番外編:笑顔と共に

 周雪は趙欣怡と同じ学校に通っていた。卓球学校、有望な若者が集められ、鎬を削る地獄である。そう、成績を落とせば、見込みがなくなれば、すぐに故郷へ帰される地獄。寝ても覚めても星勘定のことばかり考えているものばかり。

 負けられない。

 勝たねばならない。

 一軍に辿り着かねば意味がない。

 実家が富裕層ならば敗れて帰っても、温かく迎えてくれる場所がある。趙欣怡はそちら側の人間、卓球界にとってもサラブレッドで、実家も裕福な鼻持ちならないお嬢様。存在が大嫌いだった。

 それに、

「相変わらず、ヌリィ眼してんなァ、おいィ!」

 甘ったるい眼。帰る場所などない自分たちとは違う。負けが込んでも追い込まれた風、負けたら死ぬ、そういう気迫がない。

 家族を、一族を背負っていないから。

 今、周雪は家族のみならず、多くの親戚の分も稼いでいる。それだけの命を背負っている。学生時代から、その期待を受けて戦ってきた。

 相手を殺すつもりで勝ってきた。

 相手に殺されるかもしれないと怯えて戦ってきた。

 成功を祈る家族、そのために幼い頃はサポートも受けてきた。貧しい兄妹の中で、ほぼ周雪に全振り。稼げる可能性を持つ、稀有な才があったから。

 期待は呪いである。

 中国は豊かになり、富裕層も随分と増えてきたが、それでも格差の底より這い上がってきた獣の牙は、未だ鋭く、深く残る。

 気迫。

 殺意。

 負の情念が一球に重く、乗る。

「……ッ」

 趙欣怡はこの感覚を怖いと思っていた。こういう気配を持つ選手に対し、昔から弱かった。今も、肌にひりつく感覚が叫ぶ。

 怖い。逃げろ、と。

 卓球はメンタルのスポーツ、対峙しただけで崩れたのでは勝負にもならない。

 案の定、最初の一本は取られた。

 明らかに気圧され、力を出し切ることすら出来なかった印象。その様子を見て、変わらぬ弱さを見て、自分たちの練習に戻る者もいた。

 人は容易く変わらない。

 どれだけ技術を武装しようとも、中身が弱ければ何の意味もないのだ。

「……シンシン」

 友人はぐっと唇を噛む。応援してあげたい。

 でも、弱き者が此処に立つべきではない、と言うこともまた真理である。世界最大の競技人口、そのトップ層。其処に至るまでどれだけ多くの躯を踏みしめてきたか、相手をぶっ殺してでも這い上がる。

