第30話 変わってしまった、彼女と自分

 成瀬たちの嫌がらせは悪化していく一方、この前のような文化祭をぶち壊すような嫌がらせはあの日以降起こらなかった。


 成瀬たちは陰湿なやり方ではなく、マユミにもっと直接的な嫌がらせをするようシフトしたのか。


いずれにせよ看過できるものではないのだが、それでも今は周りにマユミを支えてくれる友人たちもいる。みんなと一緒にいる分彼女も少しは安心だろう。嫌がらせがまた顕在化してきたのも何がきっかけかは分からないが、文化祭が終わってマユミが前に出ることも少なくなれば次第に沈静化していくだろう。


 そんな文化祭も準備は着々と進み、校門にはきらびやかに装飾を施したアーチが飾られ、入り口には各クラス・部活動等、出し物をアピールする看板が立ち並んだ。今や校内は見慣れた景色からかけ離れたものになっている。


 我がクラスもその例に漏れず、教室内はマユミプロデュースの喫茶店風景へと様変わりしていた。

 茶色のシックな印象を抱かせる小洒落た壁紙が貼られ、天井には心許ない光量で大人の雰囲気を形成するための間接照明が設置されていた。そして、窓際には先日一度お目にかかった、高級感あふれるカーテンが取り付けられている。


「すごいな、これ全部マユミが準備したのか」


 放課後、俺は教室を見渡しながら素直に感嘆の声をあげていた。


 いつものように居残って作業をしていたマユミは裁縫の手を止め、俺の驚く姿を見るや否やクスリと笑みを浮かべる。


「全部私がやったわけじゃないよ、みんなが頑張ってここまで作ってくれたんだ」

「そうか……でも今日いきなりこんな状態になってたから、マジでびっくりしたよ」

「邦忠君、準備の時間になるといつもどこかにいなくなっちゃうもんね」


 少しいたずらっぽく言う。全くもって反論の余地はなかったので、俺ははぐらかすように渋い顔をしてみせた。


「この教室ね、邦忠君と一緒に行ったツバメ珈琲店をイメージして飾りつけしてみたんだ」


 両手を背中側で組みながら俺と同じように教室を見渡し、マユミは楽しそうに言う。しかし自分で言ってて恥ずかしかったのか、少し声色は上ずっていて、えへへ、と笑って誤魔化しながらも心なしか頬も紅潮しているように見えた。


「カーテンつけたとき言ってたもんな。なんだか嬉しいよ」


 あまりにマユミの笑顔が眩しくて、せっかくこうやって二人きりで話す機会ができたのに俺はさっきから目を合わせることができなかった。まるでマユミの影と話しているように、俯きがちに夕日に照らされた教室に伸びる黒い彼女のシルエットばかりを追う。


「ずるいよ、私そのときクラスメイトの須田君が邦忠君のことだって知らなかったんだから! それに、実はあのときカミングアウトされなかったら、邦忠君のことを文化祭に呼ぼうと思ってたんだよ?」

「そうなってたら俺はどんな顔して行けばいいか分からなかったな。あのときバレてよかった」


 マユミの誘いを無下にすることなんてできないが、この不良の姿のままで会うこともできなかっただろう。絶対にまた普通の高校生の格好をして現れていたに違いない。そしてヒロキかアリサあたりにバレて大騒ぎ……考えただけでも恐ろしい。


「……クラスの喫茶店の装飾をしてるとき、あの日のことを思い出すようで、なんだか少し恥ずかしくて、嬉しかったんだ」

 遠い過去を夢想するように、彼女は目を細めて呟く。


「あのときの私、すごくテンパっちゃってたけど、今でもすごく鮮明に思い出せるんだ。落ち着いた空間なのに大声出しちゃって、周りからも変な目で見られちゃって。それでも優しく接してくれた邦忠君のこと」


 そして、記憶を探っていたその目は再び俺に向けられ、穏やかな笑顔を浮かべながら、

「邦忠君は私にとって、初めてできた友達だからね」

 マユミにそう言われて、思わずすっと肩の力が抜けたように感じた。


 なんだろう、この虚しい気持ちは。


 俺はあのとき、「友達から始めよう」といった。そうしてこれまで、マユミから見て学校ではとして、それ以外ではとして過ごしてきた。


 でも俺としては、学校だろうとどこだろうとマユミはマユミだった。

 黒田と友達になって喜んでいたときも、クラスの連中と仲良く一緒に文化祭の作業をしているときも、どこか俯瞰して見ていた気がする。『他の奴らとは違う特別な男』として見ていたんだ。


 だからだろうか。

 「友達」と言われ、なんだか寂しかった。


 あぁ、そうか、きっと……

 もう「友達」じゃ嫌なんだ、俺。


「マユミ、俺さ――」


 ガラッ!

