番外編:何者でもなかった少女と何にでも成れたガイジン

 愛知のとある大学前にて、

「あ?」

「む」

 紅子谷花音と香月小春が鉢合わせした。元々それなりに仲良くなった二人であったが、先日とある大会で見事勝ち上がった二人は同門対決となった。

 その結果、

「がるる」

「睨むなって面倒くせえ」

 若干ギクシャクしてしまっていたのだ。

 十割勝てる気だった油断と慢心マシマシの小春が全力全開の、相手をぶっ潰す気迫と共に鬼攻めを続けた花音に敗れたのが原因である。

「あれに勝ってたら小春がジュニアの代表入りしてたもん」

「しねーって。もう二年の末だぞ、あたしら。年齢制限考えろよ」

「いーだ!」

 小春ロジックではあそこで勝っていたらバラ色の覇道が待っていたらしい。一応コーチの石山に確認したが「あるわけねーだろ」と一蹴された。

 なんて理屈、彼女には関係がない。

「此処じゃ負けないから」

「あたしも負ける気はねえよ」

「ふん」

「ったく」

 本日は特待生のオファーを受けた卓球激戦区愛知の名門にお邪魔する二人。とりあえず練習参加してほしい、との先方からの熱いお願いあってのこと。

 こういうのに詳しいコーチの百合ちゃんは、

『まだ値段上げる気あるならとりあえず練習だけ参加して、進路はお茶濁しときなさいよ。大学経由は安定だけど、誰にとっても正解とは限らんからね』

 昼間からこっそり持ち込んだ酒を飲みながら教えてくれた。

『んま、大学はレベル高いわよぉ。薔薇のキャンパスライフをぶん投げて、全振りする連中、多くが上を目指している最終関門。一般企業に就職するか、その道で飯を食うか、それを占う最後にして最大の難関だから』

 その後、悪の気配を察知した黒峰によって処断されたのは言うまでもない。


     ○


「小春ちゃんかわいー!」

「むぐ」

 小中、とこれまで学園で一番ずっと背が小さく、その上私服が両親の趣味で可愛い系で統一されていたため、周囲からはいつも小動物扱いであった。

 中学三年の香月小春もまた、

「小春は私らの癒しだなぁ」

「もがー」

 ほっぺを弄られながら、玩ばれながら、彼女はぼーっと空を眺める。

 別に悪い気分ではない。とっくの昔にこの扱いに慣れたこともあるし、特に行動を起こさなくてもこうして遊ばれ、暇な時間は無くなる。

 なら、別にどうでもいいか、と彼女は思うのだ。

「……」

 どうでもいい。

 この頃の彼女はずっと、そう思っていた。自分の進路も、人生そのものも。


     ○


 香月小春は比較的裕福な家に生まれ、何不自由なく育った。やりたいと言った習い事は何でもやらせてくれたし、駄目とかやるなと言われたこともなかった。

 でも、

「……むぅ」

「小春ちゃん?」

 小春はどんな習い事も長続きしなかった。初めは物凄い勢いで頑張るのだ。ピアノの先生など彼女は努力の天才、あそこまで鍵盤に向き合えるのは才能です、と太鼓判まで押してくれた。たぶん、一番続いた習い事がピアノだった。

