第33話 殻を破るとき

 昼休みのチャイムが鳴り、とりあえず一区切り、と教室に残った生徒たちは張り詰めていた気持ちを緩めた。


 そこら中で大きく伸びをする姿が見受けられる。「飯だ飯~」などと言いながら食堂に向かっていく姿も多くあり、係ごとに形成されていた輪も散り散りになっていく。


 けれどマユミは未だ立ち上がろうとせず、懸命にカーテンの修繕を続けていた。その表情は毎朝俺が見ていたあの楽しそうに裁縫をしていたときのものではなく、今にもパタリと動きを止めてしまいそうなからくり人形のように、心ここにあらずといった様子だった。


 ただそれでも最後までやり切りたい一心で頑張っているのだろう。隣には装飾係の中でも唯一、黒田が残って一緒に作業を続けている。


 途端、にわかに教室がざわめいた。俺はぼーっと眺めていたスマホから目を離し、ざわめきの元を探ると、そこには先ほどダルいと言いながら去っていった成瀬と高山の姿があった。


 ……一体なんの用だ?

 今日はもう一日中文化祭の準備にあてられるんだ、あいつらが戻ってくる理由なんてないはず。


 俺が言えた義理じゃないが、これ以上場を乱さないでほしい。

 これ以上、マユミに辛い思いをさせないで欲しいのに……。


 しかし、そんな願いは最悪の形で裏切られる。

 成瀬と高山はマユミの座る窓際の席へまっすぐに向かっていった。そしてそのままマユミの横に並ぶと、逃がさんとばかりに、彼女の肩に腕を回す。そして何やら耳元で囁きながら、教室の外へと連れ出そうとしたのだ。


「ちょっと待って、小美濃さんに何の用があるっていうのよ!」


 拉致ともとれる成瀬たちの行動に対して、黒田はきつく咎めるが、

「は? 別に話したいって言ってるだけじゃん。なんでお前に止めらんなきゃいけないわけ」

 強い語調で言い放ち、成瀬たちは問題無用で歩き出す。


 マユミは力なくそれに従うばかりで、抵抗の素振りを見せない。黒田は去っていく成瀬たちの背中をキッと睨みつけるばかりで、それ以上は食って掛かることはできないようだった。


 成瀬たちが俺の席の前を通りすぎる。

 様子を窺うように、すれ違いざまに俺は顔を上げてマユミを眺めた。


 すると彼女は、ずっとこちらに視線を向けていたのだ。

 自分のことをよそに、まるで俺を心配するような眼差しで。


(マユミ……!)


 心の中で、思わず叫ぶ。

 俺が不安そうな顔をしていたからか、一瞬目があったとき、マユミは目尻を下げ、穏やかな表情を浮かべた。大丈夫、心配しないで、と、そう俺をなだめるように。


 マユミはそのまま成瀬たちに連れられ、教室を出て行ってしまう。しばらくの間、俺は廊下へと続く引き戸の開けられた空間をただ呆然と眺めていた。


 そこでふと思い立ち、勢いよく立ち上がる。


 ダメだ、このままじゃダメだ!

 このままマユミを連れていかれたら、俺はきっとまた後悔する。


 ガタンと椅子を引いて、俺は駆け出す。すぐ近くでダベッていた生徒がその音に合わせて、ビクッと身体を震わせるのが見えた。


 なりふり構わず、飛び出すように教室を出る。

 追ったところで俺に何ができるかは分からない。でも、今このままマユミを行かせるわけにはいかない。


 すでに見えなくなった成瀬たちの背中を追って、階段を降りようとしたそのとき、後ろから俺を呼び止めるように、見知った声が聞こえた。


「すだっちさ、ちょっと待ちなよ」


 振り返ると、珍しく神妙な面持ちでヒロキが身体を廊下の壁に預けながら腕組みして立っていた。


「急いでどこに行くのさ。便所?」

「どこだっていいだろ、急いでるんだ」

「さっきまでずっと寝そべってたくせに……別に寝てるわけでもないくせにさ」


 俺はヒロキの話を無視して正面に向き直り、そのまま階段を下りる。が、追ってきたヒロキに腕をつかまれ、止められてしまう。


「おい、無視するなよ。なんで手伝いもしなかったんだって聞いてんだ」

「……別にいいだろ。もともと作業なんか何も参加してないんだ、今更俺に何ができるんだよ」

「そういう問題じゃないだろ。こんな状況なんだ、誠意くらい見せろよ」


 なんだ、そんなことを言うのか。

 こいつだけは分かってくれると思っていたのに。 


 あまりに一方的に俺を責めるヒロキの言い分に苛立って、

「別にお前に迷惑かけてないだろ」

 そんな風に、きつく突き放してしまった。


 すると、ヒロキは全くたじろぐ様子もなく、

「俺にはかけてねぇよ。でも小美濃にはどうだ」

 唐突にマユミの名前を引き合いに出した。


「犯人は俺じゃねぇ」

「知ってるよそんなことは。だからって何もしないのかよ」


 試すように、正面からきつく睨んでくる。


「俺が手伝ったら迷惑だろ。みんな俺のこと怖がってる。それに犯人かもしれないって疑われてるような奴が手伝いに入ったらマユミにも迷惑が――」

「そんなの関係あるかよ!」


 ヒロキは俺の両肩を掴み、揺さぶりながら叫ぶ。いつになく昂っているヒロキを前にして何も言い返せなくなってしまい、自然と目を背けてしまう。


 関係ある……はずなんだ。

 マユミにはせっかく友達ができたんだ。念願の友達が。


 出会ったときからずっと、友達が欲しいと言っていた。アプリを始めたのだって、純粋に同世代の友達が欲しいからという理由だった。


 だからいろんな努力をしたんだ。周りから疎まれて、貶されていたにも関わらず、勇気を出して黒田に話しかけて友達になった。そして文化祭の装飾係のリーダーにもなって、クラスのみんなからも認められた。


