第124話:怪物対エリート①

 龍星館が追い詰められる。

 そのことに会場全体が驚愕と共に息を呑み、揺らいでいた。歓声はない、戸惑いの方が大きいだろう。

 しかも敗れたのが星宮那由多と犬猫ペア、どちらも圧倒的な勝率を誇る龍星館の柱たちである。女王が地に落ちる姿、見たくないと言えば嘘になる。

 だが、

「……勝手なものだな」

「橘さん」

 いつか自分たちが落として見せる。自分が入らなかった、自分が入れなかった、あの女王を――その想いが強ければ強いほどに、複雑な想いが去来する。

 負けてくれるな、と。

 強い龍星館であってくれ、と。

 そんな視線を浴びながら、

「負けちゃいました」

「申し訳ございません」

「よく戦いました。あなたたちは我々の誇りです」

 龍星館ベンチの熱量はこれ以上なく高まっていた。

「まだ終わりじゃないですよ。全国大会が控えています。有栖川君と星宮君はどうにもかみ合わせが悪い。君たち以上はいない、と思っています」

「「はい」」

 まだ先がある。この窮地にそう言い切った。

 嘘でも強がりでもない。この二人が繋げてくれたのだ。でも、監督はあえて其処には触れなかった。何故なら、その選択が彼女たちにとって本意でなかったことなど明白であり、其処に触れて褒めること自体が矜持を損ねることと考えたから。

 だからただ、奮戦の労いのみを述べた。

 勝負はもう――

「おおっ」

 次の舞台へ移っているのだから。

 第四試合、龍星館は二年の遠藤愛を出す。一年で当時の主将である如月からレギュラーを奪った期待の選手であり、中学までの歩みもエリート街道。

 ただ、同じチームに世代を超えた存在である星宮、有栖川がいたことで影が薄くなる。さらに付け加えるならば、

「こっそり見に来たけど……こう並ぶと複雑だね、如月さん」

「そうですか? 私は全く心配していませんよ。今の彼女ならば」

 昨年夏の醜態。女王が玉座を追われる一因となった大崩れ。実力を出し切れず、抜擢に疑問を持たせることとなり、チームが一時割れることにもなった。

 そんな彼女を如月は見に来ていた。

 自分が退けば彼女以外の選択肢はなくなる。そうすれば指導者も、チームとしても一丸となるだろう。彼女のためにもなる。

 先のない自分が経験を積む舞台を奪っても仕方がない。

 当時は本気でそう思っていた。

 だけど、

「……見事でした、猫屋敷、犬神。私は……あなたたちのような背中を見せるべきだったのでしょうね。必死に、泥臭く……また教わりました」

 違ったのだろう。自分の選択は前途ある後輩を追い詰め、皆を惑わせることになった。全力で戦い、何かを残し、後に託して負ける。

 そう、すべきだった。

「さあ、勝負だね。うちの花音ちゃんも強いよぉ」

「ええ。勝負です」

 しかして全ては過去のこと。

 これからは――

「ちっ、あの小娘」

 何を言うでもなく台の前で相手を待つ遠藤愛。誰よりも早く舞台の上に立ち、無言でプレッシャーをかけ続けている。

 さっさと来い、と。

 犬猫の刻んだ傷が癒えぬ前に。

「はぁ、はぁ……そろそろ行きますわ」

「紅子谷、またあんたの悪いとこ出てるよ。乗せられんな。審判に呼ばれてからが本番、ギリッギリまで粘るわよ。少しでも回復に勤しみなさい」

 石山が花音の甘えを叱責する。

 だが、

「少し休んでも一緒っす」

 花音はそれに逆らい立ち上がる。

「紅子谷ァ」

「全部は回復しねえ。それはトーシロの自分でもわかるんで。なら、あとは気合でしょ。気持ちが冷める前にやりたいのは……あたしも同じっす」

「……それがあんたの判断?」

「っす」

「なら、行きなさい」

「了解」

 どうせ少し休んだところで体力は戻らない。なら、あとは気持ちの勝負。

 紅子谷花音は少なくとも濃密な競技者人生の中で培った感覚を信じる。

「花音ちゃん」

「あ?」

「小春、謝らないよ」

「たりめーだ」

 彼女が舞台に上がった瞬間、皆が眼を剥く。先ほどまでダブルスで戦っていた、凄まじい実力を見せてきた選手である。

 だが、一人で立つとこうも、

「よぉ、待たせたな」

「はい、待ちました」

 こうも、デカく見えるのか。

「遠藤ちゃんも170センチはあるんやけどなぁ」

「規格外、ですね」

 遠藤愛も女子選手の中では圧倒的に大きい方である。もちろんバレーやバスケの選手の中では埋もれてしまうだろうが、此処は卓球の世界。

 彼女は大きい。でも、紅子谷花音はその代表選手らと比較しても遜色ない、いや、厚みを加えたなら彼女の方が大きく見えるほどである。

 彼女が放つ圧、その大きさは握手する姿でわかる。

「大きいですね」

「ビビったか?」

「いいえ」

「そりゃいいや」

 卓球を始めて一年と少し。卓球は才能のスポーツだと誰かが言った。始めたては皆上手くなる。それこそ運動音痴の子でも、経験していない者相手だとどれだけ運動神経がいい子が相手でも勝てるようにはなる。

 フィジカルが大きく寄与しない、それは細く長く続ける分には素晴らしいものである、と言えるだろう。

 だが、裏を返せばどれだけやり込んだところで、どれだけ肉体を苛め抜いたところで、簡単にはその先に辿り着けないようになっているのだ。

 才能としか呼べぬ壁。

 トップ選手は幼少期から突き付けられてきた。

 凡人か天才か、と。

「……」

 遠藤愛は不知火湊を見て、一礼する。

「……?」

 彼に出会わなければ、あの日彼が龍星館に来てくれなければ、自分はここに立っていなかったかもしれない。自罰思考に雁字搦めとなり、卓球をやめていたかもしれない。だから、敵だとわかっていてもその感謝だけは伝えた。

 これで、

「行きます」

 心置きなく目の前の敵を殺せる。

 しかしその殺意は――


「GAAAッ!」


 気迫の一打で塗りつぶされる。

 回転を塗り潰すほどの剛力、技巧もクソもない力で持ち上げたチキータから、一気にペースを握っての中陣から打ち合い、いや、これは――

「打ち合いってか、打ち込みだろ……これじゃ」

 打ち合いにならない。

 あまりにも、そのドライブは強過ぎた。

「……っ」

 先制点は花音。

 体力の消耗を感じさせぬ足取り、破壊的なドライブ。たった一プレーで会場に知らしめる。これが紅子谷花音だ、と。

 強豪大学の面々、特に遠征先の地方はスカウトをこの会場に送り込んでいた。すでに龍星館の選手は大体精査済み。

 彼らのお目当ては未知数だった実戦での香月小春、紅子谷花音。

 その期待に応える姿である。

「か、怪物だ」

 立ち上るは強者の、上に立つ者の威風。

「外から見ても凄まじいね、犬」

「ええ、ぞっとしますよ」

 フィジカルが大きく寄与しないスポーツではあるが、まったく寄与しないわけではない。ここまで桁外れであると、やはり卓球への影響も大きい。

「今度は左右に振ってきたわね」

「涙ぐましいけど……無駄だぜ、なあカノン」

 鶴来美里、そして竜宮レオナが見守る中、

「っらぁ!」

 普通の人なら二歩必要なところを、たった一歩で追いつき大きく振り抜く。男子をも超える身長と手足の長さが可能にする異次元のプレーである。

 それがスーパープレーではなく通常のプレーなのだから恐ろしい。

 今の日本男子勢で最も身体能力に優れているのは黒崎豹馬であろうが、彼と他の男子の差は、紅子谷花音と他の女子の差に比べたら可愛いもの。

 それほどに桁が違う。

「随分、差をつけられちまった」

「身体能力なら、ね。そりゃそうでしょ。去年あんたと打ち合っていた時の彼女はまだ、アスリートじゃなかったもの」

「ああ」

 フィジカルで有名だった竜宮レオナにそれで勝てないと思わせるほど、今の彼女は別格であった。欧州でもなかなかいない。

 そもそも、いても卓球を選ばない。

「でも、あちらさんも冷静よ」

「そりゃあそうだ。遠藤愛だぞ、あの」

「あの、って言われてもね。ブランク長い身ですしおすし」

「見ときゃわかるよ。精々気を付けな、カノン」

 二点連取、幸先のいいスタートに見える。

 だが、眼下の選手は、

「やはりドライブ勝負では分が悪いですね。じゃあ、どうやって――」

 ぶつぶつとつぶやきながら思考を回転し、

「決めた」

 二点の代わりに解法を得る。

「……あ?」

「こうしましょ、そうしましょ」

 空気が、変わる。

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