第24話 墓穴
お互いが自分の席に戻ってからは、しばらくの間は口を閉ざしたままだった。
マユミは裁縫の作業を続けているようだったが、俺は俺で手持無沙汰だったためにスマホのロックを外しては特にメッセージの通知もないことを確認し、すぐに閉じるという作業を意味もなく繰り返していた。
そんなとき、マユミが小さな声で俺に尋ねる。
「実際のところ須田君はクッキー、好き?」
おそらく会話が途切れていて気まずいと思ったのだろう。もしくは自分がしたお礼のせいで俺がしゃべりづらくなった、とすら思っていたのかもしれない。彼女は俺が返事をしやすいように質問形式で話題を提供してくれた。
「特別好物ってほどでもないけど、人並みくらいかな。手作りをもらったのは初めて……だ、けど……」
と、言ってから後悔する。手作りクッキーをくれたのはマユミが初めて、なんて告白はお互い気恥ずかしくなるような情報でしかなかった。おかげで俺は言葉が詰まってしまったし、マユミも再び硬直してしまった。
しかしなんとか話を続けようとしたのか、マユミはフフと、小さくを笑ったのちに、
「初めてと言えば、実は私、この前初めてタピオカミルクティーなるものを飲みまして! そのクッキー、タピオカ粉で作ってみたんですよ」
と、無理やり感のある話題で切り返してきた。それでもお互い冷静でない現状においてはファインプレイだろうと思う。
だが俺はここでより大きな地雷を踏みぬいてしまうのである。
我がことながら、本当にどうかしていたのだ。気になる子から手作りクッキーをもらった男子の昂る気持ちと混乱を誰が責めることができようか。気が動転していつものマユミと話しているときのノリに戻ってしまい、
「そうだよね! マユミはタピオカ好きだったもんな!」
などと。
「……………………え?」
……お気づきだろうか。見事なダブルプレー。
「え……あー。うん。あいや、小美濃はタピオカ好きそうだなーってさ、な!」
どう考えても遅い。
不良の須田邦忠はタピオカを美味しいと言った小美濃も知らないし、当然マユミさんとは呼ばない。というか、小美濃と混じって呼び捨てにしてしまったし。
マユミは混乱したようにしばらくの間口をポカーンと開けていた。そして視線を彷徨わせ、何やら考え込んでいるようだった。
俺も俺でやっちまった感が脳内で堂々巡りを続けており、二の句が継げない状態だ。
そしてついに、彼女の口がゆっくりと開かれる。
「あの、もし勘違いだったらごめんね、その、実は前から少し気になってたことがあって」
そう言って真意を確かめるように、俺の目をしっかりと捉えながら、
「須田君って、ホウチュウさんで邦忠君?」
と、はっきり問いただされてしまった。
「あ、えーと。その」
咄嗟に、「違うよ」と嘘をつけない自分が憎い。
俺は相槌を打つことも、誤魔化すこともなく、ただ延々とあーだのうーだのと言葉を濁し続ける。
このまま何も言わないままいるのはまずい。一番まずい。ここまで来てしまったらもう後戻りはできないじゃないか。そもそも自分で蒔いた種であり、自分で開花させてしまったのだから、どうしようもないじゃないか。
えーい、ままよ。
「そう……です」
じっと据えられたマユミの視線から逃れるように、思わずヒロキの机を眺めてしまった。無意識的に助けを求めたのかもしれない。神出鬼没なやつも、こういうときに限って現れないのはズルいと思うのだ。
「やっぱり、そうだったんだ……」
掠れた声でそう口ごもるマユミは、そのあと少しの間言葉を失ってしまった。
どう思われたのだろうか。いつも会っていた男が学校では有名な不良だったと気づいて、ショックを受けているのだろうか。
マユミの表情を見たくない、でも見なくてはいけない。そう思って俺は、ちらりと彼女の方へ目線を向ける。
その先で彼女は……机に突っ伏して寝ていた。
いや、正確には寝てはいないのかもしれないが、間違いなく机に突っ伏していた。俺が授業のあまりの退屈さにすべてを放棄して睡眠に没頭するときの体勢だ、あれは。
あっけにとられた俺は、状況を理解するためにそろりそろりと彼女のもとへと近づいていく。
「あ、あの……マユミさん……?」
おどおどしながら声をかけると、途端、勢いよく彼女は上体を起こした。驚いて、俺は反射的に一歩引いてのけ反ってしまう。
「わたし、今日はもう帰らなきゃ!」
唐突にそんなことを言って、机の上の裁縫道具を片付け始めた。
近づく俺へ顔を向けることもなく、そそくさと帰り支度をするマユミ。俺も俺で、声をかけることもできずその様子を眺めていることしかできなかった。
やっぱり幻滅されてしまったのだろうか。そんな風に思っていながら彼女の顔を見ていると、だんだん頬が紅潮していくのが分かった。まさかずっと正体を隠していたことに怒っているのだろうか。
マユミは一通り机の上を綺麗にすると、机側面のフックに掛けてあった肩提げ型スクールバックを手に取った。
そして、今の今まで向くことのなかった身体を、今度は正面きっかりになるようにこちらに向き直して、
「また、あとで連絡します! すみません!」
そう言って上半身を約九十度になるくらいまで曲げながら頭を下げる。それからサッと、踵を返して教室の出口へと向かっていった。
待て。このまま何も言わずに帰してしまっていいのだろうか。
これでは最初の、失敗したあのデートのときと同じことになってしまわないだろうか。
なんとか、なんとか少しでもあの子の気持ちをつないでおきたい。
「マユミ!」
俺の声を聞いてびくっと、その背中が揺れ、歩みが止まる。
「クッキーありがとう! 絶対美味しいと思う。お礼のメール、ちゃんと送るから」
叫ぶようにそう言うと、彼女は小さく「うん」と呟き、首肯する。
そしてそのまま、小走りに夕日が暮れ行く教室から去っていった。
俺はしばらくの間、教室の真ん中で一人たたずんだ。頭の中はぼーっとしていて、遠くに響く運動部の掛け声ばかりが脳内で何度も反響していた。
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