不良少年の日常
第8話 不良より人の口恐ろし
どんな精神状態であれ、朝は必ずやってくる。
そしてその朝が平日だったならば俺は学校にいかなければならなかった。
年度初の登校日、今日から俺は高校二年生。
と言ったところで、学生生活を十一年も続けていればそんなことにも大した感慨は浮かばなかった。
鏡の前の自分を眺める。もういい年した男だ、あの後泣きに泣いて目が腫れている、なんてことはなく、特段代わり映えしない顔だった。それでも、自分にしかわからない程度にいつもより表情が暗く見えるような気がした。
手元のジェルで自分の髪を持ち上げる。気持ちを切り替えるように、少し多めにジェルを掬い上げ、サイドもガッチリと決める。
そのまま玄関に向かい、家を出ようとした。すると、いつものように背後からやたらと野太い声が耳をつんざいた。
「おう、邦忠! 今から学校か」
振り向くと、親父の姿があった。パンチパーマでスーツを着込み、腕には金のロレックスが巻かれている。朝から声も格好もやかましいことこの上なかった。
「……あぁ」
不機嫌を表すように、わざと抑揚なく返事をした。しかし、親父はお構いなく続ける。
「そうか 今日から新学年か。気合入ってるじゃねぇか」
この表情のどこに気合が入っているというのか。こちとら意気消沈しているというのに。
俺は再び「あぁ」とだけ答え、玄関のドアを開けた。
「いっちょかましてこい!」
そんな空気の読めない騒がしい声が後ろから聞こえた。が、気に留めずに俺は家を出る。
あぁ、憂鬱だ。できることなら学校を休みたい。
そんな風に思えば思うほど、身体はだるく、空気は重くのしかかった。それでも学校が近づいてくるわけでもなく、俺はいつものように満員電車に揺られながら通学するしかなかった。
地元の駅から乗り込んだ電車はそのときすでに乗車率八割といったところで、少しでも動けば近くの人と肩がぶつかってしまうほどの混雑具合であった。にも関わらず、なぜか俺の周囲は人一人分の空白が意図的に設けられていた。
「……ふぅ」
思わずため息をついてしまう。またか、と。
そんな俺のちょっとした行動にも他の乗客たちは過剰反応し、気まずそうに目をふせながら俺と距離を取っていく。現在隣のOL風女性との距離は約一メートルほどだ。まぁ、過ごしやすいと言えば過ごしやすいからいいのだが。
そうは言ったって今はまさに絶賛通勤・通学ラッシュの時間帯だ。通勤特急と銘打たれたこの電車が副都心的駅に到着すれば、さすがにこんなデッドスペースを保ってはいられない。
電車がホームにたどり着くと、駅名のアナウンスが流れるとともに、開かれたドアからスーツ姿のサラリーマンや制服姿の生徒たちがなだれ込むように乗車してきた。たちまち乗客と俺との距離も縮まり、おしくらまんじゅう状態となる。が、
「……イテッ」
ふと、足元に軽い痛みが走り、思わず声を上げてしまった。目の前には体勢を崩して俺の足を踏みつけてしまった気弱そうなサラリーマンがこちらを見上げ、何やら顔面を蒼白に染め上げている。
そして、年甲斐もなく今にも泣きそうなほどに顔を歪めながら、
「す、すみませーーん!」
と大声で俺にすがってくるのだった。
途端、車内の視線が一斉に俺に集まる。咄嗟に俺は「いや……」などと言ってその男性をなだめようとするも、すでに矢面に立たされていた。
様子を伺っていた数人の男子中学生が「なんだ、喧嘩か?」と興味深そうにこちらを覗き見ていたり、他方では満員電車だろうとお構いなしに大きめの声で会話を続けるおば様方が、ひそめきれないそのダミ声で「やだわ、朝から何? 怖いわ~」と呟いていた。なぜそうなるのだ。
そうして後ろ指を差されながら電車に揺られること約十数分、やっとこさ学校の最寄り駅に到着し、俺は車内からの視線に解放された。朝から無駄に精神をすり減らした。
駅から出てからは、学校へと続く商店街を一人歩いた。まだ朝の静けさを保つその道をローファーがアスファルトを叩くカツンという音を響かせる。
ふと、商店街の角に建つ時計店のショーウィンドウに映る自分の姿が目に入った。
そうだ、この見た目が問題なんだ。
こんな見た目をしているからいらぬ誤解を生み、人から避けられるのだ。
ジェルで固められたオールバックに、第三ボタンまで開けた学ラン。下には赤のシャツを着こみ、ズボンもダボッと腰下までさげている。身長は百八十半ばくらい、目が大きい割には切れ長で、いつも眉間に皺を寄せて歩いている。そんなステレオ型の「不良」がショーウィンドウに映る俺の姿だった。
こんなのが近づいてきたら俺だって道の端に寄るし、満員電車で声があがれば喧嘩だなって思う。
じゃあなんでこんな格好をしているかって話だが、大体は親父のせいだった。
今では親父のことを朝から疎ましく思うほどに、俺の判断能力は正常に戻ったが、ほんの一年前までは異常なほどに憧れを抱いていたのだ。
親父は警察官だった。ただし普通の交番のおまわりさんではない。所謂マル暴というやつだ。
