第110話:円城寺と神崎、そして――
円城寺は長く卓球をやっていて、技術的な部分はこの中でも、それどころか県で見ても上位だと思う。けど、だからこそ染みついた悪癖が抜けきらない。
「いつまで姉のケツ追ってんだ! いい加減ケツ離れしろや!」
「……ぐっ」
姉の卓球を自分の卓球へ落とし込む、ここで満足している。もちろんそれでもレベルは高い。元々ダブルスで名を馳せた全国区だ。
でも、それだとやはりここ止まり。
「名門青森田中のレギュラー、立派だよなァ! だが、姫路、青柳以外はトップクラスじゃない。その背中をずっと追い続けるのか? ああ⁉」
「違う!」
「なら、その片鱗でも見せてみろや! オールラウンダーの付け焼刃のカットぐらい攻略できねえでどうするよ!? 対戦相手にカットマン来たら白旗挙げんのか!?」
「……ああッ!」
姉頼りの『じゃない方』が、よくぞここまで戦えるようになった。うちで一番結果を出しているだけはある。
今のドライブもよかった。
「迷うな! てめえは九十九すずじゃない! 無尽蔵の体力も、一球に賭ける執念も足りない! なら、何処で戦う⁉」
でも、僅かな迷いがコンマの遅れに繋がっている。そのコンマで勝敗がわかれるのが卓球と言うスポーツだ。染みついた旧時代のカットマン。それで戦えるのはすずさんみたいなそれに特化できるスペシャルを持つ者だけ。
全日本で日ペンで戦っている者もそう。
そいつが化け物なだけ。
生き残るなら、この先も戦いたいのなら、成るしかないのだ。
カットを選択の一つとした、最新式のカットマンに。かつては守戦であったが、今のカットマンはむしろ攻撃寄りの戦型である。
相手の隙を、緩急を作るカード、其処にカットを使う。
打てねば話にならない。
「姉だけじゃなくて、もっと色んな選手を吸収しろ! いつまで夏のままで立ち止まってんだ!? 次は負けるぞ、それでいいのかよ『じゃない方』!」
「嫌だ!」
より攻撃的に、様々な選手から吸収してほしい。姉の模倣で満足してほしくはない。きっと、お姉ちゃんもそう思うんじゃないかな。
せっかく戻ってきたんだ。
僕も、美里も、卓球がない自分、その空虚な時間を経験している。君だってそうだろ? だから、それを原動力に戦おう。
僕はあの空白の時間を無駄とは思わない。
やめた、捨てた時間があったから、今こうして卓球を楽しめているから。
喪失を知っているのは武器だ。
「カット打ちってのは、こうやるんだよ!」
「ッ⁉」
戦え、円城寺。
「ぶっ飛べッ!」
僕もまだ、誰かの模倣だ。まだ旅の途中だし、偉そうなことは言えない。一緒に戦おう。一緒に足掻こう。
親近感があるんだよ、同じリタイア組だしさ。
「もっと勉強しろ」
「……はい」
「次」
進化した円城寺を見るのが楽しみだ。
〇
「こわぁ。最後、劉党と王虎のドライブのかけ合わせかよ」
バド部の田上がまたもや3-0で部員をぶっ飛ばした湊を見て、ぽつりとこぼす。元卓球少年であり、ある意味今の卓球部を構築したキーマンである。
体育館をぶん捕ろうとした立ち回りは未だに語り草。
本人は高校デビューでイキってた、と恥ずかしそうにしているが――
「女子だからか知らんけどよくやるよ。あれと対面して心が折れないなら、まあまあ見込みはあるんじゃねえの。知らんけど」
かつてバッキバキに心を折られた記憶がよみがえる。
「田上、なにぶつぶつ一人で言ってんだ?」
「……べ、別に」
ちなみにこんな感じだがバド部一年エースとして県トップクラスの成績を修めている有望株である。趣味は未だに卓球観戦(卓球では珍しくブンデス主体の海外厨)、でも自分でやるのはバドミントンが向いているし、好き。
そういう変則野郎である。
〇
「どう、なってんだ?」
「……沙紀ちゃん部長」
「信じられない」
最後、神崎沙紀と不知火湊の戦い。先ほどまでと同じように、圧倒的蹂躙劇で終わるかと思いきや、驚くほど食い下がっている。
渡り合っている。
その原因は――
(先読み、いや、でも、出来るわけがない。僕の経験値、卓球への理解を深めた一年間の知識、そしてセンスが合わさって出来たんだ。僕自身がまだ、言語化すら出来ていないんだぞ。それなのに、何故――)
沙紀の先読みにあった。
ブロック、ブロック、小春すらぶち抜いた『閃光』の速攻すら、ギリギリだがしのがれている。反応しているわけじゃない。
先にラケットをコースに置いている。
角度も、読み通り。
(でも、時折外す)
たまに、盛大に外すが、沙紀の表情を見てもそれが間違いとは思っていない様子。それでいい、そう思っているように見える。
卓球が、卓球観が噛み合わない。
(これは……まさか、そう言うことか?)
