第9話 見覚えのある横顔

 朝の静かな商店街に、自分の足音だけがカツカツと鳴り響く。周囲の生徒たちは十分すぎるほどに俺から距離を取り、くわばらくわばらと安全地帯に避難していた。


 よもや慣れたシチュエーションだ。今更この程度でショックを受けたりはしない……と言いたいところだが、振られたばかりの身としては幾ばくか心細くはあった。


 と、そんなとき。

「よう、すだっち!」

 背後から意気揚々とした声が静寂を破るように放たれた。


 あぁ、寂しいとは思ったけれど。

 今コイツとだけは会いたくなかったのだが。


「おいおい、今日は何か気合い入ってるな! どうした?」

 声のする方に振り向くと、薄く金色の混じった髪の毛をチャラつかせながら、ヒロキが俺の右肩を勢いよく叩いてきた。


 曰く「気合いの入った」目をより一層鋭くしながら、ヒロキに抗議の視線を送る。


「これが気合い入ってるように見えるか? どう考えても元気がないだろ」

「そうか? 目がいつもよりギラギラしてるぞ。誰がどう見ても気合い入ってるか、キレてるやつにしか見えない。一般的には主に後者だと思う」


 親父にも言われたが、気合い入ってるってそういうことか。


 ちなみにこいつは俺が不良に仕立てあげられた一連の流れを知っている。というか、俺が真相を得た情報のほとんどはこいつから聞いた話だ。そんな情報通なやつだからか、俺のこんな見た目に対しても最初から物怖じすること話しかけてきてくれて、今でも唯一の友達として普通に会話ができる仲だ。


「ってかさ、昨日の子とはどうだったのよ。ちゃんとうまくやれた?」


 ……来た。

 絶対この話になるだろうと思った。だから今は話しかけてほしくなかったんだ。


 俺は手を額に当て、深く刻まれた眉間の皺をより深く刻み込んだ。今だったらひとにらみで街を牛耳れるかもしれない。


「その様子を見てる限り、ダメだったな」

「うるせぇよ、ほっとけ!」


 その話に触れるなと、俺は足早に去ろうとするがそれで諦めるヒロキではなかった。


「どうせお前、空回りしたんだろ。女の子に慣れてないから」

「俺はお前と違ってチャラチャラしてないんだ。仕方ないだろ」


 そう、ヒロキは俺が言うところの「現代に生きる軟弱な男」なのである。ゆえに女子にモテる。


「高校二年生にもなって何を言うかね。それだからわざわざあのアプリ紹介したんだろ。うまく活用してくれよ」


 ヒロキはため息をつきながら、呆れるような口調で俺の肩をポンポンと叩く。


「いつまでも彼女の一人も作れずにいる可哀そうな男子高校生には少し刺激が強かったか」

「ほとんどの男子高校生に彼女がいるみたいな言い方をするな」

「お前もお前で現実から逃避するな。いる奴はいるんだよ、傷のなめ合いをしてどうする」


 容赦ない物言いで俺の腹を抉ってくる。この男は果たして本当に友なのか……?


 などと、くだらぬやり取りをしている間にも、俺らは商店街を抜け、気づけば校門の近くにまで来ていた。にも関わらず、周りにあまり人がいないのは気のせいだろうか。すでに校門への道はうちの学校の生徒で溢れんばかりになっているにも関わらず、俺たちの前後左右には見事に人が歩いていない。


「お前といると歩きやすくていいな」

「もうこれ以上傷を広げないでくれ……」


 目を細め、遠くを見ながらぼそりと呟く。しかし周りからはその人相がただ機嫌が悪いように見えたのだろう、周りの生徒が俺からより一層広く距離を取った。なんなんだこの仕打ちは。


  ………………………………


 校舎の中は新学期ならではの賑わいを見せていた。昇降口の掲示板に各クラスの組み分け表が貼り出されていたのである。

 生徒たちは火事を見る野次馬のごとく、首を長く伸ばしながら表を眺めていた。そして近くにいると友人たちと、歓声を上げてハイタッチする者もあれば、お互い残念そうに苦笑いを浮かべあっている者もいた。


 俺は持ち前の図体と視力の良さを活かし、そんな賑わう彼らに水を差さないよう遠くから表を確認した。

 ヒロキと俺は同じクラスだった。


「また同じクラスかよ」


 ひと学年につき五クラスもあるというのに、なぜ去年と変わらずヒロキと同じクラスになるのか。俺はそれとなしに悪態をつくような言い方をするが、実はそんな悪い気はしていない。


「いいじゃないの。お前、俺以外にまともな友達いないでしょ」


 そう言われると反論しづらいところがある。とはいえ、男同士で「あっ、また同じクラスだやったね~」と隣で騒ぐ女子たちのような反応をしては気持ち悪かろうと思う。ましてや俺のような野蛮人みたいな様相の人間が。


「おっ、アリサちゃんも一緒のクラスじゃん」


 隣で背伸びをしたり小ジャンプしながら、組み分け表を眺めるヒロキが声を上げた。


「あぁ、たしかにな」


 同じクラスの名簿の中にはヒロキの言う通り「灘崎有里沙」の文字が見えた。とはいえ、よく見る顔その②が同じクラスであることに気づいたところで別段気にすることもなかろうとは思ったが、まぁ後で声くらいは掛けておこう。




