第21話 一世一代の奮起
数日後、驚くべきことが起きた。
それは六限目の授業を返上して文化祭で行うクラスの出し物の係担当を決めていたときのことだった。
うちの高校は珍しいことに文化祭を七月という忌避すべき猛暑の初夏の頃に開催する。本来文化祭が開催されやすい秋口は昔からの伝統で体育祭と合唱祭によって占拠されているため、文化祭はイベントの少ない初夏の時期にやってしまおう、というのが学校の方針だった。
おかげでいつも準備は外気が暑くなってきた頃に始まり、生徒たちも「年に一度の無礼講だ!」とはっちゃけるやつらと、「こんな熱い中やってられるか」というやつらとで二極化する。もちろん俺は後者である。
とはいえ、文化祭はクラスごとに出し物をすることが義務付けられているため、強制的に何かしらの係に就く必要があった。うちのクラスは今年喫茶店を開くことになったようで、今日はそれに向けてチーム分けとリーダー決めの会議が行われていたのだ。
今はクラスの文化祭委員が、教壇の前に立ち会議を取り仕切っている。
「えー、というわけで今回のクラス代表者は立花に任せようと思います。承認する方は拍手をお願いします」
リーダー決めとはいえ、やたら堅苦しい司会の言い回しにみんな呆れ気味に半笑いを浮かべた。とはいえ、教壇に立つ、クラスのイケイケ男子四天王のうちの一人、人呼んで「立ち話の貴公子」(誰だこんなクソダサいネーミングしたやつ)の立花が代表を務めるのには異議がないようで、パラパラと拍手が鳴った。
続いて、会計係や広報係と事前に文化祭委員によって用意された係ごとにリーダーを決めていく。
最初は責任が重くその分やりがいのある、一部の人間が率先してやりたがるような係ばかりだったため、とんとん拍子にリーダーが決まっていった。しかし、それがこと食材管理係や清掃係などになってくると、地味な役割と感じたのか途端に立候補者が少なくなり、リーダー決めの会議は長丁場となっていった。
もちろん、最初からリーダーなどやる気もなかった俺は時間が経つにつれ睡魔の猛攻に遭い、うつらうつらと船を漕ぐようになっていた。
そしてもはや司会が何を言っているのかも判別がつかなくなるほど意識が遠のき、瞼を閉じようとしていたそのとき、信じられない光景が目に飛び込んできた。
前方で一人、恐る恐る手を挙げる女生徒がいた。
マユミが、何かに立候補していたのだ。
即座に遠のいていた意識が覚醒し、目を皿のようにかっ広げた。
一体なぜマユミが手を挙げているのか。リーダー決めの会議で手を挙げているということは、何かのリーダーに立候補したのか。
さも当然のことを頭の中でぐるぐると巡らせる。咄嗟に黒板を眺めると、そこには「装飾」という文字が書かれていた。
「装飾リーダーに立候補するのは……小美濃さんだけですかね」
司会もその状況に動揺したのか、先ほどまでのはきはきとした喋り方ではなくなってしまっていた。周りの連中も何を思ってか、ざわざわとどよめきが走る。「えっ、小美濃さん?」「小美濃さんって、休みがちなんでしょ……任せられるの」といった声が、ところどころから聞こえてきた。
そんなどよめきに紛れ、今までこの会議に全く興味を示していなかったであろう成瀬と高山が、本人にも聞こえるような音量で「はっ? キモ」と呟いた。
そんな声にも負けず、マユミは手を挙げ続ける。
「ほかに誰もいなければ、小美濃さんを装飾係のリーダーとします。承認する方は拍手をお願いします」
司会がそうクラスメイトたちに促すも、その言葉のあとに拍手は続かなかった。
静寂が辺りを包む。マユミは頭を俯かせながら、それでもと手を挙げ続けていた。後ろからでは彼女がどんな表情を浮かべているのか窺い知れなかったが、挙げた手は小刻みに震えていた。
「しょ、承認が得られないようなので他に……」
と、司会が言い終わるが早いが否か、俺は考えなしに一人拍手をしていた。
途端、クラス中の視線が俺に集まる。よもやマユミまでもが驚いた表情でこちらを見ていた。
「いいから早く終わらせてくれよ……」
悪態をつくようなことを言って必死に不良っぽく装いながらも、俺の緊張度は頂点に達していた。
