第18話 矜持と葛藤

 そのままアリサに連れられること一時間。


 ただ一緒に帰るだけ、と言っていたはずだが、未だ学校の最寄り駅から電車に乗ることすらできていなかった。帰る途中の商店街でやれ百均だの古着屋だのと、何かを見つけては入っていくアリサに仕方なく付き合わされている。


 そして今は、アリサが駅前に「激うま、北海道ミルクの贅沢ソフト」と書かれたキッチンカーを見つけ「あれ食べたい!」と言いながらウキウキと並びにいったのを遠くから眺めているところだ。


 俺は近くにあったベンチに腰を下ろしながら、首をもたれて空を仰ぐ。


 少しずつ茜色に染まりつつある雲をぼんやりと眺めながら、帰り際に見たマユミのことを思い出しては、ハァ、とため息を漏らす。


 なんだかなぁ!

 マユミの、あの怯えたような表情を思い出すとすごく悲しい気分になる。


 彼女にとっては「学校の須田邦忠=アプリで知り合った邦忠君」ではないのだから、仕方ないのだが。好きな子が自分のことを見て怯えている姿を見ると、それはもうへこむものだ。やっぱり彼女にとっては時代遅れのヤバい不良にしか見えないのだろうか。


 続けざまに二連続、ため息をついていると、唐突に空が陰り、視界が遮られる。


「そんなにアタシといると疲れる? ぐったりしちゃってさ」


 キッチンカーから帰ってきたアリサがベンチの背もたれ側から俺のことを見下ろしていた。


「別にそういうわけじゃねぇって」


 言いながら身体を起こすと、今度は正面に回ってきながら、アリサは目の前に真っ白いコーンの上に乗るらせん状に巻かれた白い物体を俺に差し出してきた。


「今日付き合ってくれたからって、せっかく邦忠の分も買ってきてあげたのにな」

「……わりぃ。ありがと」


 素直に差し出されたソフトクリームを受け取る。それを口に含みながら、想定以上の冷たさに呆けていた意識が少しずつ覚醒していく。


 アリサも片手に持ったソフトクリーム――あっちは何やら板チョコが刺さってる――を崩さないように、ゆーっくり腰を下ろし、俺の隣に座る。


「最近の邦忠、なーんか変な感じだよね」


 ぺろぺろと、小さい舌でソフトクリームを舐めながら、アリサはぼそりとそう呟いた。


「なんだよ、変な感じって」

「急に機嫌がよくなったり、悪くなったり。遠くを見て黄昏ちゃったり……はいつものことか」


 ……そんなにいつも黄昏ちゃっているだろうか。完全に思春期真っただ中の男の子って感じじゃねぇか。気を付けよう。


「他人を寄せ付けない硬派、みたいな態度取っておきながらただコミュ障なだけって感じだったのに。最近は自分の世界に入っちゃってるみたい」

「どちらにしても残念な子じゃねぇか。悪かったな」

「もしかして、恋でもしちゃった?」


 唐突に指摘され、思わず口に含んでいたソフトクリームを吹き出す。アリサはそれを見て顔を引きつらせながら「きたーな」と言いつつ、ポケットからティッシュを取り出して手渡してくれた。


 俺は口元を拭きながら、視線をアリサから背ける。


「なんだよ急に……別にそんなんじゃねぇよ」


 と言いつつ、完全に顔に出てしまっていたかもしれない。

 それこそ他人からすれば、いつも不機嫌そうに顔をしかめている不良にしか見えなかろうが、幼馴染であるアリサは俺のちょっとした動揺にも気づいてしまう。勘がいいというのも困りものだ。


