第116話:エースとは

(那由多の強みは精確無比なボールタッチ。私のはリストの強さで弾く強さだけど、那由多は言葉通り、其処しかないところで捉える)

 美里が見下ろす中、すーっと伸びる流星が軌跡を描く。

 ただのスピードドライブ、何の変哲もない、種も仕掛けもないあの球が、とにかく厄介なのだ。球の、そしてラケットの、ラバーの芯でとらえる。輝けるショット、彼女の眼にはスイートスポットが、スイートポイントが、見える。

 其処を打ち抜く技術が、繊細なタッチがある。

 あの華奢な体で、小さな背で、離れても強打者と打ち合えるのは一事が万事、如何なる体勢でも、如何なる状況でも、そう打てるから。

 全てが高回転の、強打と化す。

 それが小さな巨人、星宮那由多である。

(でも――)

 美里が顔をしかめる。

「あはッ!」

「……っ」

 その全てが前で捉えられていた。香月小春の怖さ、見てからの反応がとにかく早い。常人のそれではない。

 そして、

「ふひ、本当に、上手になった」

 反応を支えるは前で戦う術。

 星宮那由多は歴戦の猛者、相手に好きなことをさせない、エリアを封じる術はいくらでも持っている。

 今も、敵陣深く食い込む強打が突き刺さった。

 卓球はワンバウンドせねば返せない。必然、そうなれば後退を余儀なくされる。そうせねば不利を取ることになるから。

 一歩下がって打てばいい。それが最善である。

「わんッ!」

 でも、小春はそれをしない。

 バウンドの直後、浮き上がる刹那を無理やり運ぶ。ラケットが台のエッジ、そのすれすれを通過し、高さ数センチの際際にてこすり上げた。

「……美しくない」

 無茶なショット、完遂したのは見事であるが、最善な行動を取らずに打った球など、那由多にとってはミスショット同然。

 前掛過ぎる。

 卓球はもっと広く、深く、多彩なもの。

 那由多は全力で、逆を突いた。

 ぶち抜く、彼女の流星は狙い通りのポイントを打ち抜いた。

 完璧な――

「ワァン」

「ッ⁉」

 必殺の強打に反応し、反射でブロッキング。信じ難い反射神経である。あれは普通、触れない。それどころか大半は反応すらできない。

 緩く、浅く返る球。

 那由多は歯噛みする。

「余裕でツーバン……台上での捌きを強要する一打。へなちょこのクソ球だけどさ、それやられると、困るのよね」

 美里も同じ表情。彼女もまた、それをやられてきたから。

 台上での捌き、それは那由多も得意とするところ。全国屈指の、世界でも指折りの技術を持つ彼女である。

 フリックでも、チキータチックに弾いても、何なら滑らせるようにツッツいて深く攻めてもいい。何だってできる。

 だが、其処に万全の『速さ』はない。

「……ふしゅぅ」

 笑顔で待ち構える獣、その眼は爛々と那由多の球を待っていた。この極限のやり取りの中、高速のラリーを続けながら、

(……化け物)

 香月小春は待てるのだ。

 だって、

「ぐっ」

 見てから、間に合うから。

 角度を付けたフリック、ネットすれすれを飛翔し狙い通り完璧な返球となる。回り込め、そうすれば逆を突くだけ。

 それで――

「ふん、がッ!」

 身を乗り出し、全力で伸ばした腕は着弾後を捉え、不細工なカウンターとなる。あくまで前、不細工だが、那由多は届かなかった。

 佐伯湊のイメージが仇となった。

 天津風貴翔ですらない。

「わおーん!」

 前前前前前、この獣は端から綺麗な卓球をする気はない。

 下がるぐらいなら死ぬ。

 品格の欠片もない、わがままな自分を押し付けるだけの卓球である。

 だけど、

「「……強い」」

 那由多と美里の言葉が、重なる。

 不利を取ろうが、悪手であろうが、後退の択は取らない。それが許される圧倒的な卓球の才能と、それをするためだけの技術が搭載されているから。

 才能を生かし、勝つためだけのチューニング。

「……仕上げてきましたね、石山さん」

「死ぬ時は前のめり、ガンガン行けェ!」

 湊が見ていた時よりも、さらに特化させた香月小春の卓球である。

(別に意地でも前ってのは愚策じゃない。それが出来るんなら、極力前でちゃっちゃと捌いた方が強いのよ。相手の時間を、削れるからね)

