第127話:部長対決、開幕
ベンチに戻った遠藤愛へ、
「ナイスファイト、遠藤」
「見事でしたよ」
犬猫の二人が声をかける。
「……聖さんの言う通り飲まれてしまいました。……情けないです」
「あはは、勝てば官軍だって」
「形振り構わず勝つ卓球、それで勝ったのだから悪い結果とは思いませんよ」
「そうそう」
二人の励ましを受け、それでも遠藤の表情は陰ったまま。紅子谷花音が殺気剥き出しに攻めてくるまで、自分の中にあった確信が霞んだ気がしたから。
やはり天才には及ばないのでは、そう薄っすらと――
「笑顔だにゃー」
「ふにゃ⁉」
(かわいい)
猫屋敷が遠藤のほっぺをギューッと押し込み、謎の泣き声を発生させる。
「落ち着けぃ。確かに相手の勢いは凄かったよ。でも、勝ったのは遠藤だ。遠藤の卓球は通用していた。客観的にね」
「私もそう思います。抜かれる場面もありましたが、最後同様ミスショットも少なくなかった。安定してベストショットを打つ、その難しさは卓球に打ち込んだ私たちが一番わかっているはず。世界一でもミスと隣り合わせ。だからこそ――」
「相手の嫌がることをしながらミス待ちってのは戦術足り得る。遠藤はそれで行けると思ったんだろう? なら、疑っちゃダメだ」
「……はい」
自分を疑うことから、揺らぎから人は崩れていく。有栖川聖の言った「苦手意識を持つな」も同じこと。
自信が粉々に、八方塞がりとなるまで終わりじゃない。
「遠藤が日本一になったら焼肉おごったげる、犬が」
「……猫」
「あはは、頑張ってみます」
先輩たちは一度として自分たちのおかげで勝てた、などと言わない。遠藤の力で勝った、勝ち切った、そう言ってくれる。
自分は自分のことしか考えていないのに――
「とりあえず……学校では獲りましょう、日本一」
「にゃはは、まだ試合中だぞぉ」
「勝ちます。絶対に。二人の、龍星館の夏はこんなところでは終わりません」
「……皆、そう思っていますけどね」
「それでも……ここは龍星館ですから。絶対です!」
みんな、誰もが野心を、野望を、抱き門をくぐった。その大半が届かず、試合にすら出られないのが名門の世界。
そんな中、エゴイストたちの中でしか生まれぬ絆もあるはず。
「今年は歴代最強、監督もそう言っていましたし」
「ま、聖に期待ってことで」
「応援しましょうか」
「はい!」
龍星館の夏は終わらない。終わるわけにはいかない。
女王の冠を、玉座を、取り戻さねばならないから――
〇
神崎沙紀対有栖川聖、無名対元女王、誰がどう見ても勝敗は明らかであった。確かに卓球はメンタルが大きく作用する競技であり、最近調子を崩しているかつての女王は今この時代、絶対的存在ではなくなりつつあった。
しかしそれは頂点での話。
「ラリーで出るよな。実力って」
「これだけ差があるとね」
試合前のラリー、有栖川聖は別に強打者ではないが、それでも彼我の差は明らかであった。決して神崎も下手ではない。卓球を再開して一年と少し、元々温泉卓球レベルでも触れていた分、香月紅子谷の二人よりもボールタッチは上。
ただ、凄味がない。
強者然とした雰囲気がないのだ。
その僅かな優位である技術的な部分も、いや、それこそが哀しいほどに有栖川とは大きな差があった。天才的な才能で未熟を超越した後輩二人と比べ、円城寺にすらずっと劣る技術では正直、見劣りするとしか言えない。
経験者でなくとも、素人でもわかる。
「……菊池」
「撮る手が疼かない」
香月星宮、趙円城寺、香紅犬猫、遠藤紅子谷、どの試合もバチバチに撮影していた、一心不乱にシャッターを押していた男の手が止まる。
神崎沙紀の努力は知っている。だけど、それとこれとは話が別。魅力的な被写体かどうか、カメラは残酷なまでに真実を映し出す。
凡人を自称し、泥沼卓球で戦う遠藤愛とて、菊池の視点からすればある種、突き抜けた魅力があった。それは撮るに値するものであった。
しかし、
「こうなったら龍星館だよなぁ」
「よくやったよ、明菱も」
「ああ。全国でもほとんどないよ。これだけ彼女たちを追い詰められる学校は」
誰がどう見ても、実績から鑑みても、龍星館の勝利は明らかである。
調子がどうこう、そういう差ではないはずだから。
それに彼女は今大会、初めての出番であった。初の実戦が元最強、どう考えたって荷が重い。それでも――
