第4話 王都へ

 アスールの森を抜けて、フィーア一行はヴァローナの平野に入った。開けた土地に出れば、魔獣に襲われる危険はぐっと少なくなる。

 ヴァローナは治安の良い豊かな国で、街道で盗賊の類に遭遇することもほとんど無い。

 フィーアの故郷、ニクスでは見渡せば必ず雄大な山々が見える。

 湖沼と学問の国、ヴァローナには小高い丘は有っても、見渡す限り高い山などは見当たらなかった。

 異国の景色は、初めこそ新鮮で物珍しかった。

 だが、それがありきたりな風景になってしまうと、フィーアは故郷を恋するような感情を覚えた。

 ヴァローナに入れば、王都までは一週間と少し。

 平坦な街道には進んだ距離が解るように等間隔に並木が植えられていた。

 その枝に兆したつぼみは日一日と膨らんで、春色のほの青い花が咲き始める。

 季節はすっかり春の装いをまとって。次第に朝夕の水がぬるむ。

 街道を進む間、昼はフィーアの馬車にレイオスが詰めた。姫様を楽しませようと森での生活を語る少年に、フィーアは和やかな表情を向けた。

 そのかたわら、レイオスは侍従長に礼儀作法の手ほどきを受けている。森の子はろくに読み書きも知らず、侍従長は手を焼いていたようだった。

 可憐な花が、街道の両脇に満開となる頃の昼下がり。フィーア一行はヴァローナの王都にたどり着いた。


 王都は正式な名をニィグルムといい、同名の大きな湖のほとりに城下街が広がっている。

 だが、ヴァローナの人々はただ『王都』とだけその都市を呼ぶ。

 二重の城壁で護られた都市はヴァローナ第一の規模で、その中核である王城は湖に浮かぶ島に建てられていた。

 フィーア一行は、二つの見張り塔に挟まれた広い城門をくぐる。その到着はすでに先触れられていたのか、物見高い王都の民が数多く一行を出迎えた。

 フィーアはいささか面食らった。こんなに盛大な歓待を受けるとは、思ってもみなかったのだ。

 同じ馬車に詰めていたレイオスは呆然と、民の喧噪けんそうを見つめている。

 この都を南北に貫く大路の沿道の民は、口々に「ようこそヴァローナへ!」と叫んだ。

 大路に面した民家・商家の二階からは、花びらを模した紙がまるで雪のように降りそそいで来る。

 フィーアは馬車の窓を開け、手を振って声援に応えた。

 人々の詰めかけた大路を、練り歩いて行く。そのうちに貴族の館であろう、贅をこらした建物が増えていく。王城の建つ湖に近ければ近いほど、位の高い貴族が住んでいるようだ。

 そこまで来ると人々の波は途絶え、一行は粛々しゆくしゆくと王城へ向かうための北門にたどり着いた。

 馬車はここまで。王城へ向かうならば船が必要になるだろう。

 北門ではいかにも貴族然とした、金のかかった衣服を着た壮年の男が一行を待っていた。 男は馬車から降りたフィーアに向かって、慇懃いんぎんに一礼した。

「私はこの国の第一大臣を勤めます、リド・リション・サーローヴ・ヴァレックと申します。以後お見知りおきを」

「大臣殿、出迎え大義である」

 フィーアは無表情を変えずに、鷹揚おうように頷いた。

「王陛下は王城にてお待ちです。私が案内いたします。どうぞついていらしてください」

 北門を抜けると湖に向かって桟橋が伸び、大小の船が幾つか並んでいる。そのさらに先端に、石造りの小ぶりな建物が浮かぶように建っていた。

 初めて王城のある湖にやってきた者は、皆一様にその奇妙な景観に感嘆の声を上げる。

『湖の上に城が浮いている!』

 湖の中心にある円形の島に立てられたその城は、湖岸から眺めるとまるで水面に浮いているかの様に見える。

 戦乱の激しかった時代に、戦時の守備のために王城はこんな場所に建てられた。確かに、湖の真ん中にある城に攻め込むのは容易ではなかろう。

 岸辺にたどり着いたフィーアたち一行が、噂に聞いたヴァローナの水中城に驚きを隠せぬ声を上げる。

 大臣はそれを横目で一瞥いちべつして、田舎者とでも言いたげな表情を一瞬浮かべた。

 彼は一人先行して、さっさと石造りの建物の中に入っていく。

「……姫様、あいつなんかやな感じ」

 フィーアの隣に控えていたレイオスが、声をひそめて顔をしかめた。

 姫君はふと笑み、レイオスの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「我らを田舎者とあなどっているのだろう。あれでは正直過ぎる。外交には向かないな」

 古い様式で建てられた小ぶりな建物には、六角形の部屋が一つだけあった。

 その真ん中に円で囲まれた大きな文様が描かれている。文字とも画ともつかない、不思議な文様。その細部は蔦が絡み合うように一つ一つが複雑に入り組んでいたが、全体としては整然とした印象をかもし出していた。

 大臣はその文様の前で待っていた。

「どうぞ『陣』の中へお進みください。偉大なる魔導師まどうし様のお力が我々を城内へと運んでくださいます」

 その皮肉っぽい笑みの中に少々得意気な色を隠して、大臣はフィーア一行をうながした。

 衛士たちは訳が分からず、きょとんと顔を見合わせる。

 ──こんな模様が一体どうやって我々を運ぶというのだ?