 情に意味はない。此処は、強さだけが意味を持つ場所であるから。

「監督、やはり妹に見込みは」

「俺には確認に見えたがな」

「え?」

 一球でわかることもある。

 しかし、

「……やっぱり、強い」

 それだけでは見えぬこともある。あの頃受けた飲み込まれる感じがあった。怖い、強い、勝てない、自分にはない、持たざる者の牙。

 それが突き立つ痛みを感じ、趙欣怡は大きく深呼吸をする。

 今、無性にスマホが見たい。

 大事な大事な、『お友達』の顔が見たい。

 でも、それじゃ意味がない。台を挟み、自分は卓球をしているのだ。

 自分が卓球をしているのだ。

「だけど、少しだけ……勇気をください」

 趙欣怡のサーブ、二本目のそれは、

「……あっ」

 ズドン、と相手をぶち抜くバズーカサーブであった。奇襲も奇襲、周雪が今の自分を調べているわけもないが、調べていればなお驚いたはず。

 実戦初投入。

 あの日、彼のそれを見てからずっと練習してきたのだ。

「……小賢しいィ」

 その程度で揺らぐ相手じゃない。大事なのは、自分を取り戻すこと。この国で、自分が逃げた死線で、それでもなお趙欣怡であれるか。

 それをこの一球に問うた。

 結果は――

「よし(好)!」

 彼女の貌を見ればわかる。

「……不知火湊」

 監督がぽつりとこぼす。あの王虎が認めた新星。自分の教え子も彼に敗れた。何故か、其の名が浮かんだのだ。

 技術的に、卓球的に、似ているわけではない。

 ただ、その笑顔が少し重なった。

 あの不敵な、悪戯っぽい笑み。どうしてもシリアスになるしかない中国卓球界には滅多に見られない、そういう気配が――

「おー、やってるなァ。っておい、何してんだ、趙石(チャオ・シー)」

「うげ、王大兄」

「俺のセリフだぞォ」

 お忍びで観戦に来た王虎、同じくお忍びで観戦していた兄趙石は気まずい表情をしていた。だって、どっちも合同練習をサボったから。

「周雪か。くく、富者対貧者、面白い組み合わせじゃないか」

「笑い事ですか。シンシンは苦手なんですよ。ああいう、品のないタイプは」

「……俺もどっちかと言えば、そっち系なんだがなァ」

 愛する妹のためなら頑張っている女子にも毒を吐く毒兄。昔から変わらず、彼は妹命。妹にバレぬよう訪日すること幾たびか。

 たぶん、休暇の度に行っている。

「一発芸で流れが変わると思ったら大間違いだぞ、シンシン」

 一発芸に怯む選手ではない。それは趙石も知っている。

 しかし、彼は知らない。

「さてなァ、変わるんじゃないのか?」

「え?」

「自分が変われば、当然流れなんぞ変わるだろ。いくらでも」

 その一撃が持つ意味を。

 彼女が今、この屍を踏みしめる者たちが集う地で、

「スマイル」

 本当の意味で笑顔を取り戻したことを。

 三球目はラリーが続く。主導権を握るのは周雪、このまま一気に崩してやる。

 そう思ったところで、

「んッ!」

「は?」

 舐めているのか、と言うほど高く、大きな弧を描くループドライブが放たれた。高速ラリーの最中、虚を突く一打。

(また、小細工。しかも、緩んだ貌で、何処に立つ⁉)