「パパ、沙紀ちゃん」
「うん、いい顔だ。ですよね、お義父さん」
「うるさいわい。集中しとる!」
「はは」
近しい者にはわかる。
「沙紀ちゃん、頑張れ」
神崎沙紀を見続けてきた者たちには、わかる。
〇
「ふー、緊張する」
神崎沙紀が戦う貌をしていることが。
それは対戦相手にも伝わる。
(……今のラリーで伝わったやろ? さすがにジブン場違いやで。ボクかて別にラリーで場を沸かせるタイプやない。そんでも、かなり差ァあるやろ)
自信喪失どころか、わかっていました、知っていましたと言わんばかりの振舞い。もちろん緊張はあるのだろう。それはラリーからも伝わってきた。
簡単なラリーもミスっていたから。
でも、
(目は死んどらん)
戦う姿勢に揺らぎはない。それが有栖川には少し奇妙に映る。卓球に限らず、それなりに実力が近ければ勝敗というものは揺らぎ、水物となる。
しかしそれは実力が近ければの話。
実力差があれば、奇跡などほとんどなくなる。それはどの競技も同じだろう。
必死に頑張る、では届かぬ世界もあるのだ。
「……沙紀さん、どんな感じだ?」
「いい緊張感に包まれているように見えるよ。大丈夫だと思う」
「……そうか」
ベンチの隅で寝転がり、歯を食いしばりながら紅子谷が問いかけ、円城寺がそれに答えた。悔しさと疲労感で圧し潰されそうなのだろう。
必死に駆け抜けた一年間だった。
「紅子谷先輩、水を」
「……ありがとよ」
外の世界を、上の世界を目指そうとせずに怠惰な生活を送っていなければ、明菱に入り卓球に出会うこともなかった。
それでも彼女は、どうしても悔いてしまう。何かしていれば、今こうして無様に倒れ伏して、情けなくも天を見上げることもなかった、と。
足が重すぎて、全然動けなくて、負けた。
先輩に全てを押し付けることもなかった。自分が何だかんだと面倒見のいい先輩に勝利を、この先を用意してあげたかった。
「そんなに悔しがらないでよ。一勝もしていない私の立場がない」
「……すまん」
「だから、そんなに深刻にならなくてもさ。別にこれで全部終わりじゃない。きっと沙紀先輩だって大学に行っても卓球をやる。私たちにも次がある」
「……」
「小春もそうだけど、自分が勝たなきゃ、ばかりはちょっと傷つくよ。応援しよう。それに私はこうなってよかったけどね。だって……そういう準備をしてきた」
「……ああ」
「実を言うと楽しみなんだ。今の沙紀さんが、あの卓球が、本当に通用するのか。通用するなら……私は嬉しいよ」
「だな」
あとはもう、応援することしかできない。
練習は積んできた。
(実力差は明白……上等じゃない。あとはもう、自分を信じるだけよ、部長)
実際に対戦経験もあり(なお敗戦)、相当の研究を積んだ石山百合が授けた神崎沙紀にしか出来ぬ卓球。あとはもう、やってみるだけである。
石山は途中であきらめた。
積み重ねてきた自負が、変化を拒絶したから。
神崎沙紀は、貫き通せるか。通せば、勝敗は『わからない』。
試合が始まる。
「ファーストゲーム神崎選手、トゥ、サーブ。ラブオール」
神崎のサーブから――
(何の変哲もない横下……ほな、お返しや)
有栖川のチキータが炸裂する。
其処に、
「おっ」
「ブロッキングだ」
角度を合わせたブロックが決まる。
(……あー、まあ、確かにボクあんま青柳とか得意やないよ。でも、別に負けとらんねん。あれより巧いんなら、別やけどなァ)
ブロックマン、事前情報通りの浅い攻略法。得意ではない、は苦手であっても勝てないわけではない。実際、たまに負けることはあっても、大半は勝ち切っている。それにそれは、青森田中のナンバー2、青柳循子だからこそ。
お前は何者だ、それを問う連打。
「くっ」
「ほぉ、付け焼刃やないね」
染みついた動き。青柳循子や劉党などの先人から着想を得て、小生意気にも自分の卓球には昇華できている。まあ、其処止まりではあるが――
「よォわかった」
その凡夫なりに厚みを持たせた壁を、有栖川のスマッシュが突き破る。
「ボクの勝ちや」
舐めるな、とばかりに。
「ボクを、誰やと思っとんねん」
元女王、有栖川聖が先制パンチをかます。
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