第17話 お互いの立場
放課後になって目が覚めると、すでに教室内の生徒はまばらになっていた。どうやら寝ているうちに授業が終わり、ホームルームも済んでしまったらしい。
一回眠りにつくとなかなか起きない自覚はあるが、学校でここまで深く眠りについていたのは久しぶりだ。マユミと黒田の一件で気を揉んだせいかそれなりに疲れていたらしい。
「あっ、やっと起きたの。邦忠、さすがに寝すぎでしょ」
ふと後ろから声をかけられたので寝ぼけ眼で振り返ると、アリサが俺の真後ろの席に座りながらスマホをいじっていた。視線はこちらを向いていない。
「あぁ、寝すぎたわ。実はまだ眠い」
「どんだけ眠いの。先生たち困ってたよ、授業中にいびきかいて寝てるから。相手があんただから変に注意もできないし」
いびきまでかいていたとなると若干罪悪感がある。それにしても教師がそれでいいのか。俺だって別に注意されたからといって唐突にキレたりはせんぞ。そのまま睡眠は続行するかもしれんが。
「お前、今日は部活ないのか」
俺が大きくあくびをしながらアリサに尋ねると、
「水曜だからチア部は自主練。大会も終わったばっかりだしね。久しぶりにどこか遊びに出かけようかと思って」
ようやくスマホから目を離してそれを机に置き、彼女は身体を大きくそらして椅子を後方に傾けながら伸びをした。
それはいつも忙しそうにしている幼馴染の、久しぶりに見た気の抜けた姿だった。
アリサは傾けた椅子を着地させると、その勢いのまま机に乗り出すようにして俺の目の前に急接近する。何やら思いついたように好機に満ちたその瞳は光を帯びていて、口元は期待を浮かべて半月を描いていた。
「ねね、久しぶりにカラオケ寄ってかない?」
そう言って楽しそうに寄り道の提案をする。
「あー、そうだなー」
曖昧に返事をしながらも、頭をがしがしとかきむしる。はっきりとしない意識を無理やり起こそうとするが、どうにも勝手に瞼が下りる。
ダメだ、残念ながら俺は今眠い。そしてそこまでカラオケが好きではない。
「ねぇ、行こうよ~」
「今日やたらと眠いんだよ、パスで」
「えー、だって部活休める日そんなないし……行ってくれないの?」
分かりやすく眉根を寄せて抗議の意を示すアリサ。
「ん~今日はやめとくよ」
しかし俺は再び机に突っ伏した。とにかく眠いのだ。
「うーん、それならせめて、今日は一緒に帰ろ」
「……ん、まぁ別にいいけど」
これ以上拒否し続けるとまた機嫌を損ねかねん。仕方なく後者の提案は受け入れることとしよう。
不可抗力にも生理的に発生する大あくびを上げながら身体を起こし、机の横のフックから大して荷物も入ってない鞄をヒョイと机の上にのっける。やっと起きだした俺を見てアリサはにこやかに笑うと「おっけ~じゃあさっさと帰ろうー」などと言いながら、そそくさと席から立ち上がり鞄を肩から提げ、こちらに背を向けて歩き出した。
顔だけこちらに向けていたアリサが「駅前の百均で買いたいものあるからちょっと寄って――」などと言いながら教室の戸を引くと、廊下側に同じように戸に手をかけた姿勢の生徒が見えた。
こちらからはアリサの背中に阻まれ、その生徒が誰だか認識できない。立ちあがりつつも、改めて彼女の立ち止まる先を眺めてみると、俺の眠気は一瞬にして吹き飛んだ。
「あっ……」
なんと、マユミがそこにいた。唐突に開かれる戸におびえるように手を引いた姿勢で、俺とアリサを眺めている。
咄嗟のことにたじろいでしまう。
なんでマユミが今ここにいるんだ……?
もうとっくに帰ったものだと思っていた。起きたばかりで時間感覚がないとはいえ、生徒の行き来の少なさを見る限り、部活もせずに帰るやつはとっくに家に着いている頃合いだろう。
俺の疑問はしかし、マユミの後ろに立つ人物からなんとなく察しがついた。いつも通りクールな表情を浮かべた黒田が、マユミに続く形で教室に入ろうと立ち尽くしていた。
こちらに顔を向けていたアリサは一瞬反応が遅れたが、マユミの驚く声に反応してやっと前方に向き直り、マユミの姿を認識する。そしてぶつかりそうになっていた状況に気づき、同じように「あっ」と声を漏らした。
「灘崎さん、今帰り?」
先に声を上げたのは後ろにいた黒田だった。マユミはなんとなく気まずそうにしながら俺たちの通り道となるだろう場所から一歩退いていた。
「うん、黒田さんは部活かな。じゃあね」
アリサは笑顔を浮かべながら小さく手を振った。その視線は完全に黒田しか見ていなかったように思う。マユミはその間、顔を俯かせたまま一切声をあげようとはしなかった。
出入り口で足を止めていた俺は、咄嗟に我に返ってアリサを追うようにして教室を出る。
去る間際、傍らにいたマユミを一瞥した。
アリサが通るときと変わらず、その顔を俯かせたまま俺が通りすぎるのを待っているようだった。一瞬、上目遣いにこちらを見てきたが、すぐにその視線は斜め横に流れてしまっていた。
いつも俺の隣で楽しそうに笑うマユミの姿はそこにはなかった。
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