 俺たちは掲示板から離れ、教室に向かって歩きだす。二年生となった俺たちの教室

は昨年度より一つ上の階にあった。年を取ったのだからむしろ昇りは少なくしてほしいものなのだが。


 似たような風景、されどほんの少しだけ差異のある廊下を前にして、僅かながらも心機一転。新しい学年になったのだと身を引き締める。


 浮かれる生徒たちを横目に長い廊下を歩きながら、徐々に心拍数が上がっていた。

こんなナリで登校してしまったが、もしかしたら今年こそはクラスに打ち解けられるかも、なんて淡い期待がふつふつと沸き上がる。


 辿り着いた教室の扉を前にして、胸に手を当て深呼吸する。

 隣のヒロキが「何やってんだコイツ」みたいな目で見てきたが、そんなのは関係ない。今の俺はとてつもない緊張と、若干の希望に胸を膨らませているのだ。


 そうだ、きっと悪いことばかりじゃないはず。

 昨日あった悲しい出来事も忘れて、改めて新たな友人たちと輝かしい高校生活を過ごすのだ。


 よし、と大きく頷いてから、緊張に震えながらも引き戸に手をかけ、教室の扉を開けた――


「あ? てめぇの席なんかねぇから」


 ――早くも、夢ある未来は閉ざされた。


 手厳しい罵倒が俺を迎え入れる。その場でUターンして家のベッドに潜り、残りの人生霞を食って生きようと一瞬本気で考えた。


 けれど冷静に見てみると、どうやら俺にかけた言葉ではなかったようだ。教室にいる生徒たちは誰も俺のことなど見ていない。とりあえず良かった。


 声の主を探して教室を見渡してみる。すると、窓際の机の上に座りながら、スカートは短く、髪に金色入っちゃってるいかにもヤンキーな女子たちが、一人の女の子を威嚇しているようだった。


「てめぇの座る席なんかねぇんだって言ってんだよ。今ウチらが使ってんだろ」

「――」


 頭の悪そうな声を上げるその女は、俺ほどではないにせよ校内では名の知れたヤンキー女子、成瀬だった。隣でガムをくちゃくちゃと噛みながら一応は学校で禁止とされているスマホを見せびらかしながら堂々と弄っている黒髪の高山と並んで、同学年内では煙たがられている生徒たちだ。


 同じ穴のムジナではないが、セットで語られることが多いせいでこいつらの存在を認知してしまっている自分が悔しい。


 対して、いびられる女の子は遠目で見る限り俺の知っている生徒ではなかった。何やら反抗しているようだが、声が小さくて聞き取れない。


 その様子を見た成瀬はフンッ、と鼻を鳴らすと、女の子に背を向けそのまま机に座り続けて高山と会話を続けた。会話の中からは「きめぇなー」「マジ近寄んなし」といった、女の子に向けてであろう罵詈雑言が聞こえてくる。


 あんな分かりやすいヤンキー未だにいるのかと改めて思う。完全に時代錯誤だろ。


「なんだあれ」


 俺が思ったままにぼそりと呟くと、ヒロキは真顔でこう答えた。


「知らないのか。ミノムシだよ、あいつ。たしか小美濃って言ったっけか」

「えっ、嫌がらせされている方の話?」


 女の子はなおも抗議するかのように、成瀬たちの後ろに無言で立ち続ける。


「あいつ、身体弱いとかであんまり学校来てないんだってさ。去年もあの女子たちに嫌がらせされてたみたいだったけど、今年も同じクラスになっちゃったんだな。しかもよりにもよってうちのクラスかよ、めんどくせ」


 ヒロキは情報に疎い俺のために補足した。しかし俺は特に返事もせずに目の前の光景をただ眺めていた。


 周りのクラスメイトたちも、成瀬の大きな声が聞こえないわけではなく、いじめ自体は気づいているようだった。しかし顔をしかめて迷惑そうにしつつも我関せずと、誰もが目を逸らしている。


 ふと、しびれを切らしたのか、成瀬がミノムシと呼ばれる女の子の方へと向き直る。


「いつまでそこにいんだよ、うぜぇよ」


 そういって、女の子の肩をはたくようにして押した。女の子はその勢いに負けてのけぞり、背中にあった教卓に軽く腰を打ち付けた。


 再び会話に戻る成瀬。たまらず、女の子は踵を返して教室の出口、つまりいつまでも戸の前で突っ立っている俺たちの方へと走ってきた。


 自前の長い髪が邪魔で見えなかったのか、それとも動揺して周りを気に掛ける余裕がなかったのか、女の子は俺に正面からぶつかる形で向かってきた。慌てて俺は避けようと身体を翻すが、わずかに肩がぶつかってしまう。


 女の子は驚いたように、すれ違いざまにこちらを向く。




 すると、初めてその子の顔が視界に入った。


「えっ……」


 声を発したのは俺の方だったか。見覚えのあるその顔に、思わず俺はたじろいだ。

 いや、見覚えがあるなんてもんじゃない。


「マユミ……?」


 誰にも聞こえないくらい小さな声で、俺はぼそりと呟いた。

 昨日、ずっと俺の隣で笑みを浮かべていた少女がそこにいた。

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