 お綺麗な回転のドライブに腹立たしかったが、また小細工に逃げた浅はかさは万死に値する。怒りと共に周雪は牙を突き立てる。

 全力全開のドライブ。

 見せてやる、これが強いドライブだ、と。

 その重く、鋭く、速い一打は――

「ここ」

 趙欣怡らしからぬスピードドライブにて、弾き返される。少し前掛かりが過ぎて、後手に回る周雪。必死に拾ったそれを、

「しッ!」

 更なるスピードドライブで畳みかけ、抜き去る。

「……なるほど、少しはお勉強してきたわけだ。斜陽の二流国家で」

「よし!」

 相手の油断につけ込んだ連取。でも、通用はしている。戦えてはいる。それが彼女の笑顔をより強固にする。

「雑魚過ぎ。ロビングみたいなループ、どんだけ強打しても必殺にならないし。しかも、回転で芯外されてんじゃん。誰、あれ呼んだのぉ?」

 この場の最強、つまり中国女子最強の選手である王春(ワン・チュン)。自称、王虎の親戚である彼女はゴミを見る眼でこの戦いを見つめていた。

「またチュンが何か言ってますね」

「どうせ罵倒だ。ふはは、口が悪いからなァ、あいつは。だが、最強の看板は伊達じゃない。今ので気づいたぞ」

「……打ち方、ですね」

 男子のトップ層である二人も見抜く。

 趙欣怡の強みは回転である。幼少から染みついた感覚と共に放たれる打球は、それはもう極上の回転がかかっているのだ。

 常に最高。つまり、一本調子。

 そう、彼女の強みは回転で、弱みもまたその回転であった。

 先のループドライブは少し回転を落としていた。此処までの打ち合いで変わりなく一本調子と思わせて、あえて落とす。

 それが緩急となる。

 でも、重要なのは其処じゃない。

「粘着で、ハイテンションラバーの打ち方をした」

「正確にはハイテンションラバーの打ち方を混ぜた、だなァ。擦る基本は残しつつ、シートに食い込ませて回転をかけるやり方も盛り込んだ。結果――」

「打球速度が上がった。それも、粘着の回転を残したままで」

「意地、だな。くく、嫌いじゃないぞ、その頑固さはァ」

 中国で一般的なラバーと言えば粘着ラバーである。逆に他の国ではハイテンションラバーが主流で、良し悪しは横に置き回転のかけ方が異なる。

 粘着は擦り、ハイテンションは食い込ませる。

 より回転がかかるのが粘着、より打球に勢いがつくのがハイテンション。

 今、趙欣怡が扱っているのは粘着ラバーである。なので、基本はやはり彼女が幼い頃から体得した擦り上げる回転のかけ方であり、それが王道。

 だけど、

(なんだ、こいつ。回転が、気持ち悪い。回転は綺麗だ。腹が立つほどに。でも、打球速度が、他が、どんどん変わる。違う、こいつ、変わっていやがった!)

 打ち方はそれだけじゃない。

 日本で一度こだわりを捨て、色んなラバーを、ラケットを試した。ハンドソウやアンチラバーにまで行きついた時は監督や周りにやり過ぎだと笑われたが、それでも変化することに周りは何一つ文句を言わなかった。

 納得できるまでやってみろ。

 当然調子を落とした。勝てなくなった。

 でも、

「今は変わるべき時だ。前向きな変化は大歓迎、監督もそう言っている。それに君が勝てなくても、うちは周りが勝つよ。龍星館だからね」

 許してくれた。一軍から落ちたりもしたけど、それだって前向きな変化。帰れ、ともやめろ、とも言われなかった。

 むしろとことんやれ、と背中を押してくれた。

 指導者も。

 仲間たちも。

 最初は拒絶していた。変化し、歩み寄ってわかった。やっぱり中国とは違う。甘いのかもしれない。温いのかもしれない。全国有数の名門校、日本国内では熾烈な環境ですら、中国のシリアスな、殺気立った環境に比べると優しい。

 だから、

「カモンベイビー」

「くっ、舐めるな金持ちィ!」

 自分は成長できた。変わることができた。

 相手はさすがに強い。でも、星宮那由多よりも強いか。有栖川聖よりも駆け引きが上手いか。紅子谷花音ほどのフィジカルがあるか。香月小春ほどに速いか。

 答えは否。

 趙欣怡は笑みを深める。来てよかった。自分の卓球が通用したことよりも、自分が強いと思った仲間たちが、敵が、強かったことがわかったから。

 それが彼女の自信になる。

「……どうなっている?」

 誰もが驚愕した。上手い選手なのは知っている者も多い。強かった時もある。でも、もう落ちた選手。一度落ちた選手は二度と浮かび上がらない。

 それが熾烈極まる中国卓球界の常識。

 だって、選手を続けることすら出来ないから。見込みがないと判断された者は出戻りするしかない。何処よりも厳しい。ゆえに何処よりも強い。

(それが中国卓球界のネックにも繋がっている)

 監督は苦笑いを浮かべる。かつて、貧しかった中国にあって、そのやり方は正しかった。少なくとも結果を出した。国技となった。

 急速に卓球が根付いた。

 それは一気に強くなり、結果を残し、中国此処に在り、と世界に示せたから。しかし、中国が豊かになり、だんだんと雲行きが怪しくなってきた。

 強過ぎる。勝って当たり前。その結果人気に陰りが出始めた。その上、厳し過ぎる。競争が激化し過ぎている。と外野からも指摘され始めた。

 貧者のシリアスさが中国を覇国とした。

 それはきっと、かつてのサッカーにおけるブラジルのようなものであったか。

 だが、今の時代は貧者の成り上がりよりも、富者の英才教育が目立つようになってきた。そちらがどの分野でも結果を残し始めた。

 様々な意味で、中国卓球も変わるべき時が来ているのかもしれない。

 正しい、間違っているではなく、幅を持たせる。

 そういう意味でも、

(この『変化』、歓迎すべきなのだろうな)

 かつての中国が溢した才能、趙欣怡がこうして舞い戻ってきた事実を受け止める必要があるのだろう。

「はっはっは、バチバチだなァ」

「うう、頑張れ、シンシン。くぅ、変わってあげたいぃ」

「シンシンの日本行きで一番よかったのは、貴様から離れられたことだな」

「ふえ?」

 貧者の強さはある。富者にも強みはある。より良い環境を、より良い指導者を、より良く整備された道を歩み効率を追求できるのが富者の強み。荒れ野を征き、追い込まれて研ぎ澄まされる野性を持つは貧者の強み。

