第101話:頂である
「ふぅぅぅ……」
大一番を前に少しでも体力を取り戻そうと湊は椅子に腰かけ、息を整えていた。劉党との一戦は死力を振り絞ったものであった。果たして今の自分にあれ以上の引き出しがあるかどうか。それはもう自分にすらわからない。
玉砕覚悟で突っ込むだけ。
相手は世界最強、それも競い合ってのそれではなく、ダントツのぶっちぎりであるのだ。世界トップクラスが世界ランク二十位から二位、ここは何だかんだと勝ち負けがある。基本的に一桁前半は勝つことが多いが、それでも負ける時は負ける。
だが、王虎は負けない。本当に負けないのだ。
だから、勝てると考える方がおこがましい。世界トップクラスと今の世界一、王とそれ以外にも大きな壁がある。
「随分疲れているね」
「……一誠おじさん」
「無理もない。本当に強い相手だった。しかもここ最近、明らかに全盛期を迎えた旬の選手だから、そりゃあ強い。よく勝ったよ、湊君は」
「ですよね」
そもそも劉党に自分が勝てたことが信じられなかった。もう一度やれと言われても自信がない。あれだけ集中し続け、あれだけ勝ち負けが揺れ、それでもなお勝ち切った経験は、思い返すと今日が初めてかもしれない。
今の貴翔の方が強いかもしれないが、かつて戦った当時の貴翔よりは明らかに強かった。つまり、自分の戦歴の中では最強の相手であったことになる。
まあ次は名実共に最強なのだが――
「そうして俯いていると、やはり崇の面影を君に見るよ」
「うげ」
湊、無理やり顔を上げる。
それを見て一誠は苦笑した。
「自信がないかい?」
「そう見えますか?」
「強い相手と当たる時の崇と同じ――」
「その、父に被せるのやめてください」
「ははは、すまないすまない。でも、そう見えるし、それは当然のことだ。王朝が誇る最高傑作、それが王虎選手だから。誰でもそうなる」
「……場違いですよねえ、僕」
ノーランカー、勢いのままここまで来た。とうとう世界一と戦うところまで。つい一年前までは腐り果て、卓球を捨てていた男が、である。
あまりにも現実味がない。
「それは違う。君がそれを言うことは、君がこれまで戦って、打ち倒し、勝利してきた相手を下げる言葉だ。君はそんなに楽な道を歩んできたのかい?」
「……いえ。皆、強かったです」
「その通りだ。どの子も強い。競技レベルの向上はトップオブトップよりも、その下の上位層の厚みを作るものだから。一昔前に比べ、比較にならないほどどの選手も強い。それがわかっているなら、いいさ」
湊は顔を上げ、周囲を見渡す。自らの試合を終え、次の試合のために去る者もいれば、次の試合のためにこそ残り、観戦している者たちもいる。
その中にはローランら、湊が倒してきた選手もいた。
何よりも――
『……』
「……」
劉党と目が、合う。ついでに隣に立つ『英雄』とも目が合った。昔からファンだったので後でサイン貰えないかな、と少しばかり邪念が芽生えてしまう。
ダンへの挨拶がてら、ワンチャンあるか――
「落ち着いたかい?」
「……はい」
彼らが見ている。
「私も、当然舞さんも、きっと崇も見ている」
「……あの人は練習しているでしょ、たぶん」
「いや、絶対に見ているよ。賭けてもいい」
「……」
ぶすっとした表情の湊。ほんの少しだけ其処には照れが混じる。
こういう可愛げはあの男になかったなぁ、と一誠は思うも――
『意外とうっかりさんで、可愛げがあるんですよ、たかちゃん』
(……いや、私たち仲間や、敵には見せていなかっただけ、か)
ここまで連れてきてくれた幼馴染のおじさんが、母が、たぶん父が見ている。きっと那由多や美里、ひめちゃんも見ているだろう。
そう、見られているのだ。
(それにしても……少し前まで精神的疲労に押し潰されそうだったのに、切り替えた瞬間この貌か……こればかりは田中さんの目利きだなぁ)
不知火湊は見られている、この自覚がスイッチとなる。数多の視線を、誰かに見られることで、彼は競技者、選手となるのだ。
「楽しんで」
「はい!」
恥ずかしい姿は見せられない。