 話し始めようとしたそのとき、唐突に教室の戸が開かれた。


「小美濃さん、残りの衣装のボタンなんだ……けど……」


 そうマユミに話しかけながら二人の女子が廊下から姿を見せた。


 おそらく装飾係の女子たちだろう。手には裁縫針と喫茶店で使用する店員用の衣装を持っていて、二人で和気あいあいと楽しそうに教室に入ってきた。

 が、チラッとこちらに視線を向けて俺の存在に気づくと、途端に言葉を詰まらせ怪訝な表情を浮かべた。そしてより戸に近い俺の席を避けるように遠回りで歩きながら、窓際に立つマユミへと近づいていく。


「お、小美濃さん、これどうすればいいかだけ聞きたいんだけど……」


 一人が声をひそめながらマユミに尋ねる。その姿はさっさと用件だけを済ませて教室から出ていきたいと言わんばかりで、マユミに話しかける声も少し早口になっている。彼女たちが今どんな表情をしているか、背を向けられている俺からは窺い知れない。


 俺は口をつぐみ、自席の背もたれに身体を預けた。


 そうしていると、早々に用が済んだのか、彼女らはマユミに「ありがとうね」と笑顔で手を振り、来た方とは反対側の戸を開けて出て行ってしまった。


 マユミは笑顔で二人を見送ると、こちらに向き直りながら、

「ごめんね邦忠君、衣装の作り方についてちょっと聞かれちゃって……なんか言おうとしてたよね?」

 そういって苦笑いを浮かべながら、俺の元へと歩み寄ってきた。 


「すまん、なんでもない。気にしないでくれ」


 高鳴っていた気持ちを抑え込んで、しっかりと彼女の目を見てそう言った。本当になんでもないといった風に、苦笑いを浮かべて。


 マユミの視線から逃れるように、顔を窓の外に向ける。外では一羽のカラスが、茜色の空に溶け込むこともできずいつものようにカーカーと鳴いていた。


 ………………………………


 暮れる夕日の橙色と宵闇の群青色が混ざりあうマジックアワーでさえもどこか色褪せて見えてしまうくらい、今の俺は珍しくも気持ちが落ち込んでいた。


 といっても、実際には何に落ち込んでいるのか分からない。特別悲しいことがあったわけでもない。さっきみたいにクラスの女子から避けられることだって、今となっては日常茶飯事であったはずだ。


 それなのにどうして、俺はずっと俯いて歩いているんだろうか。


 自然と前を向くことができない。別に涙を浮かべているわけでもないのに、自分が自分でないような、他人に操られている人形であるかのように、抗えずぼーっと夕焼けに照らされたアスファルトを眺めて歩いている。


 俺は、あの時マユミに自分の素直な気持ちを告白しようと思っていた。


 自分がマユミのことを、上っ面の意味ではなく本当に好きなんだと気づいたから、『友達』ではいたくないと思ったから、俺は彼女に告白しようとしたんだ。


 でも、マユミとクラスの女子が話しているのを見て、俺は言葉を失ってしまった。伝えるべき言葉が喉から出てこなくなった。


 なんだかマユミが、自分とは別のところに行ってしまったみたいで。


 自分は混ざることのできなかった学校というコミュニティーの中に入ってしまって、もう俺の手は届かないんじゃないかと、あのとき感じた。


 前はきっと少なからず、マユミは自分と同じ側の人間だと思っていたんだろう。

 友達もいない、クラスの雰囲気にも馴染めないはぐれもの。

 そんなところに親近感を覚えてしまっていたんだろう。


 でも彼女は俺と違って、そんな状況から自分で必死に手を伸ばし、友達を作り、皆に認められる文化祭の装飾係リーダーにまでなった。


 それを理解していたはずなのに、どこか俺はクラスメイトたちと違って、俺とマユミとの関係は特別なものなんだと思ってしまっていた。


 だからマユミの言うところの「友達」と同格で語られるのは、なんとなく嫌で……でも、マユミはクラスメイトたちと同じ輪の中にいて、はぐれものなのは、俺だけになっていて……。


 そんな風に思った途端。自分がまた孤独になってしまったように感じてしまった。


 勝手な話だと思う。きっとマユミはそんな風に俺のことを憐れんではいないだろう。でもクラスメイトが俺を蔑むように、彼女も俺を蔑んでいたらどうしようと、そんな恐怖が一瞬頭をよぎってしまったんだ。去年好きだったあの子に「時代遅れの不良だ」と蔑まれてしまったように。


 ふと、気持ちが昂り、身体の奥の方からせりあがってきた涙をこらえる。誤魔化すように奥歯で内頬を噛み、出てきた唾液と一緒にその涙を飲み込んだ。そんな俺の険しい顔を見たのか、ちょうど通りかかった主婦は敬遠するように視線を反らし、避けて遠ざかるようなルート取りで俺とすれ違った。


 ため息をつき、そのまましばらく立ち尽くす。


 もしかしたら、あれでよかったのかもしれない。


 あの時マユミに告白して、万一承諾されたとしても、今後きっとどこかで迷惑をかけることになる。今みたいに周りから疎まれる俺なんかと一緒にいたら、せっかく自分の力で友達を作ったのに、皆マユミから離れていってしまうかもしれない。俺のせいで、マユミの努力が水の泡になってしまうかもしれない。


 そんなことになったら嫌だ。例えマユミと付き合うことができたとしても、彼女が不幸になってしまうのは絶対に嫌だ。そうやって迷惑をかけるくらいなら、俺はこのままマユミと「友達」の関係でいられればそれでいいんじゃないだろうか。


 うん、そうだ。そうに違いない。クラスの女子が教室に入ってきたのは想定外だったけれど、おかげで俺は間違いを犯さずに済んだんだ。


 マユミとは今まで通り接することにしよう。それが彼女に迷惑をかけない方法であり、俺自身の幸せでもあるはずだ。


 これで、いいんだ。


 頭ではそうやって肯定しつつも、結局俺は家に着くまでの間ずっと、前を向いて歩くことができなかった。

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