 どちらもあっていい。

 どちらも等しく、

「愛だなァ。ふはははは!」

 卓球という競技への愛に繋がるのだから。

「勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つゥ!」

 勝利への餓え、渇き、執念が迸る。

 重く、強い打球。

 そもそもシンプルに技量も高い。何万人もの躯の上で戦う戦士なのだ。全部強くて当たり前。その厚みを趙欣怡は改めて体感する。

 総合力なら当然、日本でもトップ争いが出来る。

 そういう選手が何十人といるのが、覇国たる由縁。

 かつて中国から来た選手が言った。日本の代表選手を指して、あの程度の選手なら中国には百人以上いる、と。当然日本では大バッシングを受けたのだが、競技人口から考えれば満更でたらめでもない。

 改めて知る。

(重い!)

 周雪の強さ。そして自分が苦手としたシリアスな気迫が生む重さを。勝負の際、今際の際、崖っぷちでこそその牙の鋭さは増す。

 手負いの獣、その怖さがある。

 口角が下がる。飲み込まれそうになる。

 だけど、趙欣怡はぶるぶると首を振る。思い浮かべるはあの一戦、WTTコンテンダーで不知火湊が中国の強豪選手を破った試合である。自分が強さの神髄だと思っていた、あの殺気を受け止め、笑顔でぶっ倒した。

 ユーモアがあった。胸が躍った。

 ああはなれないけれど、ああやって楽しむ選手には成りたい。

 真剣勝負の場で、

(まだ、笑うか!)

 笑顔であり続ける、そんな選手になる。

 あの背中を追う。そう決めた。

 卓球が大好きな、あの人の笑顔が大好きだから――

「「……っ」」

 友人が、そして最強が、眼を剥く。

 今まで意地でも崩さなかったフォーム。それが極上の回転の根である。それをあえて崩した。少し広めにスタンスを取り、ぷくっと頬を膨らませるぐらい息を吸い、腹圧を固め、軸を決める。腕の振りは鋭く、タッチは子どもの頃から得意。

 三本の矢。

 神風神速、日本最強、天津風貴翔を撃ち貫いた黄金の打球。

 それを趙欣怡もまた再現する。

 焦がれた背中に、笑顔で駆け寄る。

「足りぬ眼は……擦って合わせたかァ。見事だ、シンシン」

 持ち合わせぬ眼の才能。スイートポイントは見極められない。でも、タッチの感覚でわかる。そして、子どもの頃から使い続けたラバーだから、粘着だから、打つ瞬間に細かい調整も出来る。そして、再現した。

 必殺の一撃を。

 再現性はまだまだない。でも、今なら出来る気がした。今やらないと、一生出来ない気がした。感覚を信じて、突き進む。

「……嘘、私が、趙欣怡に、負けた?」

 崩れ落ちる周雪。積み上げてきたものが崩れ去った気分であろう。調子は悪くなかった。だけど、負けた。言い訳しようがない。

 この場から消えなければならない。

 自分は負けた。自分は死んだのだ。

 だから――

「やっぱり周雪は強かったです。またやりましょう。何度でも」

「……え?」

 そんなシリアスな空気を読まず、趙欣怡は敗れた相手に笑顔で手を差し伸べる。相手を蹴落とすだけ、そんな世界ではあり得ぬ光景。

 周雪の思考が固まる。

 今まで誰も手など差し伸べてくれなかった。差し伸べたこともなかったから。

「趙欣怡は日本の高等学校を卒業後、あっちの大学に入る。それまでの間、練習をさせてほしいと願い出てきた。つまり、彼女との勝ち負けで序列は変わらない」

「日本の、大学? え? なんで!? その実力があったらこっちでも!」

 周雪は理解できない、と手を払い食って掛かる。

 自分に勝った相手なのだ。

 それが何故、この国に堂々と戻らないのだ、と。

「日本も日本で結構凄い選手はいますよ。私もこの前、大会で負けて悔しい思いをしました。まだやり残したことが沢山あります。だから、日本なんです」

 お嬢様のわがまま。エゴを笑顔で貫く。

「……理解できない」

「なので話しましょう! 私もみんなと話して仲良くなりました。此処には少し、会話が足りないと思うんです。戦う時は本気でも、それ以外は笑ってもいい」

 勝ち負けはある。どの国にも、どんな場所にも。

 龍星館だってレギュラーは一握り、大半は悔しい思いをする。それでも笑顔で、手を握り合うのだ。真剣勝負で、殺し合った手で。

 そういう空気を知った。学んだ。

「楽しく、本気で……私を知ってください。周雪も、皆さんも」

 笑顔の宣戦布告。

「見ての通り、実力は申し分ない。そして、リーグ戦の相手に出したくない奥の手もあるだろう。それを試すいい相手でもある。存分に使え、双方とも」

 監督の言葉に選手たちもようやく彼女を招いた理由を理解した。実力があり、今は序列に含まれない選手。今はリーグに存在しない選手。

 だからこそ、

「じゃ、次はあたしィ」

「はは、いきなりですか。望むところです!」

 試せることもある。使える練習台、そう思え、と。そしてそれは趙欣怡にとっても望むところ。彼女も遊びに来たわけではない。

 お客様扱いされる気もない。

 経験を積みに来た。ならば、練習台ほどありがたい話もないだろう。

 そして真っ先に手を挙げたのは、

「また泣かせてあげる、シーンシン」

「ふふ、覚えていてくださったのですね。嬉しいです」

「……調子乗ってんねー」

 女子最強、王春。

 中国最強、最速の怪物と衝突する。


     ○


 趙欣怡の母は居間で、ナショナルチームへ提出した映像を見つめていた。娘が頭を下げて、伝手を使ってでも練習に参加したいと言った時は驚いた。日本の大学に進学を決めた時点で、トラウマの克服は出来なかったのだと思っていたから。しかも実力を示すための映像は負け試合を選んだ、何を考えているのかわからなかった。

 総体という小さなカテゴリーで日本四位、その結果を軽く見ていた。

 でも、

「苦しい試合ね。相手も驚くほどオールドスタイルだけど、強いわ。ふふ、それでも貴女は、そう、こういう試合を負けても笑えるようになったのね、シンシン」

 相手は想像よりもずっと強かった。

 そして娘もまた想像よりずっと強くなっていた。

 それが嬉しく、其処へ導けなかった親としての情けなさに、

「……」

 彼女は少し、涙する。

 何度見ても、最後の全力の虚勢、その笑顔は親の目に美しく映ったから。


     ○


「シンシン、強くなったねえ」

「そうでもないよ。今日は負けてばかりだったし」

「そりゃあまあ、相手が相手だもん」

「リンリンにも負けたし」

「ひひひ、当然当然」

 趙欣怡の友達、李鈴玉(リ・リンユー)は一緒に歩きながら大笑いする。あの一戦で認められた趙欣怡は上位陣の玩具になった。それはもう、ボッコボコのタコ殴りにされた。このリンリンもその一人である。