魅せるのだ、今の自分を。その自分を通して世界最強を。勝ち負けは関係がない。全力でぶつかり玉砕しても、それはきっと彼女たちの学びになる。
そのために戦うのだ。
そう思うと――
(……上がるね)
無謀な挑戦すら心躍る。
いざ、頂へ。
○
「……」
天津風貴翔は正座をして中継を見つめていた。劉党との一戦はもちろん、その前から珍しく我を出し練習を中断してでも見たがった。
最初は叱責していた彼の専属コーチ、佐伯崇もそんな彼の後ろで腕を組み見守る。一度卓球を捨てた者が、やりたくない、やれないと膝を折った者が、今こうして立ち上がり、世界一に挑む時が来た。
「……始まります」
「ああ」
あの頃とは顔つきが違う。何処か楽しむ余裕が見受けられる。それは自分が隣にいては、引き出せなかった貌であろう。
自分が離れたのは正しかった。あの子が卓球をもう一度拾ったのは正しかった。
全ては結果論でしかなく、自分が捨て、あの子が傷ついた。家族を壊したことに変わりはない。今更応援、などと言う関係性でもないだろう。
「よく見ておけ。全日本で当たる敵だ」
「俺、山口君との復帰戦も見ています」
「……無駄なことを。今のあれはもう別人だ。切り替えろ」
「コーチと同じです」
「……」
貴翔は珍しくかすかに笑みを浮かべ、
「楽しみです。戦うの。俺、ファンだったから。佐伯親子の」
不知火湊を見つめる。
○
世界中が見つめる注目の一戦。ただでさえ、この男の試合は注目が集まるのだ。若手の登竜門である大会に、ドイツ旅行がしたいからと言う理由で参加した自由気ままな絶対王者。だが、その話の割に彼のインスタからは旅行の写真は流れない。
何故なら彼はずっと、見る予定のなかった者たちを見続けてきたから。
旅行などよりもよほど、楽しい景色を見ることが出来た。
だから、王は感謝しているのだ。
自分を楽しませてくれた下々へ、彼らが想像するよりもずっと大きな感謝を抱き、それを卓球に返す。
ありがとう、と。
「谢谢」
より早く、速く復活した『閃光』。湊は初っ端から出し惜しみせず、前で王者と自分の距離を測ろうとした。
今の自分はこの男と言う山頂から見て、何処にいるのだろうか、と。
『……これ、悪気ないんだよ。あいつ』
『……みたいですね。王として胸を貸しているだけ、と言っていましたから』
ドイツの代表、『英雄』とダンの会話。何処か寒々しい気配が流れる。
盛り上がった会場を、一瞬であの男の空気に塗り替えてしまった。
誰もが言葉を失う。そして誰よりも――
「……」
対峙していた湊が絶句していた。
何でもできる。何でも強い。何でも最強。まことしやかに卓球界隈で囁かれる噂に、初顔の王虎は遊ぶ、というものがある。
実際、彼の初顔、特に1セット目の取得率は他に比べ低めである。
だが、その遊びが良い方に出るとは限らない。
何せ、虎のじゃれつきである。
『どうしたァ? 盛り上がっていこうぜェ』
王虎の、わるーい貌。彼の後ろで選手兼コーチ及びお目付け役の韓信が頭を抱える。楽しみ過ぎて、久しぶりによくない王虎が出ていた。
「……にゃろう」
自分の十八番、前陣速攻。やけに素直にカウンターを喰らってくれたな、と思えばあちらも同じようにカウンターで返してきた。
其処から前で打ち合い、湊がぶち抜かれただけ。
相手の土俵で受けて立つ。王者の卓球と言えば聞こえはいいが、要はただの舐めプである。ただ、普通の強者ではなく、世界最強の舐めプであるが――
圧倒的反応速度はかつて味わった絶望感を、天津風貴翔を彷彿とさせる。
なるほど、最高傑作の呼び声に偽りはない。
偽りはないが、
(リスペクトは消えたぜ、チャンピオン)
「Come on baby」
それはそれとして大変気分が悪いので、
(もう一丁!)
『それそれ、そういう活きの良さは若者の特権だぞォ!』
もう一度前で勝負を仕掛ける。集中し、読みを深め、反応する地点をより早くする。読めている。当たっている。
間に合っている。
だと言うのに――
(なんだ、この、打感は!?)
