第126話:怪物対エリート③

「ネチネチした卓球しやがって……ウゼェッ!」

 相手の卓球にぶちぎれた紅子谷花音が放った一撃は泥沼のような卓球を突き破る。会心の一打、会場が湧く。

 だが、

「……」

 遠藤愛は一切気にしない。

 何故なら会心の一打とは再現性がないから。そう何度も打てるものではない。面の角度、ラバーへの食い込み、振り抜いた結果のコース、落点。

 全てが噛み合う球は技術で優る自分でも簡単じゃない。

 繊細巧緻なる競技ゆえ、ミリの誤差すらも結果を大きく変える。

 だから気にしない。

 怒りが見えた時点で、効いている証拠だと思うから。

 それに――

「くそ!」

 手元が狂い浮かし切れずのネットイン。花音の顔が歪む。

「……」

 会心の一打よりミスの方が絶対に多い。自分はもちろん、有栖川聖や星宮那由多、不知火湊だって好プレーよりもミスの方が絶対に多くなる。

 それは世界最強、王虎でさえそうなる。

 ましてや紅子谷花音は卓球を始めて一年と少し、本来勝負の舞台にも上がれぬ者が、才能の塊であるフィジカルで此処まで這い上がってきた。

 粗はある。

 其処を突く。徹底して突き続ける。

(ミスしろ、ミスしろ)

 1点にこだわらない。最終的に得点が多い方の勝ちなのだ。1ゲームだってくれてやる。最後に勝てるのなら、なんぼでも捨てられる。

 体力削りとミス待ちを兼ねた持久戦。

 さすがにここまで露骨だと、

「これが王者の卓球か?」

「ここまでいい試合だったのになぁ」

「ダブルスじゃよかったのに相手も粗いし、なんだかなぁ」

 観客もしらけ始める。

 もちろんどうでもいい。塩試合、結構。ここまで高校生のカテゴリーで、興行ではなく純粋な競技である。観客の顔色など気にしない。

 する必要がない。

「……紅子谷」

 不知火湊は同級生の教え子を想いながらただただ見つめるしかない。

「……ちっ」

 石山百合は舌打ちして戦況を眺めていた。

(戦型には大なり小なり有利不利がつく。前陣相手はとにかく深い落点で、ペンならバック、ドライブ相手にカットは確かに有効。特に強打者相手に抜かせない、それのみを考えたら最適な行動ではある。ミス待ちも立派な戦術。ミスした方が悪い)

 戦型に、相手の状況に、有効な行動を取り続ける。

 紅子谷花音の強打を封じつつ、体力と精神力を削ぐ。一石二鳥ではあるが、もちろん難しい。そもそもカットの精度が問われることと、強打側に振り回されるのはカットマンの宿命が付きまとう以上、やる側の体力も求められる。

 ただ、遠藤愛はエリート街道をひた走ってきた生粋のアスリート。九十九すずほどの特別さはなくとも、普通の選手目線では無尽蔵の体力を持つ。

 円城寺秋良ほどのカットはない。

 九十九すずほどの体力もない。

 でも、それを支えるフィジカルがある。手足の長さが、リーチとして機動力に加算される。全てが一流、その上で――

(一球一球、相手の弱所を突く私たちとは違う。戦い方そのものを変えて、試合ベースで有利を取りに行く。相手の強みを消して、自分のところまで沈める)

 相手の強みを消すよう動く。

 何でもできるから、どんな相手にもそういう動きが取れる。

(否定はしない。でも、僕はあまり好きじゃない)

 不知火湊の卓球は同じくオールラウンドであるが、自分の強みを存分に出し、相手の強みも引き出す。最高の卓球を目指すもの。

 遠藤愛の卓球はオールラウンドに相手が苦手とする動きを取り、自分の卓球を変えることで相手の強みを消す。結果として最低の卓球となる。

 見応えも消える。

 華も何もない。

 だけど、

(足が重ぇ……息も、くそがァ!)

 強い。

 紅子谷花音の輝きが消える。

 売りの強打はどんどん精彩を欠いていく。泥沼に足を取られているかのように、動きが鈍重に、足取りもまた重く、鈍く、動きがなくなる。

「はぁ、はぁ、はぁ」

「はぁ、はぁ、はぁ」

 体力が削れているのはお互い様。きついのもお互い様。

 だけど、片方は嬉々と笑い、片方は眉間にしわを寄せ唇を噛む。明暗はくっきりと映し出される。

 それは点数にも反映されていた。

 泥沼の中、光明が薄れていく。

「かの姉、がんばれ!」

「……花音」

 応援も遠い。

(畜生、チビどもも、父さんも母さんも、見てんだ。情けねえ卓球は出来ねえ。なのに、くそが、くそがァ!)

 そして対戦相手が、紅子谷花音が沈むほど――

「あ、ははは」

 遠藤愛の気分は上がる。体力が削れてなお、気力が湧いてくる。

 水に合う。

 もっと技術を高めて、もっと体を鍛えて、もっと相手が苦手とすることを、もっと相手が嫌がることを、相手を泥沼に引きずり込む。

(勝てる)

 底へ、もっと深く、深く――

(勝てる!)

 その先にある。天才たちの巣窟に手を伸ばす。ずっと羨んでいた。ずっと焦がれていた。同世代に星宮那由多がいた。その君臨前には青柳循子がいた。ただの一度だって、どのカテゴリーでも全国一位になったことはない。

 一番上の景色を見たことがない。

(勝てるッ!)

 自分が凡人なのは理解している。

 不知火湊にはなれない。

 星宮那由多にも届かない。有栖川聖も、姫路美姫も、鶴来美里も、九十九すず、趙欣怡、香月小春、そして今目の前にいる紅子谷花音もそう。

 自分が持たないスペシャルを持っている。

 それを天才というのなら、やはり自分は凡人なのだろう。

 だからここまで引きずり下ろす。

(全員沈めたら――)

 泥沼の底へ。

(――私が一番!)

