える部屋に向かおうとする。その後ろ姿を呼び止めて、フィーアは焼き菓子をレイオスに渡した。

「待ちなさい。これを。後で食べると良い」

「え、あ……ありがとうございます! 姫様!」

 森の子も甘い菓子は好物らしい。ぱっと顔色を輝かせて、レイオスは頭を下げた。

 彼が部屋を出て行くと、ディルは肩をすくめる。

「……それにしたって、甘やかしすぎじゃ無いですかねぇ?」

「私は菓子の類いは好まぬ。厄介払いだ。……なんだ? ディル、貴公は菓子が食いたかったのか?」

 揶揄からかうようなフィーアの言葉に、ディルはにやりと笑みを浮かべた。

「いえいえ。『白の剣姫』様にも苦手なモノがあるんですなぁ。意外でしたなぁ」

「ふむ。何とでも言え。……さあ、湯浴みをするぞ。衛士は部屋の外に下がれ」

「衛士見習いは?」

「衛士見習いも、だ」


 浴室で旅の汚れを落とし、香油で髪を整える。

 男性用の正装に袖を通して、儀礼にしか使わない刺突剣レイピアを腰に帯びた。

 フィーアが羽織った足下まで届くマントは、ニクスの王族であるアルブム家を象徴する純白。背中には王家の紋章である、剣と盾に甲虫。裏地は王太子を表す臙脂えんじ色だ。

 どこに出しても恥ずかしくない王太子ぶりに、侍従長は目頭を熱くした。

「ご立派でございます。姫様……!」

 フィーアが幼い頃から彼女に仕えてきた侍従長は、我が子の成長を喜ぶ母のように感動している。

「うむ。問題は無さそうだ」

 姿見の前で、フィーアは自分の姿をまじまじと見つめた。

 後ろに撫でつけた金の髪は短く。髪と同じ色の眉は、はっきりと。のぞき込めばこちらを見つめ返す、蒼い眸も揺らぐことは無い。

 兄上様に似ていると言われた鼻、紅をさしたことの無い唇は一文字に引き結ばれて。

 鏡の中の姫君は、いつもと同じ自分フィーア、だった。

 マントで胸の僅かな膨らみを隠してしまうと、フィーアは細身の少年にしか見えない。

 このまま胸が大きくならなければ良いが。フィーアは常々そう思っている。

「さあ、姫様、お約束の刻限が参りますよ。アートルム王と謁見致しましょう」

 この城の侍従が迎えに来るのを待って、フィーア一行は謁見用の広間へ向かう。

 フィーアを先頭に、衛士長、六人の衛士、四人の侍従が後に続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る