番外編:卓球大好き那由多ちゃん

 古豪スウェーデン。

 ここ最近王者から遠ざかっているが、かつて世界王者を輩出したり、団体で中国を破るなどの輝かしい時代もあった。現在でも中国勢を破ったり、多くの名選手を輩出した卓球強豪国であることに間違いはない。

 ただ、卓球人口が多いかと言えばそうでもない。

 欧州では強豪国である分、少し盛んな程度か。

 古豪スウェーデンの卓球システムは欧州でよくある地域に根差したクラブチームが中心であり、少し身近と言えば身近かもしれない。

 星宮那由多は幼少期を其処で過ごした。

 父親がこの国発祥の世界最大級の卓球用具メーカーに勤めており(元は其処がスポンサーの選手だった)、その流れで一時この国に住むことになっていた。

 休日は父や母に地元のクラブに連れて行ってもらい、其処で他の子どもたちと卓球をする生活。今も拙いが日常会話ぐらいは出来る、と思う。

 当時は活発であった、と両親は言うが娘には卓球の記憶しかない。実際、卓球を除くと近所の友達が一人二人、いたぐらいだと思う。

 それも国を離れたら連絡が途絶えてしまうぐらいの関係性。

 仕事の都合で日本に戻る、と聞いた時は戻る感覚は当然なかった。ただ、別に反発もしなかったと記憶している。

 その時は其処まで大層なことだと思っていなかったのだ。

 ただ、日本に来て、同世代と遊ぶとなった時、夢中になると言葉があっちに引っ張られてしまう。家庭で両親が日本語も使っていたので聞き馴染みはあるが、日常的にはあちらの言葉を使っていたため、上手く意思疎通ができない。

 ぽろりと零れる異国の言葉、それを聞き咎められて馬鹿にされたこともあった。仲間外れにもされてしまった。

 次第に幼い那由多は塞ぎ込み、口を閉ざすようになった。

 保育園にも行きたくない、と頑固一徹に拒絶する。

 しかも間の悪いことに、帰国早々父は勤め先の契約選手の練習パートナーが足りないから、ちょっくらその選手のサポートに行ってくれ、と社命を帯び海外へ。

 困り果てた母は幼馴染で、好敵手でもあったお隣さんに相談する。

「え!? 子どもがいるなら教えてよぉ。結婚式にも呼んでくれないしぃ」

「……旦那の元想い人を呼ぶ奴が何処にいるの?」

「何か言った?」

「いいえ何も、おほほほほ」

 母は誰にも言わないが、愛する夫を幼馴染の不知火さんには近づけぬよう鉄壁のディフェンスをしているほど、彼女を警戒しているのだ。

 未だに。

 なお、それなのにお隣さんなのは、シンプルに実家が其処に在ったから。不知火さんとはずっとお隣であり、どちらの家も結婚と同時に祖父母は別の場所に家を建て暮らしている(なおこちらもお隣さん)。

