第142話:灼熱の夏

 夏休み後半戦、お盆の時期ともなれば普段忙しい人たちもゆっくり、と思いきや旅行やお出かけ、里帰りなど存外やることが多い時期である。

 それでも休みを満喫していることに変わりはないのだが――そんなの関係ない子どもも少なくない。

 そう、

「勝負の夏! しゃかりき勉強! 量は質を凌駕する!」

 受験生である。

 特に大学全入時代、地方ではあまり必要のない中受、倍率の大したことがない高校受験とは違い、大学受験は上を見るときりがない世界である。

 下を見てもきりがないのだが――

 そんな中、

「ふぅー、ようやっと追いついたでェ、さーきちゃん」

「……あの、早くないですか?」

「そらボク、文武両道やし」

 神崎沙紀と有栖川聖が塾で再会を果たした。

 特進コースへようこそ。


     ○


 灼熱の夏、もクーラーをガンガンに効かせた塾の休憩室には関係がない。

 其処で二人は昼飯を食べながら、

「いやぁ、なんや殺伐としとるねえ」

「有栖川さんがへらへらし過ぎなんだと思いますけど」

 駄弁る。

「有栖川さん、ってそろそろ仰々しいやろ。ひじりちゃんでええよ」

「……」

 昨年、佐村光が通っていた塾に入ると、如月よろしく有栖川聖も入り込んできた。最初から目当てが沙紀であった感じを見るに、どの塾でも現れたような気がしないでもない。さすがに自意識過剰と思いたいが――

「しっかし一気に受験モードやねえ」

「有栖川さんは推薦あったでしょう?」

「……」

「……聖さん」

「……」

「聖」

「ま、それで手打っとこか。言うても結構撤回されたんやけどね。最近調子悪かったし、総体でとどめって感じ。なくはないけど元女王の進路にしては虚しい限りっちゅーことで、ほな一般入試でいこか、ってこっちゃ」

「ほな、で特進ですか?」

「文武両道やねん、ボク」

「はいはい」

 まあ田舎の学習塾、それなりのコース分けはあっても都会のそれとは細分化が違う。結構ごった煮のところも多いのだが――

 だとしても運動強豪校の有名選手が何の自慢にもならないが明菱の女王であった沙紀と同じコースにいると言うのはさすがは『魔女』であろう。

「言うてボク、国語得意やし、英語話せるし、地理は遠征で色々行っとるからなぁ。あとは理系に全振りで何処まで行けるか、やなぁ」

 想像していた文武両道とはだいぶ違うが、様々な経験を積んできている濃い人生を持つ者は強いな、と沙紀は思った。

 言わないけど。

「目標は?」

「さきちゃんと同じぃ」

「……あの、実は私、その、浪人しても良いから東大目指そうかな、と思っているんですけど」

 ちなみに元々は光と同じ大学を志望していたが、それもまた逃げ、もう逃げるのをやめる、その旨をこの前話した時、光は笑って「それでいいと思う」と答えてくれた。きっと彼女はわかっていたのだろう。

 自分が逃げて明菱を選んだことを。

 佐村光がいる、それをダシに逃げたことを――

「だから、同じやって」

「え?」

「ボクに勝ったんやから天辺狙うのは当然の義務やろ~? 当たり前やーん」

「……あ、ははは」

 自分の中では大それた目標であったが、聖はそれを当然と言い切った。自分に勝ったのだから、それを言われると何も言えない。

 確かに有栖川聖に卓球で勝つと言うことは東大に受かるよりも難しいだろう。如何に調子を崩そうが、痩せても枯れても元女王。

 やはりあれは奇跡であったのだと思う。

「しっかし、あれ今思い出しても笑うたわぁ」

「あれ?」

「青森田中」

「あー」

 沙紀は何とも言えない複雑な表情となる。

「あの時の姫路、人殺しそうな顔しとったしなぁ」

「……石山コーチに言ってください」

「あっはっは」

 総体の団体戦、順調に勝ち上がった明菱は準々決勝で青森田中と当たった。当初は龍星館の時同様、最強の布陣で正面突破を狙っていたのだが――


『やーめた』


 石山百合の鶴の一声で引っ繰り返った。当初は当然、香月小春が切れた。元々シングルスでのうっ憤を晴らすと団体戦は此処まで獅子奮迅の戦果を挙げ、さあ姫路狩りじゃい、と意気込んでいた。

