第115話:わがままチワワ、出るぞ!
「やだもん」
「……あのなァ、愛知遠征後に決めたよな、みんなで」
「うん」
「このオーダーで龍星館に勝つ、これが一番勝率の高い布陣だって」
「うん」
「だから、これで行くぞ」
「やだもん」
「殺されてえのかチワワァ!」
激昂する石山百合、頑なに首を横に振る香月小春。それを尻目に小春派の一年と花音派の一年がキャットファイトに興じていた。
「星宮那由多はパワータイプに弱い。それは国際試合でも証明されている。男子顔負けの欧州選手相手だとかなり星を落としている。これはもう常識だ、常識」
「……」
「もちろん、そんな選手なかなかいない。でも、うちにはそれがいる。それもとびっきりのゴリラ女子。欧州産のゴリラより強い」
「言い過ぎっす」
「よしよし」
心は乙女、紅子谷花音は神崎部長に慰められる。
「対して前、中で強い選手は、中国勢であろうと軒並み倒している。だから、ついこの前まで世界ランクが高かったの。今は代表選考の兼ね合いで、国際試合への遠征自体頻度を落としているから、かなり落としているけど」
代表選考に国際試合での評価があまり関わらなくなり、日本勢の世界ランキングは一時期よりかなり落ちた。
それは別に制度の違いであり、現状の力を示すわけではない。
日本のレベルは高い。星宮那由多も強い。
だからこそ、突くべきは弱点なのだ。おそらく明進も今年はそのつもりであっただろう。竜宮レオナで星宮を落とし、鶴来美里で有栖川聖を落とす。
まあ、それでもあと一つ星が足りないのだが。
「チワワ」
紅子谷花音をS1に持ってくる。これが明菱の秘策その一である。
其処で勝たねば、勝利の可能性はぐっと下がってしまう。
「なに、花音ちゃん」
「あたしはそんなに信用できねえか?」
「ううん。花音ちゃんなら勝つと思う。信じてる」
「なら、なんでだ?」
「美里ちゃんに負けてむかついてるから。自分に」
「……その借りは個人戦で返せよ」
「それはそれ、これはこれ」
何たる身勝手、石山などは理由を聞き悪鬼羅刹もしのぐ貌となっている。
だが、
「勝たなきゃ殺すぞ」
「小春死なないよ。小春は――」
「ナンバーワン、だろ」
花音は頭をかきながら、激昂する石山へ視線を向けた。
「S1、小春でお願いします」
「がるる……あんたら、勝ちたくないの?」
「勝ちたいっす。ってか、勝ちます」
「それ、舐めてるっての」
「でも、見たくないですか?」
「あ?」
「我を通したこいつ」
「……」
「馬鹿じゃないっす、こいつは。自分が何言ってんのか、わかった上でのわがままだと思ってるんで。なら、あたしは見てみたい。退路のない、クソチワワを」
花音は小春を見つめ、小春はあえて花音を見なかった。真っすぐと、石山の方だけを見ている。絶対に譲らない、その決意だけを示しながら。
それに、
「……あんたさ、これで最後にしなさいよ。そういうの」
「……」
「譲るの癖になったら、あんた勝負師として死ぬからね」
「……うす」
石山百合が折れた。
「死ぬ気で勝ちなさい。あんたが負けたら、ここまで積み上げてきたものが全部パーになる。その覚悟、あんのね?」
「うん」
「ハイ、だクソチワワ。なら、死ぬ気で行けやボケ!」
「合点だ!」
背水の陣、先鋒、S1、紅子谷花音改め――香月小春。
〇
団体戦のオーダーが示され、石山百合は微笑み、今年度は女子のサポートに回るコーチ補佐の乾は顔をしかめた。
ただ、一点だけ――
「自分なら、S1は絶対に紅子谷選手で行きますよ」
其処だけは、少しだけぬるいと思っていた。
しかして、会場は大騒ぎである。
何せ――
「嘘、第二試合、円城寺さんなの?」
「今までずっと第四試合で、ダブルスも兼任してきたのに」
円城寺秋良が第四試合から外れ、第二試合へ移行。それによりダブルスの原則である連なる試合に出場する選手は、ダブルスで組むことは出来ない、が崩れた。
