第121話:切り札その二

(調子を崩し日本に都落ちしたとはいえ、あの中国で知られた子だった、その時点で才能、環境もぴか一……でも、輝きが消えていたのは事実なのよね)

 趙欣怡、彼女が跳ねたことに不思議はない。容姿の上げ底はあれど、世界一の卓球大国である中国で抜け出すのは並大抵では不可能。

 才能はあった。環境もよかった。実家も極太。

 だからこそ、その輝きがくすむほどには不調は根強かったはず。不調と言うよりも、もはやイップスの一種。単調で、面白みのない卓球。

 技術しか見所のない選手。

 メカニックにエラーがない、メンタル的な部分に難がある。これは卓球において最も修正が難しい部分であるのだ。

 卓球はメンタルのスポーツでもあるがゆえに――

 だから、石山百合にはわからない。負のスパイラルに呑まれ、中国から日本へ落ち、その中でも輝きを失っていた彼女が、何故甦ったのか。

 龍星館のスタッフが優秀であったのか。

(……優秀なスタッフだけど、彼らで何とかなるなら中国で何とかなったはず。そも、一年から二年の間は、何なら劣化すらしていたのに)

 申し訳ないが円城寺の敗北自体は想定の範囲内。しかし、趙欣怡のレベルに関しては完全に想定外だった。

 ある意味、怪我の功名。

 本来の編成なら、第二試合は紅子谷花音が入るはずだった。

 許されるのであれば第一、第二と取ってダブルスで片を付ける。これが理想であるがダブルエース運用の時点でどちらかは第四に回す必要があった。

 紅子谷を信頼していないわけではない。

 ただ、

(あの子、日本だと規格外だけど……中国なら近いのはいくらでもいるのよね。おそらく、その中でもまれた彼女には解法があるはず)

 大国の経験値、これは正直怖い。自分の現役の時、何が恐ろしかったと言えば中国選手、上から下まで馬鹿みたいな場数を潜り抜けた分厚い経験値であった。日本とて卓球大国、その中で多くの修羅場を潜り抜けた自分でも、その部分では勝てないと思わされた。その分厚さが、世界一の厚みが、及ばない部分。

 経験を才能でねじ伏せる。

 そのコンセプトが通じない恐れが、最も高いのが厚みの見えぬ彼女である。

 正直、選手の感覚としては今の彼女は予想の付く星宮や有栖川より怖い。

「あちゃー、間に合わなかったかぁ」

 石山が考え込んでいる間に重役出勤、不知火湊が会場に現れた。

 その登場に、

「不知火君だ」

「うわ、明日の男子シングルスの優勝候補だよね」

「そりゃあそうでしょ。今回もフィーダー二位だったもん」

 会場がざわつく。

 そのざわめきを聞き、

「うぐっ」

 傷を穿たれた湊。優勝かますぜ、と勇んで一つカテゴリーを落とした大会に出場したにもかかわらず、コンテンダーで死闘を演じたフランスの天才、ローラン・アキュズにものの見事にリベンジをぶちかまされたのだ。