 狂気の前捌き、それにより削るは相手の時間。打った後、ラケットを戻して体勢を整える時間、もし左右に動いていればある程度中央に寄る必要もある。それらの時間を、一秒を、コンマを削る。

 その繰り返しが、暴力的に奪い去っていく。

 時間を、それに伴って彼女らが培ってきた普通の卓球を――

 かつて世界を取った佐伯崇は言った。

 前は才能の世界である、と。

(その通り)

 そしてそれはぐうの音も出ないほどの正論であるのだ。

 と言うよりも、

(卓球は才能の競技、って方が正しい、か)

 卓球自体が才能ゲーである。それは残念ながら、厳然たる事実として存在する。高校、大学と先のカテゴリーで伸びる者もいるが、名選手の大半が幼少期から名を馳せた超天才ばかり。そして佐伯崇同様、世界を取った、しかも幾度も取ったある偉大な選手は、中学から初めて全員ぶち抜き、天辺を取っている。

 努力など意にも介さぬ天才の歩み。

「相手、星宮選手、だよな?」

 小さな獣が巨人に噛みつき、離れない。意地でも、その小さな口を全力で開き、眼を血走らせながら、執念の牙で喰らいつく。

「なのに、なんで――」

 殺気すら伴う、勝利への執念。

 底無しのそれが――星宮那由多の身に深く食い込んでいく。

(……よし、先制パンチは成功。この私の、スペシャルな作戦を崩したのは許してないけど……ま、でも、あんたはそれでいいわ。そう育てたの私だし)

 石山百合は毎度お馴染み、初見殺しのスピードスターが暴れ散らかしている姿を見てほくそ笑む。酒があったら飲みたい気分である。


     〇


 愛知遠征、その後半戦。

「オェェェ」

 トイレで嘔吐する小春を見て、石山は笑顔で歩み寄る。

 肩を抱き、

「悔しい?」

「なんで、前まで、こんなこと、なかったのに。気持ち悪い。苦しい」

 寄り添い、耳打ちする。

「あんたが勝つことに慣れたから。勝利の味を知ったから。負けたくない、ただの挑戦者だった時とは違う。意味も、重みも、何もかも」

 残酷な真実を。勝負の世界、負けず嫌いにとっての地獄。石山も其処にいた。何度も勝ち、何度も負けた。

 勝てば嬉しい。負けたら死にたくなる。

 負けが込むと、何度か本当に首をくくろうと思ったこともある。

「逃げたい?」

「うん」

「でも、逃げられない。それ、一生ついて回るから」

「やだ」

「わがままなチワワね。いいわ、とっておきの秘密を教えてあげる」

「なに?」

「一等賞になりなさい。そうすれば、その気持ち悪さから、苦しさから、死にたいって想いから……解放されるから」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