今までは円城寺が第四に構え、第一の小春、第二の花音、この二枚看板のどちらかとダブルスを組み、彼女の経験値を生かすのが勝利の方程式であったはず。
だが、明菱はそれを崩して、
「……やられたね、犬」
「ええ。このための、入れ替えシステム」
「春からずっと、ダブルスを慣らしていた、ってことか。巧者と組ませて」
小春、花音、ダブルエースをダブルスに組み込んできた。これが勝利への秘策、その二である。常勝不敗、龍星館の強みである最強ダブルスペア、其処をあえて切り崩しにかかる一手である。
愛知遠征からずっと、ここまで温めてきた隠し玉。
鉄板中の鉄板を狙う、常勝を崩さねば女王は崩れない。
勝負師、石山百合の勝負手、である。
それを生かすためにも――
「……紅子谷さんかと思っていたけど、那由多相手に前で勝てる?」
鶴来美里もまたS1の組み合わせに関しては疑問符を浮かべていた。自分も那由多も、嫌でもあの頃の湊を、佐伯湊が頭の片隅にある。
あの苦しそうな、辛そうな表情を自分が解放してやるんだ。美里自身は途中であきらめたが、那由多は今日に至るまで諦めていないはず。
前陣相手は、彼女たちにとって常に仮想敵であったのだ。
だから、悪手としか思えない。
ただ――
「……でも、絶対に敵わないとは、思わない、か」
実際に対峙してみて、今の香月小春が限りなく自分たちに、頂上争いをするに足るところまで上り詰めている感覚はあった。
油断など百戦錬磨の那由多にはないだろうが――
「私以外に負けるのはさ、気に食わないからやめてよね」
今日だけは、幼馴染の応援に回る。
天才だと疑いもしなかった自分を引きずり下ろした幼馴染であり好敵手だから。
「紅子谷さんだと思っていた」
勝負の前、握手をする際に那由多が声をかける。その眼は少しだけ冷ややかである。勝ちに徹するなら、自分を避けて趙、遠藤を狙い撃ちすればいい。それとダブルスを取れば晴れて優勝である。
本気で勝つ気なら、自分に紅子谷花音をぶつければいい。
それがおそらく、今の自分に勝つ唯一の道である。
だから、那由多は少しだけ不機嫌であった。
「小春でよかった?」
本気なのか、何なのか、何もわからなかったから。
「ええ。紅子谷さんの方が怖かった」
「そっかァ、ありがとね、那由多ちゃん」
握手に、力が入る。
力を入れても大したことはない。だが、物理的な力はともかく、何故か目の前の相手が大きく見えた。自分よりも背の低い選手はあまり多くない。
自分よりも小さな、そんな選手であるのに――
「やる気、出たァ」
「……そう」
一度だけ、そんな感覚に陥ったことがある。そう言えば彼女も、自分よりも小さな選手だった。何なら年齢すら、自分よりも下だった。
だけど――
「ふぅ……平常心、平常心」
相手は世界に名だたる選手ではない。社会人、大学の歴戦の選手でもない。高校まで卓球をやってこなかった、少し前まで素人であった子である。
競技は才能の世界、それでも――
〇
「え? 始まった? S1香月ですか? うへえ、わがままなやつだなぁ。ん? そりゃあわかりますよ。これでも一応、元コーチですから。ええ、はい、もう少しで着くとは思うんですけど……え? まだ? そんなぁ」
電話口の相手と、運転手の二面を捌きながら不知火湊はうなだれる。教え子の天王山、折角なら最初から見たかったのだが――それは難しそうである。
通話が切れ、湊は少しだけ考えこむ。
実際のところ、この試合だけはあまり見たくなかった、と言う本音がある。必死に積み重ねた、出来る範囲で最善をひた走ったのはどちらも同じ。
だけど、湊はお隣で見てきたから。
美里が諦めても、自分が捨てても、それでも前へ進み続けた姿を。誰よりも長い時間、それに打ち込んできた姿を。
だから、彼女が勝つ姿も、負ける姿も見たくない。
(……どっちも、頑張れ)
それしか、言えない。
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