重く、鈍く、押し込まれそうになる。反応の速さは貴翔に近いが、やはり其処には少し差がある。その分、王は読みを入れて速めているのだろう。
速さは互角。それなのに、押し込まれていく。
先ほどは少しばかり驕りがあった。貴翔に限りなく近づいた今、前ならば渡り合えるのではないか、そういう気持ちがあった。
と言うよりも、
(このカードで負けたら、お話に――)
最強の手札が通じねば、勝負にならない。
だから、通じてもらわねば困るのに、眼前の王者は当たり前のように前でも強い。強過ぎる。溢れんばかりの身体能力が、小さな動きですら、細やかな動作ですら、軽く打ってすら、その辺のドライブマン、その全力よりも強力無比となる。
これが王者。
『ここ止まりかァ?』
早速、最強の手札が食い千切られた。
腹を空かせた虎の牙によって――
「……くっそ、尊敬するほど強いわ、この人」
笑うしかない戦力差。少しばかり次元が違う。暴力的な身体能力、虎がそのまま人を象ると、こうなるのかと思えるほどに他と隔絶している。その上でこの虎は人の技を誰よりも丁寧に、巧みに操るのだ。
最強、幾度も映像を見てきた。参考にするように、と仲間にも勧めた。王者の卓球は知っている、つもりだった。
だが、見ると体験するのではあまりにも違う。
こうして対峙してみてわかった。
『ほォ、自分の強みで負けて、それでも折れんのは嫌いじゃないぞ』
この男が世界最強である理由が。
「……とりあえず、全部試してみるか」
前で負けた。
「4-0」
中陣でも負けた。
「8-0」
後ろも負けた。
「……全部最強かぁ」
誰もが言葉を失うほどの虐殺。目を背けたくなるほどの蹂躙であるが、
「さぁて、どうしたもんか」
不思議と不知火湊に悲壮感はない。
『……ぶは』
周囲の視線など気にせず、卓球に没頭できている湊を見て王虎は嬉しそうに笑う。いつもなら、そろそろこの辺りで対戦相手も悲壮感が見えてくる頃合い。
この辺から遊びは切り上げ、あとは王者の卓球を押し付けて終わり、なのだが、どうにもこの男からはその雰囲気は見えない。
諦める気など毛頭ないよう、見える。
(ふっ、そう睨むなよ韓信さん。続行だ。押してダメなら引いてみる。引いてもダメなら横、と言う前向きな思考を続けている内はなァ)
空高く舞い上がるロビング。カットの通りが悪いと見るや否や、いきなり超高いロビングを仕掛けてくるあたり、博徒の才能はあるのかもしれない。
前向きな表情でなければやけくそにも映るプレーだが――
(王も受けて立ってやらねば、なァ!)
回転をかけて打ち上げられたそれは、落下と共に大きく変化する。が、その回転を見切り、変化した瞬間を弾けばそれでいいだけ。
残念ながらこの程度で点をやるほど王は甘くな――
(……んん?)
王虎、ここに来て少し迷う。
その理由は、
「……あっ」
やっちゃった、と言う表情の湊が示す通り、このロビング、コートの際に落下しているのだ。際、もしくは、いやこの軌道だとほぼ確実に、
((エッジ))
球が揺れる。湊もギリギリを狙ったが、室内でも空調による空気の流れはどの会場でもある。打球が高ければ高いほど、その関与は大きくなるもの。
狙ったわけではない。狙ってできるものではない。
ただ現に、球は台の角に落ち、
『ぬおっ』
あらぬ方向へ飛ぶ。それに反応し、常軌を逸した身体能力で追いつき、飛びつきながら返した王虎は見事であったが、
「……」
それに対しこつん、と当てただけの返球が無人のコートへ還る。
「8-1」
「……」
念願の1点、ただ会場は先ほどまでとは別の理由で静まり返っていた。
湊、手を挙げて、掌を相手に向け、ついでにお辞儀して謝罪する。王虎もまたそれを受け構わんと流す。
ただ――
(……ふむ)
わるーい顔をしていた王者と、同じような顔になる湊。よくない、よくないのだが、ちょーっと思いついてしまったのだから、仕方がない。
仕方がないのだ。
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