 懐疑的な目を衛士たちが向ける中、フィーアが唐突に口を開いた。

「ほう。するとこれが、『魔導師の陣』か」

「……これは……! 姫様はご存じでしたか……」

 意外だ。とでも言うように大臣が目を細める。その言外ににじみ出たあざけりは覆うべくもない。

 あなどっている。彼は山脈・山地に囲まれた北の国家であるニクスを明らかに軽んじていた。

 ──ふん。どうせ山出しのじゃじゃ馬の、にわか知識だ。

 唇の端の笑みでそう呟いて、大臣は声高に説明を始めた。

「……よろしいですかな?これは、西の魔導師様のお手による『テレポーター』です。この『陣』は……」

「……円内に踏み込んだものを対象として起動し、四方に配された四つの魔文字の作用によって疑似的な地脈を作り出し、それを伝って対象を指定の場所へと瞬時に運ぶ。確かそんな仕組みのはずだ」

「……!?」

 微笑みもせず、フィーアは呟いた。大臣は二の句が継げずに押し黙る。

「……城の一階の大部分は湖に浸水されている。そのために盛り土をした中庭にこの『陣』と対になる『陣』がある……と聞いたが?」

「どうしてそれを……!?」

 事も無げに城内の様子を語ったフィーアに、大臣は不意に頬を殴られたように驚いていた。

「しばらく厄介になるのだからな。多少でもこの国に関する事象について学んでおいた。……教科書にしたものがいくぶん古い書物でな。間違ってはいまいかそれが心配だ」

「……」

 口惜しげな面持ちで、大臣はこちらを見る。

 それを笑い飛ばすかのように、フィーアは不敵な笑みを片頬に刻んだ。

「そんなことより、王がお待ちなのであろう? 急ごう。大臣殿」

 純白のマントをひるがえし、フィーアは『陣』に足を踏み入れた。

 その体躯たいくが一瞬淡い光に包まれ、かき消える。

「おおっ……!」

 衛士たちの口から、溜め息にも似た声が漏れた。

「お待ち下さいっ……! 王太子殿下っ……!」

 慌てて追いかけた大臣の姿も『陣』に入った途端に見えなくなった。

 衛士たちもわずかに躊躇ちゆうちよしたが、すぐに姫君の後を追う。


 一瞬の揺らめくような感覚。

 次の瞬間、フィーアは周囲を水と城壁に囲まれたまるい中庭に立っていた。

 庭の四方には細い通路が伸びている。その先は階段になっていて、城内に通じているようだ。

 温かな春の陽射しに白い東屋あずまやが浮かび上がる庭園は、とても静かで。春の花々は艶やかと言うよりは、控え目に咲いている。

 好ましい庭だと、フィーアは思った。

 足下には、先ほど踏んだばかりの『陣』によく似た円と文様。

 ──これが、対の『陣』か。

『陣』は円い石の床に刻まれていた。『陣』から半歩降りると、靴裏に柔らかい草の感触。石床の傍まで、整えられた背の低い芝が迫っていた。

「……貴方が『陣』にいる間は、他の者は転移完了出来ないんですよ」

 不意に、声がした。東屋の長椅子に人影がある。

「そこにいて下さい。私は貴方と二人きりで少し話してみたかったのです」

 そう言って人影は立ち上がり、陽の当たる庭に出てきた。

 黒く長い髪が、陽光に美しくきらめく。青年だ。フィーアより、兄上様よりずっと年上に見える。白皙はくせきの顔、穏やかで夢見るような緑のひとみ。頬に浮かべられた笑みは、とても優しい。

 それはまるで、フィーアの頭を撫でるときの兄上様のような。温かな笑みだった。

 フィーアは片足を『陣』に戻して、東屋から出てきた人影を待った。

「有り難う。フィー=リーア殿下。貴方に会えて私はうれしい」

 優しげな笑みが深まる。フィーアは唇を結んだ。

 この青年が微笑む度に、胸の奥がちりりとうずく。兄上様が生きていらしたら、こんな青年になっていたのでは無いか。そんな風に思ってしまう。青年の髪も眼の色も顔も、兄上様とはまるで違うのに。

「その『陣』、不思議でしょう? 私の遠いご先祖様がお作りになったモノです。古の人々は『魔法』を使うことを許されていた」

「これが、『魔法』……確かに便利なモノ、だと思います」

『魔法』はかつて隆盛を極めたが、今は使われなくなったわざだと聞いた。こんなに有用なものなのに。なぜ? フィーアは思う。

「他の者たちを、長いこと待たせるわけには行かないから手短に。ようこそヴァローナへ。私はリド・フォス・ア・レ・メラン=ズ・アルフォンス・アートルム。この城の主、と言うヤツですよ」

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