番外編:本気しか知らなかった熱血教師

「さすがに強いわねえ。全然歯が立たないわ」

(っぶねー。つーかこの奥様集団レベル高過ぎなんだって!)

 鶴来家の奥様相手に必死の応戦で勝利した石山百合はげんなりしていた。一応最近現役を引退したばかりの手前、十年二十年前に現役を退いた相手に負けるわけにはいかないが、如何せんどいつもこいつも普通に強い。

 と言うか、会う度にレベルが上がっている。

(この会合のせいよね。そりゃあ上手くもなるかって話)

 その中で最もレベルが跳ね上がっているのは――

「あれま⁉」

 剛球一閃、明菱高校の教師であり未経験の卓球部顧問、黒峰響子である。元々ボディコントロールはぴか一であったが、さすがにこの歳で未経験はなかなか難しいものがあった。実際、球出し以外はフィジカルトレ担当として現在は部に関わる。

 ただ、そんな中でもこの奥様連合の井戸端会議的卓球に参加し続け、全員が選手として上のステージを目指せた怪物ばかり、しかも卓球自体全員異なる戦型であり、やたら経験値も積みやすい環境。

 その奥様連合すらこの会合を繰り返すことで錆落としを続け、しかも全員もれなく負けず嫌いなので最新型の勉強までしてくる始末。

 魔境にてコソ練を続けた黒峰は彼女らを相手にきちんと試合が成立するレベルに到達していた。もう少し若ければ選手を目指せたかもしれない。

 異なるジャンルとは言え元全一はやっぱモノが違う、とは石山の弁。

「黒峰先生も上手になったわねえ」

「恐縮です」

「最近は普通に生徒相手に試合やってもらってますよ」

「さすが黒峰先生!」

「恐縮です」

 紅子谷花音と同様に男子顔負けのパワードライブを打てるので、これがまた貴重な練習台となってくれている。

「ところで湊君、最近絶好調じゃない?」

「そうなのよぉ。おかげでなかなか家に帰ってこなくて寂しくて」

「でも、この前崇君が顔を出しに来たんでしょ?」

「うっふっふ、そうなのよぉ」

 不知火母、嬉しそうに相好を崩す。色々あって離れることになったが、別に夫婦仲が悪くなったわけではなく、今も何のかんのと仲良しな模様。

 これに関しては星宮母も満面の笑み。

「それもこれも全部、黒峰先生のおかげです」

「……私ですか?」

 突然話を振られて驚く黒峰。

「だって、あの子を強制的に卓球部に入れてくれたんでしょう? しかも他の子たちと一緒に……それが無かったら本当に、あの子はどうなっていたか」

 卓球を捨てた息子の、死んだ魚のような眼を思い出す度に怖気が走る。あの頃はずっと不安だった。でも、母として何かをしてあげることも出来なかった。

 ただ、卓球から、父から遠ざけるぐらいしか。

「……いえ、私は、感謝されるようなことは何もしていません」

「え~」

「本当に、上手くいったのはたまたまで、むしろ――」

 黒峰は思い浮かべる。

 魚の死んだような眼の三人、自分が担任になったからには何かをしてあげたい、そう思いながらも、心の片隅には傷跡が残っていた。

 自分の熱意が、全てを壊してしまった時の記憶を。

 彼らと出会う前、同じ加賀方面の別の学校に赴任して少しした頃、自分の実績を聞きつけ空手道部の生徒が教えてほしいと頭を下げに来た。

 どうしても、一度でも勝ってみたい。空手の世界は幼い頃から護身などの理由から習っている子が多く、どうしても後発の子には難しい世界である。なかなか試合に勝てないのも仕方がない。ほぼ未経験の子ばかりだったから。

 黒峰は自分に頭を下げに来た。その行動に胸を撃たれ、彼女たちに教えることを了承した。ただ、この時黒峰は彼女たちの願いを受け止め間違っていた。

 彼女たちはただ、一度か二度勝ってみたい、それだけだったのだ。

 でも、黒峰は日本一を目指す練習を課した。丁寧に、細かく、厳しく、何よりも放課後はもちろん、早朝の朝練も行い時間を割かせた。

 勝ち上るためには当然のこと。食事メニューなども提出させ、家庭の食卓にも改善の要望を出し、実家の使用していなかった道場を改装し、簡易的なジムとして彼女たちにフィジカルトレーニングも課した。

 勝ち上るために――

 だけど、当然そんなもの破綻する。だってそこには誰一人、日本一を目指したいと思っていた者はいなかったから。

 熱意は空回りし、彼女たちは一人二人と退部届を出し、最後の一人には、

『ついて行けなくて、ごめんなさい』

 涙を流させ、頭を下げさせてしまった。全部悪いのは自分だったのに、本気で取り組むこと、イコール日本一を目指す。自分がそうだったから、彼女たちに押し付けてパンクさせた。自分の未熟が彼女たちの夢すら破壊した。