 準優勝でも凄いことであるが、本人的には悔しさしかない。

 次はぶっ殺す、そう誓っていた。

「コーチ!」

「香月、おめでとう」

「わおーん!」

 旧コーチ、湊の登場に浮かれる小春。

 それとは対照的に、

「……弱くてごめんなさい」

 円城寺は死んだ眼をしていた。

「あ、あはは、調子の悪い時は誰にでもあるよ」

「調子、よかった」

「ほ、本当に? おかしいなぁ、シンシンと円城寺ならいい勝負な気が」

「……シン、シン?」

 ぐるり、下を向いていた円城寺が異変を察知し、湊へ視線を向ける。円城寺だけではなく、沙紀、花音、小春も湊へ視線を向ける。

 あと、

「あ?」

 石山も。

「どうしたの、みんな。そんな目をして」

 悪気皆無の湊の様子に、考え過ぎ、勘違いだと思った。星宮那由多と幼馴染で、彼女の呼び方が移ったのかな、それぐらいで飲み込む。

 次の瞬間、

「ミナト!」

 湊の登場に気づき、嬉しそうな顔でぶんぶんと手を振る趙欣怡を見るまでは。

「あかんよシンシン。一応敵やで」

「あ、そうでした。でも、ミナトに見せたかったです」

「……天然で惨いこと言っとるで」

「……?」

 有栖川聖がたしなめるも、時すでに遅し。

 明菱陣営の貌たるや――

「不知火ぃ……あのチャイナと交流あんの?」

 石山が代表して皆が聞きたいことを問う。

「え、ええ。よくやり取りしてますよ。一時期ホームシックだったみたいで、僕も中国語話せますし丁度いいかな、と」

「ほォ……メンタルも随分変わったわねえ」

「ですよね。どうやったらチームメイトと仲良くなれるか、とか結構相談乗ったんですよ。あと卓球のこととかも……あれ、なんで皆さん、そんなに怖い顔を」

「卓球ってメンタルな競技よね、不知火君」

「そ、そうですね。あ、いや、でも、大したことはしていないですよ。ほんとですってば。僕のせいなわけ……」

「でも、コーチ、あの雌さっきからずっとチラチラ見てるよ」

 小春、我慢できずに口を挟む。

「明らかに普通じゃねえよな」

 花音も賛同する。

 と言うかどう見ても――そうにしか見えない。

「あんたね、打倒龍星館してるのに相手選手に塩贈ってどうすんのよ」

 沙紀も苦言を呈する。

 極めつけは――

「私とは……やり取り、ない。私、無価値。お姉ちゃん、死にたい」

 今にも泣きだしそうな秋良の姿であった。

 戦犯、

「囲んで、やれ」

「はい!」

 不知火湊。

 囲み、死角を作り、視線を消してボコボコにする。八方美人、何も考えずに誰とでも仲良くしてきた、その天罰が今下る。

 これは天誅である。

「まさか身内に敵がいようとは……この私にも読めなかったわ」

 ぼっこぼこにされている横で、石山百合はため息をついた。

 そして、切り替える。

 実際、展開としては悪くないのだ。龍星館の狙いは星宮、趙による二枚抜き、そして絶対的なペアである犬猫ダブルスに繋げる、であったのだろう。

 星宮那由多を香月小春で落とし、三枚目の隠しエースには円城寺秋良を当てて、こちらのエースを温存することが出来た。

 通常の編成で下手を打てば、二枚抜かれて地獄のダブルスへ。それを乗り越えても第四試合、第五試合と地獄が続く。

 その展開を考えたなら、上手く相手の切り札を空かしたとも考えられる。

 秋良には悪いが、大局を見れば捨て駒としてこれ以上なく機能した。

 あとは――

「さ、遊びは終わりよ。身体、あったまった?」

「うっす」

「小春もすっきりしました!」

「よろし。じゃ、ぶっ潰しに行くわよ。龍星館の強みを、粉々にね」

「「はい!」」

 常勝不敗、最強のダブルスペアを打ち砕くのみ。

 それで逆にリーチをかける。

 裏切り者の処刑でウォーミングアップを終えた紅子谷花音と試合を挟み体力をある程度回復した香月小春が出陣する。

 対龍星館、切り札その二である。

「やっぱ雰囲気あるな」

「小春わかんなーい」

 ダブルエース、明菱が持てる最強札の組み合わせ。

 対するは――

「犬、絶対に勝つよ」

「もちろんです、猫」

 猫屋敷、犬神、龍星館の絶対的ポイントゲッター、である。普通はここで戦わない。龍星館と戦う時、どの学校もダブルスは捨てるのだ。

 あえてここで勝とう、と考えるものはいない。

 だからこそ、

「ここよ」

 石山百合はここを勝負の綾と見た。

 弱所を見切る目が、感覚が、此処だと告げているから――


     〇


 猫屋敷、犬神に限らず、ダブルスペアはサーブの際、ハンドサインでどのサーブで、どのコースで、どう組み立てるかの意思疎通を取る。

 次を自分で打たぬからこそのやり取り。

 そしてこのペアは、専業ゆえに複雑かつ多彩なサインを持っていた。全てのプレーをデザインできるほどに、複雑多彩な組み合わせ。

 例え見られたところで、サイン盗みをされたところで関係ない。

 この組み合わせを把握できるなら、それを把握してプレーのデザインまで盗み、対応できるのならばやってみろ。

 絶対的な自信がある。

(狙いは……大きい子だ)

(もちろん。わかっていますよ)

 デザインで狙いは共有される。

 あとはそれに沿うだけ。どのチームも、高校レベルであればパワーバランスに歪みは出るもの。エースともう一人、それが組んでいるなら狙いは当然もう一人の方。そうやって彼女たちは勝ってきた。

 相手のエースを機能不全とし、もう一人から切り崩す。

 星宮那由多を打倒した選手、これを封じれば勝てる。

 それが――


「ウォラッ!」


 ドゴン、会場が震えるほどの重低音が響き渡る。足踏みの音、威嚇にしても大き過ぎるそれは、眼前の敵にこそ響く。

 香月小春には那由多との一戦を参考に、ギリギリバウンドの入るロングサーブを打ち込み、難しい球を前で取らせた。

 次も自分が打てるシングルスとは違い、ダブルスは次を相手に任せねばならない。自分で尻を拭くことが出来ないのだ。

 それでも小春は当たり前のように前で処理した。

 無理やり――ゆえにレシーブは甘くなる。

 それを犬神が全力で厳しいコースへ、詰めるような動きと打球で叩き込んだ。彼女も強打者の一角、まず1点、手応えはあった。

 なのに、

(おン、もッ⁉)

(あれに、追いつき、ますか)

 かなり余裕を持った動きで、長い手足が楽々間合いだと言わんばかりに、気迫の踏み込み、からの凄まじい強打で返してきた。返ってきても苦し紛れ、前で捌くと待機していた猫屋敷のラケットを、差し込んで押すほどの破壊力で――

 たったワンプレー。

 それで示した。

「あかん」

「はい。本物です」

 このペアが、『ダブル』エースであることを。

 化け物がもう一人、いることを。

「ヨォ」

「わん」

 楽勝だ、と言わんばかりの小さなハイタッチ。

 どちらも大して喜びを見せない。こんなもの当然だ、と相手を見下す。

 お前らが常勝不敗であったのは――

「「……」」

 自分たちがいなかっただけだ、と。

 挨拶代わりの一発。

 それを見て、石山はぐっと拳を握った。

「主導権、もーらっぴ」

 悪魔のような笑顔、勝負師が嗤う。

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