第138話:親の背を越え、子は征く
「……」
「……」
親子二人、よくよく考えたら面と向かって話したことなどあっただろうか。少なくとも卓球を教える側、教わる側となってからはない。
途中から目すら合わせられなくなった。
それは――
「あのさ」
「……なんだ?」
お互い、だった。今も窓の前で横並び、面と向かい合ってはいない。それでも腹を割って話す準備は出来ている。
みんなのおかげで、そう思えるようになったから。
だから――
「僕さ、父さんの卓球も、教え方も、考え方も、あと、完全にこれは勘違いだたんだけど、僕と母さんを捨てたと思っていたこと、全部父さんが悪いって思っていたんだ。全部、父さんに押し付けていた」
「……何も間違えてはいない。卓球以外、俺は何一つ正しくなかった」
「卓球への迷いはないんだね」
「ない」
「はは、父さんらしいや」
「ただ、最近のお前を見ていると、少しだけ揺らぐ自分もいる」
「……お、おお」
湊、何とも言えぬ表情となる。少し、喜びが混じっているだろうか。戸惑いが大半ではあるが――
「俺は間違えているのかもしれない。だとしたら、自分は貴翔の、自分自身の可能性を閉ざしているのではないか、そう思うこともある」
「それは違うよ。違うと、思えるようになった」
「……何故?」
「いやさ、今度父さんに見てほしい奴がいるんだよ。たぶん、父さんと噛み合う。貴翔の女の子版、みたいな感じ」
「女子はよくわからん」
「同じだよ。少なくとも彼女の目標は一等賞になることだ。僕や他の男子選手も含めた、全ての卓球選手の中でね」
「……本気か?」
「本気。そういうやつ」
「……そうか」
そんな女子選手がいるのか、と父佐伯崇は驚く。どうしたってカテゴリーが違う。重なるのはミックスの時ぐらい。あれも五輪の種目であるが、崇の中ではエキシビションに近い感覚がある。個人的な考えではあるが。
「最初は僕、父さんの教え方しか知らなくて、それで接していたんだ。みんな伸びたけど、そいつだけが異様に伸びた。僕はそれを才能だと思っていたし、実際その通りではあるんだろうけど……そのあと、色々勉強して自分なりに良いと思う教え方に変えたんだ。そしたら、伸びが鈍化した。いやまあ、普通なんだよ。いつまでも伸び続けるわけじゃない。たまたまそういう曲線だったのかもしれない」
「……成長は階段状だからな」
「うん。だから、偶然だと思っていた。そう思い込もうとしたんだ。でも、また別の、先輩なんだけど、その人を石山さんが育てて、僕には思いつかないような、僕視点だと絶対によくない指導法で接して、僕には思いつきもしない卓球を作り上げた」
「……その試合は俺も見た。確かに、衝撃だったな」
神崎沙紀と有栖川聖の試合は良くも悪くも多くの議論を呼んだ。明らかに有栖川聖にのみ特化した育成で、さらに山勘にも思えるプレーの数々はきちんとした卓球観を持つ人ほど忌避感を持っただろう。
何せ、湊もその一人であったから。
「相手を学び、行動を読むメタ的卓球。広がりがない気がした。閉塞感もあった。何より、楽しくなさそうだとも思った」
「……」
「でも、違ったんだ。先輩はあれを楽しんでいた。事前の勉強も含めて、僕らと違うアプローチでの攻略をね、楽しんでやっていたんだ。それがわかって、痛感した。あ、僕は、自分が良いと思うことだけを押し付けようとしていたんだと」
「……指導をすると言うのは、そういう側面もある。それがなければ、教える側に柱がなければ選手が迷う」
「それはそう。でも、選べる選手ばかりじゃない」
「……」
強く、才能豊かな選手であれば指導者も選べるだろう。ただ、そんな子は決して多くない。ごくごく一握りの選ばれた者だけ。
もちろん、五輪へ向けた育成、トップ選手を育成することを考えたらそれでもいいだろう。どの競技も結局、上は才能がものを言う世界。
それは競技に携わる者が、本気で取り組んだ者こそが理解している。
「僕は間違っていたわけじゃない。父さんもそう。他の指導者だってそう。間違えじゃなくて、それだけじゃない。それだけだった」
血反吐吐くまで自分を追い込む。そういう求道者のような人種がきっと、父や貴翔、そして小春のような人種なのだろう。今の自分の卓球で伸びたのは秋良か、決められたレンジではなく自由に、縦横無尽に、常に心にゆとりを、卓球を楽しむ。
対極であるが、どちらも間違えではない。
向き不向きがあるだけ。
それは沙紀の卓球でさえそう。
「全部、教えられるようになりたい。それもまた傲慢だってのはわかっているんだけど……それでも、出来るだけミスマッチを減らしたい。可能性に蓋をしたくない」
自分が、そして父が最初の被害者であった。
父はそうしてきた。それ以外を削ぎ落し、ただひたすらに突き詰め、極め、栄冠をつかみ取った成功体験がある。それしか知らない。自分には合わず、潰れてしまったが、貴翔には合っていた。そしてきっと、小春にも合う。