 勝ちたかった。

 勝てる道が見えた。

 自分の卓球。華もクソもない、それでも勝てる卓球。

 ようやく――


「殺すぞ」


 泥沼を、闇を引き裂くような一閃。

 力。

「……っ」

 卓球で、長い戦歴の中で感じたことのない手応えが残る。差し込まれた打球は、そのまま後ろへ飛んで行った。

 咄嗟にカットを忘れるほどの、

「……ィ」

 紅子谷花音の殺意。暴力的な衝動から放たれたドライブは、今までのそれとは完全に違った。男子と女子の壁、そんなものの先に彼女はいる。

 力で男子をねじ伏せられる。

 そんな選手がいるとすれば、彼女だけ。

 世界でも――

「……」

 過去のトラウマ、加減を間違えたのではなく、どれだけ加減しても勝負にも成らなかった経験から、彼女は無意識の手加減を、リミッターを設けてしまっている。怪我をさせることがない、相手を害することのない卓球でもそれが抜けなかった。

 その悪癖は今の今まで続いていた。

 しかし今、

「花音ちゃん」

 不愉快な卓球、不快な対戦相手、何よりも不甲斐ない自分への怒りが、彼女のそれを外した。卓球で殺す、それを本気で成さんとするほどに――

「GAAAAAAAァ!」

 染みついた技術に全てを託し、あとはすべて暴力に注ぐ。

「くっ」

 足取りは軽い。気持ちも乗っている。でも、カットする手が重い。ピンポン玉が、それこそ鉛のように感じる。

 これは本当に卓球なのか。

 これは――

「あっ」

 ミドル、容易に捌けるはずだったそれがラケットに当たり、あらぬ方向へと飛んで行った。遠藤愛は歯を食いしばる。

 卓球で危険など感じるわけがない。

 卓球という競技に危険はない。

「……」

 本当にそうか。

 反射でラケットを盾にしたけれど、今のが体に当たって怪我の心配はないのだろうか。ありえない、ありえないけれど――万が一を感じさせる打球であった。

 重い、重い、重い。

「……ァァ」

 人間じゃない。

 天才ではないのだ、目の前の存在は――


「……怪物、だ」


 誰かがそう言った。

「くたばれ」

 眼が血走り、紅く輝く。喰いしばった犬歯は鋭く尖って見えた。垂れる汗は口の端を伝い、涎のようにも見える。

 殺意が、球に乗る。

 だけど、

「舐めるなッ!」

 遠藤愛もせっかく掴んだ自分の卓球を手放し、怪物に白旗を挙げる気はなかった。客観的に見ろ、全てが自分に有利なのだ。

 さっさと、

「沈めェ!」

 沈み、視界から消えろ。

 勝つのは自分だ。こちらだって龍星館女子の中では圧倒的に恵まれたフィジカルを持つ。この一年、何かを掴もうと死に物狂いで鍛えてきた。

 この感覚を、確信を、逃してなるものか。

 勝てるのだ。

 沈めれば。

「……ァ」

 沈めさえ、すれば――

「沈めよォ!」

 途中から点数の勘定を忘れていた。必死に、ただひたすらに泥の中でもがいた。半分逃げたような感覚だったかもしれない。

 犬猫ペアがあんなにも削ってくれたのに、こんなにも追い込まれるなんて。いい感覚はあった。間違っているとは思わない。

 ただ、

「覚えとけよ」

 相手が怪物だっただけで。

「個人戦で、テメエは必ずあたしがぶっ殺す」

 紅子谷花音の殺意が突き立つ。獲物を見る眼、それが脳裏にこびりつく。

 だけど、

「マッチトゥ、遠藤選手」

 勝ったのは遠藤愛。

 最後は剛球がネットに、唸りを上げて突き刺さっていた。自分のドライブでは絶対に鳴らない音、絶対にかからない回転が刻まれる。

 ここでようやく遠藤愛はスコアを見た。

 3-1、追い込まれた感覚があったのに、スコアを見るとかなり余裕をもって自分が勝利していた。少なくとも普段、この点差で脅威など感じない。

 感じないのに感じた。

 差がついていたのに、むしろ捲られたとすら感じていた。

 そちらの方が、

「……くそっ」

 問題である。

 気圧されていた、と言うことだから。

「……すんません。負けました」

 足取りもおぼつかない、明らかに満身創痍の相手に、

「ま、最悪の状況だけど……でも、選手としてはひと皮むけたんじゃない? その感覚、忘れちゃ駄目よ。今後、今のそれを味わいたくないなら、ね」

「……っす」

 紅子谷花音は神崎沙紀の前に来て、

「……」

「お疲れ。格好良かったよ」

「……すんません」

「よしよし」

 悔し泣きする花音の頭を沙紀が撫でてやる。二戦連続、どっちもとんでもなく強い相手だった。充分戦った。

 それでも自分を責める後輩に、先輩がしてやれることなどこれぐらい。

 そもそも彼女が泣くのは、小春がダブルスの時一瞬でも相方をフォローしようと後退しかけたのは、自分が弱いから。

 情けない、申し訳ないのは自分である。

 弱い自分に腹が立つ。

「神崎ィ」

「……はい」

「引退試合にするかどうかは、自分で決めてきな」

「そのつもりです」

 第五試合、明菱高校卓球部部長、神崎沙紀。

「飲まれたなぁ」

「……勝ちましたよ」

「まあ、苦手意識持ったらあかんよ。ほんまに勝てんくなるから」

 龍星館高校卓球部部長、有栖川聖。

 泣いても笑っても――最後の一戦が始まる。

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