第141話:いざ最高頂へ

「……」

 舐めるな、と言う表情で放たれたスマッシュが湊のミドルをぶち抜く。

「……やるなぁ」

 腕を折りたたみ、身体をあえて開きながら腕を遅らせ、打点を極力後ろへずらしながらも『前』で打つ。

 絶対に退かない。

 言葉よりも明瞭に、その姿勢が物語る。

 何でもする不知火湊とただ一つを貫く天津風貴翔。

 対照的な卓球。

 それが、

「次、どうなるんだろう?」

「さすがにワンプレーならそのままなんじゃ――」

 噛み合う。

「!?」

 会場がまたも驚愕する。奥へ奥へ、前陣速攻への普遍的なアプローチは貴翔自身、やられ慣れている。だからこそ、ムカつくし愚形ではあるが、こうした対策の引き出しも多い。ただそれだけでは自分も沈むだけ。

 だから、チェンジオブペース。

 今度は振出しに戻り、相手の速さに付き合う。

 ただし、

「ぶ、ブロッキング!」

「上手いぞ!」

 堅守にて。ブロッキングを主体とし、振らぬ分コンマを削ったことで今度は速さも釣り合う。星宮那由多が香月小春を受け止め、結果として敗れたが、あの戦いは互角であったと湊は考えていた。

 だからこその採用である。

 そも、

「……」

「俺、結構巧いよ? ブロック」

 ブロックにしろストップ、フリック、それらは前陣、台上の技術である。其処はかつて、自分の住んでいた場所であり古巣。

 出来ないわけがないのだ。

 あの日々もまた、自分の引き出しの一つなのだから。

「……」

「楽しそうね」

「……!」

「うん、じゃねえよ」

 超速のやり取り、先ほどまでブスっとしていた貴翔の顔色がみるみると明るくなっていく。この男、試合中は顔に出るタイプ。

 ちょっと那由多と似ているな、と湊は心の中で笑う。

 だが、不知火湊が星宮那由多ではないように、天津風貴翔もまた香月小春ではない。堅守に徹し、ミスを待っても――

(さすがに、簡単にこぼしちゃくれないか)

 ミスがなかなか出ない。

 出ても、ギリギリでリカバリーする術も持っている。

 分が悪い。

 でも――

(悪いな貴翔)

 不知火湊は不敵に笑う。

「……っ」

 ゾク、悪寒が貴翔の身に走った。神速の攻防、相手のプッシュした球がほんの少しだけ勢いがつき、その僅かな悪手を貴翔は見逃さずに振り切った。

 湊も応じないわけにはいかず、飛びつき気味の愚形での受けを強いられてしまった。しっかり勢いを極力削り、上手く落としたのは見事であるが、それでも貴翔が振り抜いた分すべてを殺せてはいない。

 神風神速、これ一本で飯を食い、これ一本で世界の頂点一歩手前まで駆け上がった男の、正真正銘のスペシャル。

 獲った、誰もがそう思った。

 打った貴翔も、それを見たコーチの崇も、会場の猛者全員がそう見た。

 おそらく中継を見ている者たちも、世界中ただ一人の例外もなくそれは無理と判断した。もし、これが世界に中継されるような試合であればどうだっただろうか。

 あの王はどう見ただろうか。

「……」

 カウンター、と言うにはあまりにも激しい動きであった。球を見てすらいない。飛びついた勢い、その反動を利用して気迫で回り、

「ラァッ!」

 あとは『ヤマ勘』でフルスイング。

 雷光が、轟いた。

 前陣速攻の申し子、世界最高の反応速度を誇る超天才が、反応できずに球を見送ることなど、いったいいつぶりであろうか。

 もしかしたら初めての経験かもしれない。

「っしッ!」

 不知火湊のドヤ顔、してやったり感抜群な表情を見るまでは、それが偶然なのか故意であったのか、誰にもわからなかった。

 と言うか大半がヤマ勘だと思った。

 ただ、

「……何処まで貪欲なんだ、君は」

 神崎沙紀対有栖川聖の試合を見た者は、

「……我が子ながら、何処まで駆け上がるつもりだ」

 知る者は、戦慄する。

「……すっげー」

 あの貴翔が、試合中に感嘆の言葉を漏らす。それほどのワンプレーであった。これが偶然ではないのは、やられた本人が一番よくわかっている。

 完全に読まれた。

 いや、

「はは、すっげーだろ」

 そもそも知っているのだ。天津風貴翔の卓球は佐伯親子の卓球がベースであり、世界で三番目にはそれに詳しい自信がある。わざわざ沙紀のように綿密な調査などせずとも、自身のミスからどう捌き、どうフィニッシュまでもっていくか、など容易く頭の中で思い浮かぶ。あとはその想像通りフルスイングするだけ。

