第23話 感謝の気持ち
「へっ……?」
俺の言葉を聞いてマユミは相当驚いたようで、口をあんぐりと開けたまま、その場で硬直してしまっていた。
まぁ驚いて当然だろうと思う。当人がどこまで知っているか分からないが、噂だけとはいえ相当な不良だと言われているようなやつが、装飾係の手伝いを自ら名乗り出るというのだから。正直自分でも驚いている。実際他の文化祭の仕事なんてからっきしやっていないしな。
俺は自席から立ち上がり、のそのそとマユミの席まで近づいていく。マユミはまるでできそこないのロボットのように首だけ動かして近づいてくる俺の様子を窺っていた。
やがて彼女の席のすぐ近くまでたどり着いたとき、再び手伝えることはないかと尋ねようと口を開いたのだが、彼女にはヒィと言われながらと軽く身体を引かれた。とても傷つく。
「そんな怖がらなくてもいいだろ」
「あ、あはは、ごめん……須田君、目の前で見ると結構おっきいから」
目をしばしばとさせながら、悪気なさそうに両手を振って誤魔化す。なんとなく、その動きが距離を取られているようで傷つく。
「えーと、本当に手伝ってくれるんですか……?」
どうやらまだ信じてもらえていないようで、彼女は上目遣いでこちらを見上げながらそう尋ねた。
「やれることがあるんなら」
本位とは違えど、やはりマユミの上目遣いには弱い。思わず怯んでしまって、返す言葉も少し弱弱しくなる。我ながら情けない。
俺の返答を聞くなり、マユミは机の上の衣類をガサゴソとまさぐり始めた。何か俺に振れる仕事がないのか探っているのだろう。「そーだなー」と言いながら顎に手をあて、考え込む。
「須田君って、裁縫とかできる?」
「いんや、からっきし」
「うーん厳しいですね~」
そう言って再度苦笑い。言われて自分でも納得のそりゃそうだ感。装飾の仕事で目の前に衣装の山があるっていうのに、裁縫もミシンも使えないような男に何ができるというのだろうか。
「なんか少しでも手伝えりゃ仕事が減るかと思ったんだが」
「ううん、ありがとう。気持ちだけでもありがたいよ」
「役に立たなくてすまん」
お互いに気を遣って、顔を伏せていた。視線が交わることはなく、相手がどんな表情をしているかも分からなかったが、なんとなく気まずいとか、そういう嫌な気分ではなかった。
ふと、開いていた窓から強めの風が、教室を吹き抜けた。留められていないカーテンをバサバサとたなびかせ、夕暮れのオレンジの日差しに流動的な影を作り出す。俺たちはその様子を眺めその風を全身で受け止めながら、初夏のじんわりとした暑さにひと時の心地よさを感じていた。
そんなとき、何か閃いたと言わんばかりにマユミが両手をパンと叩く。
「須田君に手伝ってもらいたいこと、あったよ!」
そう言っておもむろに席を立ち、彼女は教室から出て行った。
置いて行かれた……と思っていたのも束の間、バタン、と常設してあるロッカーを開ける金属音が廊下に鳴り響いた。その音に続いて、「ヨイショ……」といった彼女の声も聞こえる。
何事かと思い、様子を見に行こうとしたところで、マユミが何やら腕に抱えて教室に戻ってきた。
「これ、窓に取り付けてみてほしいんだけど、お願いしてもいいかな」
彼女は重そうな手提げ袋を教卓の上にドスッと音を立てながら置く。
「喫茶店の雰囲気を出すために、カーテンを作ってみたんだ。高さとか合ってるか一回見てみたかったんだけど、私の背丈だと脚立とかないと設置できないから……須田君背が高いし、もしかしたら付けられるかなと思って」
目尻を下げ、「どう?」といつもの上目遣いで尋ねてくる。
俺はもちろん、迷うことなく頷き、彼女の持ってきた手提げ袋を受け取る。
見覚えのある「北武」というロゴの入った手提げ袋は、想像していたよりもずっと重かった。教室の窓を覆うように作られているのだとしたら、相当な量の布だろう。
「これ、全部自分で作ったのか?