 実は小さな賞も取っている。

 でも、ある程度レベルが上がり、上が見えてくると努力の天才は、すぐにその努力を放棄した。先生や親にはやる気がなくなった、それだけ言った。

 だけど本当の理由は違う。

 この分野じゃ勝てない。そう感じたのだ。今までの習い事の中で、比較的しっくり来た方であった。なので頑張ってみた。

 けど、其処には天井がある。大きくて、とても越えられないようなものが。頑張ればこの先に道はあるのか、そうは思えなかった。

 ゆえに投げ出した。

 実は彼女、努力が成果に結びつきやすい勉強も得意だった。小中、途中までずっと学年一位、不思議ちゃんで頭がいい、それが香月小春であった。

「わたし、あなたに絶対勝つから!」

 ずっと二番手の女の子にライバル宣言をされたこともある。

 が、これも途中からあまり熱を入れなくなった。その理由は全国模試とやらを受けてみた時、附属中学などのガチ勢も参加していたこと。

 彼らが放つ熱量、それは小春になかったものであった。

 だから、

「明菱って、どういうこと!?」

「近いから」

「ふざ、けるな! せめて小松でしょ、こっちの人間なら」

「……ちょっとだけ遠いし」

「香月!」

 勉強も適当になった。ライバル宣言をされた相手にも最後の方は抜かれてしまった。それに対して、何の感情も抱けなかった。

 ただただ、何者でもない自分。

 ある日、適当に散策しているととんでもなく大きな女の子を見た。最初は煙草に見えたが、よく見たらキャンディーを咥えているだけ。でも、今時どこで買ったのかわからないスカジャンを着て、ずんずん練り歩く姿はヤンキーそのもの。

 女子とは思えない体格。

 会話はない。互いにすれ違っただけ。多分明日には忘れている。

 だけど、

(いいなぁ)

 香月小春はそう思った。あの体格があったらきっと、自分は何者かになれた気がする。いつも足を引っ張るバスケでも、バレーでも、凄く活躍できる。

 きっと、一番にも成れる。

(……小春には、何もないから)

 胸がずきんと痛んだ。でも、小春にはどうすることも出来ない。

 だって、今の彼女には何もないから――ずっと何かに成りたかった。何かが欲しかった。それが何かわからずに、あっちへこっちへ彷徨って、結局何処へも辿り着かなかった。あのままピアノを続けていたらどうなっていただろうか。

 たぶん、何者でもなかった。

 ただ頑張って、ただ続けた人。其処止まり。それで終わり。

 自己満足が終着点。

 それでは――

「……意味、ない」

 ゆえに彼女は今日もふらふらと、あてどなく彷徨う。


     ○


「花音!」

「おう」

 ボールを貰って輪っかの中に入れる。ミニバスのリングは背が低くて、紅子谷花音は大して本気で跳ばずともダンクシュートが出来た。

 規格外の小学生。

 正式なメンバーではなく今日の試合の助っ人。その助っ人が大暴れできる、つまんない競技だな、と当時の彼女は思っていた。

 だけど、つまらないのはきっと彼女がそのステージしか知らなかったから。向上心を持ち、少しの忍耐があればきっと、どの競技にだって彼女が楽しめるステージが、環境があったはず。

 でも、彼女には――

「ガイジンとかヒキョウじゃん」

「あ!?」

 その、少しの忍耐がなかった。そもそも耐え忍ぶ意味がわからなかった。確かに両親のことなんてわからない。物心ついた時には施設で、紅子谷家の養子になってからも本当の両親とやらは影も形もなかった。

 異国の血が入っているのは見ての通り。日本人の血が入っているのかも怪しい。

 だけど、言語は日本語しか話せない。

 日本のことしか知らない。

 今はもう、紅子谷家のあるこの辺のことしか知らない。

 なのになんで外人呼ばわりされなきゃいけないのか。日本は黄色人種しか住んじゃいけないのか。だったら教えてほしい。

「紅子谷!」

「先に、こいつが、ガイジンって言った!」

「我慢しなさい! 先に手を出した方の負けだ!」

 自分は何処へ行けばいいのか。何処に居場所があると言うのか。

「意味、わかんねえ!」

 なぜ自分だけが我慢を求められなきゃいけないのか。

 その叫びは、誰にも届かない。家族だけは受け止めてくれたけど、逆にそれが申し訳なかった。だって自分は貰われっ子だから。

 競技への参加は助っ人だけ。

 正式にメンバーになってほしい、そう言われたことはない。便利な戦力は欲しくても、ガイジンの仲間は要らないらしい。

 それが紅子谷花音の日常であった。


     ○


 小学校で懲りた。

 だけど、

「お願い! 大事な試合なの! 一回だけ!」

「……」

 中学へ上がりほとぼりが冷めた頃、あまりにもしつこい誘いに仕方なく受けた助っ人。中学では大人しくしていた。

 だからこそ誘われた。

 競技はサッカー、小学校時代何度か助っ人で参加したこともある。

 あの時は弱い相手で無双した。

 そして今回も、

「……」

 規格外のフィジカルを持つワントップ。ボディコンタクトのある競技で、その力はあまりにも強大過ぎた。ただロングボールを放り込み、高さで受けて頭で叩き込むだけ。あっという間のハットトリック、素人ながら――

