第32話 不良、須田邦忠の苦悩

 無残にも引き裂かれた茶色のカーテンは、これ以上被害が広まぬように数人の男子によって丁寧に外され、いくつか連ねた机の上に広げたまま置かれた。装飾係のメンバーがそれを周りで腕組して見下ろしながら「どうするか……」と途方に暮れている。


 マユミは少し離れた位置から眉根に皺を寄せ、ただただ俯くばかりだった。


「とりあえず、カーテンについては一旦装飾係に任せる。予定通り、各係明日に向けて準備を進めてくれ。手の空いた人は、装飾係を手伝ってほしい」


 立花は教壇の前に立ちながら、いつもは見せない真面目な表情でクラスメイトに向けて呼びかけていた。それを皮切りに各々席から立つと、持ち場について作業を始めた。数人は窓際に集まる装飾係の元に歩み寄り、「手伝うよ」と声をかけている。中にはマユミの肩を叩きながら「大丈夫、がんばろ」と励ますものもいた。


 そんな中、

「はあ? うるせーよ。近づくなクソ」

 と、こんな状況に相応しくない罵り声が教室に響き渡る。

 クラス中が作業の手を止め、その声の主へと視線を向けた。


「あーあ、やってらんね。カラオケでも行くか」

 金色の長い髪の毛を雑にかき上げながら、成瀬が苛立たし気に吐き捨てた。


 いきなり何を言い出したのかと思えば、その隣には黒田が目尻を吊り上げながら、険しい表情を浮かべて立っていた。


「あなたたち、今回何も作業していないでしょう。こういうときくらい手伝って」

「は? 手伝うわけなくね。岡部も来ねぇならいる意味ねぇべ。クソだりぃ」


 成瀬が発する声に周りは凍り付いたように言葉を失っていた。黒田もそれ以上の声かけは無駄だと判断したのか、振り返って装飾係の輪の中へと戻っていく。


 成瀬はスクールバッグを背負い椅子から立ち上がりながらも、クラスメイト達の視線に気づくと「んだよ!」と、より一層その顔を歪め、威嚇していた。


 成瀬が歩き出すのに合わせて、机に座ってスマホを弄っていた高山も足を下ろして荷物を担ぎ、無言無表情でその後についていった。


 そのまま教室から出ていくのかと思いきや、途中で踵を返し、なぜか俺の席に向かってくる。そして、ピタッと机の前で歩みを止めると、

「須田もバックレね?」

 と声をかけてきた。


「……あ?」


 何を言ってるんだこいつは。別に仲良くもねぇのに声かけてきやがって。何をどう考えてもそういう状況じゃねぇだろ。


「ここにいると手伝えってうっせんだよ。どうせ須田もやんないっしょ」


 どうやらこの異常事態を前に「クラス一丸となって頑張ろう」という空気に耐えられないらしい。こいつらがいたところでどうせ何もしないに決まっているが、いざさっきのように同調圧力をかけられたならバックレざるを得ないのだろう。


「……俺はいかねぇよ」


 そう言って、背もたれに身体を投げ出しながらスマホをいじる。


「は? もしかして須田、あれ手伝うっての?」


 煽られ、思わずスマホから目を離して成瀬を睨む。周りはすでに作業を再開していたが、一部は俺たちの不穏な空気を察して遠巻きにも様子を窺っていた。


「お前に関係ねぇだろ」

「この前ミノムシのこと手伝ってただろ。うち見たよ。あんた趣味悪いね、あんな根暗ブスのことが好きとか。マジキモ」


 あまりに横暴な物言いに頭に血が昇り、飛び跳ねるほどに勢いよく立ち上がる。そして思わず相手の胸倉に向けて伸ばしかけたところで椅子が倒れ、失いかけていた理性を取り戻す。


