第140話:怪物、二人
何をしてもしっくりこない。
何をしても足を引っ張る痩せっぽち。
頭も別によくない。
何をしても、させても、何一つ輝くことはなかった。それどころか天は小児喘息という試練を与え、親に過保護さを植え付けた。
人生に絶望するほど大きな障害ではない。自分は間違いなく生きている。だけど、生きているだけ。虚無の時間が過ぎた。
ずっと、ずっと、何者でもなく生きていく。
もしかしたら途中で飽いて、放り出していたかもしれない。
存在が希薄で、執着も気迫。
そう思っていた。
「もっと、もっと、もっともっともっともっともっとォ!」
自分の中の熱に気づいたのは父が好きだったという選手の試合を見てから。卓球に詳しいわけではないが、同世代が世界を相手に活躍しているのがうれしくて、負け試合だけど五輪の映像を残していたのだ。
それを見て、衝撃を受けた。
死に物狂い。目を血走らせ、試合終盤には唇を噛み血もこぼしていた。此処まで心血を注ぎ、人生全部を勝負の場に捧げている人が世の中どれだけいるだろうか。この選手からは明日を感じない。今だけを感じる。
この勝負に勝てるのなら死んでもいい。
本当にそう見えたのだ。
今はよくなったが当時は喘息持ち。親、特に母は大反対した。それでも折れずに、曲げずに、今までゲームの一つすらねだったこともない子どもが粘り通した。
勝ちたい、ではない。
生きたい、そう思った。
人生全部、それに乗っける覚悟が初めからあった。日本王者になる資質があることなど、始める前は誰にもわからない。本人もこの状況は夢にも思わなかった。でも、全部を乗せる気だったのだ。
その異常さが、彼を天へと運んだ。
「遅過ぎるッ!」
人生全て、死ぬまで卓球に捧げる。だから、自分に生きる場所をくれ。戦う場所をくれ。心の底から熱くなれる場所を、くれ。
執着を、愛を超えた灼熱。
それが天津風貴翔。
振り返らない。明日を夢見ることもない。今、この刹那が全て。
神風特攻。
人生全部盛り、その重みが全部速さになって、不知火湊をぶち抜いていく。狭所ゆえ最速の球技、その中にて最速。
「……」
(この程度か、か。はは、プレー中も饒舌に感じたけど、本人、口開いてないんだもんなぁ。そりゃ負けるか、嫌々やっていた程度のやつじゃ)
試合開始から点を獲ろうが何をしようが、彼は口を開いていない。一言もしゃべっていない。だけど、笑っていた。もっともっと、と叫んでいた。
遅過ぎる、と挑発もしてきた。
何よりも物足りない、その程度かと残念がっても見せた。
眼が、貌が、口よりも饒舌に語る。
台を挟むと、貴翔はこんなにも多弁であったのだ。あの頃の自分はそれを感じ取る余裕もなかった。ただ自分のことばかり――
スコア、圧巻の4-0。
全部前で、神速を前に敗れ去った。
始まる前は、直接対峙して体感する前は、今の自分ならワンチャンスでもあるんじゃないかとは思っていたのだが、さすがに世の中それほど甘くない。
それしかない人間が、それのみに注力して磨き上げた宝石である。
しかも仕上げたのは――
(やるなぁ、父さん)
たった一度の栄光、元世界一の佐伯崇である。
速いのは当然、それを生かす台上技術もすべて搭載している。あの頃の自分の上位互換、などと言うには少しばかり上等すぎるか。
ただただ圧倒された。桁外れの速さに、ではない。彼が内包する卓球への情熱に、執着に、その熱量に圧倒された。
少し、星宮那由多にも似ているかもしれない。
卓球だけが生きがい。卓球だけしか物差しを持たない。
この台が、このピンポン玉が、全て。
(……ちょっと傷ついた。なんだかんだと俺は此処に、未だに誇りを持っていたんだなぁ。それがわかった。それを捨てる気もない。でも――)
不知火湊のまとう空気が変わる。
あちらの挨拶は済んだ。
天津風貴翔を体感した。
今度は――
(俺も結構、卓球好きなんだぜ?)