「うん、そうだよ! 家から持ってくるの大変だったんだ~」
えへへ、と本人はあっけらかんとした表情を浮かべているが、もし自分がこの重さの荷物を家から持ってくるとなれば、と想像するだけでうんざりする。
マユミは思ったよりも力持ちなのか? それとも、そんな苦労をしてでも、この文化祭を成功させたいという気持ちがあったからこそ頑張れたということなのだろうか。
窓際まで移動し、袋を手近な机の上に置く。カーテンレールの高さを確認すると、さすがの自分でも手が届かなさそうだった。とはいえ、椅子を踏み台にすれば届くだろう。
上履きを脱いで椅子の上に乗り、まずは普段から使っているカーテンを取り外した。そして手提げ袋からマユミお手製のカーテンを取り出し、丁寧にレール上のフックにかけていった。十数個それを繰り返したところで、カーテンの取り付けが終わり、椅子から降りて布の端を持って広げてみる。
マユミは手を合わせて大げさに喜びを表現して見せてから、
「ありがとう~。すごい早かったね、さすが須田君背が高い!」
「そこ褒められてもなんとも言えねぇな……」
そんなことを言いつつ、心臓の鼓動は早まるばかりだ。
マユミの作ったカーテンはサイズも見た目も完璧な仕上がりで、ホームセンターなどに売られている商品と比べても遜色ないほどのクオリティだった。薄い茶色で模様のついていないシンプルなデザインのそれは、使っている布がいいのか教室備え付けのカーテンと比べてもなんだか高級感のある見た目だった。
「よかった、サイズとかも大きくは問題なさそう。変によれたりもしないし、とりあえず大丈夫かな。須田君どう思う?」
彼女はカーテンを端から端までなめるように視線を動かしながら、なんとなしに俺に尋ねる。
「どうって言われても……詳しくないけど、店で売ってる商品みたいですげぇと思う」
我ながらにぶっきらぼうで雑な感想だなと思いつつも、そんな感想を聞いたマユミは満足そうに笑みを浮かべる。
「えへへ、よかった。このカーテンね、この前私が行った喫茶店のカーテンを真似して作ったんだ。すごく雰囲気の良いお店だったから……」
そう言って、穏やかな表情を浮かべながらカーテンを撫でる。何かを思い出すように、その視線の先はどこか遠くを見ていた。
マユミはひとしきりカーテンの状態を確認し、うん、と頷くと、
「よし、なんとなく修正しなきゃいけないところは分かったかな。須田君ごめんね、外してもらってもいいかな……このままにしとくと当日までに汚れちゃうし」
それを聞いて俺は「あぁ」とだけ答え、先ほど使った椅子を近くに引き寄せた。
彼女は申し訳なさそうに何度か「ごめんね、ごめんね」と言っていたが、彼女の力になれていることが嬉しかった自分としては、このくらい大して気にならない。まぁ普段なら他のやつに頼まれてもやらんだろうが。
「装飾係は仕事が多いよな、衣装やら教室のレイアウト変えやらいろいろやってんだろ」
ひょいっと椅子にのってカーテンを取り外しながら呟く。
「うん、今回の喫茶店は特別に仕事が多くなっちゃてるんだと思う。他のクラスみたいにバザーとかちょっとした演劇とかだったらそうでもないんだろうけどね」
「たしかにそうかもな。カーテンまで作ってんだから他とは気合の入り方が違う……よっと、これで全部外れた」
レールから外れたカーテンを床に落とさないように両腕で抱えながらゆっくりと椅子から降り、畳んで元の袋に入れ直す。律義なことに俺がカーテンを外す作業をずっと見守っていたマユミは改めてありがとう、と呟いた。
元のロッカーに戻すためカーテンの入った袋を肩に提げると、彼女は「悪いよ、置いといて」と言ったが、それを制しながら教室の廊下へと向かう。後ろからついてくる彼女に対し、振り向かずとも声だけで話を振る。
「小美濃はすごいよ。こんな大変な係のリーダーをやってるんだからさ」