ちらりと石山へ視線を向けると、彼女はにやりと微笑み「御明察」と言わんばかりの表情を浮かべていた。
(……数字、確率、データ卓球)
統計的な確率に基づくデータ卓球。確かに、自分のデータは彼女たちが一番持っている。進化の途上も含め、全部見せるようにしてきたから。
(これ、初顔相手にどうする気なんだ?)
今までの三人は不知火湊の想像通り、ある程度考えていた通りの方向性で成長していた。想定よりも早い成長に、笑みを抑えるのが大変だった程である。
だが、
(これで、いいのか? でも、確かに……厄介だ。データがあるから、だけど)
これが正しいのか、間違っているのか、湊には判断がつかない。
湊のそれは相手の起りを読み、それに合わせてその場その場で対応していくもの。ある種の未来視である。
対して沙紀のそれはある意味では数字遊び。
少し高等な山勘でしかない。
(僕にはない選択肢。噛み合わない。まさか、最後の最後に――)
正しいのか、間違っているのか、むしろ問いを投げかけられる立場になろうとは思わなかった。
湊は困惑しながらも――
〇
「でも沙紀ちゃんにはちょっと苦戦したって聞いたよ」
「最初のゲームだけですよ。それも僕が取りましたし、結果は3-0です」
「さすがぁ」
「妙な気分にはなりましたけど」
湊は頭をポリポリとかく。それを見て光は、
「何かすっきりしないことでもあった?」
湊の中にあるもやもやを問う。
「いや、一応あの後、石山さんに真意を聞いたんですよ。それを聞いて納得自体はしていて、問題はまあ、僕の方です」
「よし、元部長の私が悩みを聞いてあげましょう」
どん、と胸を張る光を見て湊はほころぶ。正味、今のでもやもやなど吹っ飛んだのだが、ここはお言葉に甘える。
受け止める気満々の先輩を無碍にするのも悪いし。
「他の三人は言っても僕の想定通りだったんですよ。こう育ってほしいな、って方にしっかり伸びていて、今年や来年が楽しみだなって」
「でも、沙紀ちゃんは違った?」
「はい。真意を聞いた後でも、僕の中には正しいのか、間違っているのか、その答えが出ないんです。神崎部長は、納得した上での選択らしいですし、確かに狙いを聞いた今、合理的だと思います。目的に沿った方向性です。僕よりもずっと」
「そっか」
「僕は何処かで、神崎部長を諦めていたのかもしれない。龍星館に勝つには、あの三人で勝ち切るしかない。其処では通用しない……酷いですよね、僕」
「私は当然だと思うよ。だって、私たちはスタートが圧倒的に遅いし、積み重ねだって強豪校の子には遥か届かない。それで頑張るから勝ちたいですって、それは甘い考えだと思う。沙紀ちゃんも、それはわかっているよ」
「……はい」
「それでも選んだ道なら私は応援するけどね」
「もちろん、僕も応援しています。半分は、その可能性に思い至らなかった、僕自身への自己嫌悪なので」
「しょーがない。コーチは神様じゃない。それに湊君はまだ高校一年生だよ」
「もうすぐ二年生ですけど」
「まだ若い!」
「あはは」
不知火湊ではあの可能性の扉は開けなかった。
他の三人はともかく、神崎沙紀に関しては石山百合がいなければ届く可能性すらなかっただろう。だけど今なら、ほんの僅かぐらいは可能性が――
「自分の未熟さを痛感しました」
「なら、また一つ成長できたね」
「……ええ」
選手としても中途半端、指導者としてはもっと半端、これで正しかったのだ。今の自分は二足のわらじで進めるほど、何でも出来るわけじゃない。
だけど、諦めるわけじゃない。
「部長のサークル、出来たら教えてくださいね」
「出来るかなぁ」
「出来ますよ、今度は二人です」
「うん、そうだね」
かつて、ひとりぼっちで練習すらままならなかった時代とは違う。今度は二人、卓球は二人いれば、いくらでも練習のやりようがある。
だから、大丈夫。
「その時までにはもう少し、卓球の知識を深めておきますね」
「え、来てくれるの!?」
「もちろん」
「た、たぶん今より忙しくなると思うよ」
「だといいんですけど……でも、僕にとってもきっと意義のあることなので。練習させてください。いつか、その時が来た時のために」
不知火湊の眼を見て、その中にある輝きを見て、
「なら、お言葉に甘えるね、コーチ」
「えへへ、お任せあれ」
「湊君も張り合いが出るように、男子のサークルメンバーも募集しておこっと」
「要らないデスゥ! サークルで男女混合はNG! 不埒です!」
「ええー。何処も混合だと思うけど」
「ダメダメダメ!」
もう大丈夫だ、と思った。
あの頃とは違う。みんな、前を向いている。
全ては――
「光ィ! どこぉ⁉ さびしいよォ!」
「光ちゃんぶちょー!」
「佐村パイセン!」
「私、あんまり絡みない……何でもない」
不知火湊がこんな場違いな場所に、
「ちっ、邪魔者どもが」
「こらこら」
迷い込んでくれたから。
佐村光は満面の笑みを浮かべ卒業出来るのだ。
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