第25話 踏み出せぬ一歩
気づいたら日は沈み切っていて、辺りは異境を思わす群青色に染まっていてた。校舎内も点々と光が灯るだけで、廊下は薄暗く、夜の学校ならではの不気味さを醸していた。
そんな中、俺は一人意味もなく机に突っ伏している。なんとなく、気持ちが落ち着かなかったのだ。
マユミに自分が『不良の須田邦忠』であるとバレた。
それを考えるだけで、なんだか陰鬱な気分になった。
全てにおいて自業自得であるのはたしかだ。一匹狼の如く不良を演じてきたこと、そしてそれを気になる相手に隠し通してきたこと。何もかもがこうしてつながり、彼女に知られてしまった。
ずっとやり取りをしていた人間が、実は不良だったと知っていい気分にはならないだろう。もしそれを良いと思うやつがいるとしたら、同類か、もしくは相当頭のネジが飛んでるやつだ。少なくとも、マユミはそのタイプではない。
だからこそ、どうしても繋いでおきたかった。俺とマユミとの間に、何かしらの接点、関わる理由を残しておきたかった。
メッセージアプリを起動しながら、机に広げたマユミお手製クッキーを手に取って口に放る。甘くておいしい。普通のクッキーよりもくちどけが良く感じるのは彼女が隠し味に入れたというタピオカ粉のおかげだろうか。
自然と緩む頬をそのままに、マユミとのトーク画面を開く。何度も打っては消しと繰り返した文面が表示された。
伝えたいことはもう決まっていた。改めて、自分が同じ学校の須田邦忠であるということ、それを隠していて申し訳なかったという謝罪、そしてクッキーが美味しかったということ。
汗ばむ手でスマホを握りながら、親指を震わせ今度こそ送信を、と力む。目をつむったまま送信ボタンを押すんだ。外れたらもう一度考えよう。そんなことをして、結局わざと送信ボタンを外す。
怖かった。マユミから嫌われるのが。俺は最初のデートのときに彼女に辛い思いをさせてしまった。今回も同じように幻滅させてしまったかもしれない。普通なら、二度もそんなことをされたら愛想を尽かすだろう。
それと同時に、もしかしたらそんなに気にしていないかも、という気持ちにもなる。第一、クッキーを渡してくれたのはアプリで知り合った邦忠君ではなく、あくまで不良の須田君なのだから、そもそも悪い印象ではなかったでは、と思うのだ。
ただそれでも、答えを知るのが怖くて、自分からメッセージを送れない。せっかく「後で感想を送る」ということで繋ぎとめておいたはずなのに。
結局勇気が出ない俺はマユミの方からメッセージをもらいたかったのかもしれない。
スマホの画面を切って後ろポケットにしまいながら、俺はゆったりと立ちあがる。そしてクッキーの入った袋をラッピングタイで縛って、もらった小さな紙袋に入れた。
そろそろ帰ろう。このまま教室にいれば教師やらに見つかって面倒なことになりかねない。
ガラリと戸を開けて教室から出ると、すでに廊下の電気は消され、残された灯かりは階段付近のみだった。遠くから運動部のやたら勢いのある締めの挨拶が聞こえる。
ぶらぶらとクッキーの入った袋を揺らしながら階段を下りる。チラチラとそれが視界に入ってはマユミのことを思い出す。恋は病とはよく言ったものだ。こんなのほとんど病気みたいなもんだろう。
とはいえ、考えてみればわざわざこうやって準備して、しかも手作りのクッキーをくれたのだからそこまで悲観しなくてもいいのではないだろうか。手作りのクッキーだぞ? 手作りお菓子というだけでも何年振りか分からん。なんだか一気にリア充に近づいた気がしてきた。
そう思うとなんだか少し心が楽になってくる。やっぱり人間じっとしていると碌なことを考えないな。さっきのメッセージもさっさと送っちまおう。
昇降口へとつながる最後の階段を二段飛ばしで降りながら、最後にジャンプして着地する。そして歩きながらスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。
ググッと、親指に力を入れながら、送信ボタンを押……そうとするがやはり――
「なんか楽しそうな顔してんじゃん」
ピッ。
押しちまった。
やっちまった。
「……誰だいきなり話しかけやがって」
声のした方向に目線をギラリと向けると、
「誰だってなんだ、幼馴染の声くらい聞き分けろ」
靴箱の前にアリサが俺の脅しに特に怖がる様子もなく平然と立っていた。
「なんかスマホとにらめっこしてたから何かなーと思って。ってか帰るの遅くない?」
俺がスマホをしまいながら靴を履き替えていると、しきりにアリサは「ねぇ、ねぇ」と声をかけてきた。
「うるせぇな、なんでもねぇよ」
「絶対なんかあるでしょ。なんで隠すのよ」
「なんでもねぇって」
気にせず、俺はすたすたと昇降口を出る。
アリサなんかにマユミとのことを教えたら途端に面倒なことになるのは分かってる。わざわざ言うようなことじゃない。小学生の頃、こんな様子でしつこく同じクラスの好きな子について聞かれ、根負けしてバラしちまったときには、親グルみで散々イジり倒されたんだ。同じ轍は踏まん。
無視しながら校門へと向かっていると、遠くからアリサを呼ぶ声があった。
「アリサ~一緒に帰ろ~」
おそらくアリサは部活終わりだったのだろう、同じチア部の女子たちが体育館脇で手を振って合図を出していた。俺が声のする方を向くと、そいつらは途端にバツが悪そうに手を振るのをやめて視線を外した。
「……ほら、呼ばれてるぞ」
元の進行方向へと視線を戻しながらそう言うと、アリサは少し遅れて大きく手を振りながら「ちょっと待って~今行く~」とそいつらに向けて叫んでいた。
しかし、執拗にもアリサはまた俺にこう尋ねてきた。
「じゃあさ、さっき教室で何してたの。カーテンみたいなのつけてたよね」
ギク、と音が伝わってしまいそうなほどに俺の肩は強張ったと思う。
「っていうかさ、小美濃さんと一緒にいたよね」
さらに追い打ちをかけるように、アリサは俺の顔を覗き込みながら言った。その眼光はするどく、俺の心を射抜くような力強さを持っていた。
いつからこんな目をするようになったんだ、俺なんかよりよほど怖いじゃねぇか。
その視線に耐えきれなくなった俺は途端に目を逸らす。
もはやそれが返答じゃないかと自分でも突っ込みつつ、それでも俺は抗うかのようにぶっきらぼうな態度で、
「暇だったから少し文化祭の手伝いしてただけだ。悪いかよ」
と拙い言い訳をする子供のように言い捨てた。
アリサはそれを聞くと、態勢を戻しながら「ふーん」と声を漏らし、
「私の手伝いはしてくれなかったくせに」
とだけ言って、しかめ面を浮かべながら俺の横の空間をじっと睨みつけた。
そうして、フン、と鼻を鳴らしながらアリサは体育館脇の仲間たちの元へと向かった。
一体なんだというのだ。
去るアリサの背中を一瞥してから、特に声もかけずに俺は帰路についた。次から次へと、俺の精神を摩耗しないで欲しい。
自分でも気づかず少し苛立っていたのか、いつもより足を踏み鳴らしながら少し早歩きで校門を目指した。途中、ジャージ姿の男子生徒とすれ違ったが、俺の表情を見て「ひぃ!」とだけ声をあげ、早々に走り去ってしまった。
なんだ、人の顔を見て「ひぃ」とは。無礼なやつめ。
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