「ううん、そんなことないよ。みんなが一緒に手伝ってくれてるから、なんとかなってるだけで」
謙遜するマユミは、果たしてどんな表情をしているのだろうか。
俺は廊下に出てから、先ほど袋を取り出したときに開けっぱなしになっていたであろう、マユミのロッカーに手提げ袋をどすん、と置いた。
あまり人の……ましてや女子のロッカーの中身を見るわけにもいかないと思いつつ、同じように布の入った手提げ袋がいくつかロッカーの中に積まれているのが目に入った。おそらく窓枠全体分のカーテンだろう。これだけの量を、マユミは一人で持ってきたのか……。
ロッカーを閉め、再び教室に戻ろうと踵を返すと、すぐ後ろをついてきていたマユミが目の前で立ち止まって顔を伏せていた。
どうしたんだ、と俺が訝しがっていると、恥ずかしそうにチラチラとこちらを見ながら、
「須田君、この前はありがとう。おかげで私、こうやって装飾係のリーダーに立候補できて、みんなといっぱい話すことができたよ」
と改まって言った。この前、早朝に教室で俺が提案したことに対しての感謝だろう。
正直に言ってしまえばあれ自体はそこまで考えて提案したことではなかったけれど、結果としてマユミにとってのプラスになったのなら。俺としても嬉しいし、背中を押せてよかったと思う。
しかしマユミは後ろに組んでいた手を前に出し、加えて何かを差し出してきた。
「これ、お礼です。早くお礼言おうと思ってたのに、なかなか言い出せなくて」
「いや、そんな大げさな……気にしなくていい」
「私にとってはすごく勇気をもらった言葉だったの。こうやってクラスのみんなとも少しずつ仲良くなれてるのも、須田君のアドバイスのおかげ。だからちゃんとお礼をしたいんです」
そういって、俺に一歩近づきながら手に持った袋を再度差し出す。
いきなりの出来事に照れ臭くなりながらも、「……ん」とぶっきらぼうに返事をしてその袋を受け取った。
「と言っても、ただのクッキーなんだけど……それに私が作ったからお口に合うかどうか……」
俺に手渡してから、彼女は顔を真っ赤に染めてもじもじと呟いた。ここにきて恥ずかしがられるとこっちも困る。
っていうか、今なんて言った? 私が作った? ってことはマユミの手作りクッキーってことか?
「ア、アリガトウな。その、もらっとく」
女子からもらう初めての手作りクッキー。
嬉しさのあまりに様々な想いが頭をかけめぐり、言葉を返そうにも正常な言葉選びができない。なんだ、もらっとくって。言葉覚えたての原始人か。
そのまま数秒間、二人は棒立ちになりながら無言で過ごした。先に沈黙を破ったのはマユミの方で、えへへと笑いながら「戻ろっか」と俺に背を向けて言いながら、教室の中へと歩いて行った。
俺もその後ろについていくと、彼女は振り向くことなく、心許ない声量でぼそりと、
「あの、渡しといてなんだけど、本当にお口に合わなかったら捨ててください……」
と、そんなことを呟くのだった。
「まさか、そんなことするわけないじゃーん!」と軽く返せたらどれだけいいことか。マユミの手作りクッキーだぞ、捨てるわけないじゃないか。なんなら今この場で食べ始めてしまいたいくらいだ。
どうにかそんな気持ちを伝えようと、自席に座って裁縫作業を再開しようとする彼女の背に向けて、
「いや、食うよ、ちゃんと」
理性で変換した言葉で、その想いをしっかりと伝えた。
それを聞いて彼女は、分かりやすく緊張していた肩の力をふっ、と緩めた。そうして消え入りそうな声で「はい……」と返事をする。
恥ずかしがるように身体を縮ませる彼女は今、どんな表情をしているのだろうか。こちらからではうかがい知ることはできなかった。
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