第109話:香月と紅子谷
本当に強くなった。
「わふゥ!」
前は才能の世界、いや、そもそも卓球という競技に限らず、スポーツの世界は才能がものを言うのだろう。アマチュアの世界を見た。プロの頂点も見た。
きっと、香月小春は世界に出る。
遅いスタートなどものともせず、今みたいにガンガン前に出る、進む、何処までも、何処までも。前捌きに力は要らない。軽く、俊敏に、あとはただ相手より速いか、遅いかの勝負。才能で戦うとはそう言うこと。
残酷なほど――
「不知火の野郎、マジで全部受け止めるつもりかよ」
「小春ちゃんの得意なレンジで」
「それが不知火湊なりの、最後の教えなんでしょ」
前へ、前へ、かつて自分もそうだったからわかる。ごまかしの利かない世界、もっと、もっと、もっと、もっと、反応反射、反応反射――
僕は通じなくなった。
いや、通じない、勝てないと思わされてしまった。
逆に言えば、そう痛感させられる時までは、それのみを頼りに進んだっていい。僕が其処に行き詰まり、別の道を求めたように。
小細工は要らない。
寄り道も要らない。
香月小春には、すでに進むべき明日が見えているのだから。
それがどれほど、多様な卓球の中において不自由で、選択肢が少なく、つぶしが利かずとも、迷わずに進め。
「もっと、もっと、もっと!」
僕は今、香月の動きが手に取るようにわかる。一度目指した道だから、他の選手を読むよりもずっと楽だ。ここへ打つように、と誘導も入れている。
苦しいだろう。不自由や行き詰まりを感じているはず。
でも、貴翔なら速さで超える。
香月小春は其処を目指すべき。だから、今日は僕の小細工に負けておけ。
「もっとォ!」
明日、君が壁を越えるために。
卓球は女子と男子がかなり、対等に近くやり合える競技だ。そして前陣は最も男女の差を埋めてくれる場所だと僕は思う。
「遅い!」
「わ、ふぅ」
長い道のりだと思う。大変な道行だと思う。本当は、僕がその歩みを見続けたい。一度背中を押した者として、それが責務だと思っていた。
やりたい、やるべき、だけど――
「反応、反射、何もかもが遅いんだよ、香月ィ!」
「……不知火、湊ォ!」
お互い、きっとその時間は終わった。僕はまだ指導者としては未熟で、選手としての知見も石山さんには遠く及ばない。香月もとうの昔に初心者の壁を越え、こんなにも強くなった。石山さんの指導を経て、もっと先へ行く。
それがわかった。それを今、感じた。
だから、
「敗因は?」
「……速さが、足りない」
「わかっているならいい。次」
負けず嫌いの心に刻んでくれ。指導者ではなく選手としての僕を。
その心がきっと、先へ、遠くへ運んでくれるはずだから――
○
体育館は香月小春のすすり泣く声以外、何一つ響かぬ静寂に包まれていた。野次馬たちも絶句するほどの蹂躙劇。一切の容赦なく蹴散らされた。
香月小春はきっと、姫路美姫の時よりもさらに速かった。さらに強くなった。女子選手としてはすでに県トップクラスであろう。
ただ、不知火湊は前だけに限定しても全国二位、天津風貴翔を除けば男女含めて国内二番手、下手をすると世界二位の可能性すらある。
だから、手も足も出なかった。
「遊び無し、3-0、ね」
「次は……」
「あたしが行く」
手を挙げようとした円城寺秋良を制し、紅子谷花音が前へ進み出る。いつもそうなのだ。香月小春が先陣を切り、そして後ろの皆へ覚悟を問う。
いつも、それがずっと情けなかった。
今もそう。
「また負けたな」
「煩い。次は……次は、勝つ」
「ああ」
本気で勝とうとした。大好きなコーチ、それすら香月小春にとって対峙したら敵なのだ。相手が強いとか、きっと世界一であるとかすら関係がない。
本気で頂点を目指す者はかくあるべし。
次はきっと、とても遠い。
それがわかっているからこそ、彼女は悔しさと様々な感情が入り混じった涙を流しているのだろう。その覚悟を、その強さを、自分は何度借りればいいのだろうか。
「テメエをぶっ殺すために、この競技を始めたんだ」
「やってみろ」
受けて立つ、負ける気など微塵もない。
小春との戦いを見る限り、相手の強みで勝ち切るつもりなのだろう。随分と舐めたやり口である。だけど、不知火湊は出来る。
様々な卓球を取り込み、てっぺんまで手を伸ばした男である。
力勝負も勝つ気。
おかげさまで遠慮はない。最初から全開で行く。
○