 しかし、石山は此処まで不動であった小春をS1から外す鬼手を放つ。

 その理由は先日のシングルスで姫路美姫が星宮那由多に敗れ、その上であの大事件である。彼女のメンタルは完全に崩壊していた。

 小春が姫路狩り、となっているよりも姫路が全部殺すモードに入っていたことが、石山としては怖く映ったのだろう。

『いい。第一試合はないの! 存在しない! あんたは眼を閉じときなさい』

『がるる!』

 譲らん、と抵抗していた小春を説き伏せるのは骨が折れたが、最終的に沙紀が機転を利かせて姫路美姫が一番されて嫌なことは、第一試合を空かされること、それが彼女は一番傷つくよ、と心を痛めながら説明。

 湊の彼女になり調子ぶっこいていた姫路が大嫌いな小春は、

『……なら、我慢する』

 姫路のメンブレを優先した。

 結果、

『■■■■■■■!』

 姫路美姫、試合後途中退場(青森田中が自主的に)。ちなみに生贄は石山の指示及び志願もあり沙紀が務めた。

 生贄の癖に結構粘ったのがさらに姫路の怒りを買った。

 メンタル崩壊、魔王モードの姫路をササっと空かし、

『がるるるる!』

『ウォラァ!』

 二枚看板の力技で昨年の女王青森田中を下した。

 なお、しれっと円城寺秋良は姉の佐久間夏姫に敗れてリベンジを喰らっていた。趙にボコされて以降、調子を完全に崩していたのだ。

 それでもとにかく今大会、団体戦では香月小春と紅子谷花音の両輪がぐるんぐるん回り、他二名の不出来など一切関係なく勝ちまくった。

 龍星館戦まで隠していたダブルエースペアも、一度出してしまえば隠す必要もない、とばかりに大判振舞い。

 最強の龍星館を破った自分たちが負けるわけにはいかない。

「んま、おめでとさん」

「あはは、ありがとうございます」

 怒涛の勢いで駆け上がり、決勝は女子も強い卓球大国愛知最強、愛電とぶつかり小春が九十九すずに続き、愛電エースをズバッと捌いた後、秋良がしれっと敗れ、ダブルスでぶっ飛ばし、最後は花音が圧倒して完勝。

 全国大会初出場の公立校が見事、優勝をもぎ取って見せたのだ。

 大快挙として大騒ぎ、になるはずであったが、その前後で色々あり過ぎたこともあり若干影は薄め。

 影は薄めと言えば――

「そちらもおめでとうございます。女子シングルスの優勝と――」

 四強全てが同地区と言うあり得ない戦いを乗り越え、決勝では地区と同じ組み合わせ、同じ結果となったことで星宮那由多が新女王に君臨した。

 姫路は荒れた。鶴来も荒れた。

 まあ、それは順当ではあったが――

「男子団体の優勝も」

「……ま、そんぐらいやってもらわなな」

 男子の優勝に関してはノーマークであった。実際、エースの山口徹宵も相方の志賀十劫も、シングルスでは強いが最上位とは少し差がある、と言う評価となっており、団体戦の優勝を予想する声は皆無に近かった。