「相手は黒田さん? ヒロキ君もなんかそんなこと言ってたよね」


 昼間の出来事を思い出すように、アリサは人差し指を顎に当てながら俺にそう尋ねた。


「ちげーよ、だからそんなんじゃねぇって」


 問いかけから逃れるため、ソフトクリームに視線を落としながら誤魔化す。


「それとも……小美濃さん?」


 品定めをするように、こちらをじっと見つめながら、アリサは言う。


「……ちげぇって」


 俺の返答は変わらない。いくら幼馴染と言えど、自分の好き嫌いをぺちゃくちゃ言いふらす趣味はなかった。ましてや、異性に言うのはやはり恥ずかしい。


 俺の頑なな態度を見て諦めたのか、アリサは目を伏せながらわざとらしく「はぁ……」と大きくため息をつく。そして正面を向きながら、


「まぁいいや、好きな子できたんならすぐにお姉さんに言うんだよー? ちゃんと見定めてあげるから」


 そう言って、ソフトクリームのコーンをガジガジとかじり始めた。

 俺は一足先に残ったコーンのひとかけを口に放り込む。


「なんだそれ。絶対言わねぇわ」


 捨て台詞のようにそう言って立ち上がり、コーンのふちに残る三角に象られた紙を捨てに近くのゴミ箱へと向かう。


 チラリと後ろを振り向くと、アリサはつまらなそうに、大きく口を開けてコーンをかじり続けていた。


 その夜、マユミからメッセージが届いた。


「前に話していた手芸部の黒田さんと今日話したよ」


 文末には彼女のホッとした心境を表すように絵文字が添えられていた。

 俺はそれをベッドに寝ころびながら返答する。


「すごい! 感触はどう?」


 そう尋ねると、返信はすぐにきた。


「仲良くなれそう。今日も一緒に部活に行ってきたよ」


 いつもよりも一層、彼女から送られてくるメッセージには絵文字が多かった。よほどご機嫌なのだろう。


 そしてやはり、放課後黒田とマユミが一緒にいたのは二人で部活に行ったからだったのか。いつもなら授業が終わるとそそくさと教室から出ていくマユミが、あの日は学校に残っていたのも頷ける。休み時間で相当意気投合したんだな。


「おめでとう、一緒に部活にいける友達ができたね。なんだか俺も嬉しいよ!」


 素直に祝福のメッセージを返す。俺が変に後押しした手前、これで話しかけたのに嫌われたなんてことがあったらどうしようかと思っていたところだった。

 言うだけ言って特に自分は手伝ってやれないというのに、少し無責任だったなと反省していたが、結果オーライというところだろう。


 いくらかメッセージのやり取りをしたのちに、ふとマユミが気になることを聞いてきた。


「ねぇ邦忠君、どうすればもっと友達ができるかな」


 そのメッセージに絵文字はなく、先ほどまで話していた他愛のないやり取りとは少し違う、何やら迫真的な問いかけだった。このメッセージを打っているときの彼女の真剣な表情が浮かぶ。


「今日みたいに、いろんな人と話していけば自然と増えるんじゃないかな。どうしたの急に。何かあった?」


 気になって、そのメッセージの本位を尋ねてみる。なんとなく、で聞くようなことではないだろう。おそらく何かそう思ったきっかけがあったに違いない。


「ううん、大したことじゃないんだけど……私も、クラスの子と気兼ねなく『じゃあね』って挨拶したいなあって思って」


 そのメッセージを読んで心にグサッと冷たい刃が突き立てられたような気分だった。あぁ、俺はあのときマユミを傷つけてしまったのかもしれない、と。


 さらに続いてメッセージが届く。


「黒田さんとは仲良く話せるようになったと思うんだけど、今日クラスの友達と帰りにすれ違いになって。そんなときに黒田さんはちゃんと挨拶できてたんだけど、私はなんか咄嗟に言葉が出なくなっちゃったんだ」


 教室の出入り口で俺とアリサがマユミとすれ違ったときのことだった。

 あのときアリサは黒田に「じゃあね」と言っていて、俺は無言でその場を去った。マユミは終始無言で俯いていたけれど、心の中では挨拶をしたいと葛藤していたのだろう。


 俺はマユミにはもちろん、黒田にすら挨拶をしなかったが、その点アリサは黒田と軽く会話を交わしていた。その後発せられた「じゃあね」にはマユミも対象に含まれていたかもしれないが、そもそもあの会話にマユミは混ざっていなかった。


 彼女も自分なりに反省したのだろう。自分があそこで声を挙げていれば、挨拶をする仲になれたかもしれないと。


 でも、それは俺も同じだ。俺だって別に挨拶してはいけないわけじゃないんだ。俺こそちゃんとマユミに「じゃあな」と言ってやるべきだったのかもしれない。


「……きっと自然とできるようになるよ。その相手だって、たまたま挨拶できなかっただけかもしれないし」


 自分をフォローするかのように、苦しい言い訳を送っていた。

 マユミの「挨拶したかった相手」が俺を差しているわけじゃないのは知っている。むしろ同性であるアリサと挨拶がしたかったというニュアンスのものだろう。しかしそれでも、俺は自分を正当化するように、そんなことを言うことしかできなかった。


「そうかなぁ、次は頑張ってみる……!」


 誰を責めるでもなく、自分が頑張ると宣言するマユミ。その殊勝な心掛けが、言い訳がましい俺には眩しくて、自然と画面から目をそらしてしまった。


 結局俺は人に言うだけ言って何もしない無責任な奴でしかなかった。マユミが俺の姿を見て怯えていたと勝手に勘違いし、それを理由に声をかけなかっただけだ。


 好きな女の子が頑張ろうとしているのに、それが応援できないなんて、男としてどうなんだ。せっかく同じクラスになるというチャンスが巡ってきたというのに。


「情けねぇなぁ」


 ぼそりと呟きながら手に持っていたスマホをベッドに放り、自分もそのままその身を沈めた。ベッドのマットレスは俺の身体を力強く弾ませ、夜更けの静かな部屋にバネがぎしぎしと音をたてて響く。


「次は頑張ってみよう……」


 天井のシミを数えながら、虚しさと不甲斐なさで空いた胸の穴を埋めるように、誰に言うでもなく、マユミと同じように俺もそう宣言した。

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