第125話:怪物対エリート②

「遠藤選手が――」

「――カット?」

 ドライブでの打ち合いを諦め、後ろに引いてカットを繰り出した。意外性はある。ここまでの試合、彼女はその技術をほとんど使ってこなかったから。

 しかもそれを多用し、本職のカットマンのようなプレーをするとは会場の誰も思っていない。遠藤愛をよく知る者ほど、驚きが浮かぶ。

「確かに引き続き体力切れを狙うなら効果的だよ。でも――」

 円城寺秋良は小さく首を振る。

 遠藤愛が目の前とする選手は――


「しゃらくせェ!」


 本職カットマン、円城寺秋良が一番戦いたくない選手である。破壊的な一撃、その連打はカットマンをして容易に返せるものではない。

 後陣なのに押し込まれる感覚が続き、ぶち抜かれる。本来有利、というか格上のドライブマン相手でもじゃんけんで無理やり打ち合いを五分に持ち込めるのがカットマンという戦型であるが、彼女はそれすら許さない。

 理不尽、それが紅子谷花音の卓球である。

 それに、

「すず?」

「ひひ、円城寺ちゃんのそれと比べて、少しだけ切れていない」

 カットの鋭さ、回転量もまた円城寺の方が上である。付け焼刃とは思えない練度であるが、普段練習している相手よりも明確に劣る。

 本来練習し辛い希少種のカットマンも、チームに一人いれば練習を積むことが出来る。カット打ちは明菱の面々は皆、嫌というほど打ち込んできた。

 練習でも、部内戦でも――

「だけど……」

 幼馴染である輪島切子があまり見たことのない九十九すずの表情。

 それは敵意、に見えた。

「……なんで?」

 時を同じくして『打ち合い』を眺める円城寺は疑問符を浮かべていた。何故抜けないのか、と。あのカット精度なら、もっと早く抜けてもおかしくない。

 なのに『打ち合い』が成立し続けている。

 長く、下手をすると自分よりも――

「カットは円城寺が上だよ」

 不知火湊が円城寺に声をかける。

「カットは、ね」

 自らもまた唇を噛みながら。

 そんな中、

(野郎、其処に届くのかよ!?)

 対峙する紅子谷花音が一番それを感じていた。手応えのあるドライブは打てている。威力、コース共に申し分ない。

 カットも普段打ち込んでいる分甘く映る。

 でも、抜けない。

「ふっ」

 遠藤愛のラケットが届く。

 恐るべしは、

「……身体能力の高さ。機動力が、違うわね」

「あっ」

 遠藤愛のアスリートとしての能力。身長も、手足の長さも、明菱の王子様(自称)として君臨(一部)する円城寺秋良とさほど変わらない。

 しかし、その出力が全然違う。

 反応も早い。

 その結果、カットが甘くとも届く。返せる。長引く。

「はぁ、はぁ、はぁ」

「きついですか?」

 長引き、体力が削られる。

 そうするとミスも、

「……っ」

 増える。

 其処へ、

「きついですよね?」

 ぎゅん、と凄まじい機動力で前へ詰めていた遠藤愛が打ち抜く。古式ゆかしいカットマンとは明確に違う。新型の攻防一体型のカットマンとも微妙に違う。

「甘ェ」

 花音、打ち抜かれたそれを後退して遅延させながら、スペースも同時に作って、あとは力でぶっ叩く。昨年までとは違う技術と才能の融合。

 その破壊的な一撃は、

「そっちが甘い」

 前で張ったままの遠藤愛、鮮烈なるカウンターの前に沈む。確かに姿勢からしてコースは限定されていた。だけど、

(……そこまで思い切り振り抜くかよ)

 それでも今打ったのは怪物紅子谷花音である。簡単にカウンターを決められる打球じゃない。凄まじい打球、手応えもあった。

(博打成功、ラッキーです)

 だから、決め打ちをしたのだ。

 あのタイミングじゃ後退が間に合わなかったから、割り切って振り抜いたのが刺さった。それだけ。でも、遠藤愛は決めて当たり前、みたいな顔をする。

 それが、

「……ちィ」

 花音を削ると知っているから。

 素晴らしいカウンター、それに会場が湧く中、

「今の、コーチのカウンターに似てた」

「そ、そうかな?」

「小春はそういうの、敏感だから」

「……え、と、シンシンと違って、あの子と卓球はしていないよ、まだ」

「まだ?」

「味方を負かした相手を愛称で呼ぶのやめてよぉ。涙が出ちゃうよぉ」

「ご、ごめんてば」

 明菱ベンチはまたも不知火湊が針の筵に立っていた。

 まあ、あながちこの扱いも間違いではない。

 何しろ今の遠藤愛の卓球を形作ったのは、やはり不知火湊の卓球であるのだ。あの日、彼女は憧れたから。焦がれたから。

 魅せられたから――


     〇


 遠藤愛は幼少期から名の知られた選手であった。姫路美姫覚醒前は何度も星宮や青柳とトップ争いを繰り返し、表彰台に不貞腐れながら乗る姿も写真に残っている。有栖川聖、そして姫路美姫、その辺が台頭してきても上位入賞は堅い。

 高い技術、そして女子の中では大型かつ強靭なフィジカル。

 戦型はみんな大好きドライブマン。中陣での戦いを得意としていた。同世代の佐伯湊に関しては知っていたし、リスペクトもあったが、彼の卓球自体はそれほど惹かれるものではなかった。自分と違い過ぎた、それが大きい。

 名門中学へ、そして名門高校へ。

 エリート人生。

 打倒星宮那由多、有栖川聖、それに胸を燃やす彼女が、龍星館の一軍の座を掴むのはおかしな話ではなかった。

 負けた如月が悪いだけ。

 明らかに伸びしろも含め、遠藤愛の方が上だった。

 だから如月は自ら引いた。だから指導陣も引き留めはしたが、その英断を尊重した。でも、周りはそれを英断だとは思わなかった。

 その周りが、野心家であったはずの彼女を圧し潰した。

 結果として如月が勝つ責任を押し付け、周りの白い目が突き刺さり、彼女は自分を見失い、同時に卓球も見失った。

 総体での惨敗、未だに夢に見る。

 自身の戦歴の中でも最悪であった。卓球をやめたくなった。

 実際あの日、不知火湊の卓球を見なければそうしていたかもしれない。広くて、自由で、何でもできる。格好良すぎた。ああなりたい、心の底からそう思った。

 漠然とした己の卓球、指導者好みの勝てる卓球を続けてきた彼女にとって、彼の広くて自由な卓球は衝撃的で、何よりも魅力的だった。

 その日の内にファンクラブに入るほどに。

 どうせ自分の卓球は戻らない。ずっと狂ったまま、メンタルか、メカニックか、その両方か、どちらにせよ狂ったものを取り戻すより、新しい道を模索することにした。龍星館の指導者も賛同してくれた。

 不知火湊のような、卓球全部を愛するようなオールラウンダーになりたい。

 卓球への愛に溢れた姿が目に焼き付いている。

 一から卓球を学び直した。

 前、後ろ、元々技術はあったが、勝てる技術以外を磨いてこなかった彼女にとってその作業は存外楽しかった。

 水に合う感じもあった。

 昨年はまだ噛み合わなかったが、少しずつ仕上がっている感覚があった。

 でも、

「あれ?」

 近づけば近づくほど、遠ざかる。

 違うのだ。

 特に――WTTコンテンダー、劉党、そして王虎との試合。あれを見て違和感は確信に変わった。ああなりたかった。

 でも、成れない、それがわかった。わかってしまった。

 不知火湊の卓球は妥協なく叩き込まれた高い技術を基にしたものであるが、その根っこは卓球で最も重要なセンス、である。

 特に未来予知のようなあれはもう、真似しようと思ってできるものじゃない。

 勝負どころでの超絶技、かつて自分が焦がれたそれを、改めて突き付けられて理解した。自分にはどうしたって無理なのだ、と。

 それでも今更道は変えられない。

 それに――

「くぅ、惜しかったけど負けは負け。次は勝つから」

「う、うん」

 何だかんだと勝てるようになってきた。龍星館の部内戦は簡単じゃない。その辺の県大会などよりよほど激戦、全国大会とも遜色ないレベルである。

 その中で何故か勝てるのだ。

 以前のような圧倒する感じではない。じわじわと、相手を沈めていくような感覚。自分はただ、持てる手札を使って戦っているだけなのだが――

「ぐ、うう。せっかく、最後の年に、一軍に、上がれたのに」

「……」

 相手に合わせて、戦っているだけ。

 勝てる。

 戻ってきた確信。あの頃確かに握っていたそれよりもずっと。濃度の高い何か。逃がしてはいけない。

「何笑っとんねん、ジブン。先輩地獄へ突き落したばっかやろ」

「あの、先輩」

「あん?」

「私、笑っていましたか?」

「……まだ笑っとるわボケ。鏡見てこいや」

 嫌な自分。鏡で見たら確かに笑っていた。歪んだ、醜い笑み。忘れていた、それが自分なのだ。勝ちたい、勝ちたい、自分が自分が。

 エゴイスティックで野心家。

 忘れていたことを思い出した。

 先輩を突き落とし、生き残ったことが嬉しい。一つ勝利を積み上げたことが嬉しい。自分の勝利に顔を歪めて泣く、先輩の姿を見て愉悦を覚えた。

 嫌な奴だった。

 だけど、それも自分。

 それが遠藤愛だった。新たな武器と自分が噛み合う。

 そして――


     〇


(犬さん、猫さん、ごめんなさい。部のために勝ちたい、嘘じゃないです。二つ上の先輩たちに睨まれていた時、負けた方が悪いと味方してくれた先輩たちのことも好きです。でも、ごめんなさい。私は、それ以上に自分が好きです)

 輝ける怪物、匂いでわかる。天才に何度も煮え湯を飲まされてきた。

 負けた負けた負けた。

 勝ちたい勝ちたい勝ちたい。

 だから、足を引っ張り沈める。相手の戦型に合わせ、状況に合わせ、やられたくないことをオールラウンドな手札から切る。

(自分が、勝つためだけに卓球をやります!)

 熱戦に感化され誰よりも先んじて台の前に出た。あの二人の熱戦に心打たれたことは事実だが、ああした理由は別である。

 あの状況で紅子谷花音が一番されたくないことをした。

 ただそれだけ。

 自分の勝つ確率をほんの少しでも上げるため。

 ただそれだけ。

「あはァ」

「……野郎。舐めたツラしやがって」

 不知火湊に憧れた。ああなりたいと目指した。今だって目の中に入れてもいいぐらい、あの人の全部が好きである。近寄りがたいほどに愛している。

 だから、そもそも彼に愛された明菱の連中全部が嫌いである。

 湊に近い星宮那由多もさっき嫌いになった。まあ、元々自分を何度も負かした相手、好きにならないと格好悪いからそう振舞っているけど、嫌いである。

 姫路美姫は殺したいほど嫌い。

 天才は、自分より強い奴はどいつもこいつも嫌い。

 嫌い嫌い嫌い嫌い。

 自分が大好き、それと同じくらい不知火湊が好き。

 それ以外は全部、

「沈めて、勝つゥ!」

 沈めるだけ。

 不知火湊の卓球を目指し、それとは対極の境地へ至った。

 それが遠藤愛の卓球である。

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