第20話 過去に一度の成功体験
まずはこの沈黙をなんとかしなければならない。
沈黙落ちる教室の中、俺は自席に移動しながらも必死に話題を探した。
そして、この状況こそが恰好のネタとなることに気づく。
「小美濃、早いな。何かあったのか」
小美濃、と慣れない呼び方をするのに少し抵抗があった。
名前を呼ばれ、ビクッと肩を震わせたあと、俺の席よりも教卓寄りに座るマユミは振り返りながらこう答えた。
「私、今日日直だから……黒板綺麗にしたり、花の水やりしたり、いろいろ準備しなくちゃいけなくて、早めに来たの」
言いながら、明らかに緊張で強張った笑顔を浮かべた。
考えてみれば、俺にとっては話し慣れた相手ではあるけれど、彼女からしたら俺は初めて話す相手なのだ。そりゃ緊張もするだろう。
「そうか、真面目なんだな、小美濃は。クラスの連中は日直の仕事なんてちゃんとやっていないぞ」
少しでもマユミの緊張をほぐすために、日直の仕事を律義にこなす彼女を褒める。それを聞いて彼女は驚いたような表情を浮かべながら、手に持ったままだった裁縫セットを机に置いた。
「ありがとう。す、須田君だよね。須田君も早いね……」
視線を泳がせながら、彼女も頑張って会話を続けようとしていた。いつの間にか、わざわざ椅子をこちらに向けて、俺に対して正面を向くように座っているのがなんとも可愛らしい。
それにしても、俺の名前を憶えていたのは意外だ。以前アプリで使っている「ホウチュウ」から本名を伝えたときは、俺の名前なんて憶えていないものと思っていたのに。同じクラスとはいえ、まだひと月しか経っていない、しかも喋ったこともないクラスメイトのことなんて俺なら覚えていない。
内心嬉しくなりながらも、俺はマユミの問いに対して返答に困っていた。
「俺は、そうだな……ひ、暇……だったんだ」
そんな気の利かない返答をしてしまったばっかりに、
「そ、そうなんだ」
と、それっきり会話を続けようがなくなってしまった。俺は必死に次の話題を考えたが、こういうときに限ってろくにいいネタが浮かばなかった。
沈黙が続く。こうなってくると、正直早く誰かこの教室に来てほしかった。
それこそいつものように話せればいいのだが、マユミからすれば初めて話す相手だ。俺も俺で、この学校の須田邦忠でいなければいけないという制約があり、うまく会話できないこの状況が歯がゆい。なんとかこの気まずい状況から抜け出したいところだが……。
「須田君はさ」
そんなとき唐突に、マユミが口を開く。
「須田君は、友達いる?」
……一体この子は初対面の相手に何てことを聞いてくるのだろうか。
「友達?」
「うん、友達。私あんまり友達がいないんです」
藁をもつかむ思いとはまさにこのことなのだろうか。いくら話すネタがないとは言えども、学校でも有名な不良(非常に不本意だが)に友達がいるかと聞くのは、なんというか怖いもの知らずなのか何なのか。まぁ俺だから実害はないのだが、こういう天然さは少し心配になる。
「須田君は友達がいるかなって」
「友達いそうな面に見えるか? いないよほとんど」
「そっか」
早朝の教室の中で、不良といじめられっ子が二人向かい合いながらも顔を俯かせているこの状況は誰も想像できないだろう。
「私、もっとみんなと仲良くしたいんです」
そんな沈黙を破るように、マユミは呟く。
「実は去年まで病気のせいで学校にほとんど来れていなくて、それがやっと調子もよくなって登校できるようになったんです。高校生になってからずっと、友達とお話ししたり、ご飯食べたり、そういう風にするのが憧れでした。でもいざクラスの子に話しかけてみようと思うと怖気づいちゃって……昨日やっと黒田さんとお話できました。でもそれは運良く趣味が一緒だっただけで、きっと他の子とはまだ気兼ねなく話すとか、できないと思うんです」
話し始めたら止められなくなってしまったのだろうか、マユミは堰を切ったように心境を吐露する。俺はそれを黙って聞き続けた。
「だからやっぱり、何かきっかけとかがないと私は友達作りができなくて……いい方法ないかなって……都合良すぎますよね」
言い終わりながらも、ふふ、と自嘲するように笑う。
「友達を作るためのきっかけが欲しい」なんて、それを努力することは決して恥ずべき事なんかではないはずなのに。
「高一のときだったか、俺は訳あって町内清掃ボランティアのリーダーに立候補したことがあってな」