「……てめぇ、うぜぇんだよ」


 こいつに何を言おうと理解できるはずもない。いや、こいつだけでなくクラスメイトの誰だってそうだ。俺とマユミの関係性なんて知りもしないだろう。


 マユミがどれだけ頑張ってきたかも。俺がどれだけマユミを想っているかも。俺がどんな思いで、学校でのマユミとの関わり合いを絶とうと決意したのかも。


 知りもしないくせに、勝手なことばかり言いやがる。


「ゆーてどうせまた手伝うんしょ? だっせー」

「うるせぇ、俺は手伝わねぇよ!」


 思わず叫んで、強く握った手を机にたたきつける。ダンッ、と鈍い音が静まり返った教室に響く。


 俺の行動にたじろいだ成瀬は「何キレてんだよ、うぜ……」とだけ言い残し、不機嫌であることを堂々と顔に出したままこちらを一瞥し、そのまま教室を去っていった。


 残された俺は気分の悪さに「クソッ」と吐き捨てながら、もう一度だけ机を強く叩き、倒れた椅子を起こして再び椅子に身体を預けた。


 周りからの視線が痛かった。誰もが俺たちのことを迷惑がっていることが伝わってくる。しかしわざわざそれを伝えてくるやつもおらず、一度静まり返った教室は徐々に元の騒がしさを取り戻していく。


 恨みがましくこちらを睨んでいた黒田も、歯を食いしばりながら視線を引き裂かれたカーテンへと戻した。


 やっと落ち着いたと、スマホを手に取り画面に視線を落とすが、ほんの数分とせず飽き、俺は再び机に突っ伏した。こんな心境では寝られるはずもなかったが、暇を潰すのには目を瞑っているのが一番だった。


 こうしていればさっきみたいに誰かにつっかかられることもない。周りからの冷たい視線だって感じることもない。


 それでもただ一つ、マユミだけが気がかりだった。薄目を開け、彼女の姿を眺める。


 黒田が装飾係を代理で取り仕切る中、マユミは今も腰の前に両手を重ねて、ずっとそれを眺めるように俯いている。


 登校してから一度として、マユミが声を発することはなかった。ただ目の前の惨状に絶望し、時折この光景を信じたくないというばかりにキュッと目をかたく瞑っていた。


 その姿を見ているだけでも胸が張り裂けそうな気分だ。

 なぜ俺はこの事態を未然に防ぐことができなかったのだろうか。誰かに疑われることよりも、成瀬たちに罵倒されることよりも、何よりマユミにあんな表情をさせてしまった事実こそが悲しかった。


 黒田の指示により、カーテンは装飾係が分担して修復する手はずとなったようだった。机を端に寄せカーテンを地面に広げると、各々が裁縫道具を持って開けられた穴を修繕していく。


「……こんなこと、一体誰が何のためにやったんだろうな」

 手に持った裁縫針で丁寧にカーテンを縫い付けながらふと、係の一人の男子が声を漏らした。


「文化祭を面白くないと思ったやつが気晴らしにやったんでしょ、きっと」

「だから、誰が」

「知らないよ、きっとあいつじゃない?」


 裁縫針を器用に操りながら、別の女子がこちらを向いて、直接名前を挙げることはなく、視線だけで疑わしきを示す。


「朝教室に一人だけだったんでしょ。ね、鈴音」

「う、うん」


 話を振られ、今朝俺の次に登校してきた鈴音と呼ばれる女子が曖昧に頷く。話を振った女子は「ほら、やっぱそうでしょ」と続け、周りはそれに合わせて深くため息をついた。


 そうさ、それでいい。

 自業自得なんだ。俺が今まで不良として振る舞い続けてきたツケが回ってきただけにすぎない。だから何もしていなくても犯人として疑われる。それを否定したところで、味方なんていやしない。


 成瀬は「どうせ手伝うんだろ」なんて吐き捨てていたが、こんな犯人と疑われているようなやつが手伝いに入ったって、きっと誰も受け入れてはくれないだろう。それならいっそ手伝わない方がいい。