(……学習してサイドケアしろよ)

 自分がいるのだから絞って中央を固めても仕方がないだろ、と思う。サイドを抉られた時点で、お願いクロスでも頭二つ分違えば楽々届いてしまう。

 うじゃうじゃと中央の自分を抑えようとしても仕方がない。

 だって、あまりにも軽くて、少しのコンタクトだけで好きに動けてしまうから。だから、適当なクロスでも上に出してくれたら合わせられる。

「すっご」

「紅子谷さん最強じゃん」

 チームメイトからも賞賛の嵐。ただ、対戦相手からはあの眼が、どんどん色濃くなっていき、それがプレーにも表れ始める。

 ようやくサイドに注力し、クロスを打たせない態勢を取ってきた。ならば中央、と味方がボールを中央へ蹴り出してくる。

 受けて、反転。

 やはり軽い、腕で間合いを作るだけで、簡単にスペースを作れてしまう。

 でも、

「きゃ」

 勢いよく倒れ込む相手。たいして力なんて入れていない、ただスペースを作るための動きなのに、大げさに倒れ込んだ相手の演技で、

「ピー!」

 笛が鳴る。

「……ぅぅ」

「大丈夫、痛くない?」

「だ、大丈夫」

(痛いわけねえだろうが。ちょっと腕で押しただけだぞ)

 自分は軽くコンタクトしただけで笛が鳴るのに、

「……っ」

 自分はどれだけ削られても鳴らない。

 足元へのスライディング。ボールへ行く振りだけした、明らかに足を狙ったもの。審判の方へ視線を送るが、笛を吹く気配すらない。

(そーかよ。なら――)

 削られても関係ない。削られながら、それでも力で押し通る。

「退けよ、小人ども」

「ひっ!?」

 足へのスライディングもものともせず、粗く来た相手を反転しながらぶっ飛ばし、全力で蹴り込んでやった。

(死ね)

 キーパーの真正面、その弾丸のようなシュートは弱小チームのキーパー、その反応速度を優に超え、顔面にぶち当たってボールはそのままゴールへ吸い込まれた。

(はは、ザマーミロ)

 笛が鳴る。

 審判が手に、イエローカードを掲げながら。ゴールも当然無効。ルールの範疇を超えて粗く来た相手に、粗くともルールの範疇で動いたはずの自分が咎められる。

 しかも、

「君、粗いプレーが多過ぎるよ! もっと相手へリスペクトを持って――」

 注意まで飛ぶ。

 どうやら悪いのは自分らしい。対戦相手はもちろん、助っ人を頼んできた味方も誰一人、自分を擁護してくれる者はいない。

 うずくまり、泣きじゃくるキーパーの少女。痛がる演技をしながら駆けより、こちらへ敵意を向けてくる相手。

「……もういいわ」

「こ、こら、君!」

「あ?」

 苛立ちの視線を向ける。それだけで大の大人が、怯えて慌てて懐から赤いカードを出してくるのだから、もう笑うしかない。

 別に今更期待していたわけじゃない。でも、此処まで酷ければ愛想もつく。

「べ、紅子谷」

「もう関わんなよ。あたしは、不公平を飲み込んでやるほど優しくねえ」

 クソみたいな経験。そのままバックレた。

 その上、休み明けに学校へ伝わって停学処分が下った。両親には謝罪だけして、言い訳は一つもしなかった。

 もはや、そんなやる気すら起きなかったから。

 停学明け、完全にモンスターを見る眼が出迎えてくれた。それなら、そちらの方が気楽である。もう、期待しないと決めたのだ。

 中卒で家を出る。それを家族に伝えたら泣かれて、怒涛の謝罪と説教の繰り返し、あまりにも混沌すぎて花音の方が折れた。

 高校だけは出る。それが家族との約束。どの学校でもよかった。

 家から負担なく通えて、つつがなく卒業できるところならどこでも――

 ある日、父親から貰った秘蔵のスカジャン(花音もお気に入り)を着て、適当にぶらついていた。すると、

「……」

 小さな女が目に入った。あの小人どもよりもさらに一回り小さい自分とは対極の姿かたち。自分には似合わない可愛らしい恰好をして、悩みなんて一つもないようなとぼけたツラをしている。きっと友人も沢山いるのだろう。