俯くマユミに呼びかけるように、俺は先ほどより少し声を張り、語り始める。
それは過去に、俺が経験した唯一の成功例だ。
『清掃ボランティアの立候補』なんて柄にもないことをしたのは、今のマユミと同じように友達が欲しいと思って始めたことだった。しかし、
「リーダーを務めることになったまではよかったんだが、その他に清掃ボランティアへ応募した生徒が同学年の中でたったの一人。もともとボランティアをやりたがるやつなんてのは少なかったんだが、その年は異常に少なかったんだ。そしてどうやらその理由が、俺がリーダーをやっているから参加するのが怖い、ってことだった。誰も俺に近寄ろうとしなかったんだよ」
俺自身もやや自嘲気味に、けれどそれはある意味マユミと同じような立場であるという意味も含めて共感をこめて笑みを作る。
「それは……なんか可哀そう……」
同情してくれたのか、マユミは眉根を寄せて瞳を虚ろに曇らせる。
けれどこれはあくまで俺の成功体験だ。
「そして唯一来た奴も『なんか不良が清掃活動をするっていうんで面白そうだと思ってさ。俺、面白い奴好きなんだよ』なんてふざけた理由で応募してきたやつだった。まぁそれが今の数少ない友人になったんだよ。ヒロキ……あぁと、上嶋弘樹だ。クラスメイトだから分かるだろ」
マユミは俺から少しの間視線を外し、考える素振りをしてからアッ、と思い出したように両手を顔の前で叩いた。どうやら思い出せたらしい。最初から苗字を言ってもらえた俺と比べて、ヒロキが思い出されるのに時間がかかったのはなんとなく嬉しい。
俺は思わず頬が緩みそうになるのをこらえ、気をそらすように言葉を継ぐ。
「だから、誰かと何かをやろうって行動を起こしてみるのは、なかなか友達作りのいいきっかけになるかもしれない。俺の経験なんか参考にならないだろうが」
投げやりに言うと、マユミは穏やかな表情でゆっくりと首を振りながら、
「ううん、そんなことないです。ありがとう」
そう感謝しつつも、学校内にいて初めて、俺に向けた笑顔を浮かべてくれた。
それは須田邦忠として初めて見たマユミの笑顔だった。
「でも、上嶋君の言ってることも分かるかも。須田君、面白いです」
そして、目元をより三日月型に近づけて、今度は面白い、という意味でケタケタと笑い始めた。
「『不良が清掃活動』って、俺の鉄板の自虐ネタだからな。披露する相手がいないけど」
「ふふふ、私も面白い人好きですよ」
一瞬、その発言にドキッとする。
意味は違えど、気になる相手から「好き」だと言われ、俺の心臓は即座に心拍数を上げた。何気に「好き」なんて言われたのすら初めてかもしれない……いや、意味が違うのは分かっているんだ、それでもその、なんというか嬉しくなってしまう。
我ながらにチョロすぎるか、とも思いつつ、若干顔に出てしまっていたのかもしれない。
マユミは慌てて、いつもそうするように両手を前に突き出して大きく振りながら、
「あ、えっと今のは別に深い意味ではなくて、人として好きというか、なんというか! その、意味わかんなくてごめんなさい!」
あたふたと混乱状態に陥りつつ、唐突に立ち上がってオーバーリアクション気味に頭を大きく下げる。
これも俺としては見慣れた光景ではあるのだが、お互い気持ちに余裕がなかったせいか教室に近寄る足音に気づくことができなかった。
ふと教室の引き戸が開かれる。三人目の登校者だった。
そいつの目にはこの光景がどんな風に映っていただろうか。
朝から冴えわたる鋭い目つきで、顔を紅潮させながらも女生徒を今にも食い殺そうと言わんばかりに睨みつける不良。そして、どうにかこの場を逃れようと、必死に頭を下げる女生徒、とでも見えていたのかもしれない。まさしくそれはいじめのワンシーンに他ならない。
そいつはそんな俺たちを眺めながら顔を引きつらせ、視線を合わせないようにそそくさと自席に座った。マユミもマユミで、自分の不用意な発言にバツが悪くなったのか、あるいは他の登校者が来たことで今の話はなしと誤魔化そうとしたのか、頬を赤らめながらも逃げるように椅子ごと身体を前に向けてしまった。
一人取り残される俺。また変な噂が流れなければいいのだが……。
ふと浮かぶ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます