番外編:お正月の悲劇
「何で最後其処で飛び込まなかった⁉」
「あ、う、すいません」
「謝ってほしいわけじゃないんだよ。でも、勝つ奴は最後の最後、一球すら諦めない。その差なんだ、勝ち負けってのは」
「は、はい」
Tリーグのチーム、今後参戦予定の女子に関しても練習に熱が入る。ただ、練習参加している九十九すずはどうにも乗り切れていないところがあった。同じく練習参加している鶴来美里などは――
「やるねえ女子高生」
「若いんで」
「……おい」
もうチームに溶け込んでいる。認められている感じもある。実力もそうだが、戦う姿勢、貪欲に、勝ちにこだわる姿勢が――それがすずにはない。
強い相手と卓球をしてみたい。
楽しめたらそれでいい。
そう考える彼女にとって其処はやはり別世界で、
「気合いだ気合! ハートで負けるなよー!」
「はい!」
何処かついて行けない、そんな自分が透ける。
「例の子、どうです?」
「センスはあるし、フィジカルもいいもん持ってるのになぁ。プロで戦うにはちょっと足りないとこはあるかも、って感じか」
鍛えてみたい素材ではある。唯一無二な武器も持っている。
でもそれは、戦える心を持っていて初めて役立つもの。どれだけ才能があっても、心の面で欠けている者が上で生き長らえることはない。品行方正でなくとも構わないが、競技に懸ける熱い想いなくして勝利はない、とチームの監督は思う。
其処は先天的なものもあるので口で言ってどうにかなる部分でもない。
練習参加を認めている以上期待はあるが――
(厳しいかもなぁ)
高校、大学、実業団と実力と実績を備えた者がプロになる。此処にいる者たちの大半が積み上げてきた者たち。歴戦の猛者である。
彼女たちは同類を嗅ぎ分ける。
鶴来美里が早速マッチしているのは、要はそういうこと。
九十九すず相手に何処かよそよそしいのも、そういうこと――
○
高校三年が目前に迫る年の瀬、九十九すずは地元の海の底で泳いでいた。銛も持たずに、ただひたすら潜り続ける。彼女なりのメンタルケアであった。
強い人ばかりの環境。卓球自体は楽しい、どんどん上手くなっている実感もある。だけど、その反面どんどんズレている気もするのだ。
このままじゃいけない。
でも――
「……」
海はいい。こちらが勝負を仕掛けようが、何を想おうが、海はただ其処に在るだけ。波打ち、揺らぎ、ドンと在る。
人知及ばぬ世界。
やはり、此処が自分の居場所な気がする。
気の迷いだったのかもしれない、そう思う。
それが逃げだと言うのもわかっているのだけれど――
○
お正月、母方の実家がある珠洲市で集まるのが家族の習わしだった。
「最近どうだ?」
「ぼちぼちですね。でも、獲れる魚種が変わった感じはあります」
「あー、確かになぁ」
「温暖化か海流の関係か……まあ神のみぞ知る、ですね」
先祖代々漁師の家、こっちの家も漁師であるし、父方の家も漁師一族で、祖父や父も当然漁師となれば、会話も自然と漁のこと、海のこととなる。
「すずは今も潜っとるか?」
「うん。じーちゃんより上手いと思う」
「この野郎」
「ふひひ」
早くに亡くなった父方の祖父とは違い、こっちの祖父は接点も多くよく世話になった。一時期はこちらに預けられていたこともあるほど。
泳ぎも銛突きも、その時教えてもらった。
祖父であり海の師匠。
齢七十を超えても壮健、力強い手で頭をわしわしされるのが好きだった。
「最近、卓球の練習でよく加賀の方行ってるのよね」
「卓球?」
「う、うん。練習、誘われて」
「なんか見込みがあるそうですよ、お義父さん」
「ほーん、俺にゃよくわからん世界だな。ま、すずの好きにやりゃいいさ」
「……」
大好きな祖父に頑張るとも、やめようと思っているとも言えずに、ただ押し黙ることしかできない。皆の前で口下手なのはいつものことだが、普段より饒舌になる祖父の前でもこれなのは、やはり自分の中でも結論が出ていないせいなのだろう。
「……明日、久しぶりに俺と船乗るか?」
「いいの!?」
「まあ、たまにはな」
「ひひ、やった!」
何かを察したのか、滅多に人を船に乗せない祖父が誘ってくれた。それがとても楽しみで、ウキウキした気分であったことを今でも覚えている。
丁度お昼時、家族大集合でまったりと団欒。
きっと他の家もそんな感じだったと思う。
能登の人は外に出ていく人も多いけど、それでも節目節目やお祭りの時は戻ってくる人も多いから。
だから、
「ふひ、早く明日にならないかなぁ」
「すず、ごろごろしてていいの? 勉強は?」
「……お正月だからお休みぃ」
「ハァ、きりちゃんがいないとこの子はもう」
だから――
「え?」
最初は小さくて、次第にどんどん大きくなって、最後はドン、と来た。
地震である。
能登はちょっと前にもあったし、比較的みんな地震にも慣れている。最初はまたか、ぐらいだったけれど、すぐにシャレにならない大きさだと思ったから家から出た。出るのも大変だった。足元がずっと、ぐわんぐわん揺れていたから。
そして、
「……なに、これ」
凄い音がそこら中で鳴り響いた。まるで雷鳴みたいな音が今も耳に残っている。視界が揺れる。視界が傾く。
いや、実際に建物が傾いて、そして、バタバタと倒れていく。
昔からのおうちが、瓦屋根がずり落ちて――何が起きたのかわからなかった。急に世界が滅んだ、みたいな。
みんな呆然としていた。
信じられなかった。
「すず、こっちに!」
「……」
ただ、見つめるしかない。思い出が壊れていく様を――
○
能登は海も近いけれど山もすぐそこにある。結局津波の被害は一部地域を除きほとんどなかった。高台への避難も、咄嗟に動ける人は出来た。
でも、高齢化著しい奥能登はパッと動けない人もいる。
動けたとしても初動ですぐ家が倒壊したところは、生き埋めになるしかなかったと思う。幸い、すずの家族はひとところに集まり、父たちの迅速な判断もあって人的被害はなかった。祖父の家も、すずが生まれたタイミングで一度建て直しており、無事残った。でも、周りの家はそうもいかない。
それに――
「……お義父さん」
「いい。うちは幸運だった。泣き言言っても仕方ねえ」
港に停めていた祖父の船は壊れてしまった。祖父は気丈にこらえていたが、何でもないわけがない。ずっと、一緒に海を走ってきた相棒なのだから。
それでも泣き言など言えない。
周りの家、特に古めの建築な軒並み倒壊し、近所には亡くなった方もいる。
だから、言えない。
家族は全員無事だったのだから――
「……」
地震は続く。初日の夜は一睡もできなかった。何度も揺れて、その度にみんながざわついて、怖くて怖くて――明日はどうなるのかまるで見えなくて。
地震が少し落ち着いたタイミングでも珠洲市からは動けなかった。海と山に囲まれた地形はインフラが限られており、それが断たれると容易く孤立してしまう。
珠洲市から動けるようになったのはどれくらいだったろうか。
その間に、
『すず、そっち大丈夫だった?』
地元にいた親友の輪島切子からも連絡が届いた。最初は無事でよかった、そう思ったけれど、お互いの無事を確認して喜び合った後、
「……あっ」
輪島家の民宿が倒壊してしまった旨が伝えられた。写真付きで。
息が出来なくなった。
『まあ、元々自転車操業だったから、いい機会だってお父さんも言ってた』
経営が芳しくないのはよく愚痴っていたし、よく後継ぎにはならないって言っていた。けれど、すずは知っているのだ。
何だかんだと毎年来てくれる常連の人、泊り客でなくともすずや両親、近所の人が食事を取ったり、憩いの場であった。
愚痴を言っても、親友がその場を大事に思っていたことも知っている。
『みんなでがんばろーね』
「……うん」
祖父が船を失った。親友が大事な居場所を失った。
それなのに――
「すずをよろしくお願いします」
「大事なご息女、預からせていただきます」
自分は道が通った後、金沢の方へ預けられることになった。プロチームの練習生だったから、卓球の伝手でたった一人、みんなが苦しんでいる中、逃げ出すことが出来た。家族は喜んでくれた。親友も連絡したら絶対行くべきだと言ってくれた。
チームの寮でお世話になって、能登のみんなはそれどころではないのに、自分はのうのうと寮から一時的に融通の利く私立の龍星館に通う手筈まで整った。
ありがたい話である。
逃げ出せない人が、寄る辺を失った人がいっぱいいるのだ。
「無理せずに、な」
「は、はい」
卓球の才能があったから、ただそれだけで被災地から一抜け。県外の人はあまり想像できないだろうが、石川県は元々加賀と能登の二つの国に分かれていて、今回の地震も南側の加賀地方は『ほとんど』被害がなかった。
ニュースが連日騒がしていたのは少しの間だけ。こっちはすぐ日常が戻ってきた。何事もなかったかのように、驚くほど普通である。
能登は断水している。お風呂も簡単には入れない。食べられるものだって限られている。でも、こっちは何でもある。お風呂だって好きに入ることが出来る。
親友からの、周りからの連絡を受ける度に、様子を知る度に心が痛む。
周りは優しい。気遣ってくれる。
でも、それは自分があっちの人だと知っているから。知らない人、当たり前のように日常を享受している人の『普通』を見る度、心が軋む。
誰も悪くない。当事者と部外者、温度差があるのは当然のことなのだ。少し前にあった熊本の地震を、九十九すずは重く受け止めていただろうか。可哀そうだと思った、大変だな、と思った。それだけだろうに。
今回は自分が当事者になっただけ。しかも当事者だけど、今はこうして逃げ出すことが出来ている。不幸中の幸い、泣き言など、言えない。
だけど――
「ああああああああああああああああ!」
時折、無性に叫び散らしたくなる。
卓球にも身が入らない。そもそも、卓球なんてしている場合かと思ってしまう。祖父は消沈しているらしい。船も安くない、祖父も若くない、このまま廃業だろう、と父が言っていた。親友、きりちゃんは家のこともあるし、大学受験はやっぱり無理かな、とこぼしていた。元々進学は迷っていたけれど、それは家の状況を鑑みて。本当は一度くらい、外に出てみたかったはずなのだ。
でも、諦めなきゃいけない。
誰も悪くない。
だから、
「ああああ、あああ、ああ」
だから、この想いはやり場がない。この怒りは、悲しみは、苦しみは、何処にも向けられないし、内側にたまっていくばかり。
此処が堤防の先っぽなら、沖なら、全力で叫ぶことも出来るのに、今は海が遠いからそれも出来ない。
海が恋しい、山を走りたい。
「……帰り、たい」
だけど、もう――
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