(気に食わねえ)

 すれ違っただけ。こうして歩きですれ違った以上、学区は違っても住んでいる場所は近いのだろう。とは言え、二度と会うことはない。

 だからどうでもいい。

 きっと、明日には忘れている。

 紅子谷花音もまた無気力に、ぶらぶらと彷徨う。


     ○


 其処から先はご存じの通り、

「何スカ?」

「裏庭への呼び出しです。やることは一つでしょう?」

 型破りの女帝、黒峰が力ずくで全部を押し通した。

「……は?」

「あなたが勝ったら自由、私が勝てば卓球部へ入りなさい。あ、ハンデで最初に十発、好きに殴って構いませんよ。どうします?」

「くだらねえ」

「逃げますか?」

「誰に口利いてんだ?」

「あなたに、です。紅子谷花音さん」

 ハンデを貰った決闘で、一発も拳も蹴りも当たらずに、遠間から牽制の拳が、蹴りが、物凄い速さと鋭さで押し寄せてくる。圧倒され、最後は中段への前蹴りで息を止められ、ほんの少しかがんだら後ろを取られてバックチョーク。

 力で外そうとしたが、巌の如し腕に触れて一瞬で諦めた。

 モノが違う、と。

「極まりましたが……続けますか?」

 死ぬか、と聞かれたような気がして即「参った!」、と言った。今まで会ったことのない人種、ガイジンの自分が手も足も出なかった。

 と言うか、殺されかけた。

「さて、もう一人回収して見学に行きますか」

「……もう一人も、決闘すんのか?」

「必要ありません。きっと、見ればわかります」

「は?」

「生徒に適切な環境を与えるのも、教師の役目と言うわけです」

 本物は本物を知る。

 この女帝には最初からわかっていたのだ。自分の担当となる生徒の情報を毎年調べ尽くしているから。学力はもちろん健康状態やスポーツテストの成績、停学の理由など。調べられる情報は全部手に入れる。そして、心の底でそれを望む者に与える。

 特に、難解そうな子は深く調べる。

 香月小春、紅子谷花音、そして不知火湊。全員、ある意味問題児ばかり。

 卓球に詳しいわけではないが、競技の特性は少し調べればわかる。何者でもない者、何にでも成れた者、どちらのニーズも満たす競技である。そして明菱にはそもそも、卓球部自体に問題がある。負い目もある。

 全てが噛み合った時、一石何鳥であろうか。

 まあ、其処まで上手くはいかないだろう。それでも、少しでも彼らの抱える問題が解消されたら、と願いながら彼女は放り込んでみた。

 結果はまあ、皆の知る通り、である。


     ○


「大学生つえー」

「小春は勝っちゃったもんね~」

「……うっせえチワワ」

「やーい負け犬ぅ」

 石山百合の言う通り、名門大学は高校とはまた別種の厚みがあった。本当に強い選手しかいないのだ。これが学問でも名門であったなら、就活を有利にするための選手もいただろうが、生憎此処は偏差値自体大したことがない。

 本気で先を目指す者しか、いない。人生を賭して。

「楽しいな」

 こぼれ出る本音。

「ハァ? 負けたらそういうの言っちゃ駄目だって、百合ちゃんいつも言ってんじゃん。いい加減学習しなよ」

「わーってるって」

 それでも笑みがこぼれ出るのを止められない。

「小春は全部に勝つよ」

「じゃ、あたしはそのチワワを潰すかな」

「……花音ちゃんきらーい」

「はは、あたしも嫌いだよ。昔からな」

「ぶー」

 休憩終わり、二人は同時に立ち上がって練習へ向かう。小人と巨人、何者でもなかった少女と何者にでも成れたガイジンが肩を並べて歩く。

 目指す先は同じ。

 一生賭しても届かないかもしれない、あの背中である。

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