 気づけばマユミの周りにはたくさんの友人たちができていて、その中で幸せそうに笑っていた。


 でも……いやだからこそ、俺がその輪の中に入っていってはいけないんだ。せっかくマユミの周りに友達がいるのに、俺のせいでみんな離れていってしまう。


 俺はみんなから疎まれる存在だ。俺はマユミの言う『友達』の中には入ってはいけないんだ。


「俺は……」




「お前は、小美濃のこと好きなんじゃねぇのかよ!」


 はっきりと、ヒロキはこちらに視線をぶつけ、そう叫んだ。


「それ、なんで……」

「分かりやす過ぎんだよお前。いっっっつも遠くから見てるくせに。そのくせ今日のはなんだよ、小美濃がどんな思いでお前を庇ってたと思う? 今のお前、全ッ然、面白くないぞ!」

「………………」


 たしかに、マユミはあのとき、誰よりも一番辛かったはずなんだ。


 誰よりも文化祭のために身を粉にして準備していた。それなのに、大切に作ったカーテンを何者かにずたずたに引き裂かれ、酷く落ち込んでいたはずなんだ。


 そんな状態でもなお、犯人に仕立て上げられそうになっていた俺を庇った。身も心も消耗しきって、周りに反論する力なんてないはずなのに。


 それでもはっきりと言ったんだ。

 邦忠君が犯人じゃない、と。


 そうだ、いつだってマユミは俺のことを「不良だから」と偏見したことはなかったんだ。


 俺がであることがバレる前、として接していたときですら、マユミは普通に話しかけてくれた。


 あのときの俺は、まともに挨拶すらしてやれない男だったのに。マユミはそんな俺にも他のクラスメイトと同じように「挨拶をしたい」と言ってくれて、会話が途切れそうになってもフォローしてくれて、「友達の作り方を知りたい」なんて友達もいない俺に聞いてくれた。


 そしてであることが分かってもなお、変わらずに接してくれていた。


 昨日だってクラスメイトの女子が俺を避けようとも、和やかに会話を続けてくれたじゃないか。


 不良だからとか、そういう立場を気にしてたのはいつも俺だけだったんだ。




「なぁどうなんだよ、すだっち。お前どうすんのよ!」

 ヒロキに強く肩を揺さぶられながら問われる。




 マユミは自ら殻を破ったんだ。

 それなら、今度は俺が殻を破る番だ。




「俺、マユミのこと好きだわ」


 ヒロキの目をしっかりと見据え、自分の言葉を噛みしめるように呟く。




 そうだ、俺はマユミのことが好きなんだ。

 その気持ちに偽りはない。

 周りの目を気にする必要なんかない。いや、それを言い訳に自分の気持ちに嘘をつく必要なんてなかったんだ。


 マユミはいつだって自分の気持ちにまっすぐだったじゃないか。

 アプリを通じて初めて会ったときも、早朝に挨拶を交わしたときも、俺が「不良の須田君」だと知ったときだって。

 どんなときだって変わらず接してくれた。恥ずかしがりながらも、その穏やかな笑顔を俺に向けてくれていた。


 今度は俺の番だ。自分の立ち位置とか、周りの目とかそんなもの関係ない。胸に秘めていた想いをしっかりと伝えるんだ。




 そうやって心の内を吐露すると、ヒロキは満足そうに「よしっ」と呟き、俺の肩を叩いた。


 と、ここで急いで解決しなければならない問題を思い出す。


「成瀬と高山がマユミを連れていったんだ。どうにかしなきゃならん」


 何が起ころうとしているのかは分からないが、成瀬たちがマユミを直接呼び出すなんてことは今までなかった。いつもはただ通りすがりに罵る程度だった。それを直接呼び出すとなれば、いよいよ暴力沙汰にもなりかねない。


 俺が眉間に皺を寄せて険しい顔をして見せると、ヒロキは反対にあっけらかんとした顔をして、

「どうにかもなにも、お前がそういう気持ちなら簡単に解決できるじゃないか」

 ニヤニヤと気持ちの悪い笑顔を浮かべてながらヒロキは言う。


「お前はこの学校を裏で牛耳る不良、須田邦忠なんだろ。小美濃は俺のもんだって言やぁそれで済むだろ」 


 なるほど、たしかに。

 ずっとそれがしがらみとなって動き辛かったくせに、こういうときは利用しようと思えないのが俺の悪い癖だ。


「ありがとう、ヒロキ。たしかにそれならなんとかなりそうだ」


 さっきのお返しとばかりにヒロキの肩を叩き、感謝を伝える。


「どういたしまして、やっといつものすだっちに戻ってくれたな」

「ありがとうついでになんだが。ヒロキ、お前放送委員だったよな。もしかして放送室の鍵、開けられるか?」

「あぁ。まぁ、今から昼の放送あるしな。えっ、お前一体何するつもりだ」


 訝しげにこちらを窺うヒロキに対して、ニヤリと笑みを浮かべて返す。おそらく今の俺の顔をクラスメイトに見られたら、またあらぬ疑いをかけられるに違いない。


 でも、もうそんなの関係ない。

 堂々と言ってやるんだ。俺は学校で随一の極悪、須田邦忠だと。


 俺は気合いを入れるためパンッ、と力強く自分の頬を両手で叩く。


「マユミに嫌がらせをする奴らをさ、まとめて蹴散らしてやるのさ」

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