 天津風貴翔擁する愛電か、黒崎豹馬擁する青森田中か、他にも総合力で考えたならいくつか候補が居並ぶ中、

『……ちょ、シングルスの時とは、全然手応えが⁉』

 シングルスで敗れ去った黒崎豹馬を、

『……⁉』

 そしてこれまでただの一度も勝利したことのない天津風貴翔を、エースとしてS1ですべて山口徹宵が勝利をもぎ取り、ダブルスも含め獅子奮迅の大活躍。

 誰もが呆気に取られていた。

 意地と執念、一球に懸ける想いが漢の覚悟を貫き通して見せたのだ。

 圧勝などほとんどない。豹馬とも、貴翔ともフルゲームをやり切った。何度飛び込んだか、何球ロビングで粘ったか、泥臭い戦いであった。

 それでも勝った。

「でも、抱き合っている姿、撮られていましたよぉ」

「……まあ、ボク美少女やしなぁ、当然やろ」

 顔を真っ赤にする聖を見て、沙紀はあ、この人も一応女子高生だったんだな、と心の中で思っていた。

「もしかしてあの後、何かありました?」

 これは恋バナの予感、と沙紀が突っ込むと、

「……なんも」

 聖の貌が蝋人形みたいになった。

「……ごめんなさい」

「ええねん。ただの幼馴染やし」

「すんません」

 恋バナはなかった。

 少なくとも今は――

「ま、湊君様様やな」

「山口さんの実力ですよ」

「ほんでも、あの試合なかったら、やっぱ徹君が勝っとるビジョンは見えんかった気もするんや。そんだけ衝撃的やった」

「まあ、衝撃的でしたね。色々な意味で」

「はは、ボクがしばらくおらんでも卓球界は賑わうやろなぁ」

「でも、いた方が盛り上がりますよ」

「そらそうや。だから、大学受験やねん」

「……遠回り過ぎません?」

「急がば回れ、や。とりあえずさきちゃんの卓球骨の髄まで吸収して、其処からバチコン復活したる。やったるでぇ」

「とりあえず受からないとですが」

「そんなん当たり前や! 二人で受かって、卓球部殴り込むで!」

「頑張りまーす」

 東大の卓球部乗っ取り計画。野心に満ちた聖は燃えていた。元々自称進学校の明菱ではオーバースペックであった沙紀はともかく、此処から聖が逆転合格したらとんでもない話である。天下の東大も形無し、であろう。

 それでも何となく、有栖川聖ならやり遂げそうな気もするのだ。このバイタリティがあれば、目標さえあれば、何処までも登っていく気がする。

 まだ遠い、先の話であるが――


     ○


 神風神速、日本最強の男であると同時に、絶対に下がらない、後退のネジを外していると言われていた男が今、ほんの半歩、いや、意識が後ろへ行った。

 下がって打つ。

 人ほど多く下がることは出来ない。それは身体が許さない。だけど、下がれる距離を探ることは出来るかもしれない。

 それを探さずに前のみで神風特攻するのは、確かにその迷いの無さは彼の強さだったかもしれないが、不知火湊を見ていると怠慢であるようにも思えた。

 その僅かな迷い、解れ、変化の兆し。

 其処に、

「あれを、ビタ止まりかよ」

「そりゃあ、前が上手いのはみんな知ってるけどさ」

「やっぱ、天才だ」

 極上のストップをひとつまみ。

 虚を突くタイミングで、完全に勢いを削ぎ落し、ほぼ直下へ落とす。

 お手本のようなそれは時を止め、


「またやろう、貴翔。一勝一敗、これからだろ」

「……ああ」


 勝利を確定させた。


 全国高等学校総合体育大会卓球競技大会の結果は――

 女子団体優勝、明菱高校。

 女子シングル優勝、星宮那由多。

 男子団体優勝、龍星館高校。

 そして男子シングル優勝、不知火湊。

 となった。

 この時、時代が大きく動き出した。

「あの、姫路選手と星宮選手の件で!」

「鶴来選手からも昔告白されたとタレコミがあったのですが!」

「真の正妻は明菱高校に、との内部リークも」

「……え、なにそれ?」

 色んな意味で――

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