「あいつマジでやばいやつだったんだな」

「なんでずっとこの教室にいんだよ……どっかいってくれよ頼むから」

「っつか警察呼んだ方がよくない? 器物損害でしょふつーに」


 勝手な妄想を根拠に犯人捜しをしている装飾係の近くで、喫茶店接客係のリーダーとして打ち合わせをしていたアリサがスッとその輪から外れるのが見えた。

 装飾係のやり取りを聞き取ったのか、目をキッと吊り上げ、物申さんとばかりに肩を怒らせ、俺を犯人に仕立て上げようとする話の輪の中心に近づいていった。


 そして、アリサが不機嫌そうにきつく結んでいた口を開こうとしたその瞬間、

「須田君はやってないと思う」

 マユミが、いつも話しているより大きな声で、その話題に割って入った。


 思わず、周りのクラスメイトたちは手を止め、怪訝そうな目で彼女を見た。声をあげようとしていたアリサも立ち止まり、行く末を見守っている。


「このカーテンやったの、須田君じゃないよ」


 机に突っ伏しながら、遠巻きに聞こえたマユミの声に胸が高鳴るのを感じた。

 期待、というようなプラスの意味合いではない。マユミが何を言おうとしているのか、俺には分かった。それでも、今の俺はそれを言うことを望んでなんかいない。もう俺が犯人ということで進めてくれていいんだ。


 だからこれ以上は……。

 自分から、傷つく必要なんてない。


「そんなこと言ったって、俺昨日部活のあと教室寄ったけど、そのときはカーテンこんなことにはなってなかったよ。だから今朝あいつがやるしか機会ないじゃん」


 マユミの言葉に対して、先ほどの男子が食って掛かる。男子の言葉を皮切りに、周りもどよめき始める。「鈴音が一人きりでいるところ見かけたって言ってたしな」「準備も全然手伝ってなかったし、文化祭自体どうでもいいんじゃない?」などと、クラスメイトたちは口々に呟いた。


「でも! 今日だけじゃなくて、須田君っていつも朝早いんだよ」


 必死に食い下がるマユミ。いつもの彼女の控え目な話し声とは違い、その声は次第に大きくなっていて、必死に俺が犯人にされてしまうのに抗おうとしているのが分かる。


「だから、最初に見つけただけで、別にこれをやったかどうかなんて分からないし、それにさっき成瀬さんが言ってたみたいに、この前だって手伝ってくれてて――」

「言うてもあいつ、いつも不真面目だし、先生とかにも反抗するような奴だぜ? 小美濃はなんでそんな庇うのさ。一番辛いのは頑張ってた小美濃だろ?」


 割り込むように男子は問いただす。それに対して、マユミは両手を強くキュッと握りしめながら、


「……それでも私はあのとき、文化祭の係決めをする前に、邦忠君に背中を押してもらったから」


 おそらく無意識だろう、俺のことを「須田」ではなく「邦忠」と呼び、かつて俺と会話した日のことを語る。

 ここからでは窺い知れないが、もしかしたら目には涙を浮かべているのかもしれない。声色は揺れ、今にも嗚咽を交えそうな危うさがあった。


「そんな邦忠君が、こんなことするはずないです。不良だからとか関係ないです。私、信じてるんです」


 きっぱりと言い切るマユミ。

 いつも見せない表情で頑なに意見を曲げようとしないマユミに対して、さすがにこれ以上は言い返せないと、糾弾していた男子も気まずそうにマユミから視線を逸らす。


 そんな様子を眺めていたアリサは、チラッとこちらに視線を移すと、何を思っているのか握りこぶしを作り、苦虫を潰したように渋い顔をしていた。


 しかしそれっきり、カーテンを切り裂いた犯人捜しは行われず、誰もが終始無言で、ただ淡々と作業が続けれられた。


 俺はその様子を遠くから眺めながら、マユミがああ言ってくれてもなお、手伝いに参加する勇気が出ないままだった。

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