誰か俺に続いてくれ、そう願いながらも、なかなか不良の後に続くものなどいないものだ。
しかしそこで救世主現る。パチパチと、小さくも頼りがいのある拍手が教室に響いた。
音の発生源を辿り横目に眺め見ると、拍手をしていたのは黒田だった。一意にマユミを見つめるその表情からは、彼女の誠意が伺える。俺のでたらめな拍手とは違う、彼女の気持ちのこもった拍手だった。
周りの生徒はお互いに顔を見合わせながらも、どうするかとしばらく悩んでいた。その間も、黒田はずっと拍手を続ける。やがて、「黒田さんが拍手するなら」と、パラパラと他の生徒たちも承認の拍手を始めた。その様子を見て不良女子二人組は舌打ちをしていたが、次第に周りの拍手の音が大きくなっていった。人徳の差とはこのことよ。
ある程度の人数が拍手をしたのを見て、司会は安堵するようにふっと息をつき、再度こう告げた。
「承認が得られたようですので、小美濃さんを装飾リーダーに任命します」
司会の言葉を聞いて、マユミは挙げていた手をやっと下ろしながらゆっくりと立ち上がり、他のリーダーがやっていたように「よろしくお願いします」とクラスメイトに向けて何度か会釈をした。その表情は強張りながらも、どこか安心しているように見える。
そしてふと、マユミはこちらを見て微笑んだ。あの笑みは俺に向けたものだろうか。視線を交わせながらもそんな風に考えていると、彼女はクラスメイトに向けて何度かやったように、もう一度こちらに向けて小さく会釈をした。
その後係分担はつつがなく進められ、クラス全員の係が決められた。会議も一区切りし、ホームルームも終わって放課後、特に用のない俺はさっさと帰路につくことにした。
マユミはというとたった今、いつからそんなに仲良くなったのかというくらい親密な笑顔を浮かべながら黒田とどこぞへ向かっていった。おそらく部活動だろう。今日のリーダー決めの際に後押しをしてくれたこともあって、黒田とはより一層仲を深められるに違いない。最初に拍手をしたのは俺だがな。
そんな悪意ある感情が顔に出ていたのか、帰り支度をしてる最中背後から唐突に、
「なーにそんな怖い顔してんの」
と、呆れ顔を浮かべたアリサに声をかけられた。
「なんだよ、もともとこういう顔なんだからしょうがないだろ」
「はいはい、自虐しないの。邦忠、大道具係になったでしょ。明日からちょっと手伝って欲しいことができると思うから、そのときは声かけるね」
大道具係になんて立候補した覚えもないが便宜上はそうなっていたようだ。
「あぁ? いやだよめんどくさい。文化祭関連は極力関わらないようにしてんだ」
「またそんなこと言ってると、先生たちから目をつけられるよ。っていうか、友達できないまんまだよ」
ほっとけ、と頭の中で返事しながら不機嫌を顔に出す。俺がしばらくそうしているとアリサは、ハァ、と大きくため息を吐きながら腕を組む。
「放課後ちょっとくらいならいいでしょ。背高いから飾りつけとかも任せやすいんだよ?」
そういうアリサは文化祭実行委員兼クラス副代表を担っていた。そりゃあもうこんな図体をした労働力を無視するはずがないだろう。しかし俺は社会には屈せぬ。働いたら負けなのだ。
そんな生産性のないやり取りをしていると、さらに無駄なやり取りをしに、
「そんなやつほっといてさ、アリサちゃん今日カラオケでもいかない?」
などとヒロキが横入りしてくる。
しかしアリサはすかさずきっぱりと、
「今日は部活。邦忠とでも行ってて」
意図もたやすく切り捨てる。俺はアリサの会話対象がヒロキに移ったのを見計らって、逃げるように鞄を持って席を立った。
「あっ、ちょっと、邦忠! 逃げるな! 明日からよろしくね!」
「へいへい、気が向いたらな」
「ねぇアリサちゃん一日くらいいいじゃん~」
三者三様に交わることのない声を掛け合いながら、俺たちはオレンジ色の絵の具を塗りたくったような夕暮れの日差しに満ちた教室をあとにした。
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