 どの先生に聞いてもやり過ぎだと言われた。

 そもそも普段の授業からして真正面から向き合い過ぎている、どうせ持ち上がりでもない限り一年で入れ替わるものなのだから、もっと肩の力を抜いて流すやり方を覚えないと誰にとっても不幸になる、とアドバイスも受けた。

 彼女の本気は大半の生徒にとって不評で、あの時の自分は今よりもずっと頑なだったこともあり、同僚の先生、教え子である生徒、全員から嫌われていた。

 その頃には情熱も擦り切れ、さりとて本気しか知らぬ教師は浮いた存在となった。学校を移っても、それは変わらない。

 相変わらず授業はともかく他が厳し過ぎると大不評。でも、部活動に関しては関わらぬように努めた。とは言え全くタッチしないのは角が立つため、たまに顔を出すだけの弱小卓球部の顧問を引き受けた。

 湊らが入学する一年前、神崎沙紀がお仲間を引き連れて入部してきた時、喜ぶ佐村光をよそに黒峰は危惧していた。

 発言と本気度があまりに乖離していたから。

 そのズレは総体であらわになり、現実を知らずに大口を叩いた神崎は部を去り、お仲間もそれに続いて退部していった。空中分解した卓球部、たった一人残った佐村光。一人、黙々と練習する姿は悲壮感しかなかった。

 たまに上から覗いていると、こっそりと神崎沙紀が様子を見に来て、友人の姿に心を痛めている様子であった。ただ、当時の彼女は弱かった。

 負けに耐えられず、眼を逸らし、逃げ続ける。そもそも基礎学力に大きな乖離がある中、この明菱を受験した時点で彼女の弱さは透けていた。

 どうしようもない。

 何よりも――

『――ごめんなさい』

 生徒に頭を下げさせた自分に何が出来ると言うのか。

 失敗がトラウマとなり、何も出来なかった、何もしなかった負い目。

 自分が何かをする気はなかった。すべきでないとすら思っていた。

 でも、あまりにも佐村光が不憫で、それに自分が受け持った三人も手の施しようがないほど、腐った目をしていた。

 だから――全部まとめて放り込んでみた。

 佐村光への負い目、灰汁の強い三人をひとところに集めることで、何か化学反応が起きるのではないか、という淡い期待。

 正直、半分以上やけくそに近かった。

 上手くいったのはたまたま。

 自分と同じ頂点を目指すことしか知らない子。

 頂点を目指したいのに其処への道が見えなかった子。

 才能を持ち過ぎて本気を許されなかった子。

 そしてただ、仲間と一緒に部活動をしてみたかった、そういう子。

 驚いた。自分で仕組んでおきながら、こんなに上手くいくとは思っていなかった。それならついでに放り込んじゃえ、と別種の難物神崎沙紀も放り込み、それがまたさらに上手くいった。彼女は臆病であったが、当時の湊はその臆病を許さなかった。その頑なさが、無理やり引っ張る強さが、彼女をも変えた。

 奇跡を見ているみたいだった。

 黒峰響子の視点でも本気で取り組む卓球部を見て、あの熱量を見て、何よりも偶然であっても、自分の試みが上手くいったことが嬉しかった。

 あの時と同じ轍は踏まない。

 だけど、本気を求める子がいるのなら、それを与えるのは自分の役割なのかもしれない。だから、トラウマを越え、もう一度出来ることを手伝うことにした。

 救われたのは自分だった。

 そして不知火湊の成長、彼の変化は自分に気づきもくれた。最新型の湊はその人に合わせた指導ができるようになりたい、と言っていた。

 本当に、そうだと思う。

 生徒に自分は教わった。だから今は、そうするよう努めている。


「――感謝をするのは私の方なのです」


 黒峰響子は苦笑しながら、嬉しそうに教え子たちへの感謝を述べる。

「出来た先生よねえ」

「明進もコーチは出来た人なのに、先生がパッとしなくて」

「龍星館もスポ薦だと勉強は適当で――」

 謙遜と捉える奥様連合の皆さま。

 ただ、

「ちょっと、気持ちわかりますよ、せんせ」

「ふふ、全国制覇に導いた名将石山コーチに共感していただけるとは」

「ちょ、弄らないでくださいよ」

 あの奇跡を体感した者なら、少しは共感も得られたようで。本当に全部が、気持ちいいくらい上手くいったのだ。

 あんな奇跡を体験できたのだ。もう一度信じてみてもいいのかもしれない。もちろん相手を見ながら、それでも求める者には本気で向き合う。

 そういう教育者として、今後とも生きていきたいと。

 今は心からそう思う。

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