「卓球って、こんなに力強いものなんだ」
紅子谷花音は香月とは別ベクトルの天才だ。フィジカルギフテッド、生まれ持った大きく、強い身体はどんなスポーツでも優位に働くだろう。
僕があんなにも苦労して挙げたベンチ六十キロを、この化け物は初日から挙げたのだから、もう笑うしかない。
女子だと、それなりにやっている人でも六十なんて挙がらないし、筋肉がつきづらいはずの女子が、七十とか八十でセットを組んでいるのだ。
そんな子が、あえて卓球を選んでくれた。
もちろん、そりゃあ最初は黒峰先生の強引な勧誘手法のせいだったけれど、それだけじゃあここまで続かない。
バスケでも、バレーボールでも、何でも選べた。サッカーでも、野球でも、何をしたってトップに立てたはず。
そんな彼女が卓球に心血を注いでいる。
たった一年、それでここまで上手くなったんだ。
全力で駆け抜けたはず。
だから、応えよう。女子とは思わない。と言うか、女子とは思えない打球だし、中学までの僕なら結構苦手だったと思う。
ただ、
「ぐ、なんで、圧される⁉」
「フォームが無駄だらけだ。力だけで振り回しているから、お前は弱いんだよ、紅子谷ァ! いい加減気づけ!」
強い球を打つ技術、ひめちゃんのような選手が教えてくれた。それがあれば基礎スペックで劣る自分でも、こうして強く打ち合うことが出来る。
でも、習得可能な技術は、上の連中は皆持ち合わせている。もしくは、持たずともそれがある前提で取捨選択をしている。
「卓球じゃあお前は凡人なんだよ! 凡人風情が、何を躊躇う。自分にアドバンテージがあると思うから、何処かで一歩引いてんだよ。優位な自分が申し訳ないってか? 馬鹿か、それで負けてりゃ世話ねえぞッ!」
「……」
「それとも何か? 負けた時の言い訳づくりか? 全力じゃなかった、って……どっちにしろクソダセえな、紅子谷ァ!」
「舐め、るなァ!」
色々あったのはわかる。そりゃあさ、それだけの才能があるのに、誰がどう見ても才能の塊なのに、何の特徴もない自称進学校の明菱にいて、スポーツもやってないんだ。小中と、まあ色々あったんだろうさ。
だけど、そろそろ卒業しようぜ。
卓球じゃ、どれだけ暴れても誰も死なないから。怪我もない。ピンポン玉が直撃した死んだ人間はいない。
だから、
「どうした? その程度かよ?」
「ぶっ殺す!」
「だから、口だけじゃなくやってみろよ!」
本気で来いよ。もったいないだろ、折角頑張っているのに、過去に囚われて本気を出し切れないなんて。
「本気で殺す気あんのか、ああ⁉」
「不知火ィ!」
長い手足は卓球じゃとても有利だ。一歩の価値が違う。手を伸ばせば届く、その才能を生かせ。持ち味を生かせ。
「弱い弱い弱い!」
いい球だよ。重くて、男子と打ち合っているみたいだ。規格外、でも、まだまだだ。その体格で、ひめちゃんの方が強打なのは、君が下手くそだから、だけじゃない。気持ちの上でも負けている。
殺意を乗せろ、気持ちを乗せろ。
何よりも一球一球に魂を込めろ。自分が一番になるって。
「ビッグ3の記録詐称してんのか?」
君が香月に劣るとすれば、その気持ちの部分だ。上の選手は皆、自分の卓球をもっている、それに誇りを持つ。試合の中で、自分自身を物語る。
技術がどうこう、じゃないんだ。
僕もまだ足りない。
君はもっと足りない。
「む、んッ!」
「く、そォ!」
紅子谷花音の卓球を見つけろ。
そうしたらきっと、君もまた香月と共に頂を目指すことが出来るから。
「何回殺されたら、殺す気になるんだ?」
「……」
本気の紅子谷花音が何処まで上り詰めるのか、僕はずっと楽しみに思っているんだ。日本の卓球自体を変えるんじゃないかって――
「まずは気持ちで勝て。相手を殺せ。次」
だから、歩みを止めるなよ、紅子谷。
○
「申し訳ありません。石山コーチの指導に水を差してしまい」
「気にしないでください、黒峰センセ」
大人たちは黙ってその光景を見つめていた。少年なりに考えた結果、こうして全力でぶつかっている。それを少女たちは全力で応え、撃沈する。
悔しかろう。少年の想いに何も返せぬ弱い自分が。
「ありがたいです。これで愛知遠征がより意義のあるものになります」
その涙は必ず糧となる。
「それはよかった」
前へ進むための――
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