第7話 虚像に手を伸ばす
「佐藤さんすみません、先方に明日提出する予定だった資料、データ飛んでしまって……。本当にごめんなさい」
「おおお、そっか。俺も手伝うからなんとか完成させよう。データはどこまで残ってるんだ?」
佐藤さんは穏やかな人だ。大きな声を出しているところを見たことがないし、乱暴な言葉を使うところなんて想像もできない。会社では上司や得意客とテンポ良く会話し、後輩や部下のミスをさりげなくフォローする場面もしばしば見かける。
佐藤さんと土曜日の夜に通話をするようになってから二ヶ月が経過していた。新年を迎え相変わらず寒いとはいえ、日の当たる時間は少しずつ長くなってきている。季節が確実に変化していく中で、佐藤さんとの他愛ない話が変わらず続いていることが、自分でも意外だった。
佐藤さんとわたしの話には、恋人同士のような甘さも気の置けない友人同士のような砕けた雰囲気もない。電話越しでは相手の表情がわからないが、時折佐藤さんの声に寂しさのような物が滲むことがある。それは普段職場で聞く佐藤さんの声にはないものだ。土曜日の夜に垣間見せる寂しさに触れるべきなのか、触れても良いのか、未だにわからずにいる。
佐藤さんとの時間に居心地の良さを感じていることは事実だ。今やわたしは佐藤さんからの着信を心待ちにしてさえいる。けれどふとした瞬間に、どうしようもなく泣きたいような気持ちになる。
寂しさを滲ませながらもなお取るに足らない言葉を重ねる佐藤さんに、それに気づいていないふりをして拙い言葉を重ねるわたし。
いくら言葉と時間を重ねて親しくなったような気がしても、本当はわたしたちの距離は少しも近づいてはいないのではないだろうか。
そんな不安が、いつまでも消えてくれない。
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