第5話

いい加減にしてくれと心に秘めつつ双方を宥める言葉が見当たらない私は、火の粉がこちらまで降り掛からないよう祈りながら事態を静観する他なかった。




 「ガシャン!」突然、陶器のぶつかる音が部屋中に響き渡った。正体は彼女が持ってきたお茶だった。


 紅茶の入ったポットとティーカップをトレイごと無造作にテーブルに置くと、そのまま無言で部屋を出ていってしまった。




 さっきまで罵り合っていた二人はすっかり意気消沈して、束の間の静寂が訪れた。


 私はこの女神がくれた時間を逃さなかった。


 「ここで一旦休戦協定締結だ、クリエイターならお互いリスペクトし合ったらどうかね?」




 「プロのクリエイターとして尊敬は出来ても、趣味嗜好の違いはどうしょうもないですよ……」


 ゴーリキーはあくまで迎合する気は無いようである。




 すると突然カチャーノフは立ち上がって部屋を出ていってしまった。


 「怒って出てっちゃったかな。」


 「トイレじゃないですか。」


 そのまま10分程経ってから彼が戻って来た、手には何かを抱えている。




 「いいか、この4本のビデオは貴様の認識を変える為に選んだアニメ映画だ。一本目は大戦中に製作された子鹿が主人公の映画だ、これは向こうの作品における基本的な要素が詰まってる。」




 「後の3本の映画なんだが…… これは全て東洋のある島国で製作された。これらは正式には輸入されてないので、前の会社の社員間で出回ってた海賊版をコピーした物だ。」


 彼がやけに神妙に話すので私共身構えてしまった。




 「まずこれ、所謂ファンタジー作品ではあるが魔法やドラゴン等は一切登場しない。一本目の感覚で観始めるとまず度肝を抜かれるだろう、そして人物に惹かれ、デザインに惹かれ、世界観に惹かれ、最終的にこの制作者達に興味が移っていく筈だ。基本的に内容に関しては初体験の気持ちを大事にしたいので、できるだけ触れないのでそのつもりで。」




 「次にこれ、ジャンルは近未来SFだがテーマ的には微妙に違う、世界観は…… あの人造人間が出て来る小難しい映画に近いな、あれも名作だから観ておくと良い。この作品もさっきの感覚で観ると度肝を抜かれるだろう、そしてここでアニメという物が持つ表現力と多様性に気が付く筈だ。因みにこれは子供向けとは違ってショッキングな描写が多いのであしからず。」




 「最後のこれなんだが…… これもある意味でアニメにおける表現力を最大限に活用してる、観た事を後悔する程にな。」




 「どういう事です?」


 「この作品が表現する世界は現実に起こった事だ、祖国が東部戦線で激戦を繰り広げ勝利した裏でな。この作品を視聴した暁には激しいエモーショナルに苛まれ夜も眠れなくなる、そしてベッドの中で思考が廻り、彼の国に対する謂れのない怒りが育まれナショナリズムに傾倒する。これは巧妙に仕組まれたプロパガンダ映画と言えよう。何故祖国でこういう作品が作られないのか疑問に思うくらいだ。だがな…… この映画の本質は溢れ出る感情の先に見えて来る物なんだよ。」




 さっきまでセルゲイに対して激しく熱弁を奮っていた彼は、このビデオを説明する時、一点を見つめ身震いしていた。きっと激情型というか情緒不安定なのだろう。とにかくここは一旦話を保留にして後日交渉するのが良さそうである。




 「……まぁ貴方がこれらの作品に多大な影響を受けた事は理解できました。僕はあくまでこれらのアニメを参考として、実写映画との比較を出来る対象となるか否かの判別をする為、視聴するというスタンスなので。急に180度イメージが変わるという事はないのであしからず。」




 「君の為に分かりやすい作品を持って来たよ、普段人と会話する事はないので今日はもう疲れた。ここらで帰ってくれ。」


 「ええ僕もですよ。」




 気が付いたら外は夜になっていた、まだ仕事中との事だったので迷惑をかけてしまった。


 もっとも、迷惑をかけたのは私が連れて来たセルゲイなのだが。


 街灯も少ない夜道を半分ライトが切れかかった自家用車で帰路についた。




 「すっかり辺りは暗くなってしまったな、君達映画マニアによる有意義な議論のお陰で。」


 「僕に嫌味言っても無駄ですよ、そういうのはもう慣れてるので。それにしてもこの車本当に乗り心地悪いですね。」


 「ああ、私も嫌味なら言われ慣れてるさ。」


 しばらく車内はOHVエンジン特有のドロドロとした音だけが響いた。




 「君はカチャーノフみたいに映像関係の仕事はしなかったのかい?」


 眠気を紛らわす為に、何となく質問を投げ掛けてみた。




 「僕は観る専門なので、小さい頃はアニメはよく観てましたよ。その頃からオリジナルでストーリーとかよく妄想してたんですけど、それらは人に見せる気なんて更々無くて、絵も描いたりしたんですけど自分から見ても上手い物じゃなかったですね。」




 「自分だけ答えるのはアレなんで、何でポクロフスキーさんは新聞記者に?」


 「それがね…… 実は覚えてないんだよ。」


 「その逃げ方はズルいですよ。」


 「いや本当に、今の部署って自分で記事書く事ないから気が緩んでボーッとする事が多くなってしまう、周りもそれが分かってるからよく雑用頼まれるんだけど、そうしてる内に気が付いたら一日が終わってしまう、そんな仕事を毎日やってたら昔の事なんて忘れるさ。」




 「そんな物なんですかねぇ。新聞記者ってもっと忙しいのかと。」


 「報道部や社会部は実際忙しいさ。だけどアイツら自分の位が高いと考えてるから、他の部署に威張り散らして嫌われてるのさ。」


 「へー。」


 「同じ部署でも政治的対立だの個人的嗜好だので派閥があるらしいがな。まあそういうの知ってたら今の仕事も嫌になるさ。なあゴーリキーって」




 気が付いたら隣の男は目を閉じて俯いていた、あんなに乗り心地が悪いと言ってた癖によく眠れるな。


その図太さに少し嫉妬した。




 翌日の出来事である。私はその日の仕事を終え家でゆっくりしていた、その時電話が鳴った。


 電話に出たのは妻だったが私宛の電話だと言う、なんでも相手はセルゲイだと名乗り少し様子がおかしかったとか。




 「ああ私だ、家に電話して来るなんて何事だね。」

「……ポクロフスキーさん…… ああ、これは凄い物ですよ。是非貴方も観た方がいい。近い内に会えないですか?」


 確かに様子が少しおかしかったが。あのセルゲイがそこまで影響を受けるなら、少し興味が湧いてきた。

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