こちらの番。
○
黒峰先生がスマホで中継した映像を凝視する明菱御一行。九十九すずのところを除き、全ての試合が終わったので興味はもうオラが村のコーチ一点。
普段コーチ推しの小春であったが、自分と同じ貴翔の卓球に関しては貶すことも出来ずに、悶々としていたところ――
「んなァ⁉」
好感度爆下げの行動を、愛しのコーチが取ったのだ。
「こ、小春の、小春の、傷をぉぉぉおお」
「ぶはは! いいぞ、やれやれ不知火!」
「わ、わふぅ」
ショックを受ける小春を煽り立てる同期の花音。秋良や沙紀も申し訳なさそうに笑っていた。彼らしい、ノンデリカシーなところが見られたから。
○
「相変わらず手癖がやらしいわぁ」
龍星館の視聴覚室をジャックする卓球部一同。
その中で、
「……」
少し救われたように、嬉しそうに微笑む少女がいた。
○
ずん、神速の足を捉えるは泥沼。
「……」
我を押し通す、俺の卓球に対し、その卓球に我はない。ただ相手のみがある。相手の嫌がることを、徹底してやり通すは泥沼卓球。
エリート遠藤愛が生まれ変わり、新たに得た武器である。
自分の、
「ふんが!」
形を崩してでも嫌がることを優先する。この場合は小春の時と同様、奥へ奥へと、不格好でも球をとにかく押し込み続ける。
ワンバウンドを強要されるルール上、テニスのようにバウンドする前に叩くことは許されない。それゆえ、バウンド前までは必ず打った者が主導権を握るのだ。
奥へ、奥へ、時にカットも織り交ぜ、押し込む。
プレースピードが急激に落ちた。凡人でも認識できるところまで、いや、それよりもさらに落ちる、落とす。
(傍から見てると苦しそうだったけど、はは、意外とハマると楽しいね、これ)
どっちも強制的に泥仕合に持ち込む。
とんでもなく華のない卓球であるが、やってみると意外とこれが楽しいことに気づいた。もちろん湊がやるのは本邦初。
この男もいい性格をしている。
「……」
まどろっこしい。愚形でも速さを、それでも前へ、こういう卓球を仕掛けてきた相手は少なくない。遠藤愛が香月小春にぶっ刺さったように、特化した戦型は弱点剥き出し、其処を突きやすいものであるのだ。
そして、その程度で屈しては日本の王になどなれない。
「それじゃ貴翔は止まらんよ、湊」
ちょっと前に湊相手に負けたばかり、神奈川王者の田淵君がレギュラーキャラ面して語る。が、誰も聞いていない。
まあ一応彼も強豪選手で、貴翔とも何度も対戦経験のある選手なので許してほしい。なお、対戦成績は全敗である。
その時、
「へ?」
田淵君は見た。
手癖の悪さを。
「おおっ!」
会場がどよめくほどの、切れ味鋭いカーブドライブが愚形もお構いなしに突っ込み、強引に前へ引き戻そうとした貴翔を穿つ。
「……鋭い」
試合中、基本はしゃべらない貴翔が口に出してしまうほど、そのカーブドライブの切れ味は凄まじいものがあった。
「田淵クンっぽい?」
「でも、なんか、誰か味もあるんだよなぁ」
「それ。でも、誰だっけ?」
曲がり幅やベースは間違いなくカーブドライブが持ち味の神奈川王者、さっき1-3で敗れた田淵君のものであろう。
だけど、
「……マジかぁ」
パクられた本人ゆえわかる。
そのままじゃない。付け加えられている。
会場の大半が浮かべる疑問符は――
「次はシュートドライブ!」
「あっ、私、わかったかも」
連取を決めた一打で少し解けた。一般の観客はまだ気づけていない者もいるが、
「……劉党だ。龍弾みたいな鋭さと、威力がある」
卓球界隈にどっぷりの専門誌の編集者などは気づいた。選手たちも、二又に分かれた龍を見て気づかされていた。
世界トップクラス、ドイツ代表である彼の必殺技、足りぬ部分を他の技術で補完し、大曲がりする軌道に限り、彼のスペシャルである龍弾に近づけた。
パクリ、継ぎ接ぎ、いきなりスペシャルを二つも担いできた天才。
無法過ぎるだろ、と選手たちは愕然とする。
「……大変だな、黒崎」
同期の言葉に対し、
「……くっそー、やっぱ、自分がやりたかったっすぅ!」
黒崎は楽しそうな卓球の試合を外から見て悔しそうにしていた。
「その感想が出るなら、お前はやっぱ本物だよ。俺は正直、対戦したいと思えない。戯れで必殺技を改良されて使われたら、心に来る」
「でも、たぶん田淵君は帰ったら練習するっしょ。あれ」
「……それは」
「むしろ、俺はありがてーっすけどね。勝手にブレイクスルーしてくれんのなら、真似されたお返しにパクり返したらいいだけなんすから」
選手なら、競技者なら、それを喜べよ、楽しめよ。
黒崎豹馬はそう思う。
「「……」」
佐伯崇、そして星宮一誠は同時に、あの無法っぷりを見てある人物を想起していた。誰よりも自由で、遊び感覚ゆえの無法も目立った。
当時最強だった相手が大嫌い、と口を滑らせた程度には――
ゆえに苦笑が、こぼれてしまう。
やはり、彼は母親似なのだと――厳しい勝負の世界に興味を示さず、さっさと趣味の世界へ行った。家庭を選んだ。
そんな子を鶴来、星宮の悪友二人が天才だと背中を押し、ある意味対極の姿勢であった佐伯崇に育成をゆだねてしまったのは運の尽き。
少なくとも少し前まではそう思っていた。
佐伯崇は今もそう思っている。
だが、
「私はそう思わんよ。舞さんなら、こっちに戻ってこない。趣味の世界は広い。多彩で、其処にしかない魅力もある。それでも彼は、こちらを選んだ」
母の気質に本来噛み合わぬ父の気質を叩き込むことで、今の怪物が生まれた可能性だってあるのだ。自由で、遊ぶように卓球をする。
その上、
「この勝負強さは、間違いなく君譲りだよ、崇」
勝負所で間違えない。
無法だが最強ではなかった。最強をひっくり返すジョーカー枠ではあったし、そう成り得る才能は間違いなくあった。
気質に合う指導だけが全てではない。
噛み合わず、砕け、捨て、そして戻ってきたからこそ、
「おー、思ったより良いなぁ。貴翔はどう思う?」
「……」
「ムカつく、ね。了解、続行だ!」
「……」
無法の勝負師が生まれた。本番で、此処ぞで普段以上の力を発揮し、新しいことをしても成功させ続ける。新たなる道を切り開く者、とはこういう選手なのかもしれない。貪欲に、自由に、卓球を謳歌する。
泥沼に引きずり込み、スピードを削ぎ、その上で無理攻めのほんのわずかな隙を、新しいスペシャルでぶち抜く。
5-5、すぐさま追いつく。
不知火湊、この男もまた化け物である。
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