第112話:ビッグウェーブ
二か月前、
「この大会に出たいです」
姫路美姫が田中総監督に直訴していた。WTTフィーダー、時期も含めた指定に田中総監督は眉をひそめた。
「理由は?」
姫路が大会の、試合の直訴をすることなど滅多にない。それこそ星宮那由多相手の時、あとは公式戦での衝突はないが鶴来美里ぐらいのもの。
むしろ普段の大会でやる気を出させる方が面倒な選手である。
「その、そろそろ自分も国際大会を通じ、向上したいと思いました」
「国内でも出来ますよ」
「そ、それは――」
「代表選考から世界ランクの条件が消えた以上、国際大会の優先度は大きく下がりました。一時期のような無理な遠征は必要ありません。そも、今の貴女は代表選考に関しても箸にも棒にもかからぬ位置ですが」
「うっ」
姫路の世界ランク、国内の序列も彼女の卓球の実力で考えた場合、かなり低い。その理由は簡単で、彼女が大変ムラのある選手であること、一時的に調子を跳ね上げてもそれが持続しないこと、数え上げればキリがない。
調子のいい時は世界レベル。
一試合だけ強くとも、それでは序列は上がらない。
「今の貴女に必要とは思いません。今の貴女に勝ち上がれる大会とも思いません。国際大会の出場にはお金がかかります。国内とは比べ物にならないほどに」
ぐうの音も出ない正論。
「……」
信頼とは一朝一夕で成らず。これが星宮那由多なら大手を振って送り出されていただろう。そうならぬのは日頃の、自分の行いのせい。
「一度だけ聞き直しましょう。何故、この大会に出たいのですか?」
だが、田中総監督は一度だけ言い直しの機会を与えた。
薄っぺらい理由など要らない。
本音で語れ、それでなければ判断しかねる、と。
今の姫路美姫の値段では届かない。
信頼に足る、上積みがいる。
だから――
「……不知火湊君に、置いていかれたくないからです」
包み隠さず、『自分』を語る。
「随分と不純な……続けなさい」
「私は、卓球の勝敗にさほど執着できません。あれだけ執着していたはずの、星宮さんや鶴来さん、彼女たちとの勝負すら、今となってはどうでもいい」
「何故?」
「すでに私が勝ったからです」
「私の記憶が正しければ鶴来さんには負けていたと思いますが?」
「女の勝負です」
「……まったく、貴女という子は」
呆れ果てるほどに恋愛脳。田中もこの状況は懸念していた。最初は鶴来に敗れ、あの尋常ならざる執着が戻ったと思ったが、湊と付き合って以降それは凄まじい勢いで失われ、今の彼女はあの頃の凄みが微塵も感じられなかった。
精神的に安定している。
そして、卓球も安定した。
弱い状態で。
「私は負けたくないんじゃない。勝ち取りたかっただけなんです。湊君の隣を、あの二人が占有していた席を。それは勝ち取りました」
「では、すでにハッピーエンドでしょう?」
「いいえ。わかったんです。あの人は放っておいたら何処までも飛んでいく人なんだって。追わなきゃ、無くなってしまう。ようやく手に入れた席が」
大真面目で脳味噌お花畑なセリフを放つ姫路美姫。だが、語れば語るほどに、失われたはずの凄みが戻ってきていた。
ゆえに田中は微笑む。
やはり、彼女を突き動かせるのはただ一人だけ。
「如何なる手を使っても、その席は死守して見せる。もう誰にも渡さない」
これが姫路美姫。
この眼を、この覇気を、待っていた。
「普段の大会よりも長丁場です。長距離のフライトも、環境の変化も、健康を蝕む要因。長く戦える身体が必要になります」
「……わかっています。だから、この大会に――」
「計画的に絞りますよ。以前までのやり方は捨てなさい」
「……あっ」
姫路の顔が華やぐ。
「返事は?」
「はい!」
出来れば卓球だけ、純粋な想いで奮起して欲しかったが――
「貴女は卓球が好きですか?」
「もちろん好きです。努力すれば人より多く報われますし、今ある全ての人間関係は卓球がもたらしてくれました。一番好きなスポーツです」
「では、最も好きなものは何ですか?」
わかり切った答え。
姫路美姫は迷いなく、
「不知火湊君です!」
そう答えた。
ならばもう仕方がない。
これが姫路美姫。不純で純粋、それがこのわがままプリンセスなのだ。
なら、もう周囲はそういうものだと理解し、振り回されるしかないだろう。
やる気になった彼女は、本気の彼女は、それだけの器なのだ。多くの傑物を見てきた田中にすら、夢を見させる甲斐性がある。
