第12話 星が一つ、瞬く夜に
『明日の夜、会いに行っても良いですか』
スマートフォンのメッセージアプリに佐藤さんの名前と新着メッセージが表示される。
あれから、佐藤さんは時々私の部屋に訪れるようになっていた。直接会う時間が取れないときは電話をする事もある。
付き合っているのかと言われると自信をもって答えられない。付き合おうという話も好きだとか言う話もお互いにしていないし、これが恋や愛という感情なのかということも自信が持てない。けれどお互いに触れることもある。ある意味、以前のような関係に戻っている。
けれど以前とは違うだろう。
会話をしていて、以前のような、大事なことを避けて通っているような感覚はない。
「総務課の遠藤さん、今月いっぱいで仕事辞めるんだって」
「去年の春に入社したばっかりじゃなかった?早いなあ。ていうかせめて三月待てなかったの?」
「やりたいことが他に見つかったから早く転職したかったんだって。後任は中途採用募集するんだってね」
会社の女性用トイレに入ると、何人かの女性社員が声を落として噂話に興じていた。わたしに気がつくと話すのを中断してしまったが、すぐに噂話は再開される。派遣社員に聞かれたところで大したことはないと考えたのだろう。
遠藤さんなる人物が年度末を待たずして、中途半端な時期に退職をすることは、わたしのような派遣社員の耳にも既に届いていた。退職の理由については今初めて知ったが、そのフットワークの軽さが少しうらやましい。
後任となる社員の中途採用募集要項についても既に公表されていた。
先週の土曜日の夜、佐藤さんがわたしの部屋を訪れたときもその話になった。
「本当に急に決まったことらしくて、総務課の方もかなりバタバタしてたよ。かなり中途半端な時期だから、募集掛けてもすぐに後任が決まるかどうかわからないしね」
そう話す佐藤さんは、さすが社内の情報に明るい。
「あのね、わたしその試験、受けてみようかと思って」
何でもないことのように言ったつもりだったが、声が震えてしまった。
何かに挑戦してみようと思うこともそれを誰かに話すということも久しくやってこなかった。
採用試験を受けたところでまた傷付くだけかも知れないという恐怖は確かにある。不合格という可能性も充分にあり得る。けれど数日前に中途採用募集の掲示を見たとき、受けてみようかなと自然と思えたのだ。
佐藤さんは少し驚いたような顔をしたがすぐまた微笑んだ。
「そっか、応援してる」
今日の夜は履歴書を完成させてしまおうと考えながらトイレを出、自席に戻る。
「これ、午後の会議で使うから、人数分コピーしといてくれるかな」
わたしが戻るのを待ち構えていたかのように、男性社員が分厚い書類の束を抱えながらやってくる。男性社員は返事も待たずに書類の束をわたしのデスクに置いて立ち去ってしまった。
忙しいタイミングであっても断ることはできなかっただろうが、幸い急を要する業務は今のところ入っていない。午後の会議の出席者は全部で十四名だったはずだから、今から取りかかれば充分に間に合う。
コピーする書類からダブルクリップを外し、複合機の読み取り口に書類の束をセットする。
印刷部数を入力しようと複合機のディスプレイを見ると、メッセージが表示されていた。
『A4用紙を補充してください』
鼻から小さく息を吐いて、複合機の横に置いてある段ボール箱から新品のコピー用紙を一束取り出す。
軽快な音を立てながら包装紙を破った。
夜を待つ @ai-navy
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