ただ違っただけ。でも、それを減らしたい。
自分が面倒を見る子ぐらいは、それをなくしたい。
「俺、そういう指導者になるよ。それが目標になったんだ」
崇は眼を大きく見開く。
「遠大な道だぞ。一本の道を究めることすら難題だ」
「だから、世界中を回る。世界で一番、多くの卓球を知っている選手になる。そのために強くなろうと思ったんだ。それが、凄くしっくり来た」
息子がとても大きく見えたから。
自分よりも、今まで見てきた選手の誰よりも――
「世界一にでもなる気か?」
「それは目的に対する手段。王虎さんを見て思った。我を通したいのなら、やっぱり力がいる。自由を求めるのなら、其処は避けては通れない」
楽しさを、多彩さを追求する一方、自分が磨き上げた勝負の鬼も其処にいた。本当に、全部手に入れるために進むという。
世界一わがままな道。
「世界一にも、なるよ。だから、悪いけど父さんの教え子も倒す」
ついでとばかりに世界一。きっとそれを聞いたら、王虎も腹を抱えて笑うだろう。心底嬉しそうに、牙を剥き出しに――そうこなくては、と。
「は、ははははは!」
「いっ⁉」
湊は初めて見た。目に涙を浮かべるほど、腹を抱えて笑う父の姿を。
「ど、どうしたの、父さん」
「いや、自分の見る眼の無さに、呆れてしまってな。お前は母さん似だ。俺に、似なくてよかった。そのまま進め。俺とは違うが……それでいいんだろう」
崇は息子には才能がないと思っていた。厳密には卓球の才能はある。だが、自分のように削ぎ落し、突き詰める才能がないと思っていた。それがなければ頂点になど絶対届かない、届かない道に苦しむよりは、と。
だから離れた。
卓球を再開したと聞いた時は哀れに思った。自分がその道を強いたばかりに、それしかすがれるものがなくなった。結局繰り返すだけ、突き詰める者に敗れ、苦しむだけ。そう思っていた。愚かだと、思っていた。
それは間違えだった。でも、選択に間違えはなかった。
「貴翔は強いぞ? あの子にはその道しかない。前しかない。後ろに下がれぬ理由がある。其処がお前とあれの、明暗だ」
「自分で確かめてみるよ」
揺らがない。ブレない。
すでに天津風貴翔との卓球を楽しみ、彼の卓球から何を得ようか、その上でどう戦おうか、頭の中で遊んでいるのだろう。
笑顔で、決勝でも精神的にゆとりを持って、此処がゴールではない。世界一すら違う。もっと難しい道を見据えているから――
「……そうか」
「うん」
こういう選手が大事を成すのかもしれない。
「じゃ、行くよ」
「……ああ」
自分を越えた息子に、間違えばかりの父が出来ることなどない。ただ、大きくなった背中を見つめることぐらい。
『とーちゃん!』
『んもう、湊はパパばっかり!』
『……』
思い浮かぶのはずっと前、まだ親子であれた頃。
申し訳なくすら思う。失格者たる自分が、親としてこんなにも――
「あ、そうそう」
前へ進む息子が振り返り、
「……なんだ?」
「僕、たぶんこれから家をよく空けることになると思うんだよね。って言うか、今すでに結構不在がちでさ……」
「……」
「母さんが一人で寂しいだろうから、たまに帰ってあげてよ」
気を遣われる始末。
「……いいのか?」
「ローン払っているの父さんなんだろ? 良いも悪いもないよ。まったくさ、みんな気を遣って……そのせいで僕が馬鹿みたいだったじゃないか」
「……湊が良いと言うのなら、そうしよう」
「なら、よかった。これで心置きなく前に進める」
そして息子はまっすぐ進む。
きっと、その道は自分が届かなかった遥か先にも繋がっているのだろう。
父、佐伯崇は息子、不知火湊の道行きを見守る。
もう、手は離れた。きっと、ずっと前に――
「や、崇」
「……一誠か」
様子を窺っていたのか、にやにやした戦友が近づいてきた。
「大きくなっただろ、湊君」
「……ああ」
「寂しいか?」
「黙れ」
「はっはっは、家族円満な我が家が羨ましいだろう?」
「すぐ、貴様の番も回ってくる」
「まっさかー」
なお、この少し後に衝撃のニュースが星宮一誠の耳に入り、佐伯崇よりもショックを受けて泣きわめくことになるのだが、それはまた別のお話。
○
そして、
「全国高等学校総合体育大会卓球競技大会、シングルス決勝――」
昨年度王者、現日本一の男、天津風貴翔。
「よろしく、貴翔」
それを猛追する甦った天才、不知火湊。
「楽しみにしていた」
「俺もさ」
互いに握手を交わし、
「勝つよ」
「俺もそのつもりだけど……うん、楽しみの方が大きいかな」
「……」
「楽しもう。そっちの方が面白い」
因縁の対決が幕を開ける。
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