第29話 幼馴染のぐずり
次の日の朝は、特に何事も起きなかった。
いつものように誰もいない早朝に、覚悟を決めて教室の中に入ったが、変わったところもなく昨日の記憶のままだった。ゴミ箱の中身も確認したが、二、三紙屑が散見されるだけだ。
散々悩んだ末、悪いとは思いつつも例のマユミのロッカーも確認させてもらった。が、『北武』のロゴが入った袋は変わらずそこに鎮座していた。
何事も起きなくてよかった、そう安堵しつつどっかりと自席に腰を下ろす。昨日俺が阻止したことにより再犯されるのではと覚悟していたが、そうならなかったところを見るとやはり突発的な嫌がらせだったのかもしれない。
俺はいつものようにコッペパンをむさぼりつつ、一仕事終えたと言わんばかりに早朝の静けさの中、教室でゆったり過ごすことにした。少なくとも文化祭が終わるまで気は抜けないが、直近の問題は去ったと言えるだろう。
しかしそう思っていた矢先に、今度は成瀬たちがマユミに嫌がらせを始めた。
文化祭の準備期間に入ってからマユミの周りにクラスメイトがいることが多くなったせいか、表立った行動を取っていなかったにも関わらず、だ。
「はっ! なんだその衣装クソダサくね。きもいんだけど」
やつらはマユミの手から衣装をぐしゃっと無理やり奪い取り、雑にかかげながらそれを罵る。特に文化祭にの出し物に関わろうとしていない奴らにとっては、そんな罵りはただ因縁をつけたいだけのものでしかなかった。
なんでまた絡んできやがったんだ。もうマユミは爪弾きものでもないだろうに。なぜそうやって平和を乱そうとするのか。
やはりあの悪事の犯人はこいつらなのか……? そう思った途端、収まりかけていた怒りがまたふつふつと沸き上がる。
マユミを眺めていたはずの視線が敵意を持った鋭さに変わり、成瀬たちを冷たく射抜くように睨む。強く、より強くと眼光に憎しみを載せていく。そしてその感情が頂点に達し、椅子を引いて立ち上がろうとしたそのとき、
「……邦忠」
と、唐突に声を掛けられる。
振り向くと、アリサが俺と同じくらい不機嫌な表情を浮かべながら腰に手を当てて俺の背後に立っていた。
「昨日さ、なんでいきなりいなくなったの」
「あっ? 別にいいじゃねぇか。体調が悪かったんだよ」
「嘘。別になんともないじゃん。絶対なんかあったでしょ」
いつもより執拗に言い詰められ、俺は徐々に苛立ちを露わにしてしまう。
「なんだよ、変につっかかってくんじゃねぇよ。なんだってんだよ、どいつもこいつも……」
そういうとアリサは不満げな表情を更に歪め、今にも泣きだしそうなほどに顔を赤らめ始めた。
「何だよ、心配して言ってんじゃん。なんかあったなら話してよ」
やばい、いつものだ。
幼い頃から、アリサは気に入らないことがあると癇癪を起こして大声で泣き散らすタチだった。さすがに最近は成長したからかそんな光景を見ることもなくなっていたが、目の前のアリサの反応はまるで昔の姿そのままに、すぐにでも爆発せんとばかりに目に涙をため込んでいた。
「分かった、悪かったよアリサ。ちょっと面倒なことがあったんだ。そうだな、お前には話しておいた方がいいかもしれない」
こういうとき、いつも俺から譲歩してアリサをなだめていた。今回も例に違わずそうして慰めると、アリサは俯きながら無言で小さく首肯した。
こうなっては仕方ない、一旦この場を治めよう。
マユミの方に視線を向けながら心の中で詫び、視線を戻して教室の外に向かって歩き出す。
「ちょっと来てくれ」
そういって、アリサを教室から連れ出し、話がしやすいように人気の少ない校舎裏の自動販売機まで連れ出した。
………………………………
自動販売機で自分用のコーラを買う。続いて、アリサの好きなレモンティーを買い、ひょいっと投げて手渡してやる。
「ありがと……」
「いや、さっきはその、悪かった」
そう言ってぶっきらぼうに謝ると、アリサは急にしおらしく「うん……」と小さく返事をする。
なんとも気まずい空気で話を切り出しづらかったが、俺はここのところ抱え込んでいた問題について彼女に伝えることにした。
「俺の家、いつもの日課があるだろ? ほらあの、五月は朝っぱらから走るってやつ……あれの関係でここのところ毎朝早く学校に来てるんだが、昨日教室に入ったら文化祭の装飾品がゴミ箱に捨てられてたんだよ」
俺が説明している間、アリサはずっと両手に持ったレモンティーに視線を落としていた。
「見覚えがあったらからさ、小美濃のもんだと思ってバレないように拾って、片付けといたんだ。ただなんか、あんな卑劣なことをしたやつがいるのかと思ったら無性に腹が立ってさ。ずっと気が晴れねぇから昨日はバックレちまったんだよ」
多少端折りながらも一通りのあらましを説明すると、アリサは「ふーん……」と、小さく応えた。そして手に持ったレモンティーの缶を傾けてチビッと飲むと、再びその視線を缶のプルタブに落とした。
「そんな酷いことがあったんだね、知らなかった」
声の抑揚はなく、予想以上に冷静な様子で淡々と呟く。
「よく大事にならずに済んだね。全部片づけたの?」
「あぁ、たぶんな。ロッカーにまとめてるのは知ってたから、そこにぶち込んだだけだけど」
思い出される昨日の苛立ちを抑えるように、持っていたコーラ缶を一気に傾けてがぶ飲みする。五月にしては気だるく蒸した外気が、炭酸の爽快感によって一時的に発散された。
俺が視線を戻すと、アリサはいつの間にかレモンティーから視線を外し、様子を窺うように真っすぐこちらを見つめていた。
「邦忠、優しいね。珍しいよね、こんな他の人のことを気遣うなんて」
人聞きの悪いことを言うな、といつもなら返しているところだが、アリサのその真剣な眼差しを見るとそんな言葉も口から出てこなかった。
俺だって人並みに正義感くらいはある。たしかに少し前までは時代遅れのヤンキーのようにイキり倒してはいたが、悪意を持って人と接していたわけじゃない。そりゃ、今回の件はマユミの関わることだから余計に気を遣ってるっていうのは、多少ある。が、それはアリサに言うわけにはいかない。
「別に。小美濃がなんだか文化祭のために頑張ってるってのは知ってたから、少し同情しただけだ」
俺がそう言うと、アリサは分かったのか分かってないのか、またもや「ふーん」と心底興味なさそうに相槌を打つと、レモンティーに口をつけた。
「まぁ事情は分かったよ。なんかそういう悪いことしてる人がいないか、こっちでも探りを入れとくね。そのためにわざわざ私に言ったんでしょ」
「あぁ、そうだ」
答えると、アリサは面白くなさそうに地面をじりじりと踏みにじっていた。
「邦忠はさ――」
彼女が何かを俺に問おうとしたそのとき、
キーンコーン……。
校舎からチャイムが鳴り響いた。一限開始の合図だった。
「いかなきゃね」
言おうとしていた言葉を自ら閉ざすと、アリサはそのままこちらに振り向くことなくさっさと校舎へと戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます