第123話:夢を見た
「……?」
2ゲーム目から何かが変わった。
(猫屋敷が下がり目の位置でプレーするようになった? 犬神の位置取りは変わらず……それに何の意図があんの? むしろ、後手に回ってない?)
石山百合はその変化に戸惑っていた。試合中にプレーを変化させるのはよくあること、そのテコ入れが上手くいかぬこともままある。
しかし、意図が読めず、どう考えても上手くない変化には理解が及ばない。
全体の位置取りが下がったことで、球は拾えている。でも、それが攻撃に結び付かねば何の意味もない。ラインを下げた状態で打ち勝てるなら、そもそも1ゲーム目のようなことにはなっていないのだ。
猫屋敷と犬神は香月、紅子谷ほど極端ではないが得意なプレーエリアは異なっている。猫屋敷は前、中、犬神は中、後、前で仕留めるも、後ろで決めるも、自由自在。その広さがあのペアの武器でもある。
あれでは攻めの手札から前を捨てたようなもの。
上手くない、そう映る。
「ねえ、不知火。あれってどういう意図なの?」
明菱部長、神崎沙紀が問うも、
「いや、正直わからないです。ミス待ち? でも、もうあの二人はそんなレベルじゃない。厳しくいかないと、形勢が覆るようなミス、続けない」
不知火湊ですら理解できないでいた。
必死でやっているのは間違いない。気迫のプレーが連続している。よくあれを拾うな、と思う。だけど、それが何も繋がっていない。
ただ――
「……あっ」
遅延しているだけ。
その発想に至った瞬間、石山は唇をかみしめる。拳を、ぎゅっと握る。
そんなことがあるのか。
そんなことが出来るのか。
だって、あの二人は競技者である。強豪校の、看板ペア。大学から先、すでに明日を見据えたポジションにいるはず。
そう思っていた。
だから、其処が鎖の弱い部分だと思っていた。
「私は……考え違いを、していた?」
しかし、もし、彼女たちが自分たちに先がないと理解していたら。強豪校とトップ選手の都合で抜擢されている、ときちんと飲み込んでいたとしたら――
話はがらりと変わってくる。
「円城寺」
「はい?」
「あの二人、いつからペアを組んだの?」
「え、と、詳しくは知りませんけど、おそらく私たちが中学に上がるタイミングだった、と思います。一年の時に当たって、その時はまだそれほどではなかったので」
「……そう、中学生、がね」
「……?」
中学一年か、それとも二年か、それが自主的か、強豪校の都合を突き付けられてか、はわからない。わかるのは中学生が、身の丈を直視し、道を選んだということ。
中学生が越境してまで名門の門を叩いた。
野心に満ち、野望を抱き、そんな者ばかり、そんな奴しかいない。
そんな二人が――
『石山、大人になれ。こんなにいい話、他の選手にはないぞ』
『私はまだ終わっていない! 私はまだ、選手としてやれる、先がある!』
『……石山』
大人の自分ですら呑み込めなかった現実を飲みこんだ、など――
だけど、それしか考えられない。
「どっちが、大人よ」
自らの見立て、そのズレに、たかが高校生と思っていたその不見識に、石山は恥ずかしさを覚えていた。最後まで飲み込めず、不義理を撒き散らし無様に引退した自分と中学生。その大きな、大き過ぎる差に、泣きたくなる。
石山は龍星館のベンチを見る。
謎の戦い方をするペアに対し、幾人かはその真意に気づき見守っていた。指導者連中もとうにわかっていたのか、何も言わずに見据えている。
やはり、そう言うことなのだろう。
「……神崎」
「私ですか?」
「一応、心の準備だけはしときなさい」
「え、それって――」
「どう転ぼうと、ね。……それが礼儀よ」
ふー、と息を吐き、石山百合は戦いを見つめる。
必死に食らいつく、あの二人に――リスペクトを込めて。
〇
ミスは出てくる。
だけど、それ以上に点を獲る。と言うか、点を獲られる気がしない以上、ずっとセーフティに試合は進行していくだけ。
気迫のプレーはある。
運動量自体は想像を絶するほど――それが結果に結びつかぬだけで。
でも、時間が経てば経つほど、
「かあちゃん。かの姉ばっかりがんばってかわいそうだよ!」
「そうだよ!」
「確かに、ずっと動いて大変そうねえ」
浮かび上がってくる。
あのペアの狙いが。高校というカテゴリーの中では間違いなく日本一のダブルスペアである。その矜持もあろう。
だと言うのに、
「ねえ、きりちゃん」
「なに?」
「私にはわからないけど……あれだけ打たされたら、疲れる?」
「……あっ」
あのペアは2ゲーム目から明確に、それを狙っていた。
「嘘でしょ、犬猫ペアが、なんで?」
鶴来美里らも驚愕する、その選択。狙い。
それは――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
紅子谷花音の体力を削ること、であった。
それが今勝つことを狙ったものであればまだ理解できる。しかし、犬猫ペアは最終ゲームになってもスタンスを、スタイルを変えない。
ラインを下げ、驚異の運動量と魂の気迫で一球でも多く返す。
返し続ける。
「「……」」
表情一つ変えずに、滝のような汗をぬぐいながら、ただひたすらに紅子谷花音を削り続ける。一球でも多く打たせる。一歩でも多く動かす。
そのためだけの卓球に徹する。
全国一のペアが勝利を捨てた。自分たちの勝利を捨て、
「遠藤、安ないぞ」
「わかっています」
後輩の勝利に貢献する。
否、チームの、龍星館の勝利に貢献する。
夢を見てきた。
夢を見させてもらった。
だから――
「猫!」
「ふん、にゃあッ!」
ロビング、フィッシュ、カットでも何でもやる。飛びついても、次の一球は相方が請け負ってくれる。シングルスでは出来ない、ダブルスにのみ許されたクソ粘り。さすがにここまで来れば観客もわかる。
「よろしく!」
「オッケーです」
全力全開の遅延行為。
そして、
「花音ちゃん」
「気に、すんな。チワワ。楽勝、だ」
犬猫二人の次に動かされ、顔を歪ませながら肩で息をし、汗の量も二人より多い。運動量は犬猫の方が上。
でも、そもそもの基礎体力が違う。
龍星館で中一から高三までずっと厳しいトレーニングを積んできたのだ。どれだけ才能があろうとも、運動における体力と言う名の地金は、長い時間をかけて鍛え上げねばならない。一年と少し、厚みが違う。流してきた汗の量が違う。
それが今、
(無尽蔵かよ、こいつら)
流す汗に現れている。
「「……」」
どんな厳しいコースだろうが当たり前、みたいな表情で拾ってくる。飛びつき、倒れても、次の次には楽々戻っている。
何よりも貌が恐ろしい。
疲れが見えない。底が見えない。
点数では追い詰めているのに、勝っている気が微塵もしない。
「……」
香月小春は一歩、少しでも花音をフォローするために下がった。
刹那、
「舐めんなガキ」
一瞬で前に詰めてきた猫屋敷がそれを食い破る。小春の後退を、花音の負担を軽減するために下がったひと足を、歴戦の嗅覚が見逃さなかった。
「にゃはは、ラッキーラッキー」
「お見事」
二人の目が言う。
「ありがとう」
と。
見下ろすようなそれを感じた瞬間、
「香月ィ!」
石山の怒号が飛んだ。試合中である、休憩やタイムのタイミング以外で声を出すのはよくない。助言ともなればルールに抵触することもある。
だが、
「百合さんの言う通りだ。テメエ、何勘違いしてやがる」
その叱咤、怒りの意味は十分伝わった。
「下がったテメエなんざ、誰も怖がらねえよ。前、張ってろ」
「でも――」