「……感謝しなければいけませんね」
「何にですか?」
「いえ、こちらの話です」
不知火湊が凡夫でなくてよかった。彼が天才で、世界一を目指すような子でよかった。そうでなければこの娘は容易く卓球を手放していただろう。
高校卒業後、もしくは大学卒業後、お嫁さんになります、と言って。
彼が世界一を目指すのなら、この御姫様も世界一を目指す。
何処まで行けるのか、もはやこれを楽しみに突き進むしかない。
世界一不純で純粋な、プリンセスロードを――
〇
卓球界のビッグカップル爆誕。
その日、元々美少女卓球選手として一部界隈で人気者だった少女は、お付き合いしている少年との相乗効果で超人気者となった。
WTTフィーダーのタイトルを獲得し、その勢いをそのまま使った暴露、囲い込みの効果は絶大であり、メディアは優勝の話そっちのけでそれを追った。
そして姫路美姫もそればかりを語った。
自分が幼馴染であること、運命の再会を果たし、倒れた自分を介抱してくれた話をクソほどに盛って、それを契機に遠距離で清きお付き合いをしていることを。
不知火湊が頑張った後なのが旋風に拍車をかける。
まさに卓球界を越えた一大事件、そもそも湊の出した結果も、姫路の出した結果も、決して簡単なものではないのだ。
どちらも制限はあれど、基本的にはその制限に引っ掛かるような超一流選手が優勝をかっさらうものであり、フィーダーでさえ日本のトップ選手に名を連ねた人物が、ランクを少し落としたタイミングで獲りに行く、そういうもの。
有栖川聖も、星宮那由多も、どちらも三位までしか辿り着けていない。
それを勝ち取ってきた。
その上、みんな大好き恋バナである。
そりゃあ受ける。
その勢いは界隈をぶっ飛び、地上波にすら進出した。
もはや、
「不知火! テメエ、卓球男子は非リアって相場が決まってんだぞ!」
「せ、先輩はモテてるじゃないですか」
「馬鹿たれ! そりゃあ俺がイケメンだからだ」
「……なんで怒られてんの、僕」
あらゆる場所で逃げ場を封じられていた。今が春休みに突入していなければ、学校中から茶化されたことだろう。
下手すると、
「菊池ィ、スクープ撮ろうぜ。浮気現場とかよォ」
「任せろ。今はいくらでも画像加工が効くからなァ」
「それは卑怯だぞ!」
すでに逃げ場は何処にもないのかもしれないが。普段、信頼し始めていた仲間たちも、この件を機に敵方へ回った。
「練習に集中しろよぉ、スーパースター」
「せ、先輩、放してください! あいつら、放っておくと、本気で僕を引きずり下ろそうとしてくる。色恋が絡むと、正常な判断を失うんです!」
「それはそれで美味しいだろ」
「美味しくない!」
しかも監督連中まで、
「ビッグウェーブだ、乗るしかねえ!」
「……」
卓球界隈を超えた恋バナに乗っかる気満々であった。
〇
そんな頃、愛知では嵐が吹き荒れていた。
「ガルルルルッ!」
「くたばれクソ不知火ィ!」
「ガチ恋はファン失格! でも、でも、許せないぃぃぃぃいい!」
「……付き合ってんのは知ってんでしょうに、今更」
春休みを利用した卓球王国愛知への遠征。卓球が盛んであり、中高のレベルも高く、それに比例して一般のアマチュアまで化け物ぞろいと言う魔境。
あそこで勝ち上がるのは、他の県よりも遥かに大変。野球界で言えば神奈川県、大阪府、みたいな感じ、とまで言われている。
そんな魔境を、
「あ、あの女狐、しおらしい態度をしていると思ったら……こういうことか」
「はン、悪いわね、はげちゃびん。あんたらは全部踏み台、ガンガン蹴散らしていくわよ、ジャリガキども!」
怒りを原動力に全国的にはド無名の明菱高校が荒らし回る。
積むのは実戦経験、それと――
「勝ちなさい。勝利がね、一番選手を強くすんのよ」
勝利経験。
「おーほっほっほっほ!」
石山百合の勝利の笑い声が響き渡る。
勝ちに来た。名を売りに来た。
穴馬から、龍星館と競る評価まで引き上げる。箔とは馬鹿にならない。自分たちを強豪と理解させ、精神的な壁を越えねば勝利の可能性すらないのだ。
環境が人を作る。
戦いが選手を成長させる。
勝利が、勝利を呼び込む。
怒りのビッグウェーブ、愛知勢を恐怖のどん底へ陥れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます