第105話:石山軍団、始動
「はーい、今日も練習するぞ小娘どもー」
「あーい、ゆりちゃんコーチ」
「普通にコーチって言えちんくしゃ」
わしわしと小春の頭を撫でる、と言うよりもぶん回しながら、
「昨日の3位決定戦見たひとー?」
頭をぶん回され続ける小春含め、部員全員が手を挙げる。それも当然のこと、準々決勝の死闘、準決勝の最強への挑戦、3位決定戦とてWTTの中では低めのカテゴリーとは言え、其処は国際大会の4強、弱い相手が上がってこられるわけがない。
それでも彼は勝ち切った。
3位を日本へ持ち帰ってきたのだ。
興奮して眠れぬ者もいただろう。卓球関係者は大盛り上がり。
だから、
「つーわけで、今日から完全に私がメインのコーチになるんでよろぴこ」
「え?」
こうなることもまた必然であった。
小春と花音は驚きを見せるが、沙紀と秋良は何処か覚悟していたような表情を見せていた。それはもう、視野の、知識の差なのだろう。
卓球の世界、卓球という競技の特異性もかかわる話。
「不知火湊があそこまで化けたのは驚きだけど、それでも田中のオバアや私たちも予選は抜けてくるだろう、と読んでいた。コンテンダーの予選抜けるって結構大変よ。その時点でランクで言や、100位前後ってなもん」
「だからコーチがコーチじゃなくなるなんて理解出来なーい」
小春がぶーぶーと反論する。
「まあ聞けちんくしゃ。そもそも、あれが学生コーチなんてやってんのが超異常事態なわけ。この1年が奇跡だったと思え。つか、この私がド無名の公立校でコーチしてんのも超奇跡だからな。もっと敬え、この私様を」
「やだ」
「チビが」
石山百合、小春の頭を離したと思ったら双手刈りの要領で足をひっつかみ、そのままジャイアントスイング、花音めがけてぶん投げた。
体罰? ノンノン、愛の鞭。
「卓球に消えた神童はいない。伸び悩むのはいても期待値の下くぐる程度。当たり前のように名門に入るし、当たり前のように大学、実業団までエスカレーター。基本的に突き抜けた選手はそのまま抜きん出るのが卓球って競技なの」
「……?」
「その辺がフィジカルが重要な競技との差ね。フィジカルだけでもある程度通用しちゃって、みたいなことがない。野球、サッカーはそういうのが中学、高校と振り落とされていく。逆もしかり、フィジカルがないセンスマンも、ね」
卓球は下手すると小学生から大人とも渡り合える競技である。ゆえに小学生で天才と呼ばれた者は、年を経ても天才であり続けるのだ。
無論、伸び幅には大きな差はあるが、通用しなくなると言うことはあまりない。
ゆえに、
「例えば不知火湊、1年ブランク在ります。卓球を突然投げ出すクズ野郎です。で、卒業前に突然卓球再開したくなりました。気分屋でもあります。さて、どれだけの高校が彼の獲得に乗り出すでしょうか?」
元神童の価値は、
「答えは全国の名門全部。地元の龍星館、青森田中、激戦区の愛知勢なんて血眼になって獲りに来たでしょうね。それこそ100校は余裕で越える」
「……っ」
他の競技とは隔絶したものとなる。一切伸びなかったとしても、調子を崩した佐伯湊であっても、その学校はエースを1枚得ることになるから。
「本人が、そして親が、周りが全力で拒否ったから、あの子はこんな学校に来られたの。わかる? それがどれほど稀なことか。この1年がどれだけ貴重で、どれほどの奇跡であったか。そして残念ながら、そんな夢の時間はここで終わり」
明菱に佐伯湊が、不知火湊がやってきて放り投げた卓球を拾い、その上で彼女たちのコーチとして全力で教える。
字面で言えば単なる夢物語。
そんな環境に彼女たちはいたのだ。
「何かドイツの子たちと卓球する約束したからって帰国を明日に伸ばしたらしいけど、帰国したら大騒ぎ。卓球関係はもちろん、一般のメディアも動き出してる。消えた天才の鮮烈なる復活劇、オバアの狙い通りに外側も食いついた」
お涙頂戴、如何様にでも盛り上げられるバックボーン。お膳立て通り、お膳立て以上の結果と共に、彼は一気に時の人となるだろう。
来年は高校の大会のみならず、全日本も予選を抜けて第一線に立つ。と言うか彼が今回の大会で勝ってきた選手、特に劉党に至っては勝ち越している選手は天津風貴翔のみ。他は大きく負け越している。
今のままの実力を発揮すれば、その時点で日本2位は堅い。もっと伸びたなら、それこそ日本のトップとなる可能性もある。
それが今の不知火湊への評価。
それが国際大会で勝利すると言うこと。
「すでに神崎さんの会社と地元のプロチームが話し合いを重ねてんの。お題は、不知火湊をどんな形でTリーグへ参加させるかってお話。おわかり? もう、プロになんの、あの子。その道筋は構築されつつある」
さすがにここまで話せば花音はもちろん、小春にだってわかる。
彼女たちだって馬鹿ではない。
むしろ賢いからこそ、ロジックさえ聞けば飲み込むしかなくなる。
「五輪を獲るなら、突き抜けた最強か、それに準ずる天才2人がいる。あの子は、その1枚になると今回の件で評価された。日本卓球界の悲願、ゴールドメダルを持ち帰ってくるかもしれない。あの子は、それを期待させてしまった」
全国の卓球ファンは劉党に勝利した彼に、王虎と渡り合った彼に、夢を見た。
夢を見せた者には責任がある。
その続きを見せる責任が――
「それが今の不知火湊。もうあの子は、消えた神童じゃない。帰ってきた天才、不死鳥の如く卓球界に戻ってきた、明日を担うスターなの」
だから、少なくとも今は、誰かに卓球を教えると言うフェーズではない。なくなった。彼が望む望まずにかかわらず。
そのために黒峰らは動いていたのだから。
それを早くに考え、神崎沙紀もまた部長の責務として石山百合を探し出したのだから。彼がもう一度戦う覚悟を持った時点で――
「わかってあげなさい」
こうなることは決まっていたのだ。
○
「ふひー」
帰国した不知火湊に待ち受けていたのは怒涛の勢いで押し寄せる取材陣であった。それに呑まれ、なんか勢いで色々と答えながら潜り抜けた先に、
「お疲れ様でした、湊君」
「どうもです。助かりましたぁ」
神崎母が社員を動員し、チワワの如く縮み上がった湊を救出してくれたのだ。それもこれも湊が彼女たちの支援を受けているから。
今回の遠征も遠征費の全てを神崎グループが負担してくれている。
「でもごめんなさいね。もしよかったらだけど、記者会見とか受けてくれると嬉しいなぁ、と支援者的には思うのだけれど、どうかしら?」
「き、記者会見、ですか?」
「もちろん負担ならお断りするけどね」
「……」
湊は少し考えこむ。やめる前、その大半を蹴飛ばしてきた。それは父の方針もあったが、それ以上に自分がそういうことが苦手であったことに理由がある。
断りたい、それは本音である。
だけど、それはきっと――
「やります」
昔の自分を繰り返すことになるだけ。逃げてはいけないのだ。本気で山を、あの光景に今一度辿り着きたいのなら、1人では絶対に辿り着けないから。
力がいるのだ。たくさんの、それが競技を続けると言うこと。
競技で上を目指すと言うこと、そう思うから。
「あら、よきお顔。うちの子お嫁さんに貰って欲しいわぁ」
「え? さ、沙紀さんが嫌がると思いますけど」
「脈ありよぉ。あの子、君にとっても感謝してるの。それ以上に、私たちもね」
「……?」
何事も中途半端だった娘の将来を心配せぬ親はいない。頭はよかったが、負けず嫌いを拗らせて偏差値の低い学校を選んだ時は頭を抱えたもの。卓球を投げ出した時もあまりにも予想通り過ぎて笑いも出てこなかった。
だけど、不知火湊が明菱に来て彼女は変わった。上を目指す者の努力を知り、無理やりその環境に叩き込まれたことで意識も変わったのだろう。
前向きになった。負けることに向き合う心も得た。
強くなってくれた。
それを喜ばぬ親がいるだろうか。
「あ、だけどビジネスは別。湊君もそう思っていいわ。恩義とか気にせず君が良いと思う道を行ってね。もちろん、うちも最高のサポートをするつもりだけれど、この業界は新参者なの。私も主婦業の傍ら、趣味でヨガの会社をいくつかやっていただけでねー。コネクションとか全然だから」
「……趣味で会社をいくつも持てるものなんすね」
「そりゃあ創業者一族だもの。ノウハウはあるわよー。うちの人も実業家としてぶいぶい! ってやってたらおじいちゃんが引き抜いたようなものだし」
「ひええ」
『神崎』沙紀が部長だと言えば、びっくりする者も少なくない地元の雄。改めて考えても凄い縁だなぁ、と湊はしみじみ思っていた。
「あ、そう言えば明日早速放課後に撮影会したいんだけど、だめ?」
「撮影、ですか? 別にいいですけど、なんのです?」
「うちのフィットネス事業の広告塔になってもらうもの。その撮影ぃー。カメラマンは菊池君だし、全然気構えなくていいわよー。と言うかあの3人、凄く良いわね。3人ともお金取れるレベルだし、ほんと助かりますぅ」
「……は、はぁ」
いまいち吞み込めていない湊。菊池はわからないでもないが、その他2人が役に立つとは思えない。彼らの活動について無頓着なのはやはり湊は湊であると言うところか。自分のことだがその辺ノーチェックであった。
湊の活躍により過去動画も含め、クソバズっていることなど気づいてもいない。
○
「はいダメー!」
石山コーチが早速小春に駄目だしする。
「むう、ちょっと当てが外れただけだもん」