 超級に所属し、同い年ながら代表入りもかかっている同期の星。

 実は顔立ちも整い、お洒落で陽気な彼女だが、台を挟むと豹変し叫び散らしながら威圧してくる『狂犬』である。

 普段はこうして仲良しだが、実は趙が一番苦手としていたのが、何を隠そうかつての親友であった。今日もボコボコにされた。

 惜しい場面もあったけれど、やはり単純に実力不足。

 普通に二戦目は周雪に逆襲されたし、魔境の住人たちは修正力も高いのだ。

 ゆえに、得るものは多い。

「でも、勝つ気満々だったでしょ?」

「やるからには勝つもん」

「あはは、チュンのやつも面食らっていたね。負けてもさ、あの貌が出来るなら、シンシンはやっぱり強くなったんだよ。だから、もったいないなぁ」

「日本もいいですよ。相手も強いです」

「本当に? 少し前はともかく、今はあんまり強い印象ないなぁ」

「これから来ます。それに男子も強いです」

「あ、不知火湊でしょ」

「え、知っているんですか?」

「そりゃあこっちの選手が負けたらニュースになるよ。王大兄とも凄く良い勝負だったし、あの人は来るね、うん。絶対来る」

「でしょ!」

 不知火湊の話題になり、目を輝かせる友人の姿にリンリンは目をぱちくりする。こういう彼女はあまり見たことがなかったのだ。

 兄のこともあり、あまり男の子が得意ではなかったから。

「ちなみにチュンも凄くファンだよ」

「え~。やだ~」

「前の姓の時から追っかけなんだって。戦型も参考にしているし、何なら父親も凄い選手だったって言ってたよ」

「……古参じゃん」

「そそ」

「で、でも、私は直接やり取りしてるし!」

「え、マジ⁉ どんな?」

「ふ、普通のやり取りだけど」

「見せて見せて」

 友人の気迫に押され、しぶしぶスマホを見せるシンシン。勝負の場ではエゴくなったが、日常では色々と弱い。

「……え、ホーム画面、なにこれ」

「この前一緒に遊んだ時、王大兄に撮ってもらいました」

「……彼氏?」

「友達ですよ? 大切な」

「え、ええ?」

 ホーム画面にはツーショット。通話アプリの記録を追っても、日本語はわからないがスタンプの雰囲気などで、嫌でも察することが出来てしまう。

 と言うか、ホーム画面が強烈過ぎた。

「な、なんか冴えないね。卓球している時は、その、ちょっとよく見えたのに」

「私はそっちの方が好きですよ。とても優しくて、楽しくて、一緒にいると幸せな気分になれるんです」

「うわーお……こ、告白しちゃったら?」

 その一言で、

「駄目です。彼女さん、いるので」

 しゅんぼり、と気落ちするシンシン。どう見てもそういうことじゃん、とリンリンは愕然としてしまう。此処は親友のため、一肌脱ごう。

「どんな子なの? シンシン、めっちゃ可愛いんだから、絶対勝てるし略奪しちゃおうよ。恋は戦争だよ!」

「だ、駄目ですって。それに、彼女さん、凄く可愛いし」

「写真は?」

「……ありますけど」

「見せて見せて!」

「あぅぅ」

 ゴリ押され、姫路美姫の写真も見せることになる。

 なお、

「……ちょ、え、凄く美人。いや、シンシンがスタイルの差で勝ってる! でも、顔面でいい勝負なのは、素直にすごい。と言うか、一番の驚きは――」

 仕上がった姫路美姫の方である。

「胸」

「あっ」

「……だからいいの。お友達だし」

「いや、でも、欠点があるかもしれないでしょ! すっごく性格が悪いとか」

「そんなことないと思うけど」

 ないわけではない。

(つか、一番の驚きはどう考えても、どっちも全然釣り合ってないってことなんだけど……なんでド級の美人二人が、こんな冴えない男に……よく考えたらチュンもファンクラブ入っているらしいし、意味が全然分からない)

 リンリンは頭を悩ませる。あまりにも理解に苦しむ状況であったから。

「でも、物は試しにさ、押してみよう! 減るもんじゃないし!」

「か、関係が崩れたら、怖い」

「笑顔で突っ込もう! 大丈夫、今のシンシンなら戦えるよ!」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

 着々と押し込む親友の圧に、徐々に傾くシンシン。当然、今ジャパンにいる不知火湊君はのほほんとしていることだろう。

 何が起ころうとしているのか、何も知る由もなく――

「あ、そのスマホお兄さんには見せちゃダメだよ」

「なんで?」

「なんでって……そりゃあヤバいでしょ」

「……?」

 中国卓球界では知らぬ者無し。イケメンで卓球も鬼のように強いのに、女子人気がいまいちなのはみんな知っているから。

 あの兄が凄まじいブラコンであることを。

「そ、そう言えば、その、ミナトはいつか、スーパーリーグに出てみたいって言ってた。私も、同じ夢があるし、その、住む場所も、提供できるし」

「それだ! 勝った! お嬢の力で勝利を引き寄せよう!」

「いいのかなぁ」

「戦争に卑怯もクソもないよ」

 その結果、お言葉に甘えた湊君が馬鹿面で敷居をまたぎ、毒兄によってメタクソにされる未来もあるのだが、それはまだ先の話である。

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