「でももクソもねえ。次やったら、マジで殺すからな。いつもの冗談じゃねえぞ。相手はチャンピオンなんだ。舐めんな」
きついのは当たり前。相手は女王が誇る看板。化け物が二枚、それがシングルスに徹しているから追い詰めているだけで、どちらかが相手に合わせてダブルスをしようとすれば、その瞬間一気に勝負をひっくり返す力はある。
そういう勝負強さは肌で感じる。
たかが2ゲームの差なぞ紙切れ一枚。そう思わねば食われる。
「あーあ、石山さんずっるいんだぁ」
「でも、少し救われましたね」
「にゃ」
あの石山百合にも伝わっている。決して知名度のある選手ではない。でも、二人は彼女のファンであった。彼女の諦めないプレーに憧れていた。
そういう人にも伝わった。
それは――
「体力は?」
「ガス欠寸前。でも、ランプがついてからが勝負っしょ」
「免許もないのに?」
「一緒に合宿で取りに行こうぜ」
「いいですね。では――」
優しく、柔らかく明日を語る眼は一瞬で切り替わり、二人とも今に全てを捧げる眼となる。隙を見せたらぶっ殺す。
主導権がそちらにあると思うな。
貴様らが勝つには、自分たちを貫き通すしかない。
こちらの仕掛けに、付き合うしかないのだ。
「ふん、ガァッ!」
あんな後ろから、あんなクソみたいな体勢から、よくもまああんな化け物じみた打球を放てるものだ、と感心してしまう。
大学などのスカウトはもう、あの二人しか見ていないだろう。
先のある者、
「疾ィ」
明日を担う者、
「ふんにゃろぉぉぉお!」
先のない者、
「まだまだァ!」
明日、大好きな卓球漬けの生活が許されぬ者。
大学まではしがみつくことも出来るだろう。だけど、社会人になったら絶対に許されない。其処までは辿り着けないから。
コーチとして雇われるのも簡単じゃない。実績がいるし、実績を持つ人材など世の中ごまんと溢れている。
指導者でなければ、仕事と私生活の合間を縫いクラブチームに所属して卓球に触れ続ける道もある。会費を払い、教室なら月謝、パーソナルならその度にお金を払い、卓球をやらせてもらう。そういう時間が、すぐ目の前まで来ている。
夢のような時間はもう、終わりかけている。
「「勝つッ!」」
若く、煌めくような才能。
たくさん才能を見てきた。誰よりも近くで天才たちを見てきた。だから、断言できる。君たちは明日、これからも自分から離れぬ限り続けられる身だ、と。
試合をしたら一発でわかる。
いいなぁ、と思う。
羨ましいなぁ、と思う。
狡い、と思う時もある。
でも、まあ、
(ダサいことは……口にしない!)
それを口にして、くさする側に回る気はない。例え卓球を手放さねばならぬ日が来ても、画面の奥で戦う皆を見つめる側になったとしても――
「あんな前で、えぐい角度に打たれた球、拾うのかよ」
気迫の飛びつき、ゆるゆると打ちあがった球は何とか相手コートに落ちた。
でも――
「GAァッ!」
最後の一打、紅子谷花音が全身全霊で打ち抜いた。
これで幕引き、文句は言わせない。
ペアを引き裂くような、笑えるほどにスケールの違う一打であった。
結果は3-0、大敗である。
だけど、
「……」
誰よりも早く、小さく、でもはっきりと、石山百合が拍手を送った。スカウト連中がどう思おうと関係がない。自分が評価しているのだ、と。自分の教え子がどう思おうと、申し訳ないが関係ない。
長く戦い、足掻いた者にしかわからぬこともあるのだ、と。
その賛辞を、送る。
「……へへ」
「いきましょうか」
「おう」
夢を見た。
夢破れた。
現実と向き合い、戦い、もう一度夢を見る権利を得た。
そして、今一度夢から覚める。
きっと、もう二度と、夢を見ることは――ない。
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