 嘘である。そもそも彼女はその景色を知らない。努力して、エリートコースをひた走って、全力で、人生を賭して、それでも届かなかったから。

 しがみつこうとして、落ちてしまった落伍者だから。

 だけど、

「……」

 負けず嫌いの気持ちはそれこそ死ぬほどわかる。自分は成れなかった、この子が成れるのかはわからない。

 この小さな負けず嫌いの結果が出るのは、まだ先の話。

 ゴールを知り、少しだけほっとしている小春を見て、

「あ、あとついでに教えてあげる」

 石山は笑みを浮かべた。彼女の特技は、相手の弱所を穿つことである。

「なに?」

「あんたが負けた試合ね、実はうち全部負けてんのよ」

 嘘ではない。が、よく考えたら当たり前の話。エース同士が衝突するS1で負けると言うことは、そもそも相手が格上であるケースが多い。

 実際黒星の大半は大学、社会人チーム相手である。

 でも、其処は濁す。

「……えっ」

「総体、あんたが負けたら部長ちゃん引退かもね。で、あの子のレベルだと大学で続けるのも苦しいだろうし、そのまま卓球辞めちゃうかも」

「さ、沙紀ちゃん部長は、やめないもん」

「やめるって。そんな、甘くないから。この世界」

 ちなみにこれは真っ赤な嘘である。この前聞いたら、サークルでも何でも入って卓球は続けるとのこと。でも、嘘をつく。

「……ォェ」

 このチワワが、エースだから。

「部長ちゃんのこと好き?」

 小春はえずきながら首を縦に振る。

「なら、勝たないとね」

 生来の負けず嫌い、其処に火種をぶち込む。

「……うん」

「あんたが負けたらチームが負ける。それがエース、おわかり?」

「うん」

 石山百合は不知火湊のような卓球の魅力を伝える伝道者でもなければ、黒峰のような教育者でもない。

 勝たせるために、そのためだけのコーチである。

 だから、

「勝て」

「……はい」

 追い込む。このチワワは、追い込めば追い込むほどに味が出るから――


     〇


「11-5」

「わおーん!」

 咆哮を上げる小春。石山はぐっと拳を握り締めた。

 さすが、初顔かつ第1ゲームでは無類の強さを誇るチワワである。遠征でも、並み居る強豪のエース相手に勝利し、Tリーグのエースクラス相手にもその部分だけは勝ち取っている。それだけ異質で、暴力的な強さなのだ。

 今の香月小春は――

「あと二つ、取らなきゃ死ね」

「はァい」

 石山が投げ渡したボトルを無造作に受け取り、一口だけ給水する小春。遠征前まではぐびぐび、好き放題飲んでいた彼女であったが、何となく重くなる気がする、と最近では最低限の補給のみで済ませている。

 勝利への執念が、そうさせた。

「小春、よくやった! あんたは偉い!」

 沙紀は笑顔でタオルを掴み、彼女の代わりに拭いてやる。

 なすがまま、

「沙紀ちゃん」

「ん?」

「引退はないよ」

「……当たり前でしょ」

「ん」

 わしゃわしゃと沙紀は汗を拭きとってやる。

 小さな小さな、自分たちのエースのために――いつだって敵の、最強の相手とやり合ってきた勇気あるチワワへの労いを込めて。

 そんな姿を――

(……ここまで、あたしはS1の経験はない。ダブルス同様隠し玉だったし、全部このチワワがやりたがったから。やるからにはさ、勝つつもりだった。みんなのためにも、自分のためにも……だけど――)

 紅子谷花音は意外に口数の少ない、自分の数少ない友達であり、仲間であり、好敵手だと思っている相手を、小春を見る。

 彼女は語らない。自分のわがままだと、やりたいだけだと言った。

 でも、本当にそれだけであろうか、S1に、如何に有利を取ろうとも女子最強格の星宮那由多に、気後れがなかったと言えるか。

 それを嗅ぎ取られ、気遣われた可能性もある。

 だとしたら――

(よく育った。でもね、相手もエースなのよねえ。それも――)

 石山はその微笑ましい光景から視線を外し、相手側のベンチを見る。競技者なんてのはとどのつまり、どいつもこいつも超の付く負けず嫌いである。

 当然、それはあちらも同じ。

(とびっきりの。おー、こわこわ)

 普段表情を表に出さぬ彼女が、鬼の形相を浮かべていた。

 殺すぞ、全身がそう語る。

 たぶん、公共の電波には流せない、そんな表情と共に――

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