そのせいか見た目はあんなんだし、性格もがさつだ。ただ、そんな親父が好きだったんだ。一年前の俺にとっては親父のいかついパンチパーマも、金のロレックスも男の勲章的なもののように見えていたし、これが硬派な男の在り方なんだって誇りにすら思っていた。
だからこそ生まれてから今までそれを追い続け、親父の猿真似で常に不良のような格好をしてきたのだ。親父も親父で、そんな愚かな息子を止めるどころかむしろもっとやれ的な言いようだったし、自分もそんなナリをしながらも、反抗期とは何たるやと言わんばかりに親父にべったりだった。
だからこれが正しいのだと思ってこの十五年間を生きてきたわけだ。
しかしその妄信的な敬愛も高校一年生の夏の頃、路上に漂う陽炎が如く立ち消えることになった。
端的に言うと好きな子ができた。
とはいえ直接関わりがあったわけではない、ただのクラスメイトだ。しかしクラスメイトというものは否応なく毎日目にする存在であり、さらにその子が俺の好みの見た目だった、というだけでも恋をするには十分な理由だったと思う。
ただその子は今時の、俺からすれば「現代に生きる軟弱な男」が好みだった。筋肉なんてほぼないヒョロヒョロな身体つきに、寝起きまんまで来たのかというような無造作ヘアー、学ランの下にはパーカーを着こんでフードは外出し。少し髪に茶色が入ってチャラチャラと女性に寄っていくような、そんな連中のことだ。
だからこそ、俺なんて眼中になかったのだろう。俺の存在は彼女曰く、「あの何ていうの、昭和のツッパリ? みたいな。いろんな意味で怖いんだけど」だったそうな。人づてに聞いた話だけど。
以降、俺はこの格好がつまり「ダサい」ものであるということにようやっと気づくのだ。が、今でもそんな格好をしているのには理由がある。
「……やべぇよ、あいつが噂の須田か」
「上級生も病院送りにして、二年にしてすでに学校を裏で締めてるらしいぜ」
学校に近づくにつれ、だんだんとうちの生徒たちが周りに増えてきた。と同時に、何やら不穏な噂を話している二人組が近くにいるらしい。
何気なく噂話をしている二人の男子生徒の方向に振り向くと、二人はさっと、俺から目を背けて別の話を始めた。
そう、こんな感じに「須田邦忠は見た目通りやばい不良らしい」という噂だけが一人歩きしてしまったのである。
たしかに、高一のときはイキリ倒してた。何にせそれが硬派でかっこいいと思っていたからだ。今思い出せば頭を抱えたくなるほどの黒歴史と言えよう。我がことながら鳥肌が立つ。
でもそうは言ったってカツアゲとかして迷惑をかけていたわけでもないし、人に暴力を振るっていたわけでもない。自分を強く見せるために本当にただただイキっていただけだ。
それなのに、いつの日か「あいつは不良の上級生を倒したやばいやつ」なんて根も葉もない噂が立ち、知らないうちに避けられ、教師からは目をつけられ、女子からは不当に避けられる学校生活となってしまったのである。
ちなみにその「上級生を倒した」というのは、子供のころ親父の勤め先の警察署で習っていた少林寺拳法の大会で優勝したときに倒した相手が、この学校の生徒かつ上級生で「昔あいつにやられたんだよ」と話したことが派生した、とのこと。
そんな噂に尾ひれがついて、もはやうちの学校で「須田邦忠はやばい不良である」という噂を知らない人間はいなくなってしまった。人の噂も七十五日とは一体誰の言葉なのか。俺はその嘘つきをぶん殴りたい。
そして高校一年生の初夏の頃、気づいたら同学年内では多数の仲良しグループが出来上がっていた。いつも一緒に昼飯を食べるグループ、部活同士で絡むグループ、毎回休み時間に集まってカードゲームをするグループなど様々だ。もちろん、俺一人を除いて。
そうなってしまったらもうどこかのグループに所属することは容易くない。どのグループも気兼ねない仲間たちと一緒に過ごすのが心地よいのだ。イキった不良なんぞ門前払いだ。もちろん、俺のことだが。
ただ、「あいつはいつも独りぼっちで可哀そう」と同情されるのもなんだか癪に障る。いつまでも「どこか自分をグループに入れてくれないかな~」なんて指をくわえていれば、いつかはそんな哀れみの視線を向けられてしまうだろう。
それはそれで、なんというか嫌だった。一人焼肉は周りから哀れみの目で見られる分ハードルが高い理論と同じだ。
だから俺は「好きで一人でいる、一匹オオカミ」を演じるため、この不良という鎧を身にまとい、高校生活を過ごすことにしたのだ。
そうやって一年をやり過ごして、学年が上がれば何かが変わるか、と淡い期待も持っていたのだが……ただ歩いてるだけで面識もない生徒から後ろ指をさされているようじゃ、それも叶いそうにない。
ハァ、と思わず大きくため息をつく。
と同時に、背後にいた男子生徒たちが、「ヒッ……」と怯えるように声を上げた。
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