第2話 わたしとは違う人
「仕事にはもう慣れた?」
午後から行われる会議の準備を頼まれたため、資料を人数分コピーし会議室の机に並べていると、同じ派遣社員で先輩に当たる橋本さんが手伝いに来てくれた。
「ええ、だいぶ慣れました」
子どもを二人育てている橋本さんは一見厳しそうな人にも見えるが、面倒見が良く快活な女性だ。わたしがこの職場に派遣されてから、仕事のやり方のほとんどは橋本さんが教えてくれた。
社内の事情にも明るくかなりの量の仕事をこなす橋本さんのことを、正社員だとはじめは思っていた。それが勘違いだとわかったとき、謝るわたしを橋本さんは豪快に笑い飛ばしてくれた。
「二人目を産んだ後にちょっと体調を崩しちゃってね、その時に前の仕事は辞めちゃったの。時間はかかったけど体調も良くなって、子どもも手のかからない年齢になったから、また働こうと思って派遣会社に登録したってわけ」
そう教えてくれた橋本さんの笑顔は少し寂しそうにも見えた。
「この会社さ、結構言い職場だよね。社員さんも穏やかな人が多いし。まあ例外はいるし、むかつくこともしょっちゅうあるけど」
活力あふれる橋本さんにかかれば、むかつくというフレーズさえも楽しそうな響きだ。そんな彼女が少しまぶしく思えた。
廊下の方から賑やかな話し声が近づいてくる。楽しそうな声がわたしと橋本さんのいる会議室の前まで来ると、男性社員が顔を覗かせる。
「あ、会議室準備してくださったんですね。ありがとうございます」
男性社員に続いて、若い社員が何人か、ありがとうございまーすとお礼の言葉を口にする。
「いつも全部やらせてしまってすみません。他に何かやることあります?」
男性社員が会議室の中に入ってきてわたしと橋本さんを交互に見ながら言う。他の取り巻きは会議室の外からこちらの様子をうかがっている。
「もう殆ど終わったから大丈夫よ。ていうか佐藤くんはこんなことしなくていいのよ。自分の仕事をしなさい。皆期待してるんだから」
橋本さんの言葉から、目の前の男性が佐藤という名字であったことを思い出す。末端の末端で仕事をしているわたしは直接関わる社員がかなり限られている。今みたいに名前がすぐには出てこないことも多い。
「でも、いつも準備してもらってるので。何か手伝えることがあったら言ってくださいね」
佐藤さんは少し寂しそうに目を伏せたかと思うとすぐにもとの笑顔に戻って会議室を後にした。他の社員たちも佐藤さんに続いて会議室から遠ざかっていった。
「佐藤くん、今日も人気者だねー。あの子、部長にも気に入られてるし、出世ルート間違いなしだよ。わたしら非正規にも優しいし、佐藤くんが出世したら皆喜ぶだろうな。でもあれだけ性格良くて仕事もできるのに、ずっと独身で恋人も全然いないんだって。何でだろうね」
橋本さんにかかれば、社内一とも言える出世頭でさえ、ほっとけない親戚の子どものような扱いだ。
わたしは佐藤さんが誰かと話しているところを見たことはあっても、わたし自身が佐藤さんと直接話したことというのは殆どないので、曖昧に返事をするしかなかった。橋本さんも特にこの話題にこだわるつもりはなかったのか、佐藤さんの恋愛事情がそれ以上掘り下げられることはなかった。
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