「あんたは見てからでいいの。ひな鳥が親のマネするみたいに、不知火湊を模倣するフェーズは過ぎてるから。これ、全員に言える話ね。静聴!」
石山がパンパンと手を叩き、皆を自分に注目させる。
「色々試すのは悪いことじゃない。でも、不知火湊みたいに卓球をころころ変えるのは絶対にダメ。あれはね、ド天才の所業だから。普通はとにかく一つの型を、戦い方を、自分の強みをまず磨く。これが強くなる秘訣ね」
「ゆりちゃん前と言ってることちがーう」
「隙を、弱みを潰すのと強みを磨くのは矛盾しないの。あんたら、特にチビとデカは欠点が多過ぎるからそれを埋めさせようとしただけ。あれ荒療治だから」
「むー」
「おかげで苦手な相手のやられたくないこと、少しはわかったでしょ?」
「……それなりには」
小春と花音はしばらく戦型を交換していたが、それも少し前に石山が解禁していいと交換を解除していた。
その経験のおかげで相手がやりたいこと、逆にやられたくないことを学ぶことは出来たが、元の調子に戻すのは確かにそこそこ苦労した。
それを試合中にやるのはどう考えても正気の沙汰じゃない。
それはまあ理解できる。
「先読みもそう。チビだけじゃないのはわかってるからね。真似しようとする意欲は買うけど、あれはもう莫大な試合経験と卓球センスの合わせ技。あんたらにはどっちも足りない。この私ですら、センスが足りないから無理。あれはそういうもん。山勘の究極系で、エスパーみたいなもんだと認識なさい」
全員、湊の復活した前陣が見て動く、ではなく先読みしてあらかじめ動いておくものだと気づいていた。だから真似をしていたのだが、これが上手くいかない。
上手くいくはずがないのだ。何もかもが足りないから。
「貪欲なのは良い。でも、今後は自分に必要な技術かどうか、精査すること。手札の数はね、決して強さじゃないの。それは誰よりも手札を抱えていた私が保証する。強いやつは1枚でも勝つ。それが卓球だから」
親身になって一緒に考え、答えがわかったら出し惜しみせずに教えてくれた湊とは違うやり方。まずは自分で考えろ。全ては其処から。
その上で間違っていれば今みたいに指摘する。
「あと、誰かに憧れるのも禁止ね。自分が一番、そう思えなきゃ一番なんて到底届かない。参考にする、学びを得る、それはいい。だけど、いつかは自分がこいつら全部ぶっ殺す、そういう覇気は勝負には絶対必要だから」
「はい!」
「オッケー、じゃあ続けて。あ、春休み全部空けといてね」
「はい! ……え?」
勢いよく返事した後、全員が硬直した。
「愛知遠征行くから。とにかくあんたらに足りないのは強者との場数。雑魚といくらやっても雑魚は雑魚。強い奴は強い奴とやって学ぶの。この私のコネをフル活用してほぼ休みなしで試合詰め込んだので、その辺よろしく」
「え、遠征費は?」
「スポンサーに感謝! もっと言えばその価値を生み出した不知火湊と愉快な仲間たちに感謝しときなさい。私だけじゃ受けてもらえなかった試合はたくさんある。不知火湊の教え子、その付加価値があんたらを次のステージに運んでくれるから」
卓球の激戦区愛知県、どのカテゴリーも平均してレベルが高く、競技人口も多い。だからこそ試合する相手には事欠かない。
そんな激戦区に殴り込みをかけるのだ。
「この幸運な1年、ものにするかどうかはあんたら次第。ここまでは七光り、こっからはあんたら自身の輝きで、チャンスを生み出すこと」
その上で、
「全部に勝つ気概で臨みなさい。私もそのつもりで、ここから仕上げていくから。厳しいのは得意って黒峰センセから聞いてるんでね。覚悟なさい!」
「はい!」
石山百合は勝てと言った。
激戦区全てに勝つ、その意気でなければ全国最強の龍星館になど到底届かない。手を伸ばす気なら、そろそろ巣立つ時だと彼女は言う。
「じゃ、そっちで多球練習。球拾いも並行して3人で。残りは私とデスマッチ、1ゲーム取れなきゃ代われません、ね」
湊とは違う厳しさで、部員に向き合う石山コーチ。
「いつまでやらせんのォ? そろそろ私休みたいんだけどォ?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「肩で息したら交代できると思ってる? 甘い、そこのチビみたいに気絶したら、邪魔だし退けてあげる。さあ、地獄まで行きましょ、何度でも!」
現役時代、練習の鬼であったのは湊と同じ。それよりもずっと長い期間、やらされていたのではなく自らが必要だと思い続けてきた。
その強度は天才のそれよりも上である。
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