 まあそんな邪気は露知らず、同世代の子どもがいると知ったお隣さんの不知火(旧姓)、当時は佐伯さん家のお子さんを対面させることに。

 が、

「……」

「……」

 もじもじするちょびっとコミュ障の佐伯湊君。言葉を馬鹿にされてから頑として口を開かぬ星宮那由多ちゃん。当然の如く会話成立せず。

 母二人、あれこれ話を振るも無言。

 那由多ちゃんが放つ謎のプレッシャーのせいで湊君まで最後は下を向き、視線を合わせることすら出来なくなっていた。

 別に相手が気に食わないわけではない。

 ただ、話して馬鹿にされたら傷つく。仲間外れにされたら辛い。

 その苦い経験が、彼女を殻に籠らせる。

 初回の対面はこんな感じで、物の見事に暗礁に乗り上げてしまった。

 それを佐伯さん家の大黒柱に相談したら、

「卓球だな」

 期待に違わぬ珍回答を出してきた。まだ現役時代の崇くんである。

「あなた、卓球を万能薬か何かだと思ってない?」

「……?」

 違うのか、という表情の卓球馬鹿。世間一般に求道者として見られているのも、インタビューする暇があったら卓球の練習がしたい、ただそれだけの男。

 卓球で風邪は治る、とはこの男の迷言の一つ。

 ただ、

「どう?」

「……湊君ってその、佐伯さんが鍛えてたりする? うちの子、遊びの卓球しかさせたことなくて……大丈夫かしら?」

「あ、それなら大丈夫。遊びでもそんなにやってないし、鶴来さん家のお嬢さんにボコボコにされて泣いて帰ってきたレベルだから」

「……それなら」

 卓球で仲良し大作戦、それ自体はありだと母会議で議決された。

 後日、卓球場。

 家の中では年相応に明るい二人も、外出先では借りてきた猫より大人しい。将来が不安になる引っ込み思案ぶりである。

「湊」

「……」

「行きなさい」

 母の命令。しかし、湊君は首をぶるぶると横に振る。そもそも女の子はとある幼馴染のせいで怖い印象があるのだ。

 いつも顎で使われ、おっと、仲良くしているから――

「ガ○トのお子様ランチ」

「ッ⁉」

 が、母が一枚上手。買収作戦に出た。此処は資本主義の国ジャパン、財布を握る者、つまり母こそが最強なのだ。

「……」

 意を決し、臆病な湊君はラケットを握りしめ、那由多ちゃんの方へ行く。ちなみにこの時の湊君的には、卓球とは女の子に合法的に苛められるもの、という印象。

 大体鶴来さん家のお嬢様が悪い。

「……ん」

「誘い方が、下手くそ!」

 言葉を発することなくラケットを向ける湊君。そのあまりにも、あまりな誘い方に母は頭を抱えた。きっと将来、絶望的なまでに女の子にはモテないだろう。

 そう母は確信する。

「……」

 ラケットを向けられた那由多ちゃんは迷っていた。別に友達が欲しくないわけではない。むしろ、欲しい。スウェーデンに帰りたいと思う程度には。

 でも、変な風に見られて馬鹿にされたくはない。

 仲間外れにされたくは、ない。

「那由多、ただ卓球するだけだから、ね」

「……ん」

 最後は母の一押し、頑なな少女はとうとう立ち上がる。同世代の男子、背はほとんど同じくらい。あっちの男の子に比べ、どうにもパッとしない印象。

 コミュニケーションに難のある二人が台を挟み、向き合う。

 最初はどちらからサーブをしただろうか。

 よく覚えていない。

 でも、次第にわかってきた。丁度、同じくらいの実力だと言うことが。遊びの卓球、それが噛み合う。

 最初に笑顔を浮かべたのは湊君であった。

 卓球と言えば幼馴染に苛められるもの、あまり楽しくないと思っていたのに、こうして実力の近しい相手と、それこそコミュニケーションのような卓球をするのは初めてのことであったから。素直に楽しいと思えた。

 それが顔に出ていた。

 何よりも、

「……」

 楽しい気持ちが卓球にも表れる。

 それが、那由多ちゃんにも伝わった。日本では初めての卓球、あっちでは当たり前のようにやっていた、自分の遊びが通じた。

 言葉を交わす必要もない。

「……」

 台を挟みボール一つ、それをラケットで打ち合い、交換する。

 それは言語の壁を越えて、

「「あはははは」」

 二人の間にあった壁をぶっ壊してくれた。

「今後ともよろしくね、お隣さん」

「ええ、ありがとうね、舞ちゃん」

 日本に来てようやく見せてくれた娘の笑顔に涙ぐむ母。

「今度はつるちゃんや一誠君も呼んで久しぶりに卓球会やりましょ!」

「それはない」

 涙ぐんでいたはずなのに、その眼からは涙はすっと消える。

「え?」

「夫は不参加でお願いします」

 天然で卓球男子を篭絡していくこの女を、自分の愛する夫には絶対に近づけさせない。この女の天真爛漫な笑顔とプレーに、どれだけの被害者がいると思っているのか。幼馴染ゆえに知る、死屍累々の地獄を。