 誤差があるとすれば自分や父、貴翔の違いだけ。

 それを完全に網羅することは出来ないので、言ってしまえばこのスーパープレーは貴翔が佐伯親子の卓球、その範疇でプレーしたことが敗因である。

 ちょくちょく違いはある。

 だから、何度も出来るプレーではないし、やりたいとも思わない。今の自分では持て余す。それでも一発で充分、相手には刻んだはず。

 雷光は目に焼き付いている。

 なので、

「ほい」

「……⁉」

 今度はまたチェンジオブペース、緩いループドライブ主体で細々回転を調整しながら、貴翔に愚形を強いる。

「……っ!」

 カーブ気味だろうが、シュート気味だろうが、この速さなら間違えようがない。的確に、落点が最奥に対応したスマッシュを放つが、

「ちょれい!」

「……」

 緩い、がミソ。

 スマッシュに相手をぶち抜く力が出ない。カウンター気味であったから必殺の威力であったのに、コンマでも遅くなればもはや普通の打球、湊は何度もループで返す。回転を適宜、調整しながら。

 回転を司る卓球、何処か粘着ラバーを操る姿が重なる。

 引き出しが多い。多過ぎる。

 意に介さず無理して突っ込もうにも――

(今、突っ込めただろ? でも、来なかったな)

「……っ」

 先ほどの雷光が目に焼き付き、二の足を踏んでしまう。

「ちょっと、シャレになんないっすね、これ」

 黒崎豹馬は顔をしかめていた。

「あの貴翔が、遊ばれてないか?」

「遊んでいるから強いんすよ。でも、そっすね。さっきは貴翔君相手に、ちょっとは勝てるビジョンが見えたのに……今度は不知火君のが見えねえ」

 壁は高いほど登り甲斐がある。越え甲斐がある。

 だけど、此処まで来てまた、この感覚に陥るとは思わなかった。

「やべーっすわ、不知火湊」

 日本最強を相手に五分以上、もはや誰も疑いようがない。

 一度は卓球を捨てたかつての神童、佐伯湊は、

「さあ、こっからエンジン回してこーかァ!」

「……はは」

 化け物になって帰ってきた。

「……」

 世界を知る者たちの多くはかつて、佐伯湊の評価を保留にしていた者が多い。線が細く、結果は出しているが下のカテゴリーだけ、上ではどうにもピリッとせず、早熟なだけなのでは、と考えていたのだ。

 実際、あのままであればそうであっただろう。

 遠回りして、誰もが持ち得ぬ武器を得た。

 無尽蔵の武器を適切に出し入れする、そのセンスこそが唯一無二(スペシャル)。今、彼は辿り着いた。

 自分の型に、無限に。

「すっげ」

 言葉を失うほどに、その卓球は色とりどりで、楽しく、痛快で、その上強い。

 一歩、抜きん出る。

 その気配がある。山巓に近づいた者たちはその気配を知っていた。誰もがそれを踏破しようと足掻き、それでもなお届かなかった。

 日本人にとっての未踏。

 最強の頂。

「ぶち抜くぞ」

「……あっ」

 頬をぷくりと膨らませ腹圧をかける。体幹を決め、大地を力強く蹴る始動は線の細いセンスマン、姫路美姫にとっての無二の武器となったパワードライブの形。

 球を捉える場所は此処しかない、スイートポイント。ボールタッチは揺らがずに歩みを止めぬ不屈の天才、星宮那由多のそれ。

 完璧に捉え、其処から斬り裂くようなタッチで球を弾き出す。言わずもがな、鶴来美里、『吉光』の切れ味を球に付与する。

 三者三様、それを束ねた必殺。

 黄金の打球。

 天津風貴翔は反応した。世界最高の反応は打つところまでは持って行った。が、球はあらぬ方へ飛んでいく。

 完全な振り遅れ、いや、加えてあまりの強打に押し込まれたのもあるだろう。

「……バケモノ」

 そう呼ぶしかない。

 日本最強をして、そう形容するしかないのだ。

 だって、同じ気配がして来たから。

 自分が弾き返された、『最強』、あの孤高の王者の気配に――

「……ふー」

 天津風貴翔は静かに息を吐き、微笑む。嬉しそうに、そう来なくっちゃ、と。人生を賭す道のり。容易く踏破出来てしまうのはつまらない。

 そう、国内での試合は少しつまらなく感じていたのだ。

 だけど、今日からそれも変わる。

 今度は自分が、もう一度――

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