 そんなことは露知らず、

「あー、まけたー」

「かち」

「もういっかい!」

「ん」

 子どもたちは最初のわだかまりなどどこ吹く風、楽しそうに卓球に興じていた。湊君にとっても卓球が楽しいものと思えた契機であるが――

「いひひ」

 星宮那由多にとってこの日は、今も明確に思い出せる自分にとって大きな、それこそ人生最大の経験であった、と思っている。

 お隣さん、佐伯湊との出会い。

 そして、言語を必要としない、コミュニケーションとしての卓球。自分の怖れを、苦しさを、卓球が壊してくれた。

 欲しかった友達もくれた。

 だから、

「あ、ま、また」

「たのしかったー! またやろうね!」

「……ん」

 彼女にとってそれが人生で一番、嬉しかった記憶として残っている。

 それからはお隣さん、卓球大好き那由多ちゃんは隙あらば卓球をやろう、と誘いまくることになり、湊君も楽しかったのでお付き合いすることに。

 其処に、

「はーっはっはっは! ぼんぷども!」

 鶴来さん家のお嬢様が攻め込み、二人をボコボコにしたり、

「は、はじめ、まして、ひめじ、みき、です」

「……ちょーかわいい」

「おい」

 姫路さん家のお嬢様が参戦し、鼻の下を伸ばした湊君に理不尽な鉄拳制裁及び卓球による私刑が行われ、仇を討とうとした那由多ちゃん諸共粉砕された。

 そんな日々が、星宮那由多にとっての『卓球』である。


     ○


「また海外で勝ってやがる。すっかり怪物じみちゃって……嫌んなるわね、ほんと」

「私もこの前優勝した」

「ケェ! 全部小春が悪いのよね。調子づかせちゃって」

「うん、あの試合から絶好調。負けたけど」

 珍しく帰りが一緒になったので、那由多と美里の二人は自転車で並走していた。自転車で走行中、何故海外で暴れ回るイケイケ湊の結果がわかったのか。

 これは法的な問題が絡むためぼかします。

「……ところでさ」

「ん?」

「この前、姫路に宣戦布告したじゃん?」

「うん」

「本気なの?」

「うん。ひめちゃんが不調なのはかわいそう。卓球の調子が上がらないのは、状況から察するに湊のせいだと判断した。そして結果は良好」

「合ってるっちゃ合ってるけど、間違ってるっちゃ間違ってんのよね」

 ただ、あの宣戦布告以降、姫路美姫の戦績がえげつないことになっているのは事実。那由多はよかったよかった、と喜び、美里は見事にその被害を受けて大会で一発喰らい発狂したのもつい最近のこと。

 馬鹿みたいに層の厚いこの県を勝ち上がるのは難しく、ようやく上がって一気に駆け上がる、と思ったら魔王と化した姫路が手ぐすね引いて待っていた。

「あの後、アホたれから連絡来た?」

「うん。なんてことしてくれたんだ、って来た」

「でしょうね。で、なんて返したの?」

「よくわかんないから卓球のスタンプ貼った」

「……おぅ」

 那由多の理解不能の返信を前に、卓球馬鹿相手に言葉でのやり取りを諦め、悟りの境地に至った不知火湊の姿がありありと浮かぶ。

「実際さ、姫路と湊が付き合ってるのどう思ってるの?」

「いいこと。二人とも私、仲良しだから」

「……眼、キラキラして言うことかいな」

 卓球は言葉を越える。無事、佐伯崇と同じく卓球を万能薬だと理解してしまった悲しき卓球マシーンは今日もズレた、浮世離れした雰囲気をまとう。

「くっそー、このままじゃ姫路が勝ち逃げしちまう」

「……まさか美里も?」

「ん、いや、そういう機会はあったけどさ、結局お互い噛み合わないのよね、その辺。私、二兎追えるほど器用でも、強くもないしね」

「二兎?」

「あのアホと卓球なら、私は卓球を取るってこと」

「おー……美里は立派」

「ったく、誰のせいだと思ってんのよ」

「……?」

 人間、色々あるのだなぁ、と那由多はしみじみ思う。

「でもさ、姫路と結婚したらあのアホとお隣さんじゃなくなるけど、その辺は……まあ、卓球続けてたら会えるしあんまり関係ないかぁ……え?」

 美里の言葉に突然、自転車に乗りながらぶるぶると震え出す那由多。そのあまりにも無機質なバイブレーションっぷりに美里はぎょっとする。

「ど、どしたん?」

「な、なぜ?」

「え?」

「なんで、湊が、お隣さんじゃ、なくなる?」

「いや、そりゃあ、あそこにはおばさん住んでいるだろうし、二世帯で住む選択取らなかったら、別のところに住むでしょ。つかあの二人のライフスタイルだと賃貸の方が効率的だろうし……あの、大丈夫? 震え過ぎじゃない?」

 あまりにも振動が過ぎ、さすがに自転車を止める美里。一応これでも言葉を選び、宣戦布告した相手の隣にあの頭恋愛脳の姫路が片時でも住まわせる選択など取らない、取るわけがない、と言う事実はあまりに酷なので飲み込む。

 那由多も止まる。自転車は。

「か、考えたこともなかった」

「……」

「どうしよう美里。凄く嫌な気持ちになっている」

 どうやら那由多の中では、誰と結婚しようがずっとお隣さんであることは確定していた模様。とことんズレている。

「こんな気分は、去年の総体のトーナメント表を見た時以来」

「……そっかぁ」

「解決策が、ほしい」

「姫路から奪うしかないわね」

「……それしかない?」

「ない」

「卓球で勝てば?」

「ノー。其処は男女の戦いでしょ」

「……?」

 それ、どうやるの、と首を傾げる那由多ちゃん。どうやら恋愛的な思考は幼少期から微塵も進歩していない様子。卓球を万能薬と思っていたツケが来た。

「頑張れ、那由多」

「あうあうあああああ」

 しめしめ、とほくそ笑む美里。恋愛面が荒れ、メンタルがブレイクすると強くなるところは困るが、それはそれとして幸せいっぱいの姫路美姫は嫌。

 鶴来美里の複雑な乙女心があるのだ。

 同じ負けでも、負けても許せる相手と負けたくない相手がいるのだ。残念ながら姫路美姫は彼女にとって後者であった。

 女の戦いは人知れず加速する。

 なお、

「へっくち……ふっ、勝ったから誰か僕の噂をしてるな」

「そりゃあするっしょ。今一番ホットなニュースなんすから」

「……忘れていたんだから思い出させないでよ、黒崎さん